03
「はぁ……」
ルハの屋敷の客室に、憂鬱そうな吐息が零れた。
今ここには俺とミーアの二人しかいないので、誰のものなのかは明白だ。理由も大体見当がついているので、特に触れたりはしない。
ソファーに腰かけ、持参した文庫本を読みながら、俺はキャストが揃うのをのんびりと待つ。こういう時間の潰し方というのは心得ているので、苦痛を感じる事もない。
「……レニさまは、本当に乗り気なのですね」
そのスタンスが不満だったのか、左手から愚痴るような声が飛んできた。
視線を向けると、声以上に恨めしそうな眼差しと、どことなく不貞腐れているような表情が迎えてくれる。
「そんなに意外だった?」
苦笑気味に、俺は言葉を返した。
「はい。まさか、あんなにあっさり了承するとは思っていませんでした。引き受けなければならない理由なんて、どこにもありませんでしたから」
「確かにそうだね。でも、断る理由もなかったでしょ? 基本的に昼以降の予定は空いているしね」
「それは、私もそうですが……演技なんて……」
よっぽどやりたくないらしい。
まあ、その気持ちは判らないでもないし、無理して参加するようなものでもないとは思うので、
「今からでも辞退する? 本気でやりたくないなら、ルハも諦めてくれると思うけど」
「……でも、レニさまは参加するのですよね?」
俯き加減に、ミーアが訪ねてくる。
「そうだね。私は別に演劇って嫌いじゃないし、たまにはこういう催しがあってもいいかなって思ってるから」
「私も別に、彼女に付き合う事が嫌なわけではないです」
「それじゃあ、裏方の方をやりたいとか、そういう提案をしてみる?」
ルハはぴったりな役がどうとか言っていたけれど、別に本気で優れた映画を作る事を目的にしているわけじゃないだろう。……いやまあ、まったくそのつもりがないとは言わないけれど、彼女は多分誰かと一緒になにかをしたいんだと思うから、その提案自体は簡単に通りそうな気がしたし、そこに問題がないならこれ以上の解決策もないような気もする。
だが、ミーアはそれに首をふって
「私だけ仲間外れは、嫌ですから……」
ぽつりと、そんな事を呟いた。
それは実にミーアらしいような気もしたけれど、同時に切実さとはちょっと違う、どこか子供っぽい感じもして――
「――そうよね。裏方じゃあ役の話題になった時、上手く関われなくなりそうで寂しいものな」
突然、からかうような声が割り込んできた。
そして遅れて視覚に入ってくる朱色の髪。
キャストの一人に挙げられていた、リッセ・ベルノーウの登場である。
ソファーの後ろから俺とミーアの間に顔を出した彼女は、弾かれたように身体をのけぞらして距離を取っていたミーアに愉しげな笑みを向けて、
「それにしても、あんたっていつも隙だらけね」
「……そういう貴女はいつも無礼千万ですね」
腰の細剣の柄に手をかけながらミーアは低く押し殺した声を吐き出し、それから忌々しげに息を吐いた。
「というか、悪い冗談だとばかり思っていましたが、貴女も参加するのですね。一体どういうつもりですか?」
「どうもこうも、面白そうだったから以外に理由なんて要るのか? まあ、あんたは違うみたいだけど」
「貴女さえ居なければ、私も多少は前向きに臨めていました」
「だろうな。あたしと比べられたら凹む事しかできないだろうし、誰だって惨めにはなりたくないものね」
「誰が貴女相手に劣等感など抱くものですか。自惚れも過ぎると痛々しいですよ」
「自惚れかどうか試してみるか?」
悪戯っぽい笑顔で、リッセが言う。
対するミーアはすまし顔で、
「くだらない。安い挑発ですね。私はそこまで暇ではありません。構って欲しいのなら他を当たってください」
しっし、と野良猫でも追い払うかのように左手を振ってみせた。
相変わらず仲の悪い二人である。ただ、以前のような殺伐とした空気は感じられない。
「あ、そ。じゃあ、そうするわ」
リッセは軽く肩を竦めてから、軽やかにソファーを飛び越えて俺の膝の上にお尻から降ってきた。
突然現れた事には特に驚きもなかったけれど、この行動にはさすがに少し面食らってしまう。
それが、顔に出るより先に、
「な、なにをしてるのですか!?」
