不器用にもほどがある
その後会議は微妙な空気の中淡々と進み、定時には解散となった。
わたしは───ここでもダメなのかな。どんなに頑張っても所詮は他人で、仲間にはなれないのかな。自分の居場所が欲しいなんて理由で頑張るのは偽善だと思わない訳じゃなかったけど……突きつけられると、やっぱり痛い。
夕暮れの道をカンテラを片手にうつむきかげんに歩いていると迫っていた足音が、背後でぴたりと止まった。ふいに二の腕を掴まれ、体がよろける。道の両端は野原で腰までの高さまで伸びた雑草が生い茂っている。
すわ変態か、引きずり込まれる前に撃退しなければ! と思って緊張気味に振り返ると恐ろしい顔をしたリュークがいた。
背後に見えないはずの吹雪が見える。
「ひっ!」
驚いて指先にぶる下げるだけにしていたカンテラを落としそうになった。男前が台無しなほど恐ろしい形相だ。
「び……くりしたぁ」
心臓が飛び出したらどうしてくれるんだと不満を口にしかけて口をつぐむ。燃えるような夕日は数分前に西の空に沈んだ。暗がりの中でじっと見下ろす目が悪魔を連想させて頬が引き攣る。
息を切らしたリュークは肩を震わせながら大きく口を開けた。
「この、アホ女っ!」
「ひいっ」
「待っていろと言ったのに、どうして勝手に帰ってんだお前はっ!」
地獄の悪魔も真っ青になる迫力に、本能が逆らってはいけないと警告している。切れ長の目がいつにも増して冷たい。この人ならたぶん、目で人を殺せる。
「え、だって仕事あるし……待ってろって言ったわりには全然出て来ないから」
「こんな暗い道でお前みたいな女がぼんやり歩いているとか、なんかしてくれって言っているようなもんだろっ」
「んな無茶苦茶な」
「お前の危機意識はどうなってるんだ?! このちっせぇ頭に詰まってんのはなんだ? 藁か? 藁でも入ってんのか?!」
音でも確かめたいのか、体を前後に揺さぶられる。頭ががくがくと大きく揺れた。
「空だな、絶対に空だっ」
周囲は首都と違って街灯などないあばら家の残る野原だ。人目のない所に連れ込まれては助けは期待出来ない。汚されて殺されることは容易に想像出来るが、六日間一人旅をして無事だったこともあり自分は大丈夫だという自信があった。
「ちょ、酔う……酔うから、あんまり揺すらないで。だ、大丈夫だってば。一応防護魔法をかけて……」
「はあ?!」
鼓膜が破れそうな大きな声に体が硬直する。
こ、怖い……あ、悪魔だ。悪魔がいる。全力で凄まれてる!
「ご、ごめ?」
シルヴィの魔法は特殊で、命を脅かす悪意や危険に対して敏感に反応する。だが魔法の威力を知らないリュークからしたら平和ボケしているようにしか見えないのだろう。
警備団の働きはあっても他の町と同様にいざこざは存在しているし、危険がないわけではない。貧しい故に犯罪に手を染める人もいれば、快楽の為に他者を傷つける者もいる。特に酒場で働いている者は身持ちが軽く見られやすい。高濃度の毒を吐かれるのを覚悟して体を堅くしたが、雷は落ちない。恐る恐る顔を上げると、ぎゅっと下唇を噛んでいた。
「リューク?」
「し」
「し?」
「しんぱ……っ」
声が裏返って、切れる。彼が言わんとしていることがわからず首を傾げると喉が詰まっているのか、リュークは何度も咳払いをした。口から先に生まれたのではと疑ってしまうほど口が達者なのに、シルヴィと話している時のリュークはよく言葉に詰まる。
ひどい時には赤茶色の顔をして、出直してくると言ってどこかへ消えてしまう。
「日が沈んでから一人で出歩くな、危ないことくらい覚えておけっ!」
「心配してくれたの?」
「だっ、誰がお前みたいな残念な女を心配するかっ!」
