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 ……疲れた。

 オーレリアンレルとの即興は、その一言に尽きた。

 こちらとしては、ただ拒絶の意志だけを示して向こうのアプローチを全部シャットアウトすればいいだけだった筈なのに、それが出来なかった所為だ。

 その理由は思いのほか彼女が真面目だったから。

 彼女は、警戒していた不必要なスキンシップなどを取ってくる事もなく、自らが語った設定通りに、不穏で、だけどどこか寂しそうな女王だったのである。

 つまり、ただ場を掻き乱すためだけに来たのではなく、ルハの始めた遊びにちゃんと付き合う意志もあったという事だ。

 そうなってくると、こちらも脳死の対応は出来ない。、

 だから、かなり真面目に返す言葉を選んだし、最終的に女王の提案を断りはしたけれど、どこか迷いがある風にもした。その方が、ルハやリリカも物語の続きを作りやすいと思ったからだ。……まあ、そう思ったのも、その二人がこういう方向性も面白いかもって話を演技中にしていたから、ではあるのだけど。

「早まったな。あの無能騎士も糞貴族も、評価に感情は挟まない性質よ。ついでにヴァネッサの奴も、遊びに関してはそうね。つまり、あたしが真剣にやらなかったら、あんたの相手が誰になるのか、いよいよわからなくなってきたわけだ」

 試練を終えた俺に、リッセが愉しげな言葉を投げてきた。

 まさか、このタイミングで報酬を要求してくるとは……さすが貴族飼い、悪辣の限りである。

「どんな見返りが欲しいわけ?」

「そう身構えるな。ちょっと欲しい魔物の素材があるってだけさ。あんた狩人でしょう? 仕事のついでに狩ってくるだけ。簡単な話よ」

 絶対に嘘だ。それなら他の誰かに頼むだろう。

「……ちなみに、なんて魔物?」

 恐る恐る訪ねてみる。

「トーリンブルク」

「嫌だよ」

 脊髄反射で言葉が飛び出た。

 狩りを生業にしてから魔物の情報は色々と仕入れているので、その名前はよく知っていたのだ。

 俺にとって最も特別と言えるグルドワグラという魔物を餌にしているらしい、森の奥深く潜んでいる、極めて巨大な怪物。

 たしか、そいつの爪の値段が、一本百二十万リラだったか。死体を丸々持ち帰って余すことなく売り捌けば、きっとこの屋敷だって購入できることだろう。

 当然、その高額に見合った危険性も有していて、以前紫の冒険者たちが狩りに赴いたが帰って来たのは一人だけだったとか、その人も数日後に全身から緑色の血を噴いて、街に阿鼻叫喚をばら撒きながら絶命したとか、お腹に卵を植え付けられていたとか、とにかく物騒な話しか聞かない。

「大丈夫、あたしも付き合うから。それなら余裕だろう?」

「いや、たしかトーリンブルクって眼がない魔物だったよね? リッセの魔法効かないでしょ?」

「魔法がなくたって激励や的確な助言は出来る。なにより、退屈な探索のお供に刺激的な会話も楽しめる。ほら、いい事ずくめだ」

 つまり、俺が苦戦するのは必至で、その上で戦力としては一切役に立つ気もないという事らしい。

 なかなかに酷い話である。

「そういうのはラウに頼めばいいんじゃないの? 彼の方が私より強いんだし」

「あいつはダメ。どうせ時間の無駄だ。価値観が違うのよ、あいつとは」

「……価値観、ね。……それで、その魔物が必要な理由は?」

「いや、肉がね、美味しいらしいのよ。とっても」

「――え?」

 思わず間の抜けた声が漏れる。

 そして、その先に続く言葉は出てこなかった。

 多分ルハの発言に触発されてというか、招待のお返し的な目的で言いだしたんだろうけど、リスクがどうしようもないほどにどうかしていて、こちらとしてはもうジト目で抗議するしかなかったのだ。

「半分は冗談だよ」

 苦笑気味にリッセは言った。

 半分はという事は、美味しいというのは事実らしい。ただ、さすがにそれが本題ではないようで、

「実は、ちょっとルーゼにいる貴族との交渉で新鮮なのが必要になってね。けど、ラウはそれに反対してるから使えないんだよ。まあ、別に他の狩人や冒険者を雇ったりしてもいいんだけど、そっちの交渉も面倒そうでね、失敗する可能性も高いし。あんた以外は」

 最後の最後で妙に持ち上げられたが、全然嬉しくない。

「もちろん、報酬はちゃんと出す。これはあんたとの交渉権だ。あたしの労力と釣り合いの取れた、ね」

「とてもそうは思えないけど――」

「言っておくけど、あいつが勝ったら、あんたが想像してるよりずっと厄介な事になるわよ? 役の上の話ってだけじゃ済まなくなる。もうある程度理解はしてるだろうけど、あの手の異常者は簡単に見境を無くすものだからな。一つの例として、あいつに気に入られた男がどんな末路を辿ったか、話してあげてもいいけど?」

