- 4 -
もう外はすっかり朝だった。
大きな体躯のロボットが、私の部屋にずかずかと入り込み、布団を剥ぎ取る。
おはよう、キズナ。
また、寝坊しちゃった。
もう5分だけ……ダメ、かな?
ダメだよね、うん、起きるよ。
毎朝、起こしてくれてありがとう。
私のお礼に対して、キズナは無言で布団を整えてくれる。
私はそんな彼が急に愛おしくなって、後ろからギュっと抱きついた。
むき出しの体から伝わる、リアクターの放つ淡い温もり。
その駆動音は、私の気持ちを安らかにしてくれる。
これからも、ずっとずーっと、一緒だからね。
約束だよ、キズナ。
次の瞬間、私の手は空を掴み、バランスを崩した。
その場に、ハラリと赤いリボンだけが落ちている。
キズナ、どこ行ったの?
ねえ、返事して!!
部屋の外に、キズナの姿が見えた。
なんだ、あんな所に居たんだ。
ほら、朝のメンテナンスが――
キズナが、その陳腐な発声デバイスで、何かを言っていた。
よく、聞き取れない。
4文字の、言葉。
さよ、なら……?
何言ってるのキズナ!
キズナはくるりと私に背を向けて、家を出て行こうとする。
ダメだ、止めなくちゃ!
待ってキズナ!
走っておいかけても、これっぽっちも追いつけない。
それどころか、キズナはどんどん離れて小さくなっていく。
待って、お願い、待ってよ……!!
「私を、ひとりにしないで!!」
そこは私の部屋だった。
光の差し込む窓が、眩しくて目がかすむ。
額には汗がにじんでいる。
夢……だったのだろうか?
イヤな夢だ。
最悪な夢だ。
荒れた呼吸を整える為に、深呼吸する。
「大丈夫か、エリル」
「えっ!?」
急に真横から声をかけられて、飛び上がりそうな程に驚いた。
心臓が止まりそうだ。
「いるなら、いるって言ってよ……!」
アグナスが、ベッドの横の椅子に腰掛けていた。
夢のせいで混乱していたが、徐々に記憶が鮮明になってきた。
そうだ、リリーや、クロンとジョンはどうなったんだ。
「アグナス……!!」
私が不安の眼差しで見つめると、彼は悟った様に立ち上がった。
「一旦着替えろ、あっちで全部話す」
そう言うと彼は、私の部屋を出て行った。
その背中は、どこか寂しくて悲しげで、以前感じた逞しさはなかった。
寝汗を拭いて、私はいつもの服に着替え、リビングへ向かった。
食卓に、アグナスが座っている。
私は彼の横を通り抜けて、向かい側に座った。
私が席に着くや否や、アグナスはすぐに語り始める。
まるで、全てを今すぐ曝け出してしまいたいと慌てているかの様だった。
「リリーって子、一応は無事だ」
「本当!?」
無事で良かった。
リリー、本当に良かった……。
涙が出そうになるのを、グッとこらえた。
だけど事態は、私が考えていたよりも悪かった。
アグナスの話によれば、リリーは今、街の病院で治療を受けている最中らしい。
潰された足と手の指は重症だった。
それ以外にも、監禁されている間に受けた暴力による傷や、極度の衰弱と栄養失調。
心に負ってしまった傷も、深いだろう。
命に別状は無いだけでも儲けものだが、リリーにとってはあまりにも痛い代償だ。
手先の器用さを売りにする機工技師には、もうなれないだろう。
たとえ現代の義肢やロボットの技術がどれだけすぐれていても、人間の動かす指にはまだまだたどり着けていない。
ヒトの指こそ、機工技師としての唯一にして最大の武器なのだ。
彼女は言っていた。
いくら真面目に勉強しても、私においつけやしなかったって。
彼女は彼女なりに、精一杯努力をしていたんだ。
それをこんな形で、こんな理不尽な形で、夢を断たれるなんて……あんまりだ。
続けて、クロンとジョンの容態も聞いた。
そちらも、私が思っていたよりも酷かった。
彼らは、扉一枚隔てた向こうで、平気そうな顔をしていた。
だけど実際は、警備ロボットとの格闘で、クロンは足の骨を折られ、ジョンはわき腹を銃で撃ち抜かれていた。
私に心配をさせまいと、私の歩みを止めまいと、やせ我慢して大丈夫なフリをしていたのだ。
2人の手術は無事終わり、今は病室で眠っているそうだ。
大事ないと聞いて、私はわずかに安堵した。
だけど同時に、歯を食いしばるような悔しさを感じた。
友人にそれだけの犠牲を出したのに、私はキズナを助けられなかった。
払った代償のあまりの大きさに、心が押しつぶされそうだった。
リリーやクロン、ジョンの話を聞き終えて、しばしの沈黙。
どう切り出したら良いか迷っていたら、彼の方から口を開いてくれた。
「エリル、俺に聞きたいことがあるだろ」
彼の目を見ながら、頷いた。
そう、私は彼に聞きたい事――聞かなければならない事が4つある。
私はその中でも、もっとも疑問に思ったものから、問いただす。
「アグナス、どうして零番街への行き方を知ってたの?」
私や、街の人すらも耳にした事が無かった謎の街“零番街”。
何故アグナスは、それを知っていたのか。
知っていただけじゃない、入り方すらも熟知していた。
彼は私の質問に視線を少し落としたが、決意した様に顔を上げて私を見つめてきた。
「ノアに、お前の父親に、託されたんだ」
「え……?」
予想もしていなかった答えが返ってきた。
お父さんと、アグナスが、知り合いだった……?
