我が名はジーク・フォン・クラウゼヴィッツ
そもそもこの俺、花田雄司がグレたことに、大した理由なんてなかった。
中三で肩を壊し、野球を辞めた後、幼馴染みの正道勇武から地元暴走族の〝魔蛇足袋〟に入らないかと誘われたのだ。
今更、勉強や他のスポーツに打ち込む気にはなれなかったし、ちょいとグレてみるのも面白いかもと思っていた。勇武の誘いに乗ったのも、半分はその場のノリだった。
まあ暴走族っつっても、ほとんどごっこ遊びみたいなもんだ。
俺が入った時点でメンバーは十人そこそこ。先輩が引退し、高校に上がった俺が総長を引き継ぐ頃には、集会に来るのはたった五人にまで減っていた。
自然消滅するのも時間の問題だったし、他の連中もそういうムードを薄々感じていたはずだ。だから俺はあの夜、魔蛇足袋の解散を宣言するつもりでいた。……何とも間が悪いことに。
六月下旬の夜中――蒸し暑い空気が肌にまとわりつく、イヤな夜だ。溜まり場にしてる廃工場にいつも通りのメンツが集まり、そこで事件は起きた。
*
事件の翌日、俺はメンバーの一人と一緒に病院へ向かった。
平日の朝だし、ちょっとぐらいは空いてるかと思ったが、病院のロビーはヒマを持て余した年寄りでそれなりに賑わっていた。
俺らが現れるなり、昔話や持病を肴に盛り上がっていたジイさんバアさんがぎょっとした面持ちになる。
背中に視線を感じつつ、俺らは総合案内所へ向かった。普段は年寄り相手に朗らかスマイルを振りまいてるだろう二人の受付嬢は、揃って表情筋を強張らせていた。
「こ、こんにちは。本日はどういったご用件で?」
受付嬢Aのマニュアル対応を、Bが引き継ぐ。
「し、診察でしたら、ま、まずは外来受付に――」
勘違いした彼女らの言葉を遮り、俺は言った。
「ダチの見舞いに来ました。正道勇武の病室を教えてください」
すると、引きつっていた表情が揃って何かを察した風に変化し、
「ホラ、例の事件の」
「ああ、あの子の」
などと小声で囁き合ってから、「三階の三一五号室です」とAが教えてくれた。
軽く会釈し、エレベーターに向かう。消毒液臭い通路を歩く俺たちはジイさんバアさんの視線を集め続け、母親に付き添われた子供から、すれ違い様に泣きそうな顔をされた。
「……めっちゃ引かれてんな、オレら」
連れのマッツンこと赤松修也が言った。右半分が腫れあがったツラを眺め、俺は言い返す。
「引かれてんのはオメエだろ。今のお前、まるっきりゾンビだぜ」
「いやいや。雄司、お前よ。鏡見てみろって」
言いながら赤松が上階行きのボタンを押す。ちょうど一階に止まっていたエレベーターのドアが開き、姿見が現れる。思わず俺は「うおっ」と声を漏らした。
顔中アザだらけの傷だらけで、人相もへったくれもない。違いがあるとすりゃ、マッツンは金髪リーゼントで、俺はワックスで撫でつけたオールバックってことぐらい。髪型に違いがあろうがなかろうが、どっちも同じゾンビヅラだ。
「……ヒデェな、こりゃ」
「ああ、こりゃヒデェわ」
互いに鏡と向き合ったまま、背後でドアが閉まる。消毒液の匂いがシャットアウトされる代わりに、今度は赤松の体に染みついたヤニの匂いが狭い箱ン中を満たしていく。
「勇武のヤツ、起きてっかな」
姿見を見つめ、思い出したように赤松は呟いた。俺も自分のゾンビヅラに見入りつつ、「さあな」と返す。
昨日の夜、俺たちは襲撃に遭った。
やったのは、ここX県Y市青襟町では最大のチーム〝如虎邪羅死〟の連中だ。
総勢三十人近いガチ寄りのガチなワル共が、俺らみてえにノリでワルやってる何ちゃってチームを本気でつぶしに来るなんて、ちょっと想定外だった。しかも解散宣言をするはずの夜に襲われるなんて、間が悪いにもほどがある。
俺らはろくに抵抗もできず、揃ってボコボコにされた。特にこっぴどくやられたのが勇武だった。
言っちゃなんだが、勇武はひょろい。二つ下の中坊と並べても見劣りするぐらい、貧相な体つきをしている。そのクセ、そこらのワルよりもよっぽど気合いが入ってやがるときたもんだ。
昨日の夜もアイツは足腰が立たなくなるぐらいボコボコにされながら、「ナメやがって!」「くたばれ!」「ぶっ殺してやる!」などと罵詈雑言をぶちまけていた。
