02
長い上り坂をゆったりと歩いていると、ガタン、ゴトン、という音が背後から聞こえてきた。
その音に反応したミミトミアが振り返り、
「あれ、なに?」
と、怪訝そうな表情で訪ねてくる。
ザーナンテさんも口には出さないけれど、物珍しそうな視線をその一両の路面電車のようなものに向けていた。
「カーギィだね」
ゆったりと俺たちを追い抜いていくそれを視界に収めながら、俺は答える。
答えたうえで「せっかくだから乗ってみようか?」という気紛れを起こすことにした。カーギィは都市の主要箇所の多くを巡るので、案内にも丁度良かったのだ。
「走った方が断然速そうなんだけど……」
「ってか、なんのためにあるんだ? これ」
存在理由が不明だと、レフレリから来た二人は疑問を口にする。
魔力を使って超人的な身体能力を多くの人が獲得できるこの世界において、たしかに乗り物の価値というのは俺がいた世界とは大きく異なっている。
それでも存在しているのには、もちろん意味があって、
「魔力特性が身体強化に向かない人が、トルフィネには結構いるんだよ。たしか、ルーゼ・ダルメリア内でも一番の割合とかだったかな」
最たる理由をあげながら、俺は十メートルほど先で停車したカーギィに乗り込み、乗車口に設置されている装置にお金を入れて、その脇の小さな口から出てきた切符を手に取った。
二人もそれに倣って切符を買い、三人で最後尾の席に腰かける。
車内は六割程度埋まっているといった感じだろうか。そして、その中の半数が、俺が先程挙げた理由の人だというのが魔力の色でなんとなくわかった。
残りの半分については、色々と事情が違いそうだけど、多いのは単純に魔力量が少ない人たちだ。
仕事以外で余分な魔力を使いたくない人達が利用している。
「ずいぶんと無駄な事にお金かけるのね。優しいっていうか、なんていうか」
「そういう人たちの多くは、偏った専門家だからね」
つまるところトルフィネにとって重要な生産性を持つ人たちだ。そんな人たちの快適さを向上させる事を貴族たちが優先するのは、この都市ではそれほど珍しい事でもない。
「あと、交通量の整理っていう役割もある。このカーギィが出来るまでは、衝突による死亡事故も多かったみたいでね。……レフレリには、そういう問題とかってなかったの?」
「人が人撥ねるのはしょっちゅうよ。ただ、うちの速度法は結構厳しいからね。死人はあんまり出たことないな。そもそも、身体使う奴等と、魔法特化の奴等で生活階層が違う場合も多いし。――っていうか、法律関係けっこう違ってそうよね。覚える事多そう。あと、地下も少ないし」
「居心地悪い?」
「まあ、少しね。あと数日も過ごしたら慣れるんだろうけど。出来れば、寝泊りする場所は地下が良かったってのが本音かな。そういう場所はなんか全部高いって話だから断念したけど。明るすぎなんだよ、この街」
「そうかな? あんまり大差はないと思うけど」
「そりゃあ、あんたの眼が無駄に良いからでしょう? 誰かさんと同じで」
窓側の席を陣取っていたザーナンテさんを横目に見て、ミミトミアはため息交じりにそう零した。
どうやら彼の方は特にその変化に苦労することなく、この街に適応しているようだ。そしてその事で何度か羨ましがられたのだろう。
「それは、お前が……」
と、ザーナンテさんは少し苛立ったように声を強めて、しかし、途中で言葉を呑み込むように歯を強く噛んだ。
「なによ?」
「なんでもない」
「なにそれ、気持ち悪い」
いっそ喧嘩を売るように、ミミトミアが吐き捨てる。
が、それに対しても、彼は感情を押し殺すように視線を落として、
「……わるい」
ぼそりとそう言って、窓の方に視線を逃した。
その態度に、ミミトミアは苛立ちとも悲しみとも取れる複雑な表情を浮かべて押し黙る。
そうして生まれる居心地に悪い空気。
原因がどこにあるのかと問われれば、きっとそれはザーナンテさんの負い目にあるのだろうと思う。ミミトミアやアカイアネさんががいくら許したとしても、やっぱりすぐに元通りというわけにはいかないのだ。
そんな当たり前の事を再確認しつつ、俺はガタンゴトンとのどかに揺れるカーギィに深く身を預けて、停車の時を待つことにした。
§
トルフィネという都市は、上地区、中地区、下地区の三つに大きく別れていて、上地区とはその名の通り、この都市でもっとも標高の高い地区の事を指す。まあ、身分の高い人たちが多く住んでいる場所でもあるので、そういう意味で上、中、下と認識している人も多い。
