05
「酷い目にあったわ」
「まったくだな」
反省を終えた二人が、疲れ果てた表情で戻ってきた。
手にしていた書籍を本棚に戻した俺は、とりあえず当たり障りのない笑顔を返す事にする。
「ご愁傷様」
「……見捨てた奴が、それ言うんだ?」
恨めしそうなミミトミアの眼差し。
けれど、それに負い目を覚える必要はこれっぽっちもないので、痛くもかゆくもない。
「自業自得でしょう? 助ける理由がない。それより、組合の方は大丈夫なの? 結構時間取られたけど」
「そっちは別に問題ないわよ。もう報告するだけだし、今日中ってわけでもない依頼だったからね」
拗ねたようにミミトミアが答える。
ここで噛みついてこないあたり、自分に非がある事には自覚的なのだ。まあ、そういう部分もちゃんとある子だから、憎めなくなったわけだけど。
「わかった。それじゃあ案内を続けるね」
苦笑気味にそう応えて、図書館をあとにする。
それから言葉通りに雑貨店案内をして、途中で見かけた服屋に入ったり、水屋で美味しいジュースを飲んだり、配り歩いていた新聞を買ったりしつつ時間を消費していると、あっという間に空は茜色に染まっていた。
「……こんなところかな。他にまだ知っておきたい場所とかってある?」
「もうないわ。歩き疲れたし。……とりあえず、感謝だけはしてあげる。ありがと」
こっちから目を逸らしながら、ミミトミアはぼそぼそと言う。
「どういたしまして。それじゃ、そろそろ組合に行こうか」
「おう、頼む」
と、最初に比べたらずいぶんと明るい声で、ザーナンテさんが言った。
今回の案内においての一番の収穫は、彼の事を少し知れた点だろうか。おかげで、この二人の関係性に対する不安のようなものはかなり拭われていたし、面白そうな映画も何本か知る事が出来た。
機会があればミーアを誘って、映画館に行くのも……いや、そもそも映画なんてものは一人で見るものだろう。そうじゃないと作品に集中できない。だから、映画はなしだ。そんなデートみたいな事をする理由はない。
まったく、変な思考に絡まれてしまったものだと嘆息しつつ、歩調を速める。
そうして冒険者組合に辿りついた時には夜も訪れていて、空には朱と碧の、月より一回り大きい二つの巨大な星が浮かび上がっていた。
「今日はナナントナとシシの日だったわね」
ミミトミアがぽつりと呟く。
二つの星の名前は、同時に二柱の神の名前でもある。
「それが、どうかしたの?」
「別になにも。ただ、レフレリの古い習わしに、真夜中にその二つの星に姿を見られると悪い事が起きるってのがあってね。トルフィネはどうなのかなって、ちょっと思っただけよ」
「……私は、ここの出身じゃないから確実な事は言えないけど、少なくともそういう話を聞いた事ないかな」
「そっか、やっぱり都市によって星の扱いも違うって事か。本当、余所の都市は異世界ね」
どこか愉しげにそう呟いて、ミミトミアは冒険者組合のドアを開けた。
途端に喧騒が鼓膜に届く。
この時間帯は冒険者も仕事終わりが多いらしく、受付に長蛇の列が出来ていた。
受付にいる若い女の子一人では処理しきれていない所為もあってか、みんな苛々している様子だ。「早くやれよ、のろまが!」とか「報酬払う事すら満足に出来ねぇのかよ?」とか口汚い言葉が多く聞こえてくる。
それが不快だったんだろう。ミミトミアは舌打ちを一つして、
「大した仕事もしてない下等色共が、新入り苛めてんじゃないわよ」
と、かなり強い口調で言った。
当然のように、多くの反発的な眼差しがこちらに向けられるが、それは相手を確認するや否や八割ほど死滅した。
残った二割も、視線だけを向けてくるだけで、毒づくような事はなかった。
その有様を蔑むように鼻を鳴らして、ミミトミアは列の最後尾に並ぶ。
「……どうせ、大して強くもないくせに偉そうにとか思ったんだろうけど、ナアレさんがいなくたって、この程度の奴ら黙らせる事くらいは出来るんだからね」
左手奥の部屋から職員が出てきて窓口が二人になり、列の消化速度が二倍強になったところで、彼女は不貞腐れたようにそんな事を呟いた。
完璧に被害妄想だが、こっちが否定するより先にザーナンテさんがため息交じりに呟く。
「そりゃあ、腐っても紫だしな。オレたち」
「腐ってもないわよ」
「でも、実際オレたち二人で紫はないだろう?」
「それくらいわかってるわよ。でもさ、銀くらいはあるでしょう? ……ある、はず」
自信がないのか、ミミトミアは最後にぼそりと小さな声で言った。
「あればいいけどなぁ」
それを聞き逃さなかったザーナンテさんが、どうでも良さそうな間延びしたトーンで返す。
その他人事のような物言いが気に入らなかったのか、ミミトミアは眉を顰めるけれど、反論する事はなかった。
つまり、内心では銀も怪しいと思っているという事のようだけど、そもそも銀色っていうのはトルフィネにおいてどの程度の立場にあるのか……冒険者の知り合いはドールマンさんたちを筆頭に何人かいるけれど、冒険者のクラスというものついて話す機会は特になかったので、俺は紫がいわゆるSクラスに該当するという事以外、あまり知らないでいた。
だから、これを機に把握しておくのも悪くないかもしれない。待ち時間、結構長そうだし。