当然の如く如虎邪羅死のリーダーもブチギレて、そこらに転がってる鉄パイプを勇武の頭めがけてフルスイングしやがった。
アイツが白目を剥いてぶっ倒れると、流石にヤベえと思ったのか、如虎邪羅死のヤツらは退散し、俺らも解放された。
皮肉な話だが、俺たちのケガがこの程度で済んだのも、勇武のおかげだった。
医者の話じゃレントゲンにも特に異常は見当たらなかったそうだが、結局俺たちが帰るまでアイツが目を醒ますことはなかった。
鏡の中で反転した〝3〟のランプが灯り、微妙な揺れとともにエレベーターのドアが開く。
正面の壁に貼られた地図で病室の位置を確かめる。ナースルームを中心にグルリと輪を描くように病室は配され、勇武が入院中の三一五号室はエレベーターとはちょうど反対側にあった。
「勇武のお袋とか親父さんも来てんのかな?」
今更怖じ気づいたのか、歩きながら赤松が呟く。
「ビビってんのか?」
「いや……ビビるっつーか、さすがに気まずいっつーかよ」
「心配すんなよ。アイツの親、ずっと海外だから」
「えっ、そうなん?」
「言ってなかったっけ? 今アイツ、妹と二人暮らしだぜ」
「へえ、初耳だわ。……で、美人か?」
「何がだよ」
「勇武の妹だよ」
立ち止まって、俺は赤松に視線を向けた。怪訝そうな顔をしたナースが、脇を通り過ぎていく。瞼の腫れあがった目が、いやらしげに弧を描いていた。
「赤松……お前、ちったぁ自重しろよ。一応見舞いに来てんだからよ」
「わぁってるって。さすがに病院でナンパはしねえよ。ツラもこんなだしな」
「いや、そーじゃなくて、今するような話題かよ。勇武のこと心配じゃねえのかって話」
「医者の話じゃ、命にベツジョーはねえんだろ」
「まあ、そりゃそうだがよ」
「つーかよ。ここだけの話、オレはアイツがこうなったの、あんまオドロいてねえんだわ」
「あ……? どういう意味だ、そりゃ」
「前々からお前だって言ってたじゃねえか。勇武はヤベえヤツだってよ。正直オレは、いつかこんな日が来るって思ってたぜ」
俺は黙り込んだ。そう言われりゃぐうの音も出ねえ。
名は体を表すとは言うが、勇武の闘争心は〝勇ましい〟を通り越して狂気じみていた。
ちょっとでもナメられてると感じたら、ブチギレて噛みつこうとする。相手が自分より二回りデカい巨漢だろうがお構いなし。いくらボコボコにされようが気絶するまで食って掛かる。
凶暴さだけが取り柄のチンピラが行き着く先は、破滅と決まってる。いつかこんな日が来ると思っていたのは、俺も同じだった。
むしろ如虎邪羅死相手にあんだけ上等こいで、くたばらずに済んだんなら御の字だ。これに懲りて、ちったぁ大人しくなってくれれば、少しは俺の不安も軽くなるってなもんだ。
とまあ……その時の俺は医者の言葉を信用していた。口じゃあ赤松の軽口を諫めながらも、俺自身、勇武のことをそこまで心配してる訳じゃなかった。よもやアイツの頭にあんな異常事態が起きているとは、完全に想像力の外側だった。
「あのぉ……」
後ろから、遠慮がちな女の声がした。
ナースだ。まだ若いし、マブい。俺たちとは十歳も離れていないように見える。頭の位置は俺の胸ぐらいまでだから、身長百五十数センチってとこだろう。俺らが揃ってゾンビヅラを向けると、「ひっ!」と小さく悲鳴を上げて後ずさった。
「ええと、何か用スか?」
極力怯えさせないよう、背を曲げて穏やかな物腰で聞き返すと、人慣れしていない猫みたいにおずおずと看護婦は続けた。
「あ、あの、キミたち。正道勇武くんのお友達、よね?」
俺は赤松と顔を見合わせた。胸の奥が妙にザワつく。
「……勇武に何かあったんですか?」
「あ、体の方は大丈夫よ。ただちょっと、意識の方が……」
目を合わせたかと思うと、また視線を泳がせ、看護婦は言葉を詰まらせる。単に怯えているというより、ありのままの事実を伝えることを躊躇うような態度に思えた。
胸騒ぎがはっきりと不安に変わっていく。不安に駆られるまま、俺は走り出した。
「ちょ……雄司ッ!」
慌てた赤松の声が背中から遠ざかり、病室の札が視界の端をよぎっていく。
〝三一三〟、〝三一四〟、〝三一五〟――あった!
