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「ミーアさん、治せそう……?」
震えた声で、騒ぎによって目を覚ましたミズリスが訪ねてきた。
ちらりと視線を向けると、酔いはすっかり冷めたようで、今にも泣きだしそうな表情を浮かべている。
出来ることなら、安心させてやりたい。……が、それは現段階では難しそうだった。
傷口に手を当てながら治癒の魔法を行使しているが、変化がまったく訪れない。
(……これは怪我じゃない)
特殊な魔法を受けた形跡だ。或いは存在が歪むほどの強力な暴力を受けて設計図が壊されたという線もあり得るが、それを実現するだけの魔力が放たれていたら、トルフィネ中にその影響が波及している事だろう。効果を極めて限定的に絞らない限り隠匿は不可能だ。
そしてそんな事まで出来るのは、もはや神に等しき存在だけであり、残念ながら彼にそういった世界と関われるだけの価値があるとは思えない。
(魔法だとしたら、どういった系統か……思い出せ、私はこれを知っている筈)
少なくとも、似た症例を帝国時代に資料で見た記憶があるのだ。
粛清の仕事関係で一つ、治癒師の仕事関係で一つ。
前者は……そう、たしか『認色不全』と名付けられた魔法で、相手の魔力の色を行使者の色に染め上げ、その箇所を自身の物ではないと誤認させるというものだったはずだ。これは設計図にも多少の影響を与え、高度な術者の手にかかれば奪われた箇所をなかったものにする事も出来るらしい。
カークに当て嵌めるのなら、左足の膝から下は欠損したのではなく、そもそも生まれた時から持ち合わせていなかったという扱いになり、それ故に怪我をしていない身体にいくら治癒の魔法を使ったところで効果はないという当然の道理が成り立っているというわけである。
ただし、この状態はどう足掻いても長く続かない事が証明されている。もって数時間。早ければ数十分で誤解は解けてしまうのだ。
だからそれが当たりだった場合は、今は何もしない、というのが最善の選択になるのだが……。
(……でも、きっとこの魔法は違う)
つぶさにカークの魔力の流れや、色の濃度の変化などを観察していたが、普段の彼のそれと変わりがない。
この手の魔法は他の魔法の干渉に過敏なのが常で、ミーアの魔法に晒されている中でなにも揺らぎがないというのは、さすがに考えにくい。
だとすれば、考えられるのはもう一つの線という事になる。こちらは、ある条件さえクリアしてしまえば、技術的にはそこまで難しくない。
しかし、その条件こそが大きな問題で――
「……ここ、どこ?」
ぼんやりとした声と共に、意識を取り戻したカークが上体を起こした。
その際、微かに身体を強張らせたところから見て、喪失の痛みはあるようだ。
「ここは談話室です。それよりも、貴方はどこで攻撃を受けたのですか?」
静かな声でミーアは訪ねた。
「……どこだろう?」
「その時の記憶がないという事ですか?」
「多分」
曖昧な解答をしつつ、カークは寝かせていたソファーから腰をあげて、片足で立ちあがる。
一切の淀みのない動作。さすがのバランス感覚だが……なんだろう、それだけではなく、そこには慣れのようなものも窺えた。
(彼が足を失ったのはいつだ?)
強い疑問が過ぎる。
カークは暴力に対して免疫がないのだ。要は痛みに弱い。そんな彼がその状態に慣れるくらいなのだから、五分やそこらではないだろう。
そして宿舎のどこでやられたとしても、助けを求めるのにそんな時間はかからない。
「片足だと、不便だな。……義足とか、買わないとな」
まるで大した問題でもないと言わんばかりの冷静さで、カークが呟く。
これもまたおかしな発言だ。ここにいたのがトルフィネ屈指の治癒師(たとえばマーカス先生)とかならともかく、こちらはせいぜい二流の治癒師。諦めるには早すぎる。
「貴方――」
ミーアの言葉を遮るように、外から針のような敵意が刺さった。
いつもより近い。
(この距離なら、追えるか?)
誘われている気がしなくもないが、今は二人の傍に多くの騎士がいる。どれも実力的には不安だが、すでに護りきれなかった状況だ。受けに固執して失態を取り戻せるわけでもない。
なら、ここはリスク覚悟で踏み込むべきだろう。
「どうやら私の手には負えないようなので、マーカス先生を呼んできます。皆さんは二人の事をお願いしますね」
淡々とした口調でそう告げると共に、ミーアは談話室を飛び出した。
まだその場に留まっている敵の気配を前に、やはりこれは罠だと確信しながら。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




