04
中地区にある図書館には、あらゆるジャンルの本が置かれている。
専門書はもちろんのこと、新聞や娯楽雑誌、果てはトルフィネ以外で販売された本などの蒐集も行われており、近いうちに増築されるかもという話が出ているくらいに、ここは意欲的な施設だった。
基本的に貸し出しは禁止で、勝手に持ち帰ったりしたら相当な罰金を喰らう羽目になる。飲食物の持ち込みなどもアウトで、本を汚すのはもってのほかだ。あと、大きな声を発したりする事もマナーが悪い行為として認識されていて、最初の項目以外は日本の図書館と殆ど変らない感じだということもあり、とにかく居心地がいい。
そのおかげもあってか、二日に一回は足を運んで、暇な時は半日くらい居座っていたりしたので、職員の人たちとはすっかり顔なじみになっていたりもした。
「ソルクラウさん、お久しぶりです。レフレリのお祭りはどうでした?」
「そうですね、色々と賑やかで大変でした。でも、貴重な体験も出来ましたし、足を運べて良かったかな」
「向こうの図書館はどうでしたか?」
「蔵書の数は結構ありましたよ。ただ、此処ほど幅広くは扱っていなかったですね」
「本の管理などは?」
「その点は正直結構杜撰でしたね。傷んでいるものも結構ありましたし」
「そうなのですか。それは非常に遺憾な事ですね。厳重に抗議しなければ――あ、ごめんなさい。いきなり興味本位全開で……」
「いえ、こちらも土産話はしたいですから」
受付のウージュさんといつもの世話話をしつつ料金を支払い、とりあえず案内板のあるところに歩を進める。
そこでなんとなく他の利用者の様子なんかに眼を向けていると、程なくして支払いを済ませたザーナンテさんがやって来て、その二十秒後にミミトミアもやってくる。
こんな場所に興味なんてないけれど一人外で待つのも嫌だったという心境が、その二十秒には存分に表れていて、それが少し可笑しかった。
「なによ? ……ってか、お金払ってまでこんなところで何がしたいわけ?」
こっちに威嚇をしてから、ミミトミアはザーナンテさんに不満と不信をぶちまける。
それを完全にスル―しつつ、ザーナンテさんはどの階にどんなジャンルの本があるかを教えてくれる案内板を食い入るように見つめて、
「よし、ここだな。ここに違いない」
という呟きと共に、段差の急な階段をのぼり始めた。
正直、彼がここまで前のめりな姿勢になるとは思っていなかった身としては、やや面喰らう場面ではあったのだけど、とりあえずその後を追いかける。
辿りついたのは娯楽書籍が多くある三階だった。当たり前というべきか、ここは一番利用されているエリアであり、今も十人ほどが居座っているのが把握できた。
ザーナンテさんはきょろきょろと周囲を見渡したのち、足早に奥のコーナーへと向かっていく。
……あの辺りにあるのは何だっただろうか? 三階は俺もよく利用するけれど、もっぱら小説がメインという事もあって、まだ足を運んだ事がなかったのだ。
が、今日初めて此処に来たはずのミミトミアには見当がついているらしく、
「あぁ、そういう事ね。はぁ……」
と、盛大なため息をついていた。
十秒後、その原因が露わとなる。
ザーナンテさんが本棚から取り出した一冊の表紙には、下着姿の女性がでかでかと描かれていたのだ。
タイトルは『女優艶美』。極めて写実的な絵で構成された画集のようだ。
つまりここは、写真集に近い作品などを取り扱ったコーナーで、
「トルフィネもいいなぁ、わかってるなぁ」
と、ザーナンテさんは非常に満足そうだった。
その後ろ姿に恨めしそうな視線を向けながら、ミミトミアが押し殺した声で呟く。
「予想通り過ぎて頭まで痛くなってきたかも。本当、このモテないエロバカ、あたしにお金使わせてこれとか、マジで喧嘩売ってるとしか思えないんだけど」
「……年頃の男の子だしね。仕方がないんじゃないかな」
なんて大人の女性ぶったフォローをしてみたけれど、曲がりなりにも女子二人がいる状況でそこに突っ込んでいく精神には、正直理解しがたいものがあった。……いや、まあ、単純にこっちの好感度にまったく関心がないという事なんだろうけれど。
