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16

 ――好きだ、という言葉を、生まれて初めて母以外の相手に使った。

 いや、もしかすると、自分から能動的に用いたのは、それこそ本当に初めてだったのかもしれない。

 あの人はよく、仕事を終えて酔っぱらって帰って来た時に、俺を強く抱きしめながら「愛していると言って、大好きだと言って」と、弱々しい声でせがんできたものだから。

 だから、言葉自体は言い慣れていて、特に上擦ったり、硬くなったりする事はなかった。

 そういったものを誘発する強い緊張がやってきたのは、むしろその後。

「……」

 開幕で告白から入るのは唐突だったか、ミーアの身体は少し強張っていた。

 或いは、こちらの切実さに演技でないものを感じたのか。

 どちらにしても、あまり望ましくはない。

 気持ちは吐き出すけど、芝居である事も忘れてはいけないのだ。

 まったくもって厄介な話。……けれど、シーンとしてはそこまで悪くない。その戸惑いは、姫が騎士の気持ちにまったく気づいていなかったという状況を示してくれている。

 騎士も当然それは判っていて、判った上で告白をした。なら、ここで二の足を踏んだりはしないだろう。まずは自分の気持ちを吐露した経緯を説明するはず。

「驚かれるのは無理もないと思います。私は、この愚かな気持ちを上手く隠してきたつもりですから」

 映画的な気取った台詞を口にしつつ、その台詞に対して、じゃあ俺の方はどうだったんだろうかという疑問を抱く。

 抱きながら、ミーアの反応を待つか、それともそのまま続けて喋るか、少し間を作ってから決める事にして、

「では、どうして今、それを私に……?」

 と、前者の流れになってくれたので、安心して理由を並べることにした。

「私は、明日戦場に赴きます。おそらく生きて帰る事はないでしょう。もちろん、死ぬことに恐れなどはありません。それが国の為になる事ならば。ですが、この気持ちを伝える機会を失ってしまうのは、怖かった。抑える事が出来なかったのです」

「……騎士さま」

 そこはどうか、両者の親密さを見せるためにも名前で呼んでほしかったところだけど、それ以外は妥当な反応だったので良しとして、俺はミーアの頬に手を伸ばした。

 もちろん、触れはしない。だけど触れたいという気持ちはこれで伝わるだろう。

「最初は忠誠でしかなかった。ですが、貴女の傍にいるうちに、それだけではなくなってしまった。……そんなものを、望んではいなかったのに」

 最後の一言は、まさに本心だ。

 それでも伝えたいという想いもまた、嘘にはできない。

「……姫、貴女が好きです」

 真っ直ぐにミーアを見つめながら、俺はもう一度その言葉を口にする。

 口にして、酷く哀しい気持ちになった。改めて、自分がミーアにそれを言う機会はないんだろうなと、痛感してしまったからだ。

 もしかすると、これが失恋というやつなのかもしれない。

 まあ、初恋は実らないものだというし、それをここで知れただけでもやった甲斐はあった。これから先、きっと自分はちゃんとこの感情に蓋をしたまま、今まで通りやっていくことが出来るだろう。

 ……でも、それだけしか収穫がないのは、さすがに嫌だったから、触れるつもりのなかった手をもう少しだけ伸ばして、もう一歩だけ距離を詰めてみる。

「……ぁ」

 目の前の彼女の、息を呑む音。

 アメジストのような紫の瞳が戸惑いに揺れて、薄い唇が微かに震える。

 その居心地の悪さから逃れるように彼女は微かに俯いて、柔らかな金色の髪を俺の手の甲に垂らした。少し、くすぐったい感触。

 けれど、そちらよりも掌に伝わる彼女の体温の方が重要で、

「貴女の気持ちを、聞かせて欲しい」

 雪のように白い頬を微かに上気させた彼女の眼を見つめたまま、俺は言った。

 あとは答えを待つだけだが、幸いな事にこれは演技だ。ここに緊張する要素はない。リッセなら一波乱を加えてきたかもしれないけど、ミーアにそんな遊び心はないだろうし、応じる以外ないというのが判りきっているからだ。

 そういう意味でも、このシチュエーションは虚しくも喜ばしいものだったわけだけど……少し、踏み込み過ぎた所為か、ミーアはあわあわとするばかりで、ただ困るばかりで、なんだか本当に告白をされたみたいな反応で――