意味がわからなかった。
だったら、どうして――
「どうして今まで黙ってたの!?」
思わず机に両手を叩きつけながら、立ち上がった。
私がノアの娘だって知っていながら、どうして今まで隠していたのか。
「悪い、それについては……答えられない」
アグナスは、俯いた。
憤りは感じた。
でも、彼にも彼なりの理由があるんだろうと、理解しようとした。
その理由が何かは分からない。
分からないけれど、一つだけ確かな事もある。
それは、彼が今まで、私のために尽くしてくれたという事。
その一点だけで、私は彼を信用できる。
「怒鳴ったりして、ごめんなさい……」
私は自分の行為への反省を示すと、再び椅子についた。
アグナスは、俯いたまま次の言葉を紡ぐ。
「本当は、零番街のことも言う訳にはいかなかった。
だけど、見ていられなかったんだ。
リリーって子が壊されていく姿と、それを見るお前の辛そうな顔を……」
アグナスの、机の上の両手の拳が震えている。
本当に、辛そうだ。
零番街の情報をディアンに流した事を悔やんでいるんだろう。
だけど、あのまま黙っていてはリリーは無事では済まなかった。
私の心も、そうだ。
彼が隠し事をしていたのは少しショックだった。
それでも、その葛藤を打ち破って私たちの為に口を開いてくれたのも事実だ。
そんなに自分を責めないで欲しかった。
なんだか少し前の、自分を責めてばかりの自分を見ているようで辛かった。
私は椅子からスッと立ち上がり、彼の拳に自分の手を重ねる。
アグナスはハッとして顔を上げ、こちらを向いた。
彼の目には、涙が浮かんでいるようにも見えた。
「ありがとう、アグナス」
「本当にすまない、もっと早くあいつに情報を与えていたら、お前の友だちは……」
悔やんでも仕方が無い。
彼だって、私と同じように苦悩していたはずなのだから。
いや、私よりも苦しんだかもしれない。
自分が情報を渡せば人質は助かる。
だけど、お父さんから託された思いを裏切る事になってしまうのだから。
アグナスがお父さんの知り合いだと知って、彼の機工義足を思い出した。
その生活水準とは明らかに違う性能の良い機工義足。
あれはもしかしたら、お父さんから彼に与えられたものなのかもしれない、と。
「アグナスは、昔あの工場で働いてたんでしょ」
2つ目の質問。
質問というよりは、私が想像した事を証明する為に聞いたと言った方が正しいかもしれない。
彼は私の目を見据えながら、無言で頷いた。
アグナスはかつて、あの第七番・人型機工製作所で働いていたのだ。
これで繋がった。
お父さんとは、きっとそこで知り合ったんだ。
同じ職場で働く、同胞として。
いきさつは分からないけれど、そこで父は、お人好しで正義感の強いアグナスの性格を見抜いて、
“信頼に値する人物だ”と、零番街の秘密を託したのだろう。
これでもう、3つ目の質問の答えも、聞かずして私の中で確定した。
「……アンリミテッドプログラムを作ったのは、お父さん、だよね」
「そうか、ハッキリとは言ってなかったのに、そこまで分かってたか」
アグナスはどこか残念そうな表情を浮かべていた。
私にその事実を、伝えたく無かったのだろう。
工場であの話をした時に、彼は“そのプログラムを開発した人はどうなったか”と聞いた私の質問を遮った。
違和感を覚えた私は、自分の頭の中で考えた。
答えはすぐに導き出された。
この世に未だ存在しない、新たなシステムを組み上げるほどの優れた機工技師。
そして、そのアンリミテッドプログラムのせいで起きた6年前の事故。
天才機工技師ノアの失踪と、その事故が、ピタリと重なった。
6年前にお父さんが失踪した原因は、恐らくその事故なんだろう。
お父さんは、事故から目を背けて逃げる様な人じゃない。
そもそもお父さんが、機工が暴走するようなミスを犯すとは思えない。
だけど、もしそんな事が起きたのなら、きちんと世間に公表し、罰を受ける。
そういう、誠実な人だ。
だから、きっと何か別の理由で、この街から去ったのだと思う。
でも、きっかけがその事故だという事は間違いない。
父の事を思い出すと、茨が空けた心の穴がズキズキと傷んだ。
この傷を受け入れはしたが、辛くないと言えば嘘になる。
もう二度と、あの優しいお父さんに抱き寄せてもらえないのだと思うと、泣き叫びたいほどの感情が湧き上がる。