「大体、脂肪の塊なんか見てなにが愉しいってのよ……!」
忌々しげに表紙の女性を睨みつけ、自身の胸に右手を置きながら、ミミトミアがよりいっそう低い声を漏らす。
「あんたもそう思うでしょう? 思うわよね?」
と、こちらの胸を凝視しながら、どこか切実な表情で同意を強要してくるあたり、結構なコンプレックスでもあるようだ。
なら、ここは適当に同意しておくのが吉だろう。実際、胸の大小になんて興味もないので嘘というわけでもないし、口にする事に抵抗もない。
「そうよね? あんたは同志だもんね」
でも、頷いた途端に強い仲間意識を向けられるほどとは思っていなかったので、ちょっと、どう反応を返したものかと迷ってしまった。
その空気を感じ取ってか、
「あ、いや、別にあんたの体型とか、あいつの趣味とかどうだっていいんだけどね。それでムカつく事さえされなければ」
と、ミミトミアはやや弱々しいトーンでそう呟いて、それからまたザーナンテさんの方に視線を向け、微かに目を細める。
最初に見せていた侮蔑や呆れとは異なる、仄かな親しみのこもった眼差し。
「……ほっとした?」
なんとなくそう訪ねると、彼女は少し驚いたように目を見開いてから「ちょっとは、ね」と苦笑を浮かべてから、静かな口調で語ってくれた。
「あたしさ、ずっとアイツは莫迦で単純で、ナアレさんのいう事さえ聞いてれば大丈夫って妄信してる奴だって思ってたんだ。あたしとおんなじでさ。だからアイツが裏切ったって判った時、あたしが今まで見てきたガフ・ザーナンテって奴が全部どっかに行っちゃって……アイツにも色々事情があったんだろうとか、一番被害喰らったナアレさんが許すって言ってるのに、あたしが許さないのも変だしなとか、色々と言い聞かせてまたやり直すって決めても、なんかしっくりこなかったっていうか、不安があって。……でも、ちゃんとあたしの知ってるアイツもいるんだって、今ちょっと思えたから――」
「やっぱり巨乳はいいよなぁ、見慣れた貧乳とは違う。尊さが違うな」
グラビアに熱中するあまりこちらの存在を忘れたのか、かなり不味い発言をザーナンテさんが零した。
途端、穏やかだったミミトミアの眼差しに剣呑が宿る。
「……うん、もう遠慮せずにぶん殴るわ。余計な事気にした所為で何度か殴り損ねてて、それも気持ち悪かったのよね」
そのまま彼女はズカズカとザーナンテさんの背後に歩を進め、その後頭部に拳骨を打ち下ろした。
「誰が貧乳だ! この脳味噌下半身野郎っ!」
「ぐぅ、ぁあ、おぉ……!」
突然の衝撃に、両手で頭を抑えたザーナンテさんが本を落とす。
どうやら会心の一撃だったようだ。更に言えば、それはどうしようもないくらいに痛恨の一撃でもあった。なので、俺はさっさと二人から距離をとって、一連の出来事とは無関係である事を強調し、二人の末路を見守る事にする。
「お、お前、いきなり殴るのはどうかと思うぞ?」
「どうでもいいわ。ってか、あんた今あたしの事だけじゃなくて、ナアレさんの事も莫迦にしたわよね。いい? 良い女っていうのはね、そんなぶくぶく太った奴じゃなくて、あたしやナアレさんみたいに無駄のない流麗な身体の線をもった――」
『図書館では静かにしてください。図書館では静かにしてください』
壁に設置されたスピーカーから、一階にいたウージュさんの聲が響いた。
感情を漂白したような、機械的な声色。……うん、これは完全にキレているサインだ。
本が大好きな彼女にとって、今の暴挙は到底看過出来るものではなかったらしく、
『それと、うちの大事な書物を傷つけた代償はしっかりと払ってもらいますので、今のうちにお覚悟を』
その言葉と共に、背筋が冷えるほどに鋭利な魔力が複数、二人に突き刺さっていた。
ここの職員にとって、安い入場料を払うだけの客は神様などではなく、保管されている本こそが神様なのである。
そういうところも含めて、やっぱりここはいい場所だなぁと改めて感心しつつ、俺は連行されて説教を受ける羽目になった二人が帰って来るまでの小一時間、悠々と読書に興じる事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。