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本来部外者であるミーアがパルという競技に参加することになったのは、もちろんリッセの差し金によるものだけど、そうなった背景には一強状態では大会が盛り上がらないという彼女の配慮と、おそらく今回の大会でカークに勝たれると困るという他の主催者たちの思惑が絡んでいる。
ここで重要なのは後者で、つまり他の主催者たちもカークに勝てる人材をどこかから連れて来る可能性が非常に高かったという事だ。
その可能性は大会の前日に手にした情報で確定となり、こちらの狙いをかなり難しくしてくれたのだが――
(……どうして、彼女までここにいるの?)
ミーアと同じくらいの背丈に、シャープな輪郭、その鋭さをやわらげる垂れ気味の瞳。
そして優雅な美貌を彩る、蒼色のロングのワンピース。
レースの為の格好をして、鋭い気配を纏った、戦闘でも十二分に強そうな猛者が集まっている予選会場において、それはもう場違いな(ついでに言えば法律違反でもある)格好をした女性は、周囲の好奇など気にも留めずに、左手にもった甘味水をチビチビと飲みながら、
「やっぱり、この街の空は狭いわね」
なんて事を、ぼやいていた。
ナアレ・アカイアネ。レフレリで最も有名な冒険者である。
「おいお前、ここは観客席じゃないぞ?」
その余所の都市の異分子に、褐色の大男が声を掛けた。
「もちろん知っているわ」
優雅な微笑みをもって、ナアレが言葉を返す。
「誰かの追っかけか? 悪い事言わないから、酷い目に合う前にさっさと消えな。見たところ余所の貴族みたいだが、此処には貴族だからって遠慮するような輩はいない」
「それは嬉しい話ね。レフレリではいつも多くの人に遠慮されているから、こういう空気は歓迎だわ。貴方も、是非とも本気で潰しに来るといい。ちゃんと結託をするのよ? でなければ、きっと勝負にならないから」
「……勝負って、もしかして参加者だっていうのか? その格好で?」
大男が不機嫌そうな視線を、ひらひらと風にゆれるスカート部分に向ける。
更にその下の、ヒールに視線を向けて、
「舐めてるのか? 女」
と、ドスの利いた声を響かせた。
自惚れに聞こえる台詞よりもよほど、その姿勢が気に入らなかったようだ。
「貴方、結構真面目な人なのね。では弁明をしておきましょうか。これは不可抗力。元々は、もう一つの大会を観戦するつもりだったのだけど、急に知り合いに頼まれてしまってね。でも大丈夫よ、ちゃんと下着が見えてしまわないように走るから」
「そういう事を言ってるわけじゃ――」
「うわぁ、マジで居やがった……!」
聞き覚えのある声が、ナアレの背後から響く。
そちらに視線を向けると、グゥーエ・ドールマンの姿が確認できた。
それを前にした途端、大男は気まずそうな表情をして、その場から立ち去っていく。なにかしらの因縁でもあるのか、単純に喧嘩を吹っ掛けたら不味い相手だと気付いたからかは不明だが、どちらにしてもこちらが気にするほどの価値はないだろう。
「あら、グゥーエ、お久しぶりね。ユミルたちとは上手くやれている?」
「まあ、ほどほどにやってるよ。っていうか、その格好で参加するのか? ……見えるぞ?」
大男と同じように、スカートと靴に視線を向けてグゥーエが眉を顰める。
「それ、数秒前にも誰かに言われたわ」退屈そうにナアレはため息をついて「そんな事より、私は貴方も参加するのかどうかが気になるのだけど、教えてくれないの?」
「もちろん参加するさ。こういうのは嫌いじゃないしな」
「そう、それは良かった。では、少しは愉しめそうかしら?」
「少しどころじゃ済まないと思うがな」
「ということは、貴方以外にも優秀な子たちが出るのね。そこにレニも含まれている?」
「相変わらず鋭いな」
「――え?」
初耳の情報に、なんとなく彼女から身を隠し聞く耳を立てていたミーアは思わず声を漏らした。
漏らしたそのタイミングで、話題の人物が視界に過ぎる。
「アカイアネさん?」
不思議なレニの表情。
こちらはナアレと違って、シャツの上にジャケットを着て、下は少しゆったり目のパンツという実に動きやすそうな格好をしている。
