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下地区で行われるパルの大会は、そこらに乱立しているマンションの窓であったり、コース外のハシゴの上や路上からの観戦が主となる。
その中で客が集中するのはゴール付近、もしくはゴールが見える場所だ。
それ以外の場所にいる者は、誰にも賭けていない気軽な観客か、特別な方法で大会の全体を把握する事が許された上客と主催者の二つに分けられる。
上客とは、端的に言ってしまえば五十万リラ以上を賭け金以外で支払った富裕層の事だ。ある意味では、彼等も大会のスポンサーといえるだろうか。
そんな彼等は下地区最大の面積を誇る、とある施設に招かれる。
この施設に明確な用途は定められていない。非合法なコロシアムに使われる事もあれば、婚活なんかに用いられた事もあるくらいに多目的だ。
(……今回は快適に楽しめそうか)
広々としたホールには上等な椅子が等間隔に配置されており、その座席には菱形の石が置かれている。それはこの大会の為に配置された複数の記録石と連動したモニターのようなものだ
魔力を番号の書かれた面に流せば、壁や中空に複数表示されているコースの一部をピックアップして、目の前に映し出してくれる。
全ての映像を同時に追い掛ける事が出来るのであれば無用の長物だが、そんな情報処理能力がない大半の人間にとっては、極めて便利なツールと言えるだろう。
(それにしても、相変わらずの異常さだな)
壁と中空に貼り付けられた映像は、ただその場所を映しているのではなく、距離によるぼやけや、光の加減によって生じる視覚不良なども綺麗に取り除かれており、極めてクリアな状態が維持されている。
リアルタイムでこんな処理ができるのは、自身を含め数多くいる光の魔法適性者の中でも一握りだ。使用されている魔力の量の少なさまで考慮すれば、それこそ彼女以外不可能と言っても過言ではないだろう。
(さすがは貴族飼い。この芸術が見れただけでも、金を払った甲斐はあったな)
常連の一人である男は、用意されていた椅子に腰を下ろし、そこに置かれていた記録石を左の掌の上で転がしながら、その天才の事を考える。
可憐な美貌と鮮烈な朱色の髪、そして何よりも印象深い金色の眼をもった、見た目十四、五歳、実年齢十九歳のヘキサフレアスの頭領。
会える人は驚くほど簡単に、しかし会えない人間は数年探してもその機会を得られない彼女は、今回一番の出資者であり、それ故に誰よりもこの大会に融通を利かせる事が出来る立場にあった。
まあ、それはいつもの事と言えばいつもの事なのだが……今回に限って言えば、珍しく強権を発動したという印象が強い。
毎度数回に分けて行われる予選を、何故か一纏めに行う事を押し通したらしいのだ。
それによって大会の時間が短縮されるのは悪い事ではないが、総当たりの椅子取り合戦となると、優勝候補が混戦に呑まれて落ちる可能性が高い。
賭ける側にとっては一攫千金のチャンスが増えるという見方もできるが、主催者側からしてみれば、あまり望ましくない展開と言える。
本選で誰が勝つか判りきっているのは白けるが、予選で優勝候補が落ちるというのもまた、数次第では大会を白けさせる要因になってしまうからだ。
これは賭け事であり真剣勝負でもあるが、同時にショーでもある。なにか一つでも欠ければ、のぼり調子のパルという競技の盛り上がりにも水を差す。
まだ成熟期ではない業界において、そういうマイナスは致命傷にもなりかねない。せっかく育てた金の樹なのだ。主催者側としては、このあたりに神経を使うべきだし、リッセは特にそういう匙加減には敏い印象があるので、尚の事彼女の今回の采配には違和感を覚える。
(普通に考えれば、金以上の価値のある何かの為という事なんだろうが……)
それがなんなのか、男の所有している情報からでは不明だ。
だからこそ、この場でそれを埋める事の出来るなにかを手に入れる事が出来れば、というのが今回上客になった一番の目的だった。
正直、あまり儲け話に繋がる感じはしないのだが、知らなければ取り返しのつかない大損をする予感がしてならなかったのだ。
(……杞憂なら良かったが、やはりそうではないか)
今、このホールにいる自身を含めた七名の客と五名の護衛が、新たに入ってきた男を前に一様に息を呑んでいた。湧きあがってきた恐怖を、まるで迷子の子供のように抑えられずにいた。
細身ではあるが一切の弱さを感じさせない長身に、血のように濃厚な紅の髪。そして、昏く深い金色の双眸。
双子の姉と色に関する最大の特徴は似ているが、それ以外の多くがかけ離れている美丈夫。
ラウ・ベルノーウだ。
たった一人で、ヘキサフレアスという組織の暴力を、最上位にまで引き上げている怪物。
「……珍しい、ですな。貴方一人というのは」
客の一人が、勇気を出したのが露骨に判る震え声で話しかけた。
それに合わせるように隣にいた護衛が腰の得物に手をかけて身構える。もちろん、そこに攻撃的な意志はない。ただ、実際に何かが起きた時に主を守ろう必要がある護衛にとっては、客以上に彼という存在を前に無防備では居られないのである。
それが判っているラウは、特に気分を害する事もなく、さらっとコース映像全部に目を通してから、視線を質問をした客に向けて、
「解消したい疑問はそれでいいのか?」
と、静かな口調でそう訪ね返してきた。
この言葉が意味するのは、質問は一つ限り許すという事だ。
見た目通りというべきか、ラウ・ベルノーウは余分を好まない。というより、こちらにまったく興味がない。そんな彼が無視もせずに応じるという事は、十中八九リッセの指示だからだろう。
(下手に喋らせて大丈夫か?)
