其の一 悪玉令嬢 花嫁候補教育係となる
ここは、マイツダーラ王国。今のところ近隣の国々との関係は良好で、国王エドゥアールド三世は、国民の人気も高く、その治世は盤石である。まあ、天下太平ということである。兵士たちは暇だし、庶民は芝居やら読み本やらを楽しんでいるし、王都の居酒屋は昼間から結構繁盛している。
そんな平和な時代に、わたしは侯爵家の娘として生まれた。名をレオンティーヌ・アブリージという。今年十九になる。二つ下の弟のフロランタンは、健康で変な性癖もなく、そこそこ真面目な性格なので、侯爵家の将来に不安は全くない。弟に、おかしな嫁さえ来なければ。
わたしは現在、王宮に出仕し、王太子殿下の花嫁候補、つまり未来の王妃候補の訓練――いや違った! 教育を担当している。教育係というのは普通、伯爵家や侯爵家の奥方など、既婚者が務めるのであるが、奥方たちはみんな、お洒落とおしゃべりとお菓子とお芝居に夢中で、そんなかったるいことは引き受けない。
というわけで、やや行き遅れ気味のわたしに、お鉢が回ってきたわけなのだ。任されたからには、ビシビシ訓練――また間違えた! 教育させていただく。
爽やかな朝。今朝も、いつも通り気持ちよく目覚めることができた。
身支度を済ませ、玄関ホールへ続く階段を降りていくと、フロランタンに出会った。彼は、わたしの教育により、幼少期に早寝早起きを身につけた今どき珍しい青年貴族である。服装は、ややリラックスしたものだが、しっかりと目を覚ましており、顔の色つやも良い。素晴らしき我が弟よ!
「おはようございます、姉上! あ、あの、もうお出かけになるのですか? まだ、日が昇ったばかりではありませんか?」
「おはよう、フロランタン! 日が昇ったからには、もう朝です。今日は、朝から特別な予定がありますので、いつもよりさらに早く出仕せねばならないのです」
「あ、はい! どうぞお気をつけて!」
わたし付きの侍女のアレットも、御者のブノワも、わたしの早朝出仕にすっかり慣れてしまった。毎日、アレットが用意してくれた朝食を部屋でいただき、ブノワが玄関に寄せた馬車に乗り込み、朝の光で薔薇色に耀く王宮へと向かう。
この国では、花嫁候補となられたご令嬢方は、何か間違いを起こしたりすることがないように、王太子殿下の花嫁が決まるまで、王宮で共同生活を送ることになっている。最初は、緊張しているし、人によく思われたいと考えて遠慮しているのだが、ひと月もすればだんだんダレてくる。
夜中に互いの部屋を行き来して、おしゃべりを楽しんだり内緒で酒を嗜んだり、中には、こっそり外出しようとしたりと、勝手気ままに振る舞うようになる。「王太子殿下の花嫁候補」だということを忘れているのではないかとすら思える行状である。さすがに、これは目に余ると考えた王宮の女官たちが、優しくお諫め申し上げるが、どこ吹く風である。
「えーっ、だってぇ、ひとりじゃ怖くてねむれないのですものぉ」
(いや、あなたね、バラ園散策した日の晩、すっかり疲れて、クーカー鼾かいて寝ていたよねぇ……)
「すこぅしだけですわぁ、ほんとにちょっとワインをなめただけですのぉ」
(あのさぁ、床にボトルが2本ころがっているでしょ。この部屋にはあなたしかいないのに……)
「いつも、夜通しで門の番をしてくださっている騎士様にぃ、お夜食を届けようとしただけなのですぅ」
(違うでしょう、サンドイッチ持って、塀乗り越えて、芝居小屋を目指していたんだよねぇ……)
とんでもない事態である。しかし、間違いなく、この中で最もましな娘が、たぶん、王太子殿下の花嫁に選ばれる。そして、残りのしょうもない娘たちも、王宮で花嫁候補として教育を受けたご令嬢という肩書きにものを言わせ、うちの弟のフロランタンのように手懐けやすい――またまた違った! 心優しく素直な青年貴族の嫁になろうとするのだ。許せるか? 許せまい! その根性、教育係のわたしが、とことん鍛え直して差し上げようではないか!
そんなご令嬢方の待つ(たぶん、待っていないだろうが)王宮に、わたしは到着した。午前7時、カメリアの間へ全員集合!