「――と、こんなところかな」

 彼女から一歩下がって、俺は苦笑を繕った。

 次の瞬間に拒絶の色が見えそうだったから、見えてしまう前に逃げたのだ。

 せめて、演技の中でくらいは受け入れて欲しかったというのが本音だけど、ミーアは元とはいえ貴族である。生産性の欠片もない同性愛なんてものは、虚構の中でも受け入れがたいものだったのかもしれない。

 だとしたら、これ以上は彼女にとっても苦痛でしかないだろう。俺に気を遣って応じる事でもないし……それこそ、そんな心が見えたら自分が嫌になって仕方がない。

 だから、ちょっと消化不良ではあるけど、自己満足はこれで終わり。

「最後はリッセだったね。準備はできてる?」

 彼女に背を向けて、俺は努めて軽やかな声で訪ねる。

 視界の中央に収めたリッセは、少し呆れたような表情を浮かべて、

「あぁ、いつでも構わない。……本気でやってあげるわよ」

 と、ひどく、優しい声でそう言った。


       §


 そうして、主役を決める不毛な争いは幕を閉じた。

 勝者はリッセ・ベルノーウとなり、物語は当初の予定通りに進むことが決まったのだ。

 まあ、順当な結果である。

 ラクウェリス・オーレリアンレルは思いのほか上手かったけれど、あくまで意外だったというレベルでしかなかったし、それに比べてリッセは役者が裸足で逃げ出すくらいにお姫様で、レニもまた完璧に男性であり、口は悪いけれど面倒見のいい騎士だった。

(どうしたら、あんな真似が出来るんだろう……?)

 ルハの家で食事を振る舞ってもらった帰り、レニの背中を見つめながらミーアは思う。

 きっと、二人とも異常と言えるくらいに他人の事をよく見ていて、それをとてもうまく模倣できるが故といった感じなんだろうけれど、そうだとしても凄い。

 感嘆を覚えるし、少し不安にもなった。

 それくらいの演技を見せた二人が選ばれたのは、本当に、当然の結果といえるだろう。

 ……なのに、その事実にまだモヤモヤしている。

 どうしてなのかは、自分でもよく分からない。

 ただ、リッセとレニは確かに噛み合っていたけれど、それでもレニがミーアに向けていたものの方がずっと迫真だったのだ。

 だって、信じられないくらいに心拍が乱れた。演技だって判っているのに、どうしたらいいのか判らなくなるくらいに動揺して、怖いくらいで……もしかすると、自分はそれを後悔しているのかもしれない。

 あんなにもレニが頑張ってくれたのに、何一つ応えられなかった事に腹が立って、それでこんな仄暗い気持ちになって……

(……いや、それはなにか違う気がする)

 出来れば早く納得して落ち着きたかったけれど、どうもしっくりこない。

 そもそもミーアは別段演技にプライドなんてもらっていないわけだし、練習はしたけれど、それは恥をかかない為であり、勝つためではなかった。

 大体、負けて悔しいと思えるほどの時間も費やしてはいない。更に言うなら、このモヤモヤとした嫌な気持ちを覚えたのは、結果が出るより前の事で……そう、二人の演技が始まって、姫が騎士に甘えるシーンを見たあたりからだったのだ。

(……やっぱり、独占欲なのかな)

 レニが誰かに取られそうなのが嫌だ、なんて子供っぽくて辟易するけれど、そういう狭量が自分にある事は知っている。

 なにせ、度々感じるものでもあるからだ。

 でも、今回胸に残留しているものは、いつものそれとも少し違うような気がする。

 より強いというか、黒いというか……

「……」

 なんとなく、右の頬に掌を押し当てながら、ミーアはため息をついた。

 そこは、あの時レニに触れられた箇所で――

「ん? どうかした?」

 その音を聞かれたのか、振り返ったレニが少し心配そうな表情を見せる。

 それに繕った笑みを返しながら「いえ、なんでもありません」と答え、ミーアは小走りに彼女の隣に並んだ。

 今の自分がお姫様で彼女が騎士だったなら、きっと自然に手を繋ぐことも出来たのにと、莫迦らしい想像を抱きながら。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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