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部屋の中に入ってすぐに、ミーアは殆ど職業病と言っていい迅速さで、とりあえず全体を見渡し空間の把握を済ませた。
(生活感のない部屋ですね)
ミーアの部屋もあまり趣味や嗜好が窺えるものはないが、それ以上だ。
だからこそだろうか、見習い騎士が押し付けられる教本の類に紛れて本棚の隅に置かれていた傷んだ本がやけに気になった。
『騎士物語』という小説だ。タイトルからもわかるように、それは騎士の英雄譚を描いたもので、ミズリスの部屋にもあるものだった。
(そういえば、彼女の本も年季が入っていましたね)
二人にとってそれは、なにか特別なものなのかもしれない。……もちろん、それをわざわざ訪ねたりはしないが。
「本当に痛みが残っているのですか?」
カークがベッドに腰をおろしたところで、一応の確認をしておく。
「ん、痛みはない、かな。変な感じはするけど」
「では、どのような用件で私と二人きりになりたかったのですか?」
「ミズリスには、知られたくない話がしたかったから」
予想通りの答えだった。
「それは、どのような話でしょうか?」
「今回の大会は、絶対に勝つ必要があるんだ。……でも、今の状態じゃ、きっと難しい」
左足の膝をさすりながら、カークは俯き加減につぶやく。
それから十秒ほど押し黙ってから、彼は真っ直ぐにこちらを見て言った。
「ルノーウェルさんは、とても強かった。……きっと、貴女が一番の優勝候補だと思う。……そんな人に、こんな事を言うのもあれだけど……大会を、辞退して欲しい。……もちろん、タダとは言わない」
「……」
微かに震えた声には、切実さと後ろめたさが滲んでいるようだったが、それよりも気になったのはミーアが大会に出る予定だったことを知っているという点だ。
カークが、自身が大会の絶対王者である事を襲撃の心当たりを訪ねた時に漏らしたのと違って、こちらは何一つ情報を明かした覚えがないのである。……まあ、パルでの勝負が、これ以上ないくらい露骨な情報開示だったと言われればそれまでだが。
「どうして私が大会に出場すると?」
「朱い子から聞いた」
ミーアの問いに、カークはそう答えた。
朱い子というのは、十中八九リッセの事だろう。
「それはいつですか?」
「貴女に出会う、少し前。……ミーア・ルノーウェルっていう強い奴が参加するから、その条件でやるのは止めておけって。……話、戻してもいい?」
「ええ、どうぞ」
「うん。……あ、ちょっと待ってて」
ベッドから立ち上がり、カークは教本の隙間に隠されていた小さな石を手に取った。
以前、廃都市探索の時に利用した事のある倉石の類だ。
彼はそこに魔力を灯して、そこから紫色の硬貨を山が出来るほどの量溢れさせた。
見たままに相当な大金である。二等騎士の五年分の年収はあるだろうか。
「これは一体どうしたのですか?」
「これまでの、大会の賞金。……契約とは別に、勝った奴は偉いんだから受け取っておけって言われて。……手を付けたことはないから、いくらあるか知らないけど、今回の大会で優勝する分くらいはあると思う。……他に、出せそうなものはないから、これで納得してくれると、嬉しい」
淡々とした口調でカークは言うが、それはけして彼にとってはした金というわけではないだろう。だからこそ使わなかった。いや、使えなかったはずなのだ。それは敗北の保険にもなりえるものだから。
「仮に、私が出なかったとして、勝算はどの程度あるのですか?」
「半分くらい、かな」
「負けた場合、貴方はどうなるのですか?」
「多分、殺されるんじゃないかな。……最初の契約で賭けたのが、それだったし」
「それなのに、片足を捨てたというのですか?」
「必要だったから」
これまたあっさりと、カークは答える。
拳を振り上げられるとそれだけで委縮するような少年が、揺らぎない声で覚悟の深さを示してくる。
「どうして、そこまでするのですか?」
「約束があるから」
そう言って、カークは『騎士物語』に視線を流した。
微かに細められた目には、感傷のようなものが窺える。
(え、ええと、どうしたものかな……?)
意図せず触れるつもりのなかった部分に触れてしまったようだが、これは話を変えた方がいいのか、それとも促した方がいいのか……
「……約束、とは?」
少し迷った末に、ミーアは後者を選んだ。
彼の理由を知る事は、今の自分には必要な事だと思えたからだ。
「……騎士物語に登場する二人の主人公は、互いの信念と夢を守りながら、苦難を乗り越えて行って、最後になにより特別な二人になるんだ」数秒ほどの瞑目の後、カークが口を開いた。「子供の頃、そんな二人に憧れて、自分たちもそうなろうって、約束した。……ミズリスの夢は、騎士団を守れるような人になる事だった」
どうやら、その夢を守るためにという事らしいが……
「貴方の夢は、なんだったのですか?」
なんとなくそちらが気になって訪ねてみると、彼は少しだけ言いよどむように唇を震わせてから、
「ミズリスの夢が、叶う事」
ぼそりと、少しだけ恥ずかしそうにそう答えた。
「彼女の事が大切なのですね」
「うん、そうだね。命よりは大事かな」
(そこはさらりと言うのですね……)
男心というのはよく判らない。が、今の一言で自分の取るべき手は決まった。
この瞬間、ミーアははっきりと彼に敬意を抱けたからだ。
きっと自分が同じ立場だったら、国の為だとか、騎士団の為だとか、つまらない欺瞞を並べていただろう。そこに誠意がないという事が判っていても、本当の事など言えなかったに違いない。
実際、そういう人生だったし。
でも、だからこそ、今の自分はそんな人の助けになりたいと思う。
「……判りました。大会には出ます」
淡々とした口調で、ミーアは言った。
カークの表情に苦悩が少し滲む。どうやら、先程の言葉に誇張はなく、本当に自分には勝てそうにないと思っていたようだ。
それに少しだけ気を良くしつつ、ミーアは続ける。
「ただ辞退するよりも、そちらの方が貴方の勝率もあがるでしょうからね」
「……どういうこと?」
「予選は一対一ではないと聞きました。参加人数が判らないので、予選がどの程度に分けられるのかは知りませんが、そこでなら他の候補者を蹴落とす事も可能でしょう」
もっとも、ミーアが組み込まれたその予選グループの中に候補者がいればという前提にはなるので、確実な効果は見込めないが、それでもやる価値はあるはずだ。
「ルノーウェルさんって、もしかして、結構……怖い人?」
軽く及び腰になりながら、カークが今更な事を口にする。
そんなの路地裏で三人組を容赦なく半殺しにした時点で、彼のような人種にとってはそうだろうに、色々とずれているというか、本当にぼんやりしているというか……
「さて、どうでしょうね。……それで、どうしますか?」
「お願い。手を貸してほしい」
たった今こちらに軽い拒絶を見せたくせに此処はむしろ食い気味に、清々しいほどに優先順位を明確に、彼はミーアの提案を受け入れて――そして、義足の準備や潰すべき相手の吟味などを経て、あっという間に大会当日はやってきたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




