19
「ゼベ・グリシャルデについて教えて欲しい?」
騎士団本部の受付傍のソファーに腰かける俺の隣に位置していたリッセは、俺の言葉をオウム返ししながら、眉間に皺をよせて、数秒ほど押し黙ってから、
「なに? もしかしてああいうのが好みだったのか? 趣味悪いな」
と、物凄く見当違いな事を口にしてきた。
「違うよ」
もはや感情を込める気にすらなれない冗談だ。
「じゃあ、ヴァネッサでも口説いたのかしら?」
「口説くわけないでしょう? というか、どうしてそういう話になるのかが分からないんだけど」
「情報が必要だってことは、あいつに絡む気なのか絡まれたのかのどっちかだろう? ……でも、その二つじゃないって事は、ヴァネッサの奴の暇潰しに巻き込まれたってところか。だとしたらご愁傷様、あいつも大概悪趣味だからね。あたしほどじゃないにしても」
「それ、自覚あるんだ……?」
「当たり前でしょう? あたしもあいつも、そのあたりはちゃんと意識してやってるわよ。なにせ、それが一番ってくらい武器になる業界だからな。……あぁ、だから、あんたにも結構向いてる世界ではあるのかもね」
悪戯っぽい笑顔でリッセは言う。
まったくもって嬉しくない太鼓判だった。
「嫌そうな顔するなよ。心配しなくても今更勧誘なんてしないさ。あんた、悪い意味で化けそうで嫌だし。……で、なんだったっけ? あぁ、そうそう、ゼベね、ゼベ。別に教えてやってもいいけど、タダってわけにはいかないわよ?」
「わかってるよ。……それで、いくら必要なの?」
最近出費が多い気がするなぁと嘆息しつつ、俺は訪ねた。
「それはどの程度の情報が欲しいかによる。全部っていうなら五百万程度ね」
「五百って、さすがに高すぎない?」
「ちなみにこれは友達価格だ。知らない奴なら倍は必要になるな。あれにだってその程度の価値はある。テトラほどじゃないにしても、ゼルマインドの幹部なんだからな」
「……それじゃあ、一番安いのは?」
「うちだけで扱ってるのなら三十万。別でも手に入る類なら……そうだな、千リラでいいわ」
これまた、いきなりずいぶんとリーズナブルな値段になったものだ。
それだけ簡単に入手できる情報という事なんだろう。そしておそらく、こちらの事情を見越して千という値段もかなり高めの設定なんだと思うけど、まあ、それでもせいぜい食事代を奮発する程度だ。渋る理由はない。
「じゃあ、とりあえずそれで」
財布からその額を取り出して、リッセに手渡す。
それを懐に仕舞ってから、彼女はその視線を両開きに解放された玄関口の扉の先に向けて、
「あと二分くらいで来るな。まあ、二分あれば問題ないか」
と、呟いてから、周囲に自身の魔力で膜を張った。
盗聴防止の気休めといったところだろう。
「くれてやるのは、あいつの魔法に関する情報だ。まあ、二年前に出たやつだから、今とは差異があるけど、本質的な部分が変わるわけじゃないから十分有益でしょう。……あいつは、あたしと同じ色の魔法を使う。でも、あたしのような真似は何一つできない。だから、その点を心配する必要はないわけだ。単純な戦闘になる。以上よ。余裕があったら、あいつの手足の一本くらい切り落としといて。それが出来たら、あんたがくれたこのお金で、食事を驕ってあげるわ」
「……出来たらね」
リッセのその無茶ぶりに、俺はため息交じりに適当な言葉を返し――
§
――うん、それは無理そうだ、と開始十秒で理解した。
まあ、初めからそんな物騒な事をするつもりはなかったんだけど……それにしても凄い。もうなんというか、怒涛という言葉が相応しい攻勢だった。
息をつく暇などなく、瞬きすら許されない連撃。判りきっていた不意打ちを凌ぎ、殺陣という名の本気の殺し合いが始まって早々のトップギアである。
これが速度だけならそこまで脅威でもなかったんだけど、速度以上に攻撃の重さが印象的だった。
といっても、押し負けているわけじゃない。多分五分。受け方を間違えなければ、対処は間に合う感じだ。
このまま防御に徹すれば十分凌ぎきれるし、この場面はある程度凌いだら逃げるのが正解だろうから、適当なタイミングで反撃をして呼吸を乱したところで、カメラの眼から外れてしまえば――
(――負ける要素もないのに、逃げるだと?)
