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『――おい、ちゃんと聞こえているか?』
左耳に付けていた通信石から渋い声が響く。
普段肥満オヤジと呼称する事の多いダルマジェラのものだ。
「あぁ、聞こえてるわよ。問題なく機能してる。ちょっと見世物に集中してただけ」
自身にも聞こえないくらい小さな声で答えつつ、リッセは腰の位置で組んでいた腕を片方だけ解き、解いた右腕の肘を左腕の手の上に乗せて、口を覆うように頬杖の形をとった。
『では、答えてくれ。今更騎士団を対象に入れるというのはどういう狙いだ? 奴等には把握するほどの価値もないと言っていたのは他でもないお前だろうに。私の知らないところで、余る程の新入りでも仕入れたのか?』
「人員を増やす予定はないわね」
『つい数か月ほど前に行ったばかりだしな』ため息交じりのダルマジェラの声。『あれにも私は異論があったが』
「今更蒸し返すつもりか?」
『人が増えればそれだけ情報が露見する危険も増える。お前が贔屓にしているごくごく一部の相手を除いて、頭二人以外の面が割れていないというのが我々の最大の優位性だ。そこに綻びが生じるかもしれない選択を、そう簡単に納得はできんさ。もちろん、多数決という方法にもだがな』
「あんた、うちじゃ人望ないもんね」
ヘキサフレアスのメンバーの半分くらいはダルマジェラが嫌いだ。
もっとも、リッセ含め、もう半分は彼の事を結構気に入っているので、全体としてみれば普通ともいえるわけだが。
『人望は関係ないだろう。大体、それを言うなら、お前は一番の腹心である身内に反対票を喰らっていただろうが?』
「ラウの奴が保守的なのはいつもの事でしょう? あたし相手だけじゃないし。……ってか、あいつの所為で僅差だったのよね。あの時くらいは素直に賛成すると思ってたのにさ」
『物事の捉え方の違いだな。お前たちの間ではよくある事のようだが、いい加減擦り合わせる事を覚えたらどうだ? 理解のある姉というのもカッコいいものだぞ?』
「それしてたら、あんたはルーゼで儲けられなかったと思うけどね」
『ははっ、確かにそうだな。お前の情報がなければ、あれに宝石までは買ってなかったかもしれん。あぁ、とりあえず、その点だけは今感謝しておくとするか。まあ、今後すぐでも撤回するかもしれんがな』
「本当に否定的だな。らしくないっていうか。あんたってさ、そんなつまんない奴だったっけ? いつだって最大取りに行くような強欲で素敵な愛妻家だと思ってたんだけど」
なにせ五年ほど前、敵として徹底的に叩き潰してやったリッセに対して、自身の敗北を認めながらも、六対四で手を組まないかと吹っ掛けてきたような奴だ。
生殺与奪の権が握られていた状況で「当然だろう? 儂にはそれだけの価値はある。五分五分にするのは、お前がもう少しこのトルフィネで幅を利かせられるようになってからだ」と、ふてぶてしい笑顔で言い放ってきたのは、今でも鮮明に覚えている。
基本的にハイリスク、ハイリターンを愛している人種なのだ。なのにどうして今回の件だけは頑なに保守的なのか……まあ、おおよその理由は想像できていたりもするのだが。
『人員を増やす事自体に文句はない。お前が選んだ仲間の能力も疑ってはいない。……判っているだろう? 儂が気にしているのは優先順位であり手順だ。あの時、ルーゼよりも先に取り組まなければならない事は多かったし、初手で外に人員を派遣するというのも危険すぎた。そしてあの時、お前は理由を語らなかった。勘だとぬかしてな』
その範疇にある言葉を、基本的に仕事モードの時は使わない儂という一人称と共に語ってから、ダルマジェラは酒か何かを嚥下したような音をこちらに届かせた。
少し、機嫌が悪そうな感じ。
「別に濁したわけじゃないわよ? あの時は本当に、ただの勘だったからな」
『それも分っているさ。だから今訊いている。その勘が正しかった事を、今なら証明できそうだと思ったからな。……この騎士団の件、繋がっているんだろう?』
姿を見なくても、奴が鋭く目を細めたのが脳裏に浮かび上がる。
きっと自慢の樽のような腹も、適度に撫でている事だろう。そういう時こそ、彼はリッセの良き理解者なのだ。
その事実に少しだけ心地よさを覚えつつ、リッセは言った。
「あんたは知ってた? 騎士団長がまだルーゼにいるって事。あたしは今日知ったわ」
『……ふむ、いつもなら、もう戻っている時期か』
「そう、定期報告の度に行われていた騎士団長様の嘆願は、この二年間ずっと無碍にされて終わってきた。何度求めたってルーゼの回答は同じ」