というミーアの怒声が、室内に響き渡った。
動揺を物語るように、その声は少し裏返っている。
「見ての通り、じゃれてるんだよ。他の相手とさ」
そう言って、リッセは俺の首に腕を回して、身体を密着させてきた。
甘い匂いが鼻腔をくすぐる。香水かシャンプーだろうか。そういえば、今日は珍しくスカートを穿いているようだ。普段から別段ボーイッシュな格好をしているというわけではないけれど、基本的にはパンツスタイルが多い印象だったので、少し新鮮な感じだった。まあ、それが役を見越しての事なのか、ただの気分で選んだのかは判らないけれど。
「……今すぐ離れなさい。馴れ馴れしいにも程がある」
眼を細めて、ミーアが低く押し殺した声で言う。
だが、リッセは相手にしない。
「でも、確かにちょっと意外だったわね。あんたってこういう遊びとか渋りそうな印象だったんだけど――いや、あの莫迦のしつこさ考えれば妥当なところなのかしら? ふふ」
と、俺の方を真っ直ぐに見ながら、甘い声色で囁いてくる。
そのやりとりを聞いていたという事は、こちらが入って来る前からこの部屋にいたというわけだ。だとしたら、気付けないのも無理はないが。
「お待たせしたの! 準備が完了したの!」
ばたんと勢いよくドアが開かれて、ルハが姿を見せた。
隣にはリリカがいて、その背後にはオーウェさんの姿もある。
誰もリッセの存在にリアクションを見せないあたり、彼女が先に来ていた事は口止めされていたようだ。そうして隙だらけのミーアをリッセは拝むことが出来たと……まあ、可愛いドッキリなので、特に怒るような事でもない。
「今日必要な役者さんはこれで全部だから、早速外に行くの! 撮影開始なの!」
「ちょっと待て。その前に色々と説明するのが先だろう? ルハ。あたし、まだ何の役するのか聞いてないんだけど?」
呆れたようにリッセが言った。
「私たちもそうだね」
と、俺もその苦言に加担する。
「おぉ、そうだったの! すっかり忘れていたの!」
「っていうか、そもそも脚本とかって出来てるのか?」
「前半は出来てるの。後半はこれから考えるの」
リッセの質問に、ルハはそう答えた。
見切り発車だとは思っていたけれど、本当に見切り発車だったようである。
そこに妙な安心感を覚えつつ、俺は訪ねた。
「大まかには、どんな話になる予定なの?」
「悪い奴をやっつけて、騎士とお姫様が幸せになるような感じかな」
「へぇ、まあいいんじゃない。で、主人公はどっちなわけ? 騎士? それともお姫様?」
俺の膝から降りつつ、リッセが確認する。
「もちろん騎士さまなの。レニにぴったりな役なの!」
「……え? 私、主役なの?」
それはさすがに想像していなかった。
当然、心構えも出来ていない。
「そうだよ。とっても凛々しい騎士さまなんだから」
「それってつまり、男装の麗人ってこと?」
「ううん、男の人。女の人より綺麗で有名なの。皆の人気者なんだ。あと実は大食いで甘いものが好き」
どうやら、そういう設定らしい。
「男装の方が面白そうだけどな。色々と」
と、リッセが茶化す。
それが不快だったのか、ミーアが小さく鼻を鳴らした。
「面白いわけないでしょう? ……それで、姫役は誰がするのですか? ルハさん、貴女ですか? それとも――」
「お姫さまはリッセなの。すっごくドレスが似合いそうだって思ったから、即決だったの。ということで、よろしくお願いしますなの」
ルハは小走りでリッセの元に駆け寄り、その手を両手で握りしめて、満面の笑みを浮かべた。
「へ? あたし?」
こっちも、それは想定していなかったようだ。
リッセはきょとんとした顔を浮かべて、思案するように首を軽く傾けてから、
「まあ、いいけどね。……それで、そのお姫様はどんな感じなわけ? おしとやか? それともお転婆?」
「そのあたりはお任せするの!」
「わかった。じゃあ、内容見てから合いそうな奴にするわ」
と、ルハの無茶な要求にさらりと応え、こちらに向けて「よろしく」という意味を込めてだろう、ウインクを一つしてきたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