問い掛けられた客を注視する。
さすがに、事の重大さに気付けないような莫迦ではなかったようで、そいつは他の客を窺うように視線を走らせ、思考をフル回転させて一番価値のある質問を模索し、
「……どうして、予選を一纏めにしたのですか?」
と、及第点もいいところな内容を口にした。
踏み込みが全然足りない。訪ねるのなら、もっと具体的であるべきだ。
最低でも、騎士団の英雄が片足を失った事となにか関係しているのかくらいは訊いてもらわなければ、曖昧な答えしか返ってこない恐れがある。
(理想としては、その場で殺されてくれてもいいから、ヘキサフレアスは誰を勝たせるつもりなのかと訊いてもらいたかったが……まあ、それはさすがに求めすぎか)
失望のため息をつきつつ、男は席を立った。
そうしてラウの注目をこちらに向けたところで、殺されるかもしれないと思った問いを、そのまま口にする。
「――お、おい!」
焦ったような誰かの声。
ラウの機嫌を損ねて、巻き添えで殺される可能性を忌避する反応だ。
まったくもって妥当ではあるが、生死の軽い業界の人間にしては臆病すぎるともいえる。それでは成功は掴めない。
今、この場で最大の成功とは彼の印象に残り覚えてもらう事だ。敵になるのは最悪だが、同等に最悪なのはこの幸運を無駄にする事なのである。
(本当は、貴族飼いの方に会いたかったものだが、弟の方でも十分僥倖だしな)
ほんの少し残念な気持ちを綺麗に胸の奥にしまいつつ、男はラウの返答を待つ。
その間、十秒。
短いようで非常に長い時間だ。
おかげで何度か自分が殺される可能性を脳裏に抱くことになったが、幸いまだ死んではいない。ラウの表情に変化もない。
さりとて、こちらに無関心というわけでもなく――
「勝たせたい奴など居ない。誰が勝とうと意味はないからな」
淡々とした口調で、ラウは答えた。
それに対して、思わずといった具合に別の客が口を挟む。
「で、ですが、騎士団の頭が変わるとなれば、そうはいかないでしょう?」
(――初耳だな)
しかし、そんな情報を今提示する事になんの意味があるのか――と、男が思案する間もなく、場の空気が凍りついた。
眩暈がしそうなほどに凶悪な魔力の渦。
「俺は、お前と話していたか?」
「い、いえ……も、申し訳ありません」
金色の眼に射殺され、息する事すらおぼつかない様子で、その客は俯き震えだした。
実に愉快な気分である。思わずほくそ笑んでしまいそうだ。
なにせ、あのラウ・ベルノーウが他の客と自分を区別したのだから、これ以上ないくらいの成果といえるだろう。
(これは家に帰ったら祝杯をあげなければな、一体なにを開けようか……。いや、その前に考える事があるな。……あぁ、そうか、騎士団長が変わるという事はあれか、騎士団の方針が変わる可能性があるという事か。そうなりうるだけの大物が来る。だとするなら、あり得そうなのは噂のドワか?)
そう男があたりをつけたところで、ラウが口を開いた。
「下地区にとっての不安要素は、二つも要らない」
「――」
その答えに、全身が総毛立つ。
他の客たちも然り。
当然だ。今の発言は、新任の騎士団長を始末するという宣言に等しく、更に他の下地区の有力者と結託してそれを行うという匂わせ方すらしていたのだから。
「そんな事より、始まるぞ」
ラウの視線が中空のコース映像に流れる。
一列に並んでいく競技者たち。
その中の一人を真っ直ぐに見据えながら、ラウはつまらなそうに言う。
「誰が勝とうがヘキサフレアスには意味はないが……勝つのはきっと、そいつだろう」
……正直、もはやどうでもいい。
そんな事より、今はこの情報の咀嚼が最優先だ。
(上手く行けば商売の好機だが、下手をすれば戦争の巻き添えか……)
男は興味をもった体裁を取りながら、ただただ今後の身の振り方に思考を走らせ――その疾走に合わせるように、レースのスタートを告げる破裂音がホールに響き渡ったのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




