06
「ただいま。……なにかあった?」
帰宅したレニが開口一番にそう言うくらいに、どうやら自分は普段と違う状態にあったらしい。
心当たりははっきりしているので否定する理由もないのだけど、こんな事くらいで乱れていると思われるのは嫌なので、とりあえず「いえ、別になにも」と笑顔を装って否定すると、彼女はそれ以上追及してくることはなく、
「そう、それじゃ、私はお風呂場を使わせてもらうね」
と言うなり、洗面所へと消えて行った。
「あ、はい……」
もう少し気にしてくれると思ったのだけど……なんだか寂しい。
実に面倒くさい精神構造である。だが、それがミーア・ルノーウェルだ。
そして、そんな彼女をよく知っているからこそ、レニはこれほどまでにミーアにとって特別な存在になったのだろう。それを改めて感じさせるように、思わず吐息を零したそのタイミングで、レニは再び顔を出して、
「……そういえば、そろそろ服が色落ちしてきたし、新しいのを買いに行こうかと思ってたんだけど、ミーアは明日大丈夫?」
「は、はい、昼以降なら問題ありません」
「よかった。じゃあ、服選びを軸に色々とぶらぶらしない? 二人きりで」
「――」
最後に付け足された一言が、無性にうれしかった。
なんとなくアネモーと一緒にとか、そういう流れになりそうな気がしていたからだ。実際、服や化粧とかを買う時は、大抵彼女も一緒だった。
もちろんそれが嫌だったことはないし、むしろ彼女がいてくれて良かったと思わない時がないくらいなのだけど、同時に自分と二人きりはやっぱりつまらないのかなとか不安になってしまう事もあって、その反動だろうか――
「でしたら、お風呂も一緒に入りませんか?」
気付いたら、そんな事まで口走っていた。
ちょっとした欲望が駄々漏れた形である。
「……それは、駄目」
少しだけ悩むような間をおいてから、レニは答えた。
なんだか、可能性を感じる反応だ。
(……よし)
優しさにもう少しだけ甘えて、ミーアは食い下がる事にした。
「ですが、一緒に使ったほうがお湯代が浮きますよ?」
「そうだね。お金に困りだしたら、それもいいかもね。――では、お先にどうぞ」
微苦笑を浮かべながら、レニが片手で招くような素振りを見せる。
声だってとても柔らかいのに、威圧感を覚えずにはいられないという矛盾。
「あ、いえ、そういう催促をしたかったわけではなく、その、な、仲が良い子同士は裸の付き合いをするものだというのを小耳に挟んだので、そういうのも、今なら大丈夫なのかなぁ、と」
もじみじとしながら、消え入りそうな声でミーアは言う。
段々、自分の言動に不安を覚えてきた。
(わ、私、そんなに変な事を言ったのかしら……?)
ちらちらと様子を窺ってみると、レニの頬は少し赤くなっていた。
でも、表情には特に険は見当たらないし、怒っている感じではないと思いたい。思いたいが、
「とにかく、それは絶対に駄目だから」
と、頑なな調子で言って、レニはこちらの後ろにまわりこみ両肩を掴み、そのままミーアを洗面所に押しやって、逃げるように自分の部屋へと帰ってしまった。
こうなったら仕方がないので、諦めて服を脱ぐことにする。
そこで、背中が汚れている事に気付いた。
(……あぁ、そういえば、壁に一度ぶつけてしまったんだったか)
バックステップで壁のギリギリ手前まで移動して、垂直に飛ぶ必要がある場面で、距離感を間違えたのだ。
普段ならまずしないようなミスだけど、カークとの勝負ではそこに意識を向けられないほどに追いつめられていたのである。
(本当に、彼女の言う通りだったな……)
リッセがあそこまで評価していた相手を前に油断なんてものはなかったし、負ける事だって多少は想定していた。でもそれは、パルという競技への理解度の差によって生じるもので、基礎的な部分ではけして遅れを取るような事はないと思っていた。
だが、蓋を開けてみれば、なにも起きなかった。
最初から最後まで、ミーアはカークの遠ざかっていく背中を追い駆けるだけで、小手先ではどうしようもないほどの差がそこにはあったのだ。
完敗だった。自分がどれだけ自惚れていたのかがよく判った。だからこそ、凹むくらいにショックで……それと同じくらい、感動も覚えていた。
「……ふぅ」
頭から浴びた熱いシャワーに、思わず声が零れる。
明日は普段より早い出勤だ。治癒師の仕事の前に、二人に戦いを教えなければならない。
本来なら憂鬱な話。だが、そんな気持ちは微塵も湧いてこなかった。初めて、職場に赴くことに金銭以外の価値を覚えていたからだ。
あれだけの技術力、戦いに転用するのは容易いだろうし、そこで自分にも学びの機会が訪れる可能性は高い。
有意義な時間になる予感が、そこには溢れていた。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




