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私は、固いベッドの上で目を覚ました。
周囲を見渡すと、どうやらここは、病院の様だ。
そうか、あの後私は、気を失って……。
思い返すと、また涙が溢れてきそうになった。
私は気持ちを落ち着かせようと、窓の外に目を移す。
雲が太陽を隠した、肌寒そうな天気だ。
まるで私の心の様だと思った。
あまり見続けていると、気が滅入りそうだ。
視線をずらすと、ベッド横のテーブルにくすんだ赤いリボンが綺麗に畳んだ状態で置いてあった。
私のものだ。
それを見ていて、私はなぜかディアンの事を思い出していた。
あの燃える様な赤い髪を、連想したのだろうか。
自分でも、理由は良く分からなかった。
ディアンは、あの時死んでしまったのだろうか。
暴走したキズナの力で、壁に思い切り叩きつけられていた。
確かめはしなかったが、首はおかしな方向に曲がり、とても生きている様には見えなかった。
もしあの人が死んでしまったのなら、もう確かめようが無い。
私が導き出した、あの人の正体……。
何故あの人は、私の家のセキュリティロックを外せたのか。
何故あの人は、私を脅す人質としてリリーを選んだのか。
何故あの人は、義顔を使っていたのか。
何故あの人は、街中にあんなにもたくさんの爆弾をしかける事ができたのか。
何故あの人は、最後の爆弾の解除コードに“あの数字”を使ったのか。
何故あの人は、お父さんの安否を、その死を知っていたのか。
何故あの人は、お父さんを憎み、その全てを破壊しようとしたのか。
何故あの人は、お父さんの功績の裏に隠れ続けていたのか。
ひとつひとつは、関連など無い様に思えた。
だけど、全てを合わせて考えた時、私は1つの事実に行き着いたのだ。
それは、とても受け入れられるようなものではなかった。
心が、その事実から目を背けた。
もう確かめる術なんて無い。
だから、受け入れる必要も無い。
全てを、無かった事と思えば良い。
今だけは、私のこの臆病な心に従おう。
私はこの事を、誰にも言わずに生きていく決心をした。
それでいいんだ。
頬を伝う涙を拭った。
涙とともに、その事実を私の記憶から拭い去る為に。
すると、突然病室の扉が開いた。
「エリル! 目ぇ覚めたんだな……」
果物がたくさん入ったカゴを抱えたその来訪者は、
体を起こしていた私を見て一瞬驚いた後、穏やかな表情に変化した。
「アグナスは、大丈夫なの……?」
頭と腕に包帯を巻いていた彼を見て咄嗟にそう声をかけた。
だけど私の脳裏に、あの時目にした紋章がチラついた。
「平気さ。俺、見かけによらず丈夫なんでな」
アグナスはそう言って、自分の頭をコンコンと小突いて苦笑いしてみせた。
ああ、そうだった。
この心配も、無用な事なんだ。
だって彼は、お父さんの――
いや、もうそんな事はどうでもいい。
彼が傍にいてくれるだけで、私は幸せなんだから。
アグナスはテーブルに果物カゴを置くと、その中からリンゴをひとつ取り出した。
引き出しの中のナイフを手に、器用に皮を繋げながら剥いていく。
繋がったまま垂れるリンゴの皮は、なんだか赤いリボンの様にも見えた。
「良いニュースを持ってきたよ」
目線をリンゴから逸らさぬまま、彼は言った。
良いニュース?