アグナスが、私の手を握り返してくれた。
見れば、彼の拳に重ねた私の手は、強く爪を立ててしまっていた。
「ご、ごめんなさい」
「気にすんな」
アグナスが優しく微笑みかけてくれる。
少し悲しげな憂いを帯びた笑顔。
今はその笑顔だけが、私の心を保たせてくれる力になる。
私は気を取り直して、彼に最後の――4つ目の質問を投げかけた。
「アグナス、零番街って一体なんなの?」
彼は、首を横にふった。
「悪い、それに関しては俺も知らないんだ。
話せない訳じゃなくて、本当に……」
私は彼の言葉を信じる。
今までの情報から、零番街にお父さんが関わっているのは間違いない。
この機工都市パラマ・シンのどこかにある、謎の街“零番街”。
心当たりは無い。
無いからこそ、その所在の想像がついた。
地上にそんなものを置ける空間は無い。
地下だ。
きっとこの都市の地下に“零番街”という名の何かがあるんだろう。
街とは限らない、何かの比喩かもしれない。
だけど確かなのは、お父さんがそれを守ろうとしていたという事。
あの男――ディアンがそこで何かをしようと企んでいるという事。
そして、キズナもそこにいるという事。
やるべき事は、もう決まっている。
「アグナス、零番街に行きたいの。もう一度、入り方を教えて」
「ダメだ。あの方法ではもう入れない。
俺も今朝試したんだが、恐らくやつが内側から入室認証装置を弄くったみたいなんだ」
私の決意は、簡単に打ち砕かれてしまった。
……じゃあ、私はここで黙って待っているしかないのだろうか。
お父さんの意思を尊重する事も、キズナを助けてあげる事も。
無力で、何もできない。
落胆し、崩れ落ちそうになる私を、アグナスは真剣な眼差しで見つめてくる。
彼は立ち上がると、ポケットの中をまさぐって何かを取り出した。
アグナスはそれを机にバンと叩きつける。
それは、銀色の小さなカード状のもの。
何だろう、これは……。
その銀板には所々に溝や窪みがある。
そうか、これはカギだ。
「アグナス……」
私は、彼を見上げた。
「もしもの時にと、ノアが持たせてくれたスペアキーだ。
入り口は違うが、これで零番街へ行ける」
お父さんは、いつかこうなる事を予測していたのかもしれない。
だから、アグナスにこれを託したのだ。
ありがとう、お父さん。
お父さんから貰った最後の希望で、私は必ず、自分のすべき事を成し遂げます……!
「勿論俺も行く、お前がイヤだと言ってもな」
ううん、そんな事、私はもう言わないよ。
あなたを危険な目に合わせるかもしれない。
また、苦悩の決断を迫らせてしまうのかもしれない。
だけど、私にはあなたが必要だから。
私は、彼に向けて無言で右手を差し伸べる。
アグナスは、笑顔でその手を握り返してくれた。
私たちは、スペアキーで開く零番街の出入り口へ向かった。
それは、国立第一機工学園にあるのだという。
信じられなかった。
いつも通っていたあの場所に、そんなものがあったなんて。
そして私たちは、見上げれば倒れてしまいそうなほどに高いその塔に辿り着いた。
今は授業が始まっている時間だ。
入り口には、人の気配がなく閑散としている。
ここに普通に通っていたのが、もう何年も前の事みたいに感じられた。
きっとそれは、私が学校生活に苦痛を感じていたせいかもしれない。
クロンたちによるいじめ。
教師も味方はしてくれない。
唯一の友だちのリリーとも、あんな風に……。
文字通り、ただここに通い、ただ席に座り、そして何も得ずにただ帰るだけの生活だった。
だけど、もうそんな過去とは決別するんだ。
クロンとも、ジョンとも、リリーとも。
そして、クラスメートみんな、先生、全員とキチンと仲直りをする。
決意の眼差しを、学園の天辺へ向けた。
「エリル、あそこだ」
周囲を見渡していたアグナスが、1点を指差してそう言った。
その指し示す先……そこは、エントランスホールへ続く階段のすぐ脇。
アグナスに促されて近寄っても、何も無い壁に見えた。
だけど目を凝らすと、そこに小さな線の様なものが入っていた。
そうか、ここにあのカギを……。
するとアグナスが、私にカギを手渡してくれた。
私はそれをギュッと握り締める。
お父さん、私に勇気をください。