「……っていうか、なんでオレたち此処に並んでいるんだ? 二階で済ませればいいだろう?」
「この時間帯は受付やってないでしょう? それに、こいつがなんか聞きたそうな顔してるし、別にここでもいいかなって」
ちらりとこちらに視線をむけて、面倒そうにミミトミアが言ってくる。
確かに訊きたい事はあったけれど、絶対にそんな顔はしていないので、おそらく受付の子がまた暴言に晒されないようにするという理由を隠すための方便だったんだろう。
「驚いた。よくわかったね。ちょうど、色々聞きたい事があったんだ」
「――へ?」
いや、そこで驚かれても困るのだが……俺が「そんな事ない」と否定してくる前提で身構えていた所為か。変なところで先読みをする子である。
「今話していた色の事、私はあまり詳しくなくてね。具体的にどう違うのかなって」
苦笑気味に、俺はそう言った。
するとミミトミアは「あ、あぁ、やっぱりその事だったのね」とややどもった口調で呟いてから、一つ咳払いをして「……いいわ、特別に教えてあげる。まずはそうね、色の序列からでいい?」
「うん、それでお願い」
「わかったわ。ええと、とりあえず、これはあんたも知ってると思うけど、冒険者組合において最高位に認定されている冒険者には紫の称号が与えられるわ。最も尊いとされている貴族の蒼に次ぐ色ね。で、次が銀色で、黒、朱、白、碧、黄色、灰色、偽色と続いて、最後が溝色」
「偽色?」
「水色の事よ。蒼を騙ろうとした哀れな色って奴ね。灰色も似たようなものだけど」
「なるほどね。……色の順番はどういう基準で決められているの?」
「それはもちろんその色がもつ強さでしょ。黒と黄色を同じ量混ぜたら、どっちの色が強く残るかって話」
「その基準で白が五番目なの?」
「なにか変?」
不思議そうにミミトミアは眉を顰める。
俺のいた世界でなら、間違いなく白と同量の碧を混ぜたら後者の方が強く残るのだが……どうやら、この世界ではそうではないようだ。
そもそもの法則が違うのだから当然なんだろうけど、今でも度々向こう基準で考えてしまう事があるので、こういうところは注意しないといけない。
「いや、変でもなかったね。ごめん、何か勘違いしてたみたい。……色の違いで変わってくる事とかはあるの?」
「そうね、溝色から黄色までは引き受けられる仕事が限られてくるわね。はっきりいって、碧未満は信用が足りてないって評価だから」
「つまり、碧から一人前って感じなんだ?」
「少なくともレフレリではそうだったわ。で、白から上が組合に対していくつかの権限を持てるようになるの。判りやすいのは依頼の優先権とかね。こういう仕事をやりたいから率先して回してくれとか、そういう事が言えるようになるわ。銀色からは人事に口出しも出来たり」
「紫は?」
「権限という意味では銀色と変わらないわ。ただ、発言力は大きく変わってくる。銀の言葉なんて組合内にしか響かないけど、紫の言葉は上位貴族にだって届くものだからね。これに関してはトルフィネでも同じ筈よ。紫の冒険者だけは、認定される条件が違うからね」
「具体的にどう違うの?」
「他の色は各都市の組合が勝手に条件を設定できるけど、紫だけは本部の認定が必要なのよ。あとルーゼとトルフィネの上位貴族の認定も。つまり審査が同じって事ね。そして、滅茶苦茶難関で――あ、今、あたしなんかが受かってる時点でおかしいって思ったでしょ?」
「うん」
「や、そこは否定しろよ!」
「さっき自分で言っていたと思うけど?」
「うぅ、まあ、それはそうだけど……で、でも、言っとくけど、あんたが知ってるグゥーエとかだって、アイツ一人で紫なわけじゃないんだからね? 基本的に冒険者って、上ほど役割分けてるし。複数人で欠点を埋め合わせて紫ってのが普通なんだから」
「だからこそ、ナアレさんは特別なんだよな」と、ザーナンテさんが彼女の言いたい事を攫うように言った。「長い組合の歴史の中でも、あの人だけが一人で紫を冠していた。そしてオレたちはそのオマケだから、あんまり凄くはないんだ。といっても、黒くらいの力はあると思うけどな」
「だから、銀はあるって言ってるでしょう? 銀は」
そこはミミトミアも譲りたくないらしい。
なんにしても、冒険者の格について色々と知れたのは収穫だった。
他にも冒険者同士の暗黙の了解だったり、レフレリとトルフィネの違いだったりを教えて貰ったりしているうちに列は消化されていって、ミミトミアたちは恙なく依頼の達成を報告を済ませた。
そうして冒険者組合を出て、時間も時間だしこれで案内も終わりでいいだろう、と俺が別れを切りだそうとしたところで、
「あ、そうだ、あんたの家って下地区にあるんでしょう? あたしたちもその近くだし、ついでだから場所教えてよ」
と、ミミトミアが、やや緊張した声でそんな事を言ってきた。
断る理由は特にない。いや、むしろ、彼女たちがどの程度下地区の事を理解しているのかは、ちゃんと把握しておく必要がありそうだったので、よかったと言うべきか。
なにせ、下地区というのは、下手なことをしたら即座に命がないような世界でもあったからだ。
そういう意味では、此処から先こそしっかりと案内する必要がある場所ともいえた。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。