一段と大きくなった声に自然と目が細くなる。
「……即答で否定ときた」
考えるまでもなく、リュークが自分を心配する理由がない。何を期待したんだろうと恥ずかしくなるが、もっと優しい言い方をしてくれたって。
表情を消して無言で歩き出すと、再び二の腕を掴まれた。仕方なしに立ち止まり掴まれた腕に視線を落とす。
腕が柔らかいとか本当に余計なお世話。
「女子の腕を気軽に掴むのは如何なものなのかと思う」
「勝手に歩き出すな、はぐれる」
舗装こそされてはいないが大きな道は一本のみで、『踊る仔牛亭』に続いている。平原を横切りでもしなければ迷う要素はない。
「道には詳しくないけど、横道は歩かないもん。歩かないと家に帰れないじゃないのよ。もー、はーなーしーてーぇ」
腕を引いてふり払おうとじたばたするとシルヴィからリュークがカンテラを取り上げる。夕日は時期に完全に沈んでしまう。太りかけの月の明かりを頼りに歩けとでも言っているのか。
「ちょっと返してよ!」
「行くぞ」
「はあ?! 心配している訳じゃないなら送ってくれなくていいから! 全然大丈夫だし! もし大丈夫じゃなくてもリュークには全然これっぽっちも関係ないしっ」
こうなったらたとえ大丈夫ではなくても平気だと言い続けてやる。威嚇するように睨むと、リュークはぼそりと言った。
「……訳じゃない」
「さっきしてないって言った。そもそもリュークに心配される理由は」
「ある」
「なにが?」
「ある、だろうが」
リュークは息を飲み、シルヴィに向き直った。
「なんで?」
「そ、れは……」
「なんで」
「……お、俺は…シルヴィが」
「うん」
枯れ木にとまった梟が低く鳴く声がする。沈黙はたかだが十数秒だったのに、とても長く感じた。落ち着きなく視線を漂わせていたリュークは思い切って正面からシルヴィを見つめた。
「俺は副町長としてお前を心配する義務がある、守る義務がある!」
「……はい?」
「義務だ、義務! お前を見る男共の好色な目をぶっ潰すのも、送り迎えすんのも、他の男を近づくのがすげぇ腹立たしいのも、町の奴等の勝手な言い分の盾になんのも全ては俺が副町長だからだっ。全て義務で成り立ってんだ!」
一息に言い切ってふんっと胸を張る。
義務───義務とは考えてもみなかった。町長になったのは初めてだし、誰も副町長の仕事を教えてはくれなかった。わたしが知らなかっただけで、副町長の仕事には町長の護衛も入っているの? え、護衛付とかわたしごときが何様?!
シルヴィは眉根を寄せると腕を組み、うんうん唸った。
「……リュークの仕事?」
「……お、う」
仕事と言われれば納得出来る。ウィリーをはじめ町の人は見返りを求めず善意で親切にしてくれた人が多かったけれど、リュークだけはいつも嫌味を言いながらだった。この人のわたしに対する態度はずっと不思議だった。むしろどうして義務だと思わなかったのか自分が謎。
目の前に突き出された答えにハッとする。
「………………そっか。そっか、そうだよねぇ。義務か、義務! 仕事の一つかぁ、盲点だったぁ。仕事ー、あー、仕事ぉ。でなきゃリュークがわざわざ嫌いなわたしの為に、走って追いかけてきてくれるわけないよねぇ!」
「え、信じた」
「ん? なんか言った?」
「あー……いや、なんというか……嫌いとか────…」
語尾を小さくしたリュークはその場に崩れ落ちると、地面に片手をついた。力なくぐったりと項垂れている。
「リュークどうしたの? 立ち眩み?!」
「……気にすんな、なんでもない。ちょっと……というか、かなり……落ち込んだだけだ」
「具合悪い訳じゃないの? 平気なの?」