そう祈ると、お父さんの優しい姿が思い出される。
お父さんが私の手を包み込むようにそっと握り返してくれた、そんな気がした。
そして私は、壁の線にカギをあてがった。
ただそっと触れただけなのに、壁は反応して光りだした。
まるで完璧に組み上げられたパズルを分解するかのような不思議な動きで、
私たちの目の前の壁は消え去り、大きな口を開けた。
中から、淀んだ空気がぶわっと流れ出す。
私はそれに不快さを感じて、思わず腕で顔を覆った。
無理も無い。
少なくともここは、6年もの間密閉されていたのだから。
入り口の先は、階段になっているようだ。
やはり私の想像は間違っていなかった。
零番街とは、この機工都市の地下にあるのだ。
階段の先は、左へとカーブしている。
螺旋階段の様になっているのだろうか。
今はそこまで考えても仕方が無いと悟った私は、改めてアグナスの顔を見た。
彼は、無言で頷いた。
私も頷き返すと、零番街へ続く階段へ一歩踏み出した。
長い長い螺旋階段。
懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまったが、そんな心配は要らなかった。
不思議と、中は暗くない。
壁には緑色のラインの様なものが走っていて、淡い光を放っているのだ。
それはまるで、血管の様に脈動していた。
1本の太い動脈と、そこから枝分かれする無数の細い毛細血管。
それに気色悪さを感じないのは、枝分かれした形状が幾何学的だからだろうか。
何かの規則があるかの様に、直線と角だけで作られたそれは、見入ってしまう程に美しかった。
その緑の管を見ていてわかったのだが、どうやらエネルギーは下から送られてきている様だ。
下に進めば進むほど、明かりが強くなっているように感じた。
もう、下り始めて10分以上は経っただろうか。
踊り場があったり、折り返しがある普通の階段と違って、どこまで降りても同じ風景だ。
気が滅入りそうだった。
壁の明かりも、もはや鬱陶しさしか感じない。
一体、いつまで降りればいいんだ。
ふと、後ろにいたアグナスが私の肩を叩いた。
「エリル、渡すの忘れてた」
そう言って彼が差し出したのは、くすんだ色の赤いリボン。
キズナのものだ。
あの時ディアンに外されて、リリーの猿轡にされていたもの。
キチンと拾って、洗ってくれていたみたいだ。
「ありがとう……」
そのリボンを握り締め、もう一度堅く誓う。
必ずキズナを取り戻して、このリボンを結んであげるんだ。
キズナと紡いできた思い出。
たくさん遊んだ。
おいしくないご飯を食べた。
メンテナンスをしてあげた。
たったひとりの家族として、寄り添ってくれた。
ずっとずっと、一緒だった。
そして、これからも。
世界を拒絶していた頃から、変われた私……変わり始めた私。
私の今後の成長を見守って欲しい。
――さあ、先へ進もう。
私は再び、終わりの見えないその階段を下りて行った。
しばらくして、壁に走るラインが1箇所に収束して大きな四角い枠を形成している場所に辿り着いた。
階段の出口だ。
アグナスと目線を交わすと、私はその枠をくぐった。
「すごい……」
思わず、感嘆の声が漏れた。
想像もしていなかった光景が、そこには広がっていた。
巨大な地下空洞。
見渡す限り広がる、廃墟の町並み。
階段の出口は、町並みよりもやや高い位置にあるようで、その全貌を見渡す事ができた。
天井まで、数百メートルはあるだろうか。
螺旋階段の壁と同じように、天井を丸ごと包むように緑のラインが張り巡らされ、
ドーム上のこの空間の形を際立たせている。
まるで、大きくて丸い檻の中に閉じ込められているようだ。
横幅は目算で……半径1キロメートル以上あるように見える。
地上の建造物は、今や鋼鉄製のものがほとんどだ。
素材も世界に溢れて安価で、加工もしやすく、丈夫。
近代になって広まった、優れた機工技術の各種とも相性が良い。
だけどこの街はどうだ。
地上よりもはるかに数の多い大小様々な建造物。
そのどれもが石造りの様に見える。
まるで、古代の遺跡を見ているみたいだ。
異質なのは、そんな遺跡を彷彿とさせる見た目と、それと正反対の近代的な雰囲気を放つ光のラインだ。
壁や地面だけでなく、様々な建物にそのラインがはしっている。
