09
二度目の撮影日がやってきた。
集合場所はとある貴族の邸宅。午前中に仕事を終わらせた俺とミーアは、家で最後の通し練習をしてから、その場所に向かって出発した。
「……眠そうだね、大丈夫?」
両手で口を覆いながら欠伸をこぼすミーアに、軽く呆れつつ訪ねる。
昼下がりの暖かな日差しの後押しもあるんだろうけど、目の下の隈から見るに、昨日は徹夜して練習していたようだ。
それ以外考えられないと断言できるほどに、彼女は真剣に演技に打ちこんでいた。短い期間ではあるけれど、その間の取り組み方は下手なプロにだって勝るとも劣らない事だろう。
まあ、正直、ここまで詰めてやるとは思ってもいなかったけれど……。
「問題ありません。この弛緩は本番の時にもっとも集中できる状態にするための、ある種の工程のようなものですから」
淡々とした表情で、ミーアはそう答える。
確かに今から気負っていたら絶対に最後までもたないだろうから、きっと事実なんだと思う。
でも、なんというか、ちょっと屁理屈っぽく聞こえるその物言いが可愛らしくて、ついつい笑みが零れてしまった。
「む、嘘ではありませんよ? 命懸けの戦場に赴く時だって、私はそうでしたし。やれるだけの事は全部やったので、今更焦る必要もないですし」
「そうだね。最初に比べたら、見違えるほどに上達したしね。……ふふ」
言葉を返したところで、不意に記録石で自分の台詞を聞いた時のミーアの反応を思い出して、また笑ってしまう。
いや、あれは本当、見事な百面相だった。
細かな表情の変化はあれど、判りやすく感情を見せることのあまりないミーアが、
『……これ、壊れています。嘘です、あり得ません。大体、私の声、そんなに高くありませんし』
と、現実逃避から入り。
俺の声を聞いたところで、
『レニさまの声だけは、ちゃんと記録されているのですね。どうやら私はこの石に嫌われているのかもしれません。きっとそう、きっと…………うぅ』
途中で自分を騙しきれなくなったのか、その場にしゃがみ込んで、みるみるうちに赤く染まりだした顔を両手で覆ってしまったのだ。
そして、十秒ほど黙り込んだのち、やけに静かな声で、
『ところでレニさま、先程の私の発言は、色々と忘れてくれるとありがたいのですが』
と、提案してきた。
『それなりに上手くやれたとかって言ってたところ?』
『い、言わないでください! 恥ずかしく死にそうなんですから!』
両眼だけはこちらに晒して、恨めしそうな上目づかいと共に上擦った声で叫んだ彼女は、ちょっと涙目だった。
不謹慎かもしれないけれど、もっとそんな顔を見たいと思った。それくらい、そそられるものがあった。
……こんな感情、他の相手にはまず抱かないだろうに。好きな子に悪戯をする莫迦な子供の気持ちを、女の身になった今になって理解したわけである。
まあ、おかげで少し自己嫌悪に陥って、結局余計な事はしなくて済んだわけだが……。
『……一応、覚悟は出来ていたつもりなんですよ? レニさまの反応を見て、自分で思っているよりは良くないのかなって』
その間に血流の乱れを立て直したミーアは、ぼそぼそとそう言ってから立ち上がって、
『でも、これは酷い。酷過ぎる』
と、重々しいため息をこぼした。
それから、小さく頭を振り、
『駄目です。いけません。落ち込んでいる暇などないのです。小馬鹿にされるだけならまだしも、もし憐憫なんてものまで向けられたら、立ち直れません。それだけは、なんとしてでも避けなければ……!』
そこで、強い決意をもった眼差しを俺に向けて、
『練習をしましょう。練習あるのみです。そうすればきっと、人並みくらいには届くはずです。才能というものは、一流とそうでないものを隔てるものであって、誰にだって成長する余地はあるはずですから…………ええ、きっと!』
そんなこんなで、想定よりも遙かに密度の高い特訓が始まり、今の状態に至ったというわけだが――
「レニさま、今失礼な事考えていませんでしたか?」
現実のミーアが、不審感を露わにこちらを見つめてきていた。
少し、回想に浸り過ぎていたようだ。
「それは気のせい」
「本当ですか?」
「私が考えていたのは、きっとリッセは期待通りにいかなくて、つまらなそうな顔をするんだろうなって事かな。それって、ちょっとしてやったりって感じでしょう? まあ、さすがに悔しがらせたり驚かせたりするのほどの出来とは言えないから、それ以上を求めるのは難しいだろうけどね」
適当な言葉を返しながら、十字路を左に曲がる。
「それは、確かにそうですね。私もそこまで自分が上手くできるようになったとは思っていませんし…………ところで、今日の撮影場所はルハさんの屋敷ではないのですか? 貴族の邸宅という話でしたから、てっきりそうだと思っていたのですが」
「あぁ、彼女の屋敷だと城内というには少し狭いだろうって、リッセが別の場所を押さえたみたい」
俺が外で狩りをしている最中に、ラウの音の魔法によって届けられた情報だ。
正直、リッセの魔法があれば場所の広い狭いなんていくらでも工夫できるとは思うので、必要な事項というわけではなさそうなんだけど……
「私の知っている相手でしょうか?」
「そうだね、名前だけなら知っていると思うよ」
「レニさまは、足を運んだこともあるのですか?」
「うん、一度だけね」
「あまり好ましい相手ではないようですね」
「そういうわけでもないよ。ただ、色々と気を遣う相手ではあるかな」
その言葉で、思い当ったのか、
「もしかして、ドルノ・スクイリズ、ですか?」
と、ミーアは一発で正解を引き当てた。
まだ俺とミーアが他人行儀だった頃、自分の娘を殺すという選択を取らなければならなかった人物。
彼が今どういう状況に置かれているのかは知らないけれど、その件とけして無関係でなかった身としては、やっぱり色々と難しいところがあるのだ。
リッセは一体どういう理由で彼を巻き込んだのか、想像するだけでそれは不穏で……
……哀しいかな、その想像は見事なまでに的中した。
いや、むしろ遙かに上回る形で、現実は廻っていたというべきか。
屋敷に辿りついた俺たちを待ち受けていたのは、正真正銘の修羅場だったのだから。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




