04
最初のシーンは城を抜け出した姫と騎士との出会いで、場所は繁華街という事らしかった。
「ここでゴロツキに絡まれているお姫様を颯爽と駆けつけた騎士さまが助け出すの。でも、まだゴロツキ役は見つかってないから、それは後回しなの」
手にしている自身の脚本に目を通しつつ、ルハは言う。
まあ、この手の話ではよくある展開だし、特に問題はなさそうだ。ただ一つ、今はまだ昼時で繁華街にはさした活気もなければ不穏さもなく、そういう厄介に見舞われる感じがまったくしないという点を除けばだが。
「……たしか、音とかはあとから付け足せるんだったわよね」
リッセがそう呟いた途端、瞬き一つの間に世界が一変した。
彼女の魔法によるものだろう。幻影とはとても思えない完璧は夜空が、繁華街の一部を包み込んだのだ。それに合わせて起動する街灯の揺らめきにも何一つ違和感はなかった。さらに通行人の数まで二倍近くに増やし賑やかさまで付け加えて、文句のない舞台が出来上がる。
「な、なんだ?」
「おいおい、急に夜になったぞ。誰の仕業だよ?」
「ちょっと、あぶなっ――て、す、すり抜けた……!?」
「やった! 仕事終わり! 私帰宅します! いやぁ、時間が跳ぶとか最高の異常事態じゃんかよ!」
突然の事に、その場にいた多くの人が各々反応をみせる。
一人だけやけに喜んでいたのがちょっと気になったけれど、それはさておき、ずいぶんと派手なことをするものである。
「いいの? そんな簡単に披露して」
この世界において、魔法というのはそれを所有している人間の価値そのものといってもいいほどに重要だ。特に、リッセのように裏の世界で生きている人間にとっては生命線ともいえる筈。
「別に特別な事はしてないからね。周りの奴等無視した雑な仕事だし、隠すものなんてなにもないわよ。これくらいなら、別の奴でも出来るだろうし」
「本気でそう思っているのなら、それはそれで傲慢だと思いますが……どちらにしても、迂闊な行為になりそうですね。隠した方が良かった」
どことなく面倒そうな調子で、ミーアが口を挟んだ。
その直後、
「リッセ・ベルノーウ! 貴様、一体なにをしている!」
「事と次第によってはただでは済まさないぞ!」
と、注目を一身に浴びる大声をあげながら、三人の男たちがこちらに近づいてくる。
見知った顔ではないけれど、どういう職業なのかは格好ですぐに判った。
彼等は騎士だ。つまり、ミーアの勤務先の人間である。ただし、彼女の事は知らないようだ。
一方的にミーアだけが認知しているという事は、それなりに有名人という事なんだろう。まあ、反応からみて、悪い方面でといった感じのようだけど。
「公衆の面前で人の名前叫ばないでもらえるかしら。――殺すぞ? お前」
刃物のように鋭く目を細めながら、リッセが微笑む。
いつのまにか左手にナイフを握りしめているのは……うん、いつもの事だ。
次の反応次第で相手にそれが刺ささるのも想像に容易いが、さすがに真っ昼間(夜の風貌をしてはいるけれど)の大通りで殺傷沙汰というのは、笑い話にもならない。
というか、すでに捕まりそうな事をしているので、どうあっても笑い話にはならないんだけど。
「じょ、上等だ! 脅迫と公務執行妨害でもう一度逮捕してやる!」
リッセの脅しに気圧されながらも、リーダーと思わしき真ん中の騎士が腰の剣に手を掛ける。
だが、それが鞘から抜かれる事はなかった。恐ろしいほどの自然さで彼に接近していたオーウェさんが、剣の柄をおさえていたからだ。
「いけませんな、騎士ともあろうものが、状況を確認もせずに決めつけで動いては」
「な、なんだ貴様は! 邪魔立てするな!」
「邪魔とは心外ですな。これ以上ないくらいの善意だと思うのですが……」
と、そこでオーウェさんはもう片方の手を鋭く動かして、騎士の首に後ろから迫っていた真っ黒なナイフを白羽取りした。
