購入と見せつつ契約2
「と、とりあえず、立ってください」
目を合わせないように手を差し伸べる。
アランは戸惑いながらも私の手を握り返し、静かに立った。私よりも頭一つ分高い身長で、私はアランを見上げた。
「アラン。あなたはもう奴隷ではない。だからといって、私の従者になる必要も無い。あなたは私を主として崇めなくてもいいし、下手に忠誠心を誓わなくてもいい。私とあなたは対等です。覚えていてください」
彼を買った時、誓ったことがある。誰に誓ったなんてそんなものはどうでもいい。私のケジメだ。アランは奴隷から解放され、私は一個人として、アランに接しようと決めたのだ。家畜のような扱いなど言語道断。彼に個室を与え、朝昼晩の食事を保証し、お給料を出す。労働は一日8時間以内に収め、週に2日必ずはお休みを与える。一応、私の知っている地球での労働基準法だ。細かいところはきっと違うのだけれど。
「これからは、私とあなたは雇用契約で結ばれます。あなたには最低限の生活基準を約束しましょう。お給料も出します。その代わり働いてもらいます。ですが安心してください。労働時間は多くても8時間です」
杖を振り、契約書を出す。
「雇用契約と言っても、アランと私はあくまで対等の存在。一個人の権利を有します。どちらの立場が上というのはありません。いいですね?」
アランは聞いているの聞いていないのか、口を半開きに唖然としている。
「いいですね!?」
この世界で雇用契約なんて概念はない。労働基準法など以ての外だ。全ては雇用主の恩恵と、奴隷商の規則のみ。私の地球から持ってきた常識は通用するわけがない。そんなことはとっくのとうに知っているが、受け入れられるものか。私は私。アランはアラン。彼は今、一個人としてカウントされた。世界がそれを拒絶しても、少なくとも私の中では、彼はアランという一人の人だ。そして、彼の美しい顔は未だに現状を理解していないような色をしている。
「あなたは一個人です。この話が嫌ならば、拒否してもいい。あなたには選ぶ自由がある。今から、私の言う条件下で労働したいという意思があるならば、この紙に名前を。拒否するなら破り捨ててください」
「…」
本当にわかっているのだろうか…。目を見開いたままアランは頷いた。
「まずは先程言った通り、最低限の生活は保証します。アランには個室で寝泊まりして頂きます。そして仕事内容は畑の整理、薬草の採取、鉱物の管理です。労働時間は8時間以内で、1週間に2日お休みを与えます。食事も用意しますが、あなたの食費は給料から抜いておきます。そして、給料ですが…」
「ま、待ってください」
出し慣れてない声で、給料の金額を遮った。
「…。やはり、厳しいですよね。そうよね…。住み込みで、危ない森の中で労働なんて…」
「違うんです!」
アランは俯いて言い放った。
「イツキ様は私を救ってくださいました。あのままだったら家畜として、売られていたことでしょう。あの場所から買ってくださっただけでも、命の恩人ですのに、声までも取り戻して頂いて…。一個人として認めてくださった…。感謝で言葉も見つかりません。イツキ様の役に立てるのなら、仕事を下さるのなら、喜んで行います。お給料もいりません。なので、どうか、どうか、私をイツキ様のお傍に置いてくださいませ…」
絞り出すような声だった。俯いていて顔は見えないが、拳を固くにぎりしめていた。まさか、アランから申し出てくれるなんて思ってもいなかった。カルニア国から逃げてきたんだ。それに加え魔力がない。きっと、この話を拒否してどこか遠くに逃げるのだとばかり思っていた。まあ呪いを解いたのは恩を少しでも売ろうという考えの元だったのだが…。それにしても驚いた。拳を握りしめて、肩を震わせながら、深く頭を下げる。
予想外の言葉と行動に、私は戸惑わずには居られなかった。
しばらくの沈黙が流れ、正気を取り戻す。
「では、この契約書にサインしていただけるということですね?」
予想外すぎて、思考が一瞬止まったが、つまりはそういう事だろう。なのに彼はサインをしようとしない。
「何か不満でも?要望があるなら付け足しましょう」
契約書とペンを手にして、アランの言葉を待った。
「アラン?」
「どうか、給料という項目を削除していただけませんか?それと、個室はいりません。馬小屋で構いません。一日一食で事足ります。休日も必要ありません。どんな状況でも働けます」
「ちょちょ、待ってよ!」
アランの要望を遮り、彼の言葉を整理する。給料も部屋も休日もいらない。食事は一食でいい。そんなの奴隷と大して変わらないではないか。私がなんのためにこの項目を作ったのだ。奴隷を解放し、安全な労働をさせるためではないか!自ら進んで奴隷と同じ環境を望むなど…
「却下します」
「イツキ様!?」
「これは私個人の意思です。あなたには真っ当な生活を送ってもらいたい」
あの森で暮らす時点で真っ当とは言い難いが…
「最低限の生活は私が保証します。あなたが自分自身の意思で私の元に居たいというのなら、奴隷のような生活など言語道断です。受け入れてくださいますね?」
改めて彼に契約書を渡し、サインを求めると、彼は瞳を潤わせながら、ペンを取った。
「よろしくね。アラン」
こうして、アランとの雇用契約が、この薄暗い路地裏で結ばれたのだ。