トルフィネとルーゼの戦力差が覆らない限り、それは変わらない筈だった。
「けど、今回はまだ帰ってきていない。つまり、いつもとは違う何かが起きていたわけだ。まあ、あたしが知らない間に転移門が壊れてて、それで帰れなかった、なんて可能性もなくはないだろうけど」
『その点は安心しろ。そんな話は儂も聞いていないからな』
「そう、なら良かったわ」
もちろん、そんなのを本気で心配しているわけもないが……ちょっと、軽口を一つ挟みたい気分だったのだ。
それくらいに、今から語る内容は異常なもので――
「新入りの大手柄よ。あたしがレフレリから帰って来た二日後くらいに起きた事件なんだけどね……レンヴェリエールの血が途絶える事になった」
『レンヴェリエール?』
「今代のドワがいる家系さ」
『あぁ、そういえば、軍貴の頂点の称号がそんなやつだった気がするな。たしか、最初の戦争で英雄になった男の名前から取られたものだったか……まあ、そのあたりはどうでもいいが、それがどう繋がって来るんだ?』
「崩壊させたのは当主だった。手始めに婚約者を殺して、次に一族皆殺し、最後は従者共の半分ほどをやったらしいわね」
『おいおい、それは本当か? かなりの古参だったと記憶していたが』
「レコンノルンと並ぶくらいの古株よ。当然、継承という呪いも桁違いに強固な筈だった。誰よりも貴族らしくなければおかしいくらいにね。だからこそ、表にも出せない類としてルーゼでは処理された」
『ふむ、要はルーゼのラクウェリスという事か。……なるほど、話が見えてきたぞ。そいつがトルフィネに来るというわけだな、そして騎士団の新しい団長になる』
「今はまだ可能性の段階だけどね」
だが、それが現実となれば、間違いなくトルフィネの騎士団は変わるだろう。どう転ぶにしても無視できない脅威になる。
『しかし、死刑か完全な歯車にするのが妥当な罰だろうに、余所の都市への左遷程度とは、よほどルーゼの最強は特別らしいな。左遷という結果も、そいつが提案した流れなんだろう?』
「えぇ、多分ね」
ため息交じりにリッセは答えた。
すると、ダルマジェラはなにかを噛みしめるような間を取ってから、
『嬉しそうだな、リッセ』
と、苦笑交じりに言ってきた。
その言葉を前に、リッセはくすくすと微笑み、
「当然でしょう? 報復するべき相手が向こうから来てくれるのよ? ヒトに人間爆弾寄越してくれたクソッタレ、最高の形でお返ししてやらないとね」
『数か月も前の小さな憎悪も色褪せずか、相変わらず怖い事だな。まあ、そのあたりは好きにすればいいと思うが……しかし、無法の王がそろそろ戻ってくる事といい、色々と積み上がって来たものだな。これは偶然だと思うか?』
「さあね、そのあたりは正直どうだっていいわ」
時々、得体のしれない眼が、この街を覗きこんでいるような嫌な感じを覚える事はあるが、なんにしたって派手な騒ぎが近々起きる事に変わりはないのだ。
そして、相手が誰だろうが勝てば同じ。
「……そろそろ切る。こっちの愉快な問題も終わりそうだしね」
そう言って、リッセは欠伸を一つこぼす
『そういえば見世物と言っていたが、お前今どこにいるんだ?』
「騎士団本部よ。近くにあんたの嫌いなヴァネッサもいるけど、代わる?」
瞬間、向こうの空気が強張ったのが判った。
『……待て待て、どういう状況だ? というか、そんな場所で内緒話は不味いだろう?』
「密室でするより漏れない状況よ。少なくとも音と魔力に関してはね。だからこうして話してんでしょう? もしこれで聞かれてたら、素直に相手を褒めるとするさ。そんな事より、納得したなら明日にでも監視を手配しておいて」
『手配という事は、こちらの人員は使わないわけだな。だからこそ儂に話をもってきたんだろうが」
「相手が相手だからな。そいつの性質がある程度判るまでは、死んでもいい奴等に頑張ってもらうさ」
冒険者にはその手の類は山ほどいる。
程々に優秀で、だからこそ敵の力量を計るのにちょうどいい奴等。でも、トルフィネの冒険者にはダルマジェラが気に入っているのも多いので、おそらく余所の冒険者あたりを彼は用意してくれる事だろう。
(……それにしても、片方は予想通りの結果で落ち着きそうだけど、もう片方は意外なカタチになりそうね)
もしかすると、ヴァネッサの奴の驚く顔が見れるかもしれない。
それはなかなかに愉快な光景だ。自分も記録石を持って来たらよかったかもしれない。そんな事を思いながら、リッセは予想外の結果になりそうな片方の終局に視線を定めることにした。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




