レニ・ソルクラウの街案内 01
この章はトルフィネ関係の設定資料集に近い仕様となっております。
全体的にまったりと進み、大きな動きなどはなく終わる予定なので、箸休めのおさらい回としてお付き合い頂けると幸いです。
今日の狩りは比較的早く片付いた。
心臓を穿って絶命させた三メートル程度の四足魔物の前足を掴んで、ずるずると引きずりながら、俺はのんびりとトルフィネへと踵を返していく。
その道中、ふと空を見上げると、雨雲が都市の頭上を覆っているのが確認できた。
「……あぁ、そういえば、今日は雨の日か」
四時(午前八時くらい)から六時までの間の二時間ほど、街を洗浄するために大規模な魔法が行使されるのだ。
雨は週に一度降る事が決まっていて、時間は不定だが前日に新聞などでも提示される。
まあ、他人の都合が大いに絡むものなので度々開始時刻が変更されるのだけど、今回は時間通りに実行されそうだ。なら、歩調を変えない限りは特に問題ないだろう。多分、街に帰る時には雨も止んでいるはず。
俺は、隣街への方位だけを示す途切れた街道を視界に収めたところで、張り詰めていた神経をゆっくりとほぐしていく事にした。
街道というのは、人域が近くにある事を示す目印のようなものだ。基本的に舗装された道が残っている一帯にはそれほど脅威となる魔物はいない。このあたりはもう、大勢の兵士たちの縄張りだ。
それを物語るように、足を止めて耳を澄ませてみると、あらゆる方位から彼等の愚痴であったり、悪態であったり、雑談であったりが届いてきた。
彼等の多くは、これから魔物を狩りに出向くんだろう。
「……ふぁ、ぁ」
慣れと飽きからくる弛緩した空気に中てられてか、急に込み上げてきた欠伸を条件反射的に義手で隠しつつ、聴覚を元の状態に落として歩みを再開させる。
そしていつものように外壁の傍の解体場に立ち寄って寄って、仕事の締めを行うべく、馴染みの解体師さんを探す事にした。
「――あぁ、ソルクラウさん、こっちですよ!」
どうやら、向こうの方が先に見つけてくれたみたいだ。
声の方に視線を向けると、解体師のムスクさんは丁度来たばかりなのか、無数の刃物を包んだ風呂敷を地面に広げているところだった。
「今日の出勤は遅めな感じですか?」
「ええ、家内が寝坊しましてね。彼女頼りな私も仲良く遅刻ですよ。その所為で、あわや上客に逃げられるところでした」
「あと三十分遅かったら、そうなってたかもしれませんね。……お願いします」
苦笑気味に言葉を返しつつ、俺は手数料である八百リラを手渡した。
それを受け取ると、ムスクさんは両手に持った刃物を一度くるりと回転させてから、テキパキと魔物の解体を始めていく。
「……しかし、ここ最近多いですね。昨日も七体ほどバラしましたよ。こいつは」
「そうなんですか……」あまり狩られる事のない魔物だから結構な値をもっていたのだが、どうやら俺がレフレリに行っている間に状況が変わったらしい。まあ、これといって珍しい事でもないが。「……値下がり、起きそうですかね?」
「おそらくは。最悪、二日後くらいには半額になっているかもしれません。まあ、また一月もすれば元に戻ると思いますが」
「そうですか。じゃあ、別の獲物を狙ったほうが良さそうかな」
「今のおすすめは、ゾジャクあたりですかね。なにせ今週一体も狩られていないようなので、数日中にはきっと倍くらいに跳ねあがると思いますよ。まあ、保証はしませんが」
「ゾジャクかぁ……」
名前くらいしか知らない魔物だ。あとで図書館に寄って調べてみよう。
そんな感じに今後の予定を立てつつ、世話話をしつつ、解体が終わるのを待つ。
ムスクさんの仕事は相変わらず綺麗で、二十分ほどで売物になる部位が摘出されて、それらは袋に収められることになった。ちなみに、袋はサービスである。
「お待たせしました」
「いえ、今日も速い仕事でした。それじゃあ、また明日もお願いしますね」
その袋を受け取って、俺は解体場を後にした。
§
雨に打たれたトルフィネの街は、白陽の光を反射して宝石のようにキラキラとしていた。
水たまりを踏む音も所々で鳴り響いていて、なかなかに心地のいい。まあ、そう感じているのは、恙なく仕事を終えて、想定していた通りの値段で獲物が売れたというのが、一番の要因ではあるんだろうけれど、なんとなく今日はいい日になりそうな気がした。