私たちが住んでいる場所の地下に、これほど大きな空洞が広がっていたなんて……。
アグナスも私と同じように、この光景に驚き、魅入られて言葉を失っていた。
口を開けっ放しにしたまま、廃墟の町並みに目を奪われている。
人の姿や気配は、全くしない。
あれほど崩れたガレキの様な建物に、住めるとは思えない。
人々の手を離れてから、もう何年も――いや、何十年も、何百年も放置されてきたのだろう。
だけど、街そのものが、それを否定している様に見えた。
“この街は、まだ死んでなんかいない”。
誰かの帰りを待ちわびるように、止まる事もなく送られてくるエネルギー。
そのラインの光の元……遥か向こう側に、一際強く明かりを放つ施設が見えた。
あれが、この街の中枢部だろうか。
なぜだか、その光に呼ばれている気がした。
きっとあそこに、ディアンもいる。
理由は私自身にも良くわからないが、そう確信していた。
私たちは、廃墟の市街の中を歩き、進んでいた。
地面に走る1本の太いラインだけを頼りに、あの光り輝く施設を目指している。
ずらりとならぶ、1〜2階建ての建物。
おそらくこれらは、民家だったものだろう。
ふと、ある一軒の家に目が止まった。
扉が壊れて外れてしまっていて、中の様子がうっすらと見える。
家の中はガレキで埋まっていた。
だけど、そのガレキの下に、人の手が飛び出ているのを見つけたのだ。
「アグナス! あれ!!」
前へ進もうとしていたアグナスの手を引っ張り、民家の中を指差した。
彼もすぐにその手を見つけ、声を上げる。
「助けよう!」
互いに目を見合わせ頷いた。
私とアグナスはすぐにその廃墟に飛び込み、その手の持ち主の上にかぶさるガレキをどけていった。
やがて姿を現したのは、無残にも腰から下が潰れた――人型機工だった。
「なんだよ、ビックリしたぜ……」
安堵のため息を漏らすアグナス。
考えれば、当然の事だ。
こんな場所に、人がいる訳がない。
私とアグナス、そしてディアンを覗けば、だが。
それでも一つ驚いたのは、こんな遺跡のような町に人型機工がいるというアンバランスな組み合わせだ。
怪我で外装に穴が開いた胸部は、淡い光を放っている。
恐らく、リアクターが搭載されているのだろう。
ガレキの下に埋まり、“彼”は動作を停止したが、その心臓部は未だ稼動を続けている。
いくら手を尽くしても、二度と動く事の無い体に、エネルギーを送り続けている。
少し、物悲しさを感じた。
半永久的に動力を生み出し続ける、リアクター。
その全貌は現代の技術をもってしても解明には至っていない。
どれだけ同じ部品を集めても、どれだけ内部の構造を近づけても、
人が新たに作ろうとしたリアクターは一切動かなかった。
だけど昨今、リアクターは人々の生活に欠かせないものになっていた。
そうか……もしかしたら。
私の頭に、ある一つの仮説が浮かんだ。
法律によって一定の規制はあるものの、発達したコピー技術によって、
“既に存在するテクノロジー”を、内部構造や原理を知らずとも複製する事はそう難しくない。
人の手で再現できないリアクターも、そうやって世界中に普及してきたのだ。
だけど、この人知未踏の技術の粋であるリアクターが、
いかにして世界に初めて降り立ったのか、いつも疑問に思っていた。
最初の一例がなければ、コピーで普及などできまい。
もしかしたら、その起源が、ここ零番街なのではないだろうか。
地下大空洞の中に見つけた古代都市。
そこには、現代の技術では解明できない、不思議な装置が眠っていた。
それは、途切れる事なく動力を生み出す夢のような装置。
発見者は歓喜した事だろう。
爆発的に人口が増えたこの地上において、エネルギー不足の問題を一挙に解決できるこの存在との邂逅に。
その発見者とは……恐らく、私のお父さんだ。
きっとお父さんは、リアクターの技術をこの町から持ち出した後、ここを封印した。
こんな民家にまだ稼動する現物が残っているくらいだ。
街中を探索すれば、両手で抱えきれないほど――いや、倉庫がいくつあっても足りないほどのリアクターを発見できるだろう。
言うなれば、どんな金銀財宝の山よりも優れた、宝の街。
ディアンの狙いは、それなのだろうか……?
いや、でも、あの男は言っていた。
金に興味などない、と。
では名誉か?