消極的な自身を侮蔑するように、冷たい女の聲が頭の中で響いた。
それを聞かなかった事にして、俺は具体的な流れを考えていく。
が、考えれば考えるほどに声は反芻されていき、苛立ちが胸の内に広がっていくのがわかった。
俺の感情であると同時に、俺から発生しているわけではない誰かの感情。
最近、荒事になるとこの手の気持ち悪い手触りを覚える事が増えた。同時に、その前後でレニの記憶を見る機会も多くなっていて、両者の関連性を強く示してくれてもいた。
死に近づく経験をするたびに、レニ・ソルクラウという存在が近付いてきている。
それは、前々からある程度察してはいた事だけど、レフレリの件を終えてから一気に加速したのは間違いないだろう。
ただ、自我が奪われるのでは、という不安は今のところまだ薄い。
レニ・ソルクラウの脳に、無理なく倉瀬蓮という魂が溶け込んでいっているとでも言うのか……言葉にするとちょっと気持ち悪いけど、色々と順調だという事なんだろう。
そして、リフィルディールが望むゴールも近いのだと思う。
先程ヴァネッサさんが、もうじき休暇が終わると言っていたけれど、或いは彼女もまたリフィルディールと繋がりをもっていて、この状況を揃えたのか……いや、さすがにそれは飛躍しすぎか。
そんな事を考えながら防御に徹していると、痺れを切らしたのか、ゼベさんが酷く大振りな一撃を放ってきた。
勝負に焦っての一手、決定的な隙だ。
ここにカウンターを合わせて怯んだところを逃げようと、俺は右足を彼の顎目掛けて振り上げる。
ちょうど相手の意識の隙間を通る、死角からの一撃。狙ったわけじゃないけど、完璧なタイミングだった。
これは、もしかすると失神させることも可能かもしれない。
が、さすがにそこまで甘くはなかったようで、ゼベさんは寸前にこちらの攻撃を認識し、衝撃に備えて強く歯を噛んだ。
爪先に硬い手応えが届く。強い抵抗を伴った感触だ。
その事実を受け止めながら、右手に持った剣で追撃を放つが、ゼベさんは大きくバックステップを取って、背後の壁をものともせずに突き破って、それを躱してみせた。
もう何度も両者が行っている行動である。おかげで、戦闘が始まって体感二分程度だけど、周囲は見事にボロボロで、執務室のような場所から始まった戦いは、現在職員室みたいな広い室内へと場所に移行していた。
「……なるほど、たしかに、あの時見た印象よりは強くなっているようだね。お前」
ぺっ、と血反吐とともに奥歯を一本吐き捨てて、ゼベさんは鋭く目を細める。
それに合わせて、視界を歪めるほどの強い魔力の波が肌を叩いた。
「せったく圧殺してやろうと思ってたのに、よくもまあ、この僕に恥をかかせてくれたものだよ。……あぁ、いいさ、不本意だけど本気でやってやる。本気で――」
そこで、くらりと彼の身体が揺らいだ。
失神は避けられたが、脳はちゃんと揺らす事に成功していたようだ。
とはいえ、それをチャンスと捉えて突っ込めるような感じではない。むしろ、より強く身構えなければ不味い気が――
「――今が好機だっ! やれぇえ!」
「おおぉお!」
突然、男たちの怒号が飛びこんできた。
続けて、穴のあいた多くの壁の脇に身を潜めていたらしい騎士たちが、ゼベさんに向かって跳びかかる。
「え? いや、ちょっと――!?」
まったく想定していなかった事態に、今まで冷静だった自分が夢だったんじゃないかと思うほどの焦燥が襲ってきた。
というか、止めないと死ぬ。間違いなく騎士たちが殺されてしまう。
「――分を弁えないゴミ共が」
それを物語るように、ゼベさんの前方に凝縮された魔力が魔法として顕現された。
圧倒的暴力を宿した白銀。SF作品で登場するようなレーザーとかビーム兵器とかと同種の閃光が、我先に飛び出した騎士に襲い掛かる。
「――っ、ぐぅ」
その間に割って入って、咄嗟に具現化させた盾で防ぐが、完全には防げない。
四方八方に反射した光が周囲を焼き切り、さらに盾を半ばまで溶解させていた。凄まじい威力だ。
今の反射で巻き添えを誰も喰らわなかったのは、奇蹟としか言いようがないだろう。
「そ、その程度で怯むと思うなよ! 騎士団本部で好き勝手しおって! もう我慢ならぬ! 確保だ確保! 全員確保だ!」
運よく髪の毛を数本焼き切られるだけで済んだ老年の騎士が、腰を抜かしながら吠える。
「おいおい、また話の流れ変わったわよ?」呆れたように、廊下の辺りで見物していたリッセがぼやいた。「ほんと、統率力ない組織だな、おい。躾けくらいちゃんとしとけよ」
「そうは言いますが、そもそも話は通っていたのですか? この場所は貴女様が選んだと思うのですが?」
ルハとリリカを守るように佇むオーウェさんが、咎めるように言った。
「やる場所は伝えたわ。あの騎士団長様にね」
「向こうの返答は?」
「それ必要?」
不思議そうに首を傾げるリッセ。傲慢極まりない、ほんとに酷い反応である。
これには改めて同情を覚えるが、無謀と勇敢を完全にはき違えてやる気満々な彼等を見ていると、その同情も急速に薄れていきそうだ。
ともあれ、見境なく仕掛けて来た騎士たちと、それを守りながらゼベさんの猛攻を凌がなければならなくなった俺と、騎士団も殺すつもりのゼベさんの、極めてアンバランスな三つ巴は、こうして幕を開けたのだった。
次回は6日後の12月30日に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