具体的に言うと、読書が捗りそうといったところだろうか。
いつもなら一度家に戻ってミーアと一緒にお昼といった流れになるのだけど、今日彼女は騎士団と冒険者の合同訓練の件で夜まで帰ってこれないので、今から夕方まで図書館に篭るのも悪くない。
……あぁ、でも、さすがに昼食を抜くのは良くないか。お腹が鳴ったりでもしたら、それはそれで恥ずかしいし、この辺りは軽く摘めるものも多く売っているので、そういったものを適当に買って、少し下品かもしれないけれど食べ歩きながら図書館に向かうとしようと周囲に視線を流していると、見知った顔が視界に入ってきた。
ミミトミアとザーナンテさんの二人だ。
右に行ったり左に行ったり、ウロウロしている。
最初は店か人でも探しているのかと思ったけれど、不安そうというか、居心地悪そうな様子で、なんだかそういう感じでもなさそうだった。
一番しっくりくる言葉としては、迷子、だろうか。
いや、でも、レフレリみたいに複雑な多重構造をしている都市でもあるまいし、三十メートルくらい垂直跳びすれば、上から現在地点も見下ろせるのだ。さすがに、それは相手の事を見縊り過ぎ――
「あぁ、もう、ここどこだよぉ……!」
「俺に言われてもな。こっちだって言ってずんずん進んでったのお前だし」
「あんたも違うって言わなかったでしょ!」
「言ってもどうせ聞かないだろう? 昔も今も」
「そんな事――」
断言はできなかったのか、そこで気まずそうに言葉を詰まらせ、ミミトミアは話題を逸らすためか視線を彷徨わせて、
「――あ」
眼があった。
あってしまった。
ここは優しさをもって、その前に離脱するべきだったと反省しなければならないだろう。
事実、ミミトミアは嫌なところを見られたって感じの、苦虫を噛んだ表情を浮かべていたし……うん、今からでも見なかった事にして彼等の視界から消えるのが最良かもしれない。
が、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに、
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
と、背中を向けた俺に向かって焦ったような声が飛んできた。
おかげで読書の時間が確実に減る羽目になったわけである。その事実にげんなりしつつ振り返ると、二人は小走りにこちらに近寄ってきていた。
「っていうか、逃げようとするとか感じ悪くない?」
「声かけてきたって事は、本当に迷子みたいだね」
「う、うるさいっ! 仕方ないでしょう? まだこの街に来たばっかなんだから」
「それは判るけど、だったら人に聞けばいいでしょ? 周りにいっぱいいるんだし」
「そ、そんな恥ずかしい事出来るわけないだろ?」
顔を仄かに赤らめて、ミミトミアはぼそぼそと言った。
正直、よく判らない感性だ。次に会う事を考える必要もない他人よりも、知り合いに汚点が知られる方がよっぽど恥ずかしいし、厄介な事だと思うのだが……。
「それで、どこに行きたいの?」
ため息交じりに訪ねると、ミミトミアは「組合」と答えてから。
「だ、だけど、その前に色々案内しろよな。逃げようとした罰に!」
怒ったようにそう言ってきて、でもさすがにそれだけだと不味いと思ったのか、
「ひ、昼、奢ってやるから!」
と、付け加えた。
正直、とりたてて魅力的な提案ではなかったのだけど、今後もまたこの迷子を見かける事態を残すのもあれだし、読書は今日じゃなくても出来る。それに、この二人の関係性が今どんな調子なのかも、少し気にはなっていた。
「広場の傍にあるお店」
「……そこ、もしかして高い?」
「野菜を頼まなければ、そこまではかな。味は保障する」
「じゃあ、それでいいや。野菜は驕らないからな」
「交渉成立だね。それで、どこから案内すればいい?」
「とりあえず、上地区? ってところから順番に、ええと、お願いします」
最後の最後で急に殊勝な物言いをする彼女に少し笑いつつ、我ながら現金だとは思うけれど、ちょっとやる気が出たので、前向きに案内を開始する事にした。
次回は三日後に投稿予定です。
よろしければ、また読んでやってください。