「……いい、必要ない」

 というか聞きたくもないし、聞かなくても周りの反応とか彼女の言動とか見ていれば嫌でも判る。

 でも、だからといってリッセの要求を呑むのも、やはり割に合っているとは思えないというか――

「――!?」

 そこで突然、激しい衝突音が響いた。

 驚きと共に音源に視線を向けると、ぽたぽたと地面に血を垂らすオーレリアンレルと、短剣を右手に握りしめて自身の胸元を左腕で隠すように身構えるミーアの姿があって、

「あらあら、乱暴ねぇ。ダメよぉ、人の厚意に牙を向けちゃ。私はただ、貴女の緊張を解してあげようとしただけじゃない」

「眼球を狙うべきでしたね。或いは不快な言葉をばら撒く舌を切り落としておくべきだったか」

「過激ねぇ。そんなに嫌だった? 私に触られるのが」

「……当然でしょう」

 射殺すような鋭い視線を向けながら、ミーアが吐き捨てる。

「そう、それは不思議ねぇ……まあ、でも、今の段階ではそうなのかしら? ――あぁ、そうだ! じゃあ、こう考えればいいのよ。レニとの本番の前に、私で練習するの。どう? これなら貴女にとっても意味のある行いとなるでしょう?」

 名案を思い付いたみたいな満足げな声で言ってから、オーレリアンレルは右の掌から流れる血をぺろぺろと舐めて、

「ふふ、甘くて酸っぱい。食生活の賜物ね。素晴らしい美味だわ。ねぇ、貴女もどうかしら?」

 と、その手を差し出しながら蠱惑的に微笑んだ。

 そこにある無邪気さのようなものに、少し寒気を覚える。

「……つくづく、不快な人ですね」

 俺と同じ感情を覚えたのか、ナイフを握るミーアの手は少し強張っているように見えた。

 そんな彼女を前に、オーレリアンレルは突然憂いを帯びたような表情を浮かべて、

「駄目よ。気持ち悪いだなんて言っては駄目。自分を否定してはいけないわぁ」

「は? 一体なにを言って――」

「だってそうでしょう? 私もレニが好きで、貴女もレニが好きなのだから。それを否定するだなんて、間違っている」

「――ふざけないでください!」

 ひっ、と思わずルハとリリカが委縮するほどに強い声が、ミーアから吐き出された。

 押し殺したように、或いは冷たく突き放すように怒りを示す事は多い彼女だけど、ここまではっきり怒声といっていいレベルでそれを露わにするのは、多分初めての事で、俺まで息を呑む。

「貴女の気持ち悪い感情と、一緒にしないでっ!」

 度を越えた嫌悪が、そろそろ憎悪に変性しそうな空気感。

 だが、それを前にしてもオーレリアンレルは自らを崩す事はない。

「一緒でしょう? 何がどう違うというのかしら?」

「何もかもが違うでしょう? 貴女が向けているものは好意などではなく、ただの情欲だ。あげく、異性に向けるならまだしも、それを同性にだなんて……本当に、気持ちが悪い」

 強調するように、ミーアは最後の言葉を吐き捨てる。

 ……この世界において、それは酷く常識的な反応だ。

 きっと誰もが同じような感性を持っているし、そもそも俺に向けられた言葉というわけじゃないし、俺自身もその先を求めているわけじゃないのだから、気にするような事でもない筈なんだけど……なんだろう、この感情を明確に拒絶されたような気がして、酷く胸が苦しかった。気分が急激に沈んでいくのを、抑える事が出来なかった。

「これまた、おかしな事を言うのねぇ。男と女になんの違いがあるというのかしら? どちらも同じ肉の塊じゃない。柔らかい快楽か、硬い快楽か、違いはそれだけよ」

「話にならない。もう貴女とは口もききたくありません」

 そうこうしている間に、ミーアが短剣を懐に仕舞ってオーレリアンレルに背を向ける。

 とりあえず事なきは得たようだけど、これから先も似たような衝突が起きる未来がありありと見えているので、これっぽっちも安堵出来ない。

 リッセと最初に出会った時もかなり険悪だったのを覚えているけれど、これは間違いなくあの時以上といえるだろう。まあ、当然と言えば当然なのかもしれないけど。

「……そういえば、あたしが勝つ以外にも、あいつを負かす方法があったわね」

 ぽつりと、リッセが突然そんな事を呟いた。

 その線がまったく見当たらなかった俺が眉を顰めると、彼女はどこか悪戯っぽく微笑んで、

「ミーアが勝てるように、あんたが頑張るって手だよ」

 と、言ってきた。

 思わず、瞬きの回数を増やしてしまう。

 次いで心臓が縮小するほどの焦燥が襲ってきた。

 この流れでの発言である。もしかして、彼女は俺のこの気持ちに気付いている?

 可能性は十分にあるだろう。表に出した覚えはなくとも、無意識まで制御出来るものではないし、リッセはよく人が見えている印象で、でも、だとしたら――

「あたしの番は最後みたいだし、それまでに引き受けるかどうかを決めておけよ」

 そう言って俺から離れて行くリッセと入れ替わるように、少しバツの悪そうな表情をしたミーアが、こちらにやって来ていた。

 ルハの手前か、俺との練習があったからか、こんな空気の中でも演技はやるつもりのようだ。

 その気真面目さに彼女らしさを感じながらも、俺は一体どうしたらいいのかの答えを出せないまま、それは始まろうとしていた。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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