大量のオリジナル・リアクターを見つけたとなれば、それこそ後世に語り継がれる英雄となるだろう。
だけど、あの男が名誉に拘る様にも思えなかった。
名誉に拘る人間が、あんな風に自ら罪を犯すだろうか。
「おいエリル、いつまでそこで座ってんだ」
アグナスが廃墟の外から、私に呼びかけてきた。
いけない、こんな所で考え事をしている場合じゃなかった。
「うん、すぐ行く!」
私は倒れて動かなくなっているその名も無き人型機工に向かって両手を合わせた。
どうか安らかに……。
ひたすらに歩き続けて、私たちはようやく目的地に辿り着いた。
この場所に近づくにつれて、町並みは徐々に近代的な様相を成していった。
石造りから鋼造りに。
そして、建物自体を包む様にはしる光のライン。
目の前に佇む、淡く緑色の光を放つ、巨大な建造物はその最たるものだ。
その光はまるで、朝日を浴びているかの様な強さだった。
だけど、光は私たちの目を刺激する事なく優しく包み込んでくれている。
不思議な、優しい光。
地面を走る緑のラインは、この建物から街中に向かって伸びているようだ。
血液の様に送られるエネルギーも、目の前に見える大きな入り口の奥から流れてきている。
私たちは無言のまま、互いの手をぎゅっと握り締めながら、その中へと突入した。
建物の中は、巨大な四角い部屋になっていた。
天井までの高さは、およそ10メートルほどもある。
小さな照明器具の様なものが見えるが、どれも壊れているのか、点灯していない。
右手の壁には、数え切れないほどのモニターが綺麗に配置されている。
縦が10で横が20程度、合計でおよそ200個はあるだろうか。
割れてしまっているものもあったが、ほとんどがまだ使えそうだ。
モニターの下にはそれを制御しているであろう操作端末。
横に広く伸びたデスクの上に、ボタンやレバーなどがたくさん並んでいる。
椅子の数は4つ。
何かを監視していたのか、それとも技術開発を行っていたのか、
用途はわからないが、恐らく4人の作業員によって動かされていたのだろう。
左手の壁には、パイプや配線が無数に張り巡らされていた。
なんだかそれは、生き物の様に見えて、少し気持ち悪かった。
そして、部屋の真正面の奥……。
天井の照明装置が壊れていても、別段困らない理由がそこにある。
建物の入り口から続く緑の動力ラインの先には、淡く輝く巨大な筒状の装置があった。
縦5メートル、横4メートルほどもある巨大な“それ”からは、
無数の管が飛び出し、地面や壁へと繋がっている。
あの大きなものが、この街の動力源と思われる。
発電機の様なものだろうか。
この街の電力を賄っていたであろうその風貌は、威風堂々としていた。
その装置の足元に、ふたつの影を見つける。
大きな体躯のロボットと、白衣の男の姿。
やっぱりここにいたんだ!
「キズナ!!」
呼びかける私の声に、白衣の男ディアンが気付いた。
光を放つ装置の逆光によってその表情はよく見てとれなかったが、
両手を広げたそのシルエットを見て、察した。
私の脳裏に残る気味の悪い薄ら笑いを、今あの男が浮かべているであろう事を。
そうか、私たちがここに来る事すらも、あの男の想定の内だったのか。
いや、想定というよりは――計画の内、か。
ディアンはゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「やあ、エリル・ビアンカ。わざわざこんな場所までようこそ」
「キズナを返して!!」
私は、その為にここに来たんだ。
ディアンを睨みつける。
彼は私の言葉に、呆れた様な顔をして肩をすくめた。
「まったく、返せ返せ返せ返せ……・。
貴様はその言語しか発声できないのか。陳腐にも程があるな。
ああノア、お前の娘は哀れ極まりないぞ!」
そんな挑発に乗るものか。
私は決めたんだ。
この男からキズナを取り返して、またいつもの日常に戻るんだって!
「キズナは、私の家族なの」
「まぁそう焦るな。せっかくここまで来たんだ。
お前たちも機工技師なら、この街を見て何か思うところがあったんじゃないか?」
ディアン……この男は、零番街についてどこまで知っているのだろう。
もし本当に、お父さんが死ぬ直前まで彼と一緒にいたのであれば、
もしかしたらこの街の秘密を、知っているのかもしれない。
お父さんが成した事の片鱗を、伺い知る事ができるだろうか。
私はディアンの言葉に乗り、先ほど感じた仮説を告げてみる事にした。
「リアクターは、元々この街のモノだったのね」
アグナスが、目を見開いて驚く。
一方ディアンは、その言葉にニヤリと笑って見せた。
やはり、そうか。
私はディアンの期待通りの、いや、それ以上の答えを返した様だ。
彼は、嬉しそうにその場をうろつきながら語りだす。
「ハハッ、もしや見たのか、“ハリストス”を! 素晴らしい……」
ハリ、ストス……?