「まぁ……自業自得だから覚悟はしていたからな、大丈夫だ」
カンテラを地面に残し、よろよろと立ち上がったリュークを上目遣いに覗き込む。意味不明の行動を取る姿を可笑しいと思っていると、リュークは不機嫌そうに眉根を寄せシルヴィの両頬を摘まんで横に引っ張った。
「いへへへへっ!」
「笑ってんな」
「いひひひひっ。いひゃい、いひゃい」
「お前、聞いてたんだろ」
手を離さずに訊くとシルヴィはパチパチと瞬きをした。
「さっきだよ、さっき! 無理に笑ってやがったな、アホが」
「無理、なんてして……」
シルヴィは感情を可能な限りこめず答えようとしたが上手くいかなかった。
「デジレは貴族に悪い印象を持ってる。俺たちだって皆似たようなもんだが、それはお前に関係ない。生まれとか育ちとかで区別するような町なら俺だって願い下げだ」
デジレは勘の鋭い人だ。彼の懸念は間違いではないと思う。
最近のわたしは少しおかしい。自分が何者かを思い出してからもあの頃の記憶は遠くにあって薄い膜がかかっていたのに、一年を過ぎてから急速に輪郭が色濃くなった。
些細なきっかけから『リシュリー・アビドボル』が目にし、体験したことが脳裏に容易に蘇る。夜空に輝く月、珍しくもない植物、食べ物、景色、宝石、生き物。それらに関係する音やにおい、感触まで鮮明に。
定期的に与えられた宝飾品の中に真珠の首飾りはなかったし、祖父母とは家族同様に面識も交流もなく生死も知らない。だから自分は酒場のシルヴィであって、真珠の首飾りを死ぬまで大切にしていたあの『リシュリー・アビドボル』ではないと言い切れる。だけど───時々今の自分はどちらの自分が本当の自分なのかわからなくなることもある。
今のわたしは暗闇で餓死した本当の自分なのか、それとも悪意から遠く離れることで死の道から逃れようともがいているこの偽りの自分なのか。
人目を避けてひた隠しにしているものがデジレの目には映っているのだとしたら、自分はどうしたらいいか。あれとは丸っきり違う自分になろうなんてどだい無理な話なのではないかとの不安に襲われ、目の前が白くなった。体がふらついてよろけるがどうにか踏ん張る。
「シルヴィ」
「リューク、わたし……」
青白い顔を弱々しく上げると、再び頬を摘まれた。
「いひゃい」
「いいか、お前の名前はアホのシルヴィだ。『踊る仔牛亭』で働いている頭も顔も耳も残念な、残念町長。誰に何を言われても気にするな。そいつらの言うことはクソと同じだ」
涙が滲んで視界がぼやける。アホで残念は余計だと思う。だが、言葉から滲む優しさが胸に沁みた。
「うひ」
「帰るぞ」
頬をつねっていた手で頭をくしゃりと撫でられ、シルヴィは半泣きで唇を尖らせた。黙っていたら涙がこぼれてしまいそうで、わざと大仰に騒ぐ。
「ちょっ、もうっ。髪が乱れるっ」
「残念な頭にゃお似合いの髪型だ、生意気にふて腐れんな」
笑いながら頭を撫でるリュークの手から逃げてカンテラを拾い上げる。顔を思いっきりしかめてベーッと舌を出すと、リュークのこめかみがぴくりと痙攣した。
「優しいのか優しくないのか、リュークって全然わかんないっ!」
「ボケたこと言ってんなよ。俺は優しさで出来ていると言われている男だぞ」
「わたし以外に限定した優しさとか超感じ悪い」
「優しくしてほしけりゃリューク様と呼べ」
「はああぁ? 誰が」
「うっわ、可愛げのない女だな。知ってたけど」
「可愛くなくて結構! リュークの陰険っ!」
ふんっと鼻を鳴らすリュークの表情は柔らかく目は穏やかだ。ついさっきまでシルヴィの胸の奥で渦巻いていた靄は見事なまでに拡散し、気持ちはぐっと軽くなっていた。