一体、なんだろう。
悪い事が続きすぎたせいで、今はどんな些細な事でも喜べそうな気がしていた。
そんな私の皮肉めいた想いは、彼の次の言葉で打ち消された。
「リリーって子、なんとか無事に手術が終わったよ。
あと2週間もすれば、退院できるってよ。
クロンとジョンも、それと同じくらいの時期に復帰できるそうだ」
ああ、みんなが無事で、本当に良かった……。
今の私には、大きすぎるほどの吉報だった。
ただ、潰されてしまったリリーの指はもう戻らない。
義指をつけて、これからリハビリに追われる生活が待っている。
そして、彼女の機工技師としての夢も、断たれてしまった。
それを、命が無事だっただけで、安に“良かった”と表現して良いのかだろうか。
“命よりも大事なものがある”。
そう豪語する人は、今の時代珍しくない。
命あっての物種だと私は思うけれど、そう考える気持ちが全く分からない訳でもない。
命よりも大事なもの……。
それは己の信念だったり、己の夢だったり、愛する誰かの事だったり、十人十色の違いがある。
リリーは、一体何を大切にして生きてきたのだろうか。
もしそれが、機工技師になる事なのだとしたら……私が巻き込んだせいで、その夢をくじいた様なものだ。
どれだけ恨まれても、どれだけ罵倒されても、文句は言えない。
その程度で、償いになるとは思わない。
いや、文句をぶつけてくれるだけでもまだマシだ。
私と二度と顔を合わせたくないと、拒絶されてしまう可能性だってあるんだから。
考えても考えても、後ろ向きな想像ばかりしてしまう。
本当に、私は心が弱いんだなあと実感する。
あれだけ何度も、前を向いて進むんだって決めたのに。
でも、私は1つ心に決めている。
どれだけリリーが私を拒絶したとしても、私の中で彼女は一番の友人だったと思う事にすると。
例え彼女が、私を陥れる為に交友を深めようとしていたのだとしても、
私のひとりぼっちの寂しい時間を埋めてくれた彼女の存在は、偽りではないのだから。
「ああ、そうだ。お前にプレゼントがあるんだよ」
リンゴを剥いていた手を止め、思い出したように手提げ袋の中を漁るアグナス。
アグナスから私に、プレゼント?
機工道具かなと一瞬想像して、私は自分自身にため息をついた。
想像するとしても、なんでもっと女の子らしいものを考えられないのか――
次の瞬間、アグナスが袋から取り出したものを見て、私は言葉を失った。
それはただの布切れだ。
色が変わる特殊繊維を使ったものでもないし、真新しさも無い、とても古い色褪せた布切れだ。
見覚えのある赤い色。
私の大切な宝物のひとつ。
間違いない、キズナのリボンだ……。
「もう一度あの場所に行って来たんだ。
崩れたガレキの中から、あいつの“右腕”が見つかった。
これは、その拳の中に握られてた」
汚れたような、くすんだようなその色は、私には鮮やかな赤に見えた。
『きずな! おたんじょうびおめでとう! はい、私とおそろいのリボン!』
端は少し焦げてしまっていた。
炎上したリアクターの炎にやられてしまったのだろう。
『おとうさん! きずなが、きずなが私の名前を呼んでくれたよ! ほら聞いて!!』
目を瞑ると、幼い頃の記憶が今でも鮮明に蘇る。
それはまるで、フィルムに記録された映像の様に、私の脳裏で上映されている。
初めてのキズナの誕生日。
私は、自分が幼い頃に親から贈られたものと同じ、赤いリボンをプレゼントした。
だってキズナの視覚補整デバイスでは、赤色しか認識できなかったんだもの。
『ただいま、キズナ! ……ほら、こういう時はなんて言うの? “おかえりなさい”でしょ!』
どうしてこれが、無事に残ったのか私には分からない。
キズナの理性は、あの人のウイルスで完全に破壊されていたハズだった。
ウイルスに侵されてショートしてしまったオペレーションシステムでは、そんな命令は出せない。
なのに、どうして……。
『キズナ、このリボンは私とあなたの大切な絆。だから、絶対になくさないで、大事にしてね』
……そうだ、きっと“記憶”がそうさせたんだ。
リアクターの横に配置され、鋼鉄の箱に守られたメモリボード。
それは、キズナが私のキズナである事を覚えている場所。
私との思い出を蓄積させ、大切に保管してくれている場所。
あのウイルスの構成式では、確かにメモリボードは侵食できない。