何の事だ。
あの壊れた人型機工の、固有名称だろうか。
私は戸惑った顔をしていたのだろう、ディアンにそれを悟られた。
「ん? ああ、そうか、お前は知らないだろうな。
いや、“あれ”は私とノアで名づけたのだ。知るはずもあるまいよ。恥じる必要は無い」
下品な笑いを浮かべながら、腹を押さえているディアン。
この男と話していると、はらわたが煮えくり返りそうになる。
睨みつける私を無視して、ディアンは話を続ける。
「ハリストスは“神の子”という意味だ。
ここ古代都市パラミアに伝わる古い言葉でなあ」
「神の子だと? 傲慢だな……」
アグナスの煽りは、あの男には無意味だろう。
それより、今ディアンの言った“古代都市パラミア”という名前。
そうか、零番街への扉を開ける合言葉“我を導け、パラミア”とは、この街の名前だったのか。
ディアンが話す“神の子ハリストス”が何を指しているのか、私にも分かってきた。
恐らく、間違いない。
「もしかして、オリジナルのリアクターのこと?」
「正解だ、エリル・ビアンカァ!
わざともったいぶって話していたというのに、自ら答えを導くとはなぁ。
そうさ、第二世代のリアクターのことを、我々は“ハリストス”と呼んだ」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべながら解説するディアン。
あの時と同じ。
自らヒントをばら撒いて、私が答えに辿り着く様を楽しんでいるのだ。
今すぐその顔面に、拳を打ち込みたい。
だけど、苛立ちは抑え込め。
今はこの男の機嫌を持ち上げておいて、情報を引き出せば良い。
私は、自分自身にそう言い聞かせた。
ディアンは両手を広げ天を仰ぐようにしながら、語り続ける。
「子は母と命の緒で繋がれ、その力を分け与えられる。
ゆりかごの中でのみ、力は真たりうるのだ。
母の温もりを知らぬ忌み子は、人を愚かたらしめる悪魔の化身に過ぎん……」
第二世代のリアクター、と先ほどディアンは言っていた。
その話から想像するに、恐らく地上で普及したものを第三世代と呼んでいるだろうと考えた。
だとすると、第一世代のリアクターとは、一体何だ。
この街――パラミアのリアクターすらも、どこかの文明のコピー品という事だろうか。
ディアンが語る言葉は抽象的すぎて、私には理解ができなかった。
いや、その言葉をもっと良く聞いてみろ。
あの男は、“母”と言った。
第二世代の“ハリストス”は、神の子という意味だ。
だとしたら、第一世代とは、すなわち子の“母”という事ではないだろうか。
神の母……。
そこから連想されるのは、全ての“子ら”の元となった、原初のリアクター。
ああ、そうか、アレがそうなんだ。
私の中で、一つの答えが導きだされた。
第一世代――ハリストスの“母”と呼ばれるリアクター。
あれが、リアクターだなんて思わなかった。
だって、あんなに大きなものなど、聞いた事がない。
そう、それは、今私たちの目の前にある、淡く光を放つ巨大な装置。
あれは、発電機などではない。
リアクター、そのものだったのだ。
なんて事だ。
あんなに大きなリアクターが、この世に存在しているなんて……。
いや、私はこの世界に対してあまりに無知だ。
零番街の存在すら知らなかった私が、“この世界にあんなものが”などとは、なんともおこがましい。
分かってみれば、なるほど納得できる要因がいくつも見つかってくる。
リアクター特有の、温かな緑の発光。
耳を澄ませば聞こえる、ドクンドクンという心臓の様な駆動音。
そこから街中に、永遠に送り続けられる無限のエネルギー。
それは、どこからどうみてもリアクターじゃないか。
どうして気付けなかった。
機工技師を目指しているというのに、どうして。
いや、むしろ逆だ。
技師だからこそ、技師を志しているからこそ、あんな巨大なものは存在し得ないと決め付けていた。
無意識のうちに、それをリアクターだと理解する事を拒んでいたのだろう。
私は、その巨大なリアクターを見上げていた。
その視線に、ディアンも気づいていた様で、またクスクスと笑っている。
「そうだ、お前たちの目の前にあるコレこそ、第一世代。
原初の動力炉、マザー・リアクター。その名を神の母“テオトコス”と言う」
「テオ……トコス……」
呆然と、その母なるリアクターを見上げる。
目が離せなかった。
まるで、女神像に祈りを捧げる信徒の様に。
私が――いや、この世界のみんなが、普段何気なく手にしている様々な機工の心臓部。
未知の技術と云われていたリアクターの原点が、そこにあるのだ。
自然と、涙が出てきた。
テオトコスの放つ光に、圧倒されていたのか。
“起源”との邂逅で、心が歓喜に打ち震えていたのか。
「ああ、分かるぞ、その気持ち……。
機工技師であれば、テオトコスを見て感動しない訳がない。
私やノアとて、例外ではなかった」
ディアンのその言葉で私は我に返ると、涙を拭った。
こんなヤツに、理解なんてされたくない!