「髪が少し伸びたのね、印象が変わって見えるわ」
「そうですか? ……切るかな」
夜のように深い黒髪の毛先をつまみながら、レニが呟く。
「それは駄目よ、貴方はそのくらいの長さの方がいいと思うもの。まあそれはそうと、少し意外ね。どういう経緯で参加する事になったのかしら?」
「俺が誘ったんだよ。出来れば他にも強そうな奴が欲しいって依頼主に言われてさ」
と、グゥーエが言った。
「そう、貴方も仕事なのか。なるほど、手広くやっているのね。それだけ誰かに勝ってほしくない大会という事かしら」
「かもな。まあ、そのあたりはよく知らないし、こっちは競技するだけなんで知るつもりもないが。……それより、本当にそれで走るのか? まだ開始まで時間あるし、ズボンとか貸して貰ったらどうだ?」
「それは難しいわね。だって、グゥーエのはぶかぶか過ぎるわ。それに、貴方の生足を見せられても、お客さんは喜ばないと思うし」
口元に手を当てつつ、神妙な表情でナアレが言う。
「これは貸さねぇよっ! っていうか、なんで俺なんだよ!」
「もしかして、レニの素足がみたいの? それは私も興味がないとは言わないけれど、でも、他人をダシにそういう事をしてはいけないわ。私ですら卑劣だと思うもの」
微かに顰められた眉には、軽蔑の色が滲んで見えた。
その迫真の演技に、グゥーエは軽く唸り声をあげてから、
「頼むから、真顔でそういう事を言うのは止めてくれ……」
「貴方がつまらない事を繰り返すからよ」鋭く切り裂くように、微笑と共にナアレが切り返す。「そういう無駄な気遣いは、私に一度でも勝ててから言うといいわ」
「……あー、わかったわかった。言い訳は残しておいてやるから、せめて俺の背中を最後まで追い掛けてくれよ? じゃないとつまらないしな」
後ろ髪を掻き乱しながら、少しやけくそ気味にグゥーエが吐き捨てる。
その反応に大変満足したように微かに目を細めつつ、ナアレは弾んだ声で言った。
「では、負けた方がお酒を驕る事にでもしましょうか? その方が面白いでしょうし。……そうね、この場にいる全員でいいかしら」
それほど大きな音量でもなかったのに、この場にいる全員が一斉に彼等に視線を向けるほどの、言葉の響き。
間違いなく、彼女の魔法による結果だろう。
普段のグゥーエなら、それに気付いて慎重になっていた筈だ。だが、その前に精神を振り乱された所為か、彼は周囲の変化を見落としていて、
「上等だ。買ってやるよ。その喧嘩」
「ふふ、素敵ね。――みんなも聞いたかしら? そういうわけだから、奢らせたい方を蹴落とすといいわ」
瞬間、グゥーエの表情が強張ったのがわかった。
きょろきょろと周囲を見渡して、引き攣った表情を浮かべる。
それが気になって、周囲の声に神経を傾けると、
「グゥーエ・ドールマンか。確かに金はあるな」
「女の方は誰だ?」
「貴族だろう? こちらも問題なさそうだ」
「冒険者って、いくらくらい儲けてるんだろうな? どれくらいで破産するんだろう?」
「面白そうだな」
「あぁ、面白そうだ」
「嘘だったら両方ばらしてしまおう」
「そうだな、そうしよう」
という、やりとりを拾う事が出来た。
あまりに雑多故に、誰が発したのかまでは不明だが、どいつもこいつも悪趣味かつ物騒な連中ばかりだ。さすが下地区の住人というべきか。
なんて思った矢先に、
「もちろん貴女もね、ミーア」
というナアレの声が、耳元ではっきりと聞こえた。
こちらの存在を察知されていた、という点にそれほど驚きはないが、発言の内容には神経に刺さるような不穏さがあって――
「排除したい方を選ぶといいわ。どちらが彼にとって邪魔かをよく吟味して」
(……あぁ、そういうことか)
彼女は敵だ。
先程の言葉とは裏腹に、この大会の背景を知った上で参加し、彼を蹴落とすためにここにいる明確な敵。
「…………上等、です」
その事実を噛み殺しながら、ミーアはか細い声でそう呟き、最悪に挑む覚悟をここで決めた。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