あと一歩遅かったら頸動脈が切り裂かれていた事を物語るように、つぅ、と首筋に血が伝う。
同時に、背後でなにかが倒れる音が二つほど響き、続けてそこから呻き声が聞こえてきた。
どうやら、先に取り巻き二人を黙らせていたらしい。そして今俺の傍にいるリッセは、ただの映像という事なんだろう。
なんとなく、それを確認しようと軽く肩に触れてみる。
当然のように、手ごたえはない。本当、いつ動きだしていたのやらだ。
「……そうですな。余計なお世話というのは私も望むところではありませんし、この手は離すことにしましょうか」
「ちょ、ま、待て! 待って!」
焦ったように騎士が声を放つが、オーウェさんは容赦なくその手を離す。
が、ナイフが彼の命を奪う事はなかった。リリカとルハの手前、殺すという残虐行為を見せたくないというオーウェさんの意図を汲み取っての事だろう。
「どうやら、問題は無事に片付いたようですね。別に死なれても困りはしませんでしたが」
恐怖に屈したかのようにその場にへたり込んだ騎士を冷めた目で見つめながら、ミーアが呟く。
なんとも辛辣な物言いだ。
「そんなに問題児なの?」
と、俺は小声で訪ねた。
するとミーアは口元に手をあてて、言葉を探すような少しの間をおいてから、
「そうですね、けして悪人ではないのですが、正直目障りな人種です。救いようがないほどに弱いという事実を受け入れる事もせずに、ろくな強制力もない正義を振りかざし、そして今回の件みたいに、ただ被害だけを撒き散らす。いわゆる、騎士団の権威がまだ生きていた頃の感覚を捨て切れていない者達ですね。頭の痛くなる話なのですが、騎士団には一定数こういう輩が存在しています」
なるほど、それは確かに迷惑な存在だ。
尻拭いをしなければならない人達にとっては、害悪でしかないだろう。
なんて思ったところで、
「そうだルハ、いい事思いついたわ。こいつらゴロツキ役にしない? ちょうどいい人相してるし、手足の三、四本へし折っても何の問題もないし、最適なやられ役だ」
金色の双眸を加虐に濡らしながら、リッセが言った。
そして、騎士の髪の毛を掴んで、強引に自身の方を向かせて、
「あんたも、それで文句ないわよね?」
「な、ないわけないだろう! この悪党がっ……!」
この状態でも口答えする騎士は、ある意味で根性があるのかもしれない。
けれど、哀しいかな彼の運命はそれで好転するようには出来ていないらしく、
「――今日のリッセ・ベルノーウは、ずいぶんと行儀がいい」
第三者の声が、さらなる絶望を運んできた。
「ヴァネッサ…………に、ゼベか」
振り返ったリッセが、つまらなげに呟く。
その言葉通り、そこには髑髏の衣装を纏い片手に杖をもった女性と、端整な顔立ちの一人の青年の姿があった。
「今の、引っ掛かる反応だな。何故僕の名前を呼ぶのに間を置いた?」
攻撃的な魔力を滲ませながら、ゼベさんが目を細める。
凄まじい圧力に、膝をついている二人の騎士は顔を真っ青にしていたが、リッセは涼しいままだ。
「そりゃあ、どうでもいいからだろう? 名前がすぐに出てこなかったのよ。そういうの、莫迦じゃないなら察して欲しいところなんだけど――それはそうと、あたしが行儀いいって、どういう意味かしら?」
「君なら、悪役全てを騎士団に担ってもらうくらいの事は言うと思っていたのでね」
どこまでも穏やかな調子で、ヴァネッサさんが答えた。
すると、リッセは目を丸くして、
「それいいな。面白そう」
「……見つけたの。ぴったりなの」
そこに、ルハの呟きが重なった。
見つけた? ぴったり? ……なんだろう、それはつい先日も耳にしたようなワードで、非常に嫌な予感がした。いや、これはもはや確信というべきか。
「あ、あの、ヴァネッサさん! ルハの映画に出て欲しいの! よろしくお願いしますなの!」
