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(この分だと、問題なく勝ててしまいそうね)
知人の頼みであり、それなりに正当性もある内容だったので、もともと手を抜くつもりはなかったが、それでもこれはナアレにとって少しつまらない流れだった。
(こんなことなら、グゥーエをもう少し残しておいても良かったかしら? でも、それは難しい話よね)
なにせ彼の顔を見た瞬間、潰すプランが浮かんでしまったのだ。あげくに、それが最初から最後まで予定調和の如く綺麗に通ってしまったので、止め時もなかった。
(レニに期待してもいいのだけど……むぅ)
後ろから見ている感じ、こういうレースに参加したのが初めてなのは明白で、今彼女が一位に居られているのはノーマークで誰にも干渉されなかったからでしかない。無駄な動きは殆どないし上手くはあるのだが、状況に左右される強さなのだ。
それ故に本選では通用しないし、ナアレに当たるまで勝ち進めるとも思えない。
(それなりに愉しめると思っていたのだけど……万全の英雄なら、私ともいい勝負が出来たでしょうに、残念だわ)
予選突破ギリギリになんとか位置しているカークの、そのあまりに弱い存在感にため息をつきつつ、ナアレはとりあえず何位でゴールするかを考える事にした。
予選の順位は本選の組み合わせに影響し、何かしらのアクシデントがない限りは一位が十六位と、二位が十五位と戦うといった感じの仕組みとなっている。
(……そうね、誰が相手でも同じならレニを選びましょうか)
そのついでに英雄にも引導を渡してやろうと、ナアレはあえて速度を緩めて、カークの半歩程前まで下がった。
「貴方、顔色が悪そうね。そういえば毒を嗅がされたのだったかしら? 最低限で済ますのは良くないわよ。本選に影響が出てしまう」
「……」
一瞬だけ、カークはこちらを横目に見て、すぐに視線を前に戻す。
なかなかにつれない反応。
個人的には愉快な気分だが、彼を落とす事は決定事項だ。手を緩めるわけにはいかないので、ここはお仕置きをする必要がある。
(これからする私の不正を、果たして誰が見破れるのかしら?)
ナアレ・アカイアネが有する『距離』の魔法は、多くの常識の外にある特別なものだ。
そして極めて幅の広いものでもあり、腕に嵌めたブレスレットにだって当然干渉する事が出来る。(音が鳴るのは、大会が終わってからでいいわね)
これで魔力超過による失格はなくなった。
次は後ろを走っていた一人の、ゴールまでの距離に干渉して、一気にカークを抜き去らせる。
「――」
極めて不自然な自然さで十七位に順位を落としたカークは、微かに眉を顰めてからこちらに視線を戻した。
魔法の気配は感じられなくても、誰がやったのかはさすがに理解出来たようだ。
「貴方はここで敗退する。私がそう決めたから」
「……どこの、誰か知らないけど……傲慢な人だね。……貴女は」
掠れた声。
打開策が見当たらなくて困っている感じ。
でも、そうして湧き上がってきた絶望を必死に歯を食いしばって堪えるようにして、彼は再び前を向く。
好感のもてる姿勢だ。だからこそ、彼の頑張り次第では可能性くらい残してもいいかも、という気紛れが生まれた。
「あぁ、そうだ、私の事情を話しておきましょうか。訳も分らずに踏みにじられるよりはいいでしょうし」
「必要ない、よ。……負けないから」
「そう。……ふふ、そうこなくてはね。では、貴方にも勝機のある勝負をしましょうか? 此処から先は小細工なし。私に貴方の上手さを見せて欲しい」
後半戦はテクニカルなポイントが多くなる。よりコースへの理解と身体行使の上手さが結果を左右するといってもいい。
前者はカークが有利だろうが、後者はこちらが有利なので、まあ丁度いいバランスと言えるだろう。
ナアレは寸分の狂いのない並走を確保したところで、
「では、始めるわ。すぐには失望させないでね」
と微笑んで、此処で初めて本気の走りを披露する事にした。
うねるような細道を駆け、窓から建物の中を通り、路地と梯子を行き来しながら、確実にカークを引き離していく。
直線以外を通るたびに、その差は大きくなっていき、角を四つ曲がったころには十歩ほどの開きが生まれていた。
(……まあ、こんなところか)
さすがに大人げなかったかと反省しつつ、このペースでいけば順位を上げてしまうなと、それなりにアドヴァンテージを与えてやった先頭集団の遅さにため息をつきつつ、彼等との距離を保てるように魔法を行使する。
と、そこで、カークとの距離が一歩程度近付いていた事に、ナアレは気付いた。
(少し余計な事をし過ぎたかしら?)
でも、それも今の一度で最後だ。
中途半端に希望を与えてやるのも残酷だろうし、このまま本気の走りで突き放してゴールする。
そう意気込んで数秒、なだらかなコーナーを曲がりきったところで、ナアレは後方の足音がさらに大きくなったのを感じとった。
最初は走り方が雑になったのかと楽観的に思ったものだが、すぐにそうでない事に気付く。
(まさか――)
思わず振り返り、ナアレはその不可解さに眉を顰めた。
開いたはずの距離が縮まっている。
(本当に不思議ね、一体どういうことかしら?)