目的の番号を見つけ、俺は立ち止まる。〝正道勇武〟の名前もあった。
力任せに引き戸を開く。思いっきり引いたので、かなり大きな音が鳴った。患者たちが何事かと身を起こし、一斉に視線を注いでくる。
ジイさん、バアさん、ジイさん、ジイさん、バアさん、若い男。一番奥の左側のベッドに、一人だけ若いのがいる。勇武だ。
顎から頭のてっぺんまで、ほっかむりみたいに包帯を巻いているが、ちゃんと意識はあるようだ。安心した途端、俺の頬は自然と緩んだ。
「ンだよ、オイ。元気そうじゃねえか」
笑顔のまま俺が近づくと、キョトンとした丸い目で勇武は見返してくる。
「心配したんだぜ? さっきナースのネエちゃんが妙なこと言うもんだからよ」
肩をポンポン叩き、勇武の反応を待つ。こういう時、普段のコイツなら俺の手を振り払い、〝バーカ、あんなんでくたばるわきゃねえだろ〟と気取った笑みを返してくるところだ。だがいくら待っても、勇武は何の言葉も返さずにいた。
コイツ……こんな顔だったか? ふと俺はそんなことを思った。
俺の知る勇武は、常に何かにムカついてるみたいに目つきが鋭く、眉間に縦ジワを刻んでるようなヤツだ。何つーか、自然体でチンピラ的オーラを漂わせていた。こんなクリクリおめ目を向けてくるようなヤツじゃない。
男にしちゃ中性的な顔立ちも相まって、ワルっつーか育ちのいいお坊ちゃんみてえだ。俺がそんな感想を抱いていると、クリクリ丸い目のまま首を傾げ、唐突にヤツは言った。
「きみは誰だ……?」
……は? 何? 何だって?
「この体の持ち主の知り合いなのか?」
と、病室の外から駆け気味の足音が近づいてくる。赤松だ。ちょっと走っただけでもう息がキレたのか、ハアハア言いながらこっちを見ている。勇武も赤松を見る。そして言った。
「彼もそうなのか?」
赤松がゾンビヅラをしかめ、俺の方を見た。どういうことだ? とでも聞きたげに。俺はかぶりを振った。ワケが分かんねえのはこっちも同じだ。
ギャグなのか? それにしちゃ笑えねえ。第一、勇武はこういう状況で、気の利いた不謹慎ギャグをかましてくるようなキャラでもねえ。
「お……オイ、勇武。お前、俺の名前分かるよな?」
丸い目を細め、勇武はかぶりを振った。
「……すまない」
口を半開きにして、俺は言葉を失った。「ウソだろ、オイ」と赤松が呻く。
「俺らのこと……何も覚えてねえのか?」
もう一度聞いてみる。憐れむような顔で、勇武は頷いた。うなじの毛がゾッと逆立つ。こりゃ演技じゃねえ。マジだ。マジに言ってやがる。
「……キオクソーシツってヤツか?」
赤松が言った。聞き慣れない単語は初め外国語みたいに思えて、一拍遅れで〝記憶喪失〟のことなんだと気付く。
「いや、それは違う」
間を置いて、勇武は意外な台詞を口にし、それから更にワケの分からないことを口走った。
「記憶があるとかないとかじゃなく、〝中身〟が違うんだ」
「〝中身〟……?」顔をしかめ、俺は聞き返す。
「〝魂〟のことだ。知らないのか? 肉体には魂が宿るものだろう」
さも常識のような言い方だった。俺たちが面食らっているのがヘンみたいに、勇武は眉を八の字に曲げた。
「どうやら、この世界は吾輩が元居た世界とは、常識の在り方が違うらしいな」
「ちょ……おい。何言ってんだ、お前?」
マジにワケ分かんねえ。ワガハイって何だよ。つーかさっきから何だ、その喋り方?
「この体の――イサムの友人たちよ。どうか落ち着いて聞いてほしい」
薄っぺらい胸に片手を当てると、やけに堂々とした声でヤツは言いやがった。
「我が名はジーク・フォン・クラウゼヴィッツ。こことは異なるもう一つの世界で、魔王を倒す使命を帯びた勇者だ」