だから、キズナの中にあった記憶が、私と交わした約束を守らせたんだ。
炎上する自らの体からリボンを守るため、腕を引きちぎってまで。
「キズナ……キズナぁ……うああああああん、ああああああああ!!!」
とめどなく溢れる涙を拭いもせず、垂れ流し続けた。
自分でも気付かずに、どれだけくしゃくしゃな顔をしていた事だろう、どれだけ大声で泣き喚いていた事だろう。
アグナスの目も気にせず、私はキズナのリボンを抱きしめながら泣き叫んでいた。
だけど、堅く握ったリボンの中に、ふと違和感を感じた。
何かが、中に紛れている。
掴む力を抜くと、それはリボンをすり抜けてぽとりと落ちた。
そこには、赤緑青のラインが入った小さなプレート状の部品があった。
――――――――――――――――――――
世界はいつも、私を拒絶する。
だけど私は、世界を受け入れようと思う。
私は、この広い世界で共に歩む人がいる。
いつも、とても寂しかった。
いつも、とても悲しかった。
強がりはもうやめた。
私は、幸せだ。
私には、みんなとの絆がある。
だから私は、絆に支えられて生きていく。
――――――――――――――――――――
暖かな日差しが、とても心地良い。
さえぎるものの無いこの丘の上から見下ろすと、ふもとの小さな町が良く見えた。
生い茂る木々の間に立ち並ぶ家々と、そこを行き交う人たち。
一目見ただけで平和な雰囲気を感じ取れる、のどかな町。
次の目的地は、あそこだ。
世界中に広まった第三世代のリアクターの寿命まで、私の計算ではあと3年と4ヶ月。
この事実は“私たち”しか知らない。
それまでに、各地にこれを普及させなくちゃならない。
私が発明した、テオトコスからの動力を誘導する装置を。
「ったく、少し休んどけって」
「平気。私、見かけによらず丈夫なんだよ? ふふ」
背後から声をかけてきた彼に、私はしたり顔でそう返答した。
まだまだ彼とは背丈の差があるけれど、だいぶ追いついてきた。
もう子供扱いなんてさせないんだから。
そんなやりとりをしていると、男の人が丘を駆け上がってきた。
「おーい優等生! 宿あいてるってよ!!」
ツンツン頭の彼は、こちらに向けて飛び跳ねながら手を振っている。
まったく、いつまで“優等生”って呼ぶんだか。
もうとっくに学園は卒業したのに。
「兄さん、そんなに急がないでよ……はあ、はあ……」
少し遅れて、息を切らせたもうひとりがやってきた。
相変わらず、兄とは対照的に大人しい髪型と服装をしている。
そんな弟の背中をバシンと叩いて、兄の方はまた急いで丘を下っていってしまう。
「先に行ってんぞ!! すーぐ来ーいよー!!」
「ちょ、ちょっと、戻るなら僕は町に残ってて良かったじゃないか……!!」
弟はフラフラと今にも倒れそうにしながら、兄の背中を追って行った。
私は思わずその光景に笑ってしまった。
ふたりの姿は、学園に居た頃とまるで変わっていない。
背は伸びて、少しだけたくましく見えるようにはなったけれど、中身は子供のままだ。
いや、きっと男の人は、みんなそうなのかもしれない。
「アイツらったら、ホント騒がしいんだから。少しは落ち着きなさいって話よね」
私の気持ちを代弁するかのような声。
振り向くとそこには、黒髪おさげの女性がいた。
「ふふ、私もそう思う」
以前とはやや雰囲気の変わった彼女は、私の一番の理解者で、私の一番の友人だ。
見た目はほとんど、あの頃のままだけれど。
彼女は、左手の指を握ったり広げたりしてみせた。
「あなたに貰ったこの指……いつか私も、これを越えるものを作ってみせる」
私をライバル視するその言葉に、私は笑顔で頷いた。
感情表現の起伏が浅い彼女だけれど、少し笑っているように見えた。
すると、微笑む私たちを影が包んだ。
暖かな日差しが遮られ、少し涼しくなった気がした。
その影を作った主は、無機質な声で私に「出発の準備ができました」と、荷物を抱えながらそう告げた。
丘に吹く風が、彼の肩のリボンをなびかせている。
いつ聴いても、この発声能力の陳腐さには笑ってしまう。
人型機工用の優良な発声デバイスは、雑貨屋にいけば子どもがお菓子を買う値段で手に入る。
だけど、私はそれを買おうとは思ってない。
だって私は、この声が大好きだから――
- おわり -