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百メートルを優に超える高層ビルの群れを跳び移り、時折真下から吹き上げる突風に身体を揺さぶられるようなスリルを与えられながら、ミーアは十六位前後の人達の距離差に眼を向ける。
序盤は殆ど団子だった集団も、ここまで来るとバラつきが出てくる。
特に上位陣とそうじゃない者との差は大きく、折り返し地点に差し掛かる前のこの段階で、すでに予選突破可能な人間は三十人程度に絞られていた。それ以下はもはや、振り返っても視界に入らない。多分、タイムにして十秒以上は離れているだろう。
優勝候補だった者たちも何人かは脱落した。
(ここまでは順調)
とはいえ、油断は出来ない。
このエリアを越えたら、再び客の眼が殆ど届かない死角がやってくる。普段の大会でもここが一番順位の変動が起きる地点のようなので、何が起きても不自然にはならない。つまり、より明確な妨害が予想される。
(ある程度は限度が設けられている感じではあるけれど――)
なんて思った矢先に、突然カークの動きが鈍った。
結果、みるみるうちに順位を落としていく。
(――毒か)
隣に並んでいた奴が、服の袖から粉末を散布したのだ。
魔力はまったく感じなかったところからみて、魔法の類ではなく純粋な成分としての毒なのだろう。
通常なら、自身の魔力で防ぐなり消すなりすれば簡単に対処できる。が、それを今の速度のままで行えばグゥーエと同じ魔力超過だ。だからこそ、速度を落とすしかなかった。
(やってくれる)
最終的にカークはミーアの二つ下まで順位を落としたところで毒を処理出来たようだが、予選突破順位から大きく離れてしまった。
これはかなり不味い状況だ。もはや彼だけの力ではクリアできないだろうし、こちらもかなりの無茶をする必要が出てきた。
(どうする?)
先頭のレニに視線が流れる。
ミーアの考える無茶とは失格前提の行為だ。まず間違いなくレニに気付かれる。
内緒で大会に参加しているのがバレる程度なら問題はないが、不正を見せるとなれば別だ。どう足掻いても嫌われてしまう可能性を拭えなくなる。
それはミーアにとって何よりも忌避するべきもので、想像するだけで眩暈がしそうくらいに恐ろしいもので……
(……本当に、そこまでやる必要がある? どちらが大事なのかなんて考えるまでもない事でしょう?)
ネガティブで保守的な本質が、そう囁いてくる。
安い善意で優先するべきものを間違えるなんて莫迦のする事。もう十分手は貸した筈だ。ここで降りても恨まれる筋合いはないし、仮に恨まれたところで彼等が脅威になる事もない。
(…………あぁ、もう!)
でも、歯を食いしばって必死に駆けるカークを前に、それを決断する事は出来なかった。
出来ないなら、仕方がない。
(事情を説明すれば、きっと大丈夫だから、嫌われるような事はないはずだから……)
そう自分に強く言い聞かせながら、ミーアは仕掛け時を考える。
跳び越える必要のある建物はあと三つ。次は最上層から地上目掛けての急降下だ。
網目の如きハシゴの群れをくぐり抜けるようにして、突き進む必要がある。
重力の恩恵を受けて、コース上もっとも速度の出る直線。それ故に、事故も起きやすいターニングポイント。
「仕掛けます。巻き込まれないでくださいね」
カークの隣に並んだミーアは、最後の建物の端で急停止し飛び降り自殺のように身体を倒して視界から消えたレニの後姿を見つめながらそう呟き――抑えていた魔力を解放した。
瞬間、流れて行く景色にスローが掛かる。
と同時に身に着けていたブレスレットから耳障りな音が鳴り響いた。
これで、もう取り返しはつかなくなったわけだ。
その事実に胸がぎゅぅうと締め付けられるような痛みを覚えつつ、ミーアは建物の壁を強く蹴って一気に予選突破圏内に躍り出る。
そして、あえて途中の梯子に着地し――
「「――な!?」」
追い抜いた者達から、驚愕が漏れた。
まあ、それも当然だ。なにせ、その梯子を軸に魔力を放電するようにばら撒き、後続の進行を決定的に妨げたのだから。
結果、彼等は大きく体勢を崩し、その減速の隙をついてカークが前に出た。
と同時に、レニもこちらの方を見上げ、微かに驚いた表情を滲ませ、次いで非難するように眉を顰めて――それ以上先を、視界に収める勇気はなかった。
心音がばくばくと鳴り始める。じわりじわりと嫌な汗が滲みだす。
悪い事をした子供の心境。
そこに追い打ちをかけるように、怒号が響いた。
「てめぇ! やってくれたな!」
妨害を受けた者達(一人を除いて)がレースを中断して、こちらを取り囲んでくる。。
まだ勝つチャンスが完全に消えたわけもないだろうに、こうしてあっさりと試合を放棄するという事は、初めからそれが目的ではなかったという事だ。
だったら気にする価値もない。……ないが、そもそも彼等のような存在がカークの邪魔さえしなければ、こちらがこんな代償を払う事もなかったのだ。
そう思うと、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
自分も同じような役割で此処にいるので、我ながら八つ当たりも過ぎると思うが、そこは理屈じゃなかった。
「この責任、どう支払ってくれるんだ? ああ!」
「煩い、黙りなさい」
据わった眼で、ミーアは冷たく吐き捨てる。
それが引き金となって、彼等は臨戦態勢に入った。、
「後悔させてやるよ!」
つまらない啖呵と共に、二人ほどが飛びかかってくる。
ミーアは親指に魔力を集中させ、先に肉薄してきそうな左手側の男の頸動脈を切り裂かんと、右腕を腰のあたりに引いて――
「おいおい、それくらいにしとけよ。さすがに死人まで出たら、もみ消せなくなるぞ?」
呆れたような声が、頭上から届いた。
見上げると、そこには先程失格になったグゥーエがいた。
「グゥーエ・ドールマン、貴様、この女に肩入れするつもりか?」
「あぁ、仲良く失格した者同士だしな。それに何よりとびきりの美人だ。つまらない野郎共の側につく理由は見当たらないな。……で、どうする? やるのか? お前らも見てたと思うけど、こっちも酷い方法で蹴落とされててな、憂さ晴らしさせてくれるっていうなら喜んで付き合ってもいいぞ?」
「……ちっ」
勝てない相手とは事を構えない主義なのか、彼等は逃げるようにレースを再開する素振りをみせて、ミーアたちの視界から消えて行った。
「ったく、せっかく助けてやったっていうのに、感謝くらいはして欲しいもんだよな。あんたもそう思わないか?」
グゥーエの視線がこちらに向けられる。
そこに咎めるような色を感じて、ミーアはバツの悪さから目を逸らした。
「……まあ、なんでもいいけど。これ以上此処に居ても仕方がないし、そろそろ退散しないか? 悠長ではあるが警備もやってきたみたいだし、取り押さえられるのはさすがに嫌だろう? 結末も見れなくなってしまうしな」
「……ええ、そうですね」
正直、この場から動くのも億劫なほどに今は落ち込んでいるのだが、そこまでしたのに結果を後で知るなんていうのも気持ちが悪い。
ミーアはゆっくりと気分を落ち着かせるように息を吐き、グゥーエに連れられてゴール付近へと移動して――そこで待ち受けていた結末に、大きく目を見開く事になるのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