主な特徴はとにかく建物同士の間隔が広いという点にあるだろう。当たり前のように庭があり、道路の広さを強調するように街灯代わりの木々なんかが等間隔に植えられている。他の二つの地区と違って、とにかく空間が確保されていて、また緑も多いといった印象だ。
あと、蒼という色が目立つ。というか、上地区以外でこの色を見る事は殆どないといってもいいだろう。
これは貴族の象徴色が蒼だというのが関係していて、彼等以外がその色を身に着ける事を罰する法律なんかがある所為でもある。もっともこれは半ば形骸化していて、実際のところはもうそれを真剣に取り締まったりしている人達なんかはいないみたいだけど、罰金額の高さが影響してか、わりかしちゃんと守られている法律だったりもした。
どうしてこんな法律が出来たのかとかは、あまり知らないので、この辺りの歴史について色々と深堀してみるのも面白いかもしれない。トルフィネにはこういう、貴族の威厳が表立っていた時代の名残のようなものが、結構残されているのだ。
「……っていうか、なんかここって、外みたいだよな」
キョロキョロと周囲を見渡したのちに、ぽつりとザーナンテさんが呟いた。開放感という意味では、確かに納得できる表現だ。
「あたしは外より怖い気がするけどね。うちよりもギリギリじゃない? これ、大丈夫なの?」
空を見上げながら、ミミトミアが零す。
大丈夫というのは人域の事だろう。人が自由に色をつけていい領域が、この上地区はとにかく低いのだ。反面、下には相当な余裕があって、このあたりは地下都市であるレフレリに通じている部分でもあった。
「少なくとも、それが原因で魔物の襲撃を受けたって記録はないみたいだよ。あの屋敷にある蒼色の塔に触れるくらいの高さまで接近して、そのまま通り過ぎて行ったっていう事件はあったみたいだけど」
「どこの都市でも、人域は変わらず偉大ってわけね」
「そうだね」
人にとって人域と呼ばれる領域以外が危険であるように、おそらく魔物にとっては人域こそが危険な領域という事なんだろう。或いは、魚にとっての陸地のように、活動が極めて難しい世界なのかもしれない。まあ、はっきりと証明された事ではないので、あくまで推測でしかないけれど。
「……ところでよ、あれって何やってるんだ?」
不意に、ザーナンテさんの腕が視界の隅に入ってきた。
それが指差す方向に視線を向けると、二十代前半くらいの男女が抱擁を交わしていて、さらにその側面に中年の男性がおり、カメラのように両手にもった掌サイズの透明な石越しに二人を見つめている。
そして「ここはもう少し硬めの笑顔だ。背景を思い出してくれ」という言葉。
そこで、ようやくピンときた。
「……撮影か。初めて見たかも」俺と同じ感想を、ミミトミアが漏らす。「そういやトルフィネって映画が有名なのよね? なんだっけ、ええと『騎士の失敗』とか『熾烈な恋』とか」
「騎士の失態に過激な恋、だ」
ぼそりと、ザーナンテさんが指摘する。
「そうだったっけ? ってか、なに、あんたって映画詳しかったの?」
「いや、映画は詳しくないぞ。全然」
「……それ、あたしが無知だって言いたいわけ?」
むっとしたように、ミミトミアが眉を顰める。色々と噛み合っていない事にストレスを覚えているんだろうけれど、それにしても喧嘩腰だ。
他人同士の問題に絡むのはあまり好きじゃないんだけど、険悪を続けられても困るので、
「でも、さすがに俳優なだけあってカッコいいね。あの人、有名人だったりするのかな?」
と、俺は普段よりやや高い声で、そんな事を口にしてみた。
「え? いや、あたしに聞かれても知らないけど。……ってかなに、あんた、ああいうのが好みなわけ?」
「かっこよくない?」
「…………普通」
数秒ほど相手を凝視し吟味した上で、ミミトミアはそう答えた。
さすがにそれは理想が高過ぎるのでは? と思わなくはなかったけれど、興味がないという点では同じなので、もちろん反論するつもりはない。
「そっか。まあ、言われてみればそうかもね。邪魔になっても悪いし、正直ここって特に紹介出来る場所もないし、次に行こうか」
そう言って、俺はミミトミアの手首を掴んで彼女の意識をこっちに向けるように試みつつ、さっさとこの場を切り上げる事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