その答えは、程なくして解った。
カークの走り方が変わっていたのだ。
(私に近い動き。この短時間で模倣に成功したということかしら? ――いえ、違うわね。模倣だけでは差は埋まらない)
模倣した上で、より洗練させた動きをしていると考えるのが自然だ。
しかし、そのような事が本当にありえるのだろうか?
(私の動作に改善点なんてないと思うのだけど、どうなのかしら……)
疑問を埋めるべく、ナアレはよりカークに意識を集中させる。
結果、更に早く距離が縮まりだしたが、からくりを暴かなければ負けてしまうのだから、これは必要な投資だ。
(……でも、駄目ね。違いがわからないわ)
見れば見るほど同じに見える。なのに、差は詰められていく。
滅多にない経験だ。
(私と同じような魔法でも使っているのかしら? ……いえ、それもないか)
か弱い色格に乏しい魔力量は、どれだけ稀有な魔法を有していたとしても、この世界では実行力を持ちえない。まして、ナアレほど強大な魔力をもった者が傍にいれば、発現させる事すら不可能となるだろう。
(なんにしても不味いわね。私、本当に抜かれてしまうかもしれないわ)
それはそれでちょっと楽しみだったが、知人の哀しそうな表情がちらついたので、仕方なくもう少し考える事にする。
その甲斐あってか、隣に並ばれたところで、ようやくナアレは決定的な要因に辿りついた。
それは、おそらく多くの人がすぐに気付くことだったのだが、色々な意味で規格外故にズレてもいる彼女は、衝撃の真実を突き付けられたように目を見開いて、
(このスカート、邪魔だわっ!)
自分は、一体全体何故こんな動きにくい格好をしているのだろう?
制限された魔力化では、空気抵抗だって莫迦にはならない障害になるというのに、まったくもって信じられないミスだ。
この程度の事がミスになるとは夢にも思っても居なかったナアレは、今更自身の驕りに愕然としつつも、なんの躊躇もなく魔力を刃のように鋭くして、ワンピースのスカート部分を太腿の半ば辺りまでカットした。
(さようなら、私のお気に入り。この犠牲はけして無駄にはしないわ)
と、惜別の言葉を胸の内でつぶやきつつ、カットという余分に乗じてこちらの半歩ほど前に出たカークに視線を向ける。
「片足になっていた時はがっかりしたけれど、どうやらこれで丁度良かったみたいね。世界は広いものだわ。性能ならいざ知らず、技術戦で私より上にいる人間がいるとは思わなかった。うん、凄く楽しい。貴方はどうかしら?」
「……」
カークは無言だ。
口を動かしても別に速度が落ちる事はないはずなのだが、そこに回せるほどの神経はないらしい。或いは、もう敵に使う舌はないという事なのか。
まあ、どちらにしても、今の気持ちを伝える事が出来たので満足だ。
ナアレは幾分軽快になった足をもって、再びカークとの距離を引き離しにかかる。
レースも終盤戦。もはや彼以外を意識する必要はない。
「――くっ」
苦しげなカークの息遣いが聞こえる。
全神経を使って、勝とうとしているのが伝わってくる。
その強い強い気持ちに後押しされるように、また距離が縮められていくのを感じる。
……あと半周ほど距離があれば、あと数秒ほどナアレが邪魔なものを剥ぎ取るのが遅かったら、勝負の行方は不明だったことだろう。
だが、全ては手遅れだ。それに、
(急ごしらえの代償ね)
粗悪品だったのか、どうやら義足に歪みが生じたようだ。一時的ではあるが、毒を喰らった時以上動きの乱れ。この土壇場においては、正真正銘の致命傷だ。
(どうせなら最後まで実力で決めたかったけれど、事前の準備を怠ったのは貴方の落ち度)
次の角を曲って、まったくもって舗装されていない広めの路地を直進し、壁のいたるところが抉れた建物を駆け昇れば、ゴールが見えてくる。
彼が最善を尽くせるのは、角を越えたところまでだろう。
そこでちゃんと終わらせようと、ナアレは我ながら完璧と言っていいコーナリングを見せてカークの前を塞ぎ、勝利を確実なものにして――
「――あら?」
角を曲がった瞬間、漆黒の髪の誰かの背中が視界を埋めた。
そんな距離まで他者の接近に気付かなかったのは、もちろんカークに専念していたからではあるのだが、それにしてもそれは完璧な不意打ちで、その相手が誰か気付くと同時に、ナアレは自分でもびっくりするくらいに綺麗に、顔面からその背中に直撃にして、大きく仰け反った。
当然、カークがそんな致命的な隙を逃す筈もなく、彼は左手側からナアレを追い抜き、速度を微妙に落としながら直線を走りきり、建物を駆けあがって、ナアレの視界から消えていく。
「…………こういうのを、勝負に勝って試合に負けたというのだったかしら? あと、どうして一位だった貴方がここにいるのかも知りたいのだけどね、レニ」
真っ先にぶつけた鼻を押さえながら、ナアレは自分と同じく足を止めていた相手に視線を向けて、恨めしげにそう訪ねた。
それに対して、彼女は微苦笑を浮かべ――
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