とことこと無防備に彼女の元に駆けだして、ルハはその手を両手で握りしめた。
これには意表を突かれたのか、ヴァネッサさんもきょとんとした反応を見せ、隣にいたゼベさんは、こめかみに青筋を立て、
「おい小娘、あまりくだらない言葉を並べるようなら、その舌切り落として――」
「あぁ、構わないよ。それも面白そうだ」
ルハの手を包み返しながら、ヴァネッサさんはにっこりと微笑んだ。
そして怒り心頭だったゼベさんに視線を向けて、
「ゼベ、怖い顔をしてどうかしたのかな?」
と、不思議そうな顔をみせる。
「い、いや、別になんでもないですが………あの、本当に、やるんですか?」
「演技力というものは色々な場面で活用できる技能だ。これを機に、君も挑戦してみるといい」
「あ、貴女が、それを望むのであれば……」
やや引き攣った声で、ゼベさんが頷く。
「ふふ、君はいつも従順で可愛らしいな。愛しくなるよ」
「い、愛し……!?」
びくっ、とゼベさんの身体が反応した。
いっそ感心するくらい、判りやすい感情である。
でも、それにまったく気づいていないかのような無関心さで、ヴァネッサさんは彼の反応を流して、
「という事で、彼の参加が条件となるが、構わないかな?」
と、ルハに向けて言った。
「もちろん構わないの」
「それは良かった。それで、私の役はなんだろう?」
「騎士団長なの。お髭がとっても似合ってるの」
ニコニコと実に無邪気な笑顔で、ルハが答える。
ぴったり、で髭を生やした男の役を求めるって、捉え方によってはかなり失礼になりそうで、他人事ながら非常に重たい緊張を覚えた。
が、そんなものは杞憂とばかりに、
「ふ、ふふ、はは」
と、ヴァネッサさんは声をあげて笑った。
口元に手をあてて、少し目尻に涙まで溜めて、それは心底可笑しそうで……
「……あぁ、いや、すまない、久しぶりに笑ってしまったよ。君は微笑ましいな。あぁ、了解した。実に皮肉の利いた配役だ。しっかりと務めさせてもらうとしよう」
どうやら、そっちに受け取ってくれたようだ。
その事実にほっと胸をなでおろしたところで、ヴァネッサさんはふっと笑みを引っ込めて、
「ところで、君はなにをしているんだ? 話は纏まっているのだから、一刻も早く上司をここに連れて来るのが義務だと思うのだがね」
と、騎士に向けて冷たく言い放った。
「そんな事が判るくらい優秀なら、そもそも絡んでこないでしょう?」
蔑みを露わに、リッセが吐息を零す。
「ふむ、それもそうか。申し訳ない、どうやら酷な事を言ってしまったようだ。では、丁寧に伝えよう。君の同僚である彼等は人質だ。君が上司を連れて十分で戻ってこなければ二人とも処刑する。そのあとで君と上司も殺す事にしよう。親類縁者も皆殺しだ。誰一人生かしておかない。これで理解出来たかな? ほら、時間は止まってくれないよ? 急がないと」
優しくゆったりとした口調で言って、ヴァネッサさんは騎士の肩をトントンと叩いた。
「――う、あ、あああああ!」
パニックを起こしたように悲鳴を上げながら、騎士が駆けだしていく。
「あの速度なら、二分くらいで戻ってきそうだな」
後ろ姿を見つめながら、つまらなそうにリッセが呟いた。
「上司の説得に八分でちょうどいいね。それは君に任せるとしよう。私は交渉が苦手なのでね」
「……」
もう、なんというか、とんでもないやりとりである。
裏社会の大物が二人絡むと、こういう会話にしかならないという事なのか。……いずれにしても、これは色々と凄い映画になりそうだ、と俺はこの先に展開に少し気を引き締めつつ、とりあえず問題を起こす側にはならないように自分のするべき事はちゃんとやっておこうと、ルハに脚本を見せてもらう事にした。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




