09
ミーア・ルノーウェルという女性は騎士団内ではちょっとした有名人だ。
大体、全体の三割くらいの人が認知していて、ミズリスも出会う前から彼女の事は知っていた。
有名な理由はもちろん、その容姿に拠るものだ。
柔らかな金色の髪に、宝石のような紫の瞳、雪のように白い肌。そしてそれらの美しい色彩に相応しい凛然とした息を呑むほどの美貌は、ただ佇んでいるだけでも注目に値する。
まあ、といってもミズリスが彼女を知ったのはそれが理由ではないし、声を掛けたのだって断じて有名人だったからではない。
そうなる前から、ミズリスはずっと彼女と関わりになりたいと思っていて、それは積りに積もった想いでもあった。
数ヶ月前、死肉の塊が街を襲った際の活躍を目の当たりにした時から、彼女はずっと憧れだったのだ。
同僚の友人の命を救ってくれて、自分と殆ど変らない魔力量であれだけの事をしてみせた人。
衝撃的だった。少しでも近付きたい思った。きっかけが欲しかった。自分を強く変えたいと、ずっと思っていて、でも踏み出すことが出来ずにいた自分にウンザリしていたから。
(……勇気を出してよかった)
今になって思えば、唐突もいいところの関わり方だったと思うけど、おかげで願いが果たされた。ここ最近嫌な事が続いていた中で、それは数少ない喜びの一つで、本当に嬉しくて、出来ればこのままちゃんとした友達にもなれたら、どれほど幸せな事だろうか――
……という話を、お酒を浴びるほどに呑んでべろんべろんになったミズリス本人の口から聞かされた。
なんというか、色々と初耳な事があってかなり困惑したというのが最初の感想である。
(でも、私が有名人、か……)
よく他人に見られるという自覚はあったが、まさかそういう事情だとは思ってもいなかった。そもそも自分が美人だという認識があまりない。
この辺りは帝国時代の周りの眼が影響していると言ってもいいだろう。
彼等の多くは、ミーアの容姿などよりも、帝国で三本の指に入ると謳われた戦闘能力であったり、粛清者という立場であったりのほうが重要で、またミーア自身も自分の価値はそこにしかないと信じていたからだ。
(今の私にとっては、どうなんだろう?)
少なくとも、今でもそれが自分の存在価値になるとは思っていない。だって、自分よりもレニの方がずっと美人だし、アネモーの方がずっと愛らしいし、リッセだって黙ってさえいればとてつもなく可憐なのだ。
(本当に、なんで彼女には口がついているのかしら?)
壮絶に失礼な事を思いながら、目の前のテーブルに置かれていたジュースを手に取って、ストローを啜る。
当然だけど、周りの騎士団の面々と違って、お酒に手を出す事はない。
それで一度大きな失敗をしているのに、懲りずに繰り返すなど莫迦のする事だ。……でもまあ、時には莫迦な事をするのも一興なのだろう。
幸せそうに眠りに落ちたミズリスを見ると、蔑む気にはなれなくて――
「あーあ、また寝ちゃったよ。こいつ」
背後から声が響く。
振り返ると、そこには今回の歓迎会の主催者である女性がいた。
先日彼氏にフラれたらしいトワワ・ベルシャルテッドだ。なんでも、死肉の塊の件でミーアが助けた騎士が彼女の弟だったらしい。
「楽しめてる?」
「そうですね、ほどほどには」
「正直な感想だねぇ」
からからとトワワは笑う。
「不可解な部分があって、素直には楽しめていませんので」
「今更どうしてってやつ?」
「ええ、私が騎士団の治癒師になったのはもう数ヶ月も前の話ですから」
「口実だよ口実。お酒が山ほど飲みたい気分だったの。それにその時期にあんたの歓迎会が出来なかった事を結構後悔してた奴等もいたからね。あのあたりのがそうなんだけど」
宿舎の談話室の隅でちびちびとお酒を飲んでいる四人組に視線を向けて、トワワは小馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「速攻で目逸らしやがった。ヘタレ共め。……仕方ない。ここはお姉さんが夢でも見せてやろうかしらね。下手するとトドメになるかもしんないけど。ってことで質問。あんたって今付き合ってる奴とかいるの?」
「それは交際しているのか、という事でしょうか?」
「他にないだろう? こういう話は苦手かい?」
「そういうわけでもありませんが。……そうですね、交際している方はいません」
「じゃあ、どういう奴が好みなの?」
こういう質問は、前にアネモーにもされた事があった。
あの時はたしか、安心できる人、と答えたような気がする。
でも、この場で素直にそう答える必要はないだろう。
「私よりも強い人でしょうか。些事に臆するような方には、さすがに惹かれる要素がないので」
淡々とした口調でミーアはそう答えた。
四人組が目に見えて落ち込んでいたが、変に好意を抱かれ続けるよりはいい。
「容赦ない答えだな。はは、気に入ったわ」
(気に入った?)
何故か嬉しそうなトワワに眉を顰めると、彼女は手にしていた酒を一気に飲み干して、
「あたし、八方美人な奴って嫌いだから。色々と信用もできねぇしね。でも、あんたは違うって今のでわかった。こいつを騙したりはしないってね」
酷く優しい表情で、ミズリスの髪を撫でながらそう言った。
「……ずいぶんと気にかけているのですね」
「家が近所でね。ガキの頃から知ってるのさ。とぼけた面の保護者の方もね。あいつは一人なら大丈夫だけど、こいつがいると危なっかしいし、ちゃんとした奴が傍にいてくれると安心できる。ってことで、出来ればこれからも仲良くしてやってくれない?」
追加の酒が注がれたグラスが、こちらに差し向けられる。
なかなかに困った状況だ。
元より敵情視察で二人に近づいた身なのである。そういう意味では既に二人を騙しているわけだ。
それを続ける事に、果たして意味があるのか……。
(……降り、ですね)
結論は案外すぐに出た。
二人と関わるようになって必然的に他の騎士たちとも絡む機会が増えた所為か、彼等のいいところも多少は知る事が出来たし、辞表を破いてしまえばお金の問題もなくなるのだ。
なにより、カークの背負っているものを知ってしまった時点で、大会で勝つという気分ではなくなっていた。
「私は、私の事で手いっぱいなので、面倒などは見れませんけど」
そう言って、躊躇いがちにグラスを合わせる。
すると彼女は、本当に嬉しそうな表情でわらって、
「あぁ、それで十分だよ」
と、弾んだような声で頷き。
そこで、どさり、という音が左手側から響いた。
なにかが倒れたような音。気になって視線を向けると、そこには歓迎会には参加せずに部屋で休むと言っていたカーク姿があって――その左足は、膝から下が完全に失われていた。
出血の一つもなく。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