7名のご令嬢は、それぞれ侍女により、身なりだけは整えられているが、欠伸をかみ殺したり、後れ毛をずっと弄っていたり、締められすぎたコルセットにため息をついたりしている。でれっとした彼女たちの前に、わたしは背筋を伸ばし、腕を組み立っていた。そして、ご令嬢たちの眠気を覚ますような大音声で宣言した。
「おはようございます、皆様! 本日、空は晴れ渡り、雲一つございません。ですから、以前より予定しておりました、遠乗りに出かけたいと思います。ジイグの森まで馬で行き、王太子様のお好きなノユリを摘んで参りましょう! 準備を整え、30分後に再びここにお集まりくださいませ!」
「ええーっ!!!」
そして、30分後。戻って来たご令嬢は3人だけ。4人は、ご体調が優れないとかで、今日は1日ベッドでお休みなるそうだ。はいはい。集まった3人も、帰りは馬車に迎えに来てもらっていいかとか、乗馬の得意な侍女と入れ替わって、ノユリは彼女に摘んできてもらっていいかとか、ジイグの森でゆっくり一晩泊まり、明日戻るようにしてもいいかとか、とんでもないことを訊いてきた。もういい!
「わかりました! 本日は、先週お出しした刺繍の課題を完成させてくださいませ。期限は明日ですので。遠乗りは、わたくしが一人で参ります。王太子殿下が、お花をお待ちだと思いますので、わたくしがノユリを摘んで参ります! 以上、解散!」
そして、わたしは、王宮の厩舎に預けてある愛馬オドレイを、厩舎から出してくるよう馬丁に頼んだ。
すっかり、準備が整ったオドレイに跨がり、王宮の裏門からジイグの森へ出発する。今日は、供は連れない。わたしとオドレイが全力を出したなら、よほどの乗り手でない限り併走することは難しい。幸いわたし一人での遠乗りとなったので、オドレイには好きなように駆けさせてやるつもりだ。
1時間ほどで、ジイグの森へ着いてしまった。オドレイを休ませ、わたしはノユリを摘みに行く。花束にしても寂しくない程度の本数を摘んだところで、背後の藪に人の気配を感じた。
わたしは、気づかぬふりをして、オドレイの方へゆっくりと歩き出す。相手が距離を詰めてくる様子はない。先ほどと同じ藪の中に、じっと潜んでいるようだ。何をしているのだろう? 最期の5メートルほどを一気に走り、オドレイに飛び乗る。
そのまま、その場から逃げても良かったのだが、相手の正体を知りたかったわたしは、すぐさまとって返し、藪の上を勢いよく跳び越えた。黒い帽子に黒いマントの男(だろう、たぶん)が、慌てて身を屈めうずくまった。オドレイに踏みつぶされるとでも思ったのだろう。顔の大半はマントで隠され、人相を確かめることはできなかった。しかし、男から仄かに立ち上ったブルーローズの香りを、わたしはしっかり心に刻んだ。地面に降りるや否や、オドレイのスピードを上げ、わたしは振り向くことなくひたすら王宮を目指した。何者だろうか? あの男――。
王宮に戻り、オドレイを厩舎に返し、ノユリを抱え宮殿の入り口へ向かっていると、王妃様付きの女官長であるオーミルシェ侯爵夫人と出会った。
わたしは、この方が苦手である。あのうじゃじゃけた花嫁候補7人の内、3人はこの方のご推薦である。王妃様との繋がりをより確かなものにしておこうと、ご自分のお身内やお知り合いのご令嬢を、王太子殿下の花嫁に据えようとしているのだ。碌でもないご婦人である。
侯爵夫人は、わたしが手に抱えたノユリの花束に目を留めて、嫌みたらしくこう申された。
「まあ、レオンティーヌ様。随分と早いお戻りでしたのね。なんでも、アポリーヌたちが足手まといだからと、お一人でジイグの森へノユリを摘みにいらしたとか。みんな、もっとゆとりのある計画なら、是非、遠乗りにご一緒したかったと申しておりましたわ。あの子たちは、乳母日傘で育てられた娘たちですのよ。教育係といっても、もう少し、優しく接してやってくださってもよろしいのではなくて」
あ! 何か微妙に話が変わっている。アホ――いや、間違えた! アポリーヌというのは、身代わりを立てようとしたご令嬢だ。確か、オーミルシェ侯爵夫人の従姉妹の娘だったと思う。
そうか、そういう告げ口をしているのか。侯爵夫人の口から、おそらく王妃様にも伝わっていることだろう。やれやれ、この分では教育係解任の日も近いかもしれない。これ以上、敵を増やさないように気をつけねば……。