アグナスは、衝撃の展開の連続に頭を抱えていた。
私は自分で少しずつ気付けたから良いものの、
これだけの事実を一度に突きつけられたら、混乱するもの致し方ない。
だけど私にも、まだわからない事があった。
ディアンの、本当の目的だ。
零番街を目指していたのは、このマザー・リアクター“テオトコス”を手中に収めるためだったに違いない。
だが、この街への侵入方法を聞きだした後も、ディアンはキズナを手元に置き続けた。
そして――これは私がそう感じていただけではあるが――あの男は、この町で私を待っていた。
一体何故?
キズナと私と、テオトコス。
この3つに、一体何の関係があるんだ。
テオトコスの制御に、何かまた別のカギが必要なのだろうか。
いや、それなら人質のリリーが手の内にある間に聞きだしただろう。
「ディアン、あなたは……一体何が目的なの」
私の質問に、その場をうろついていたディアンがピタリと足を止めた。
「機工都市パラマ・シンを……ノアの創り出したモノを、破壊することだ」
耳を疑った。
街を、破壊する……?
今までのヘラヘラした態度とは打って変わって、ディアンは真顔だった。
冗談を言っているようにも、ふざけているようにも見えない。
この巨大な街を丸ごと破壊するなんて、できるはずが……。
すると、アグナスがぼそりとつぶやく。
「まさか、あの時言ってた、街に爆弾を仕掛けたって……」
確かに、ディアンはそう言っていた。
私たちに手を出させなくする、ただの脅し文句だと思っていたが、そうではなかったという事か。
ディアンはアグナスの呟きを目ざとく聞きつけると、それを鼻で笑った。
「爆弾の100や200、いや、1000を超えたとしても大した被害は出ないさ。
ノアが作ったこの街は、そんなヤワなものではない」
その言葉に、思わず身震いがした。
千を超える爆弾で大した被害が無いだと?
そんな訳がない。
それほどの爆弾があれば、一体何人の無関係な人間に被害が出るだろうか。
だけどこの男には、それが見えていない。
いや、違う。
見ようとすら、していないのだ。
人がどれだけ死のうが、ディアンにとっては“どうでも良い事”。
ハチミツを求めるクマが、蜂の巣を破壊する事を何とも思わぬように、
目的に辿り着く過程で起こりうる殺戮に、興味など無いのだ。
そうだとすると、ディアンは一体どうやってこの街を破壊するつもりなのか。
頭を悩ませていた私は、無意識に自分の服の裾をギュッと掴んでいた。
そしてその時、ポケットの中に何か違和感を感じた。
手を突っ込むまでもなく、その正体を思い出す。
戒めとして持ち歩く様にしていた、ブースターだ。
次の瞬間、私の脳内を電撃が駆け巡った。
あの男の手の中に、これと同じ“もの”がもう一つある。
「アンリミテッドプログラムで、テオトコスを暴走させる気ね……!」
お父さんが開発した、機工の能力限界値を解除する禁断のプログラム。
ディアンはあの工場で、コンピューター端末を弄っていたではないか。
そして、何かの作業を終えて1枚のディスクを取り出していた。
あれは恐らく、アンリミテッドプログラムをコピーしていたのだ。
それを、リアクターに対して使用する。
これだけ大きなリアクターが暴走・爆発すれば、パラミアの町は欠片も残らないだろう。
この大空洞の上には、機工都市パラマ・シンがあるのだ。
爆発の衝撃で空洞が崩れ、地上の街は陥落する。
ディアンは私の回答に、指をパチンとならしてニヤけた。
「不正解だ、エリル・ビアンカ。
だが、良い着眼点だ。おまけで加点してやりたいくらいになあ。
そうさ、私は寛大だからなあ……」
当たらずといえども遠からず、か。
「仮にも原初のリアクターだ。
いくら私が天才だとしても、そう簡単に侵入させてはくれないさ。
そう、あのノアをもってしても、こいつに侵入するのは至難の業だ」
悔しそうな表情と身振りをするディアン。
最新の機工技術でも解明されていないその仕組み。
確かに、その制御プログラムに侵入するのが難しいのであろう事は想像できる。
しかし、テオトコスに直接手をつけられないのなら、一体何にアンリミテッドプログラムを使うのか。
私には、分からなかった。
――いや、きっと私の心は、また分からないフリをしていたのだ。
“それ”は、目の前に、いるじゃないか。
「テオトコスのセキュリティウォールは、並のコンピューターでは100年かかっても突破はできんよ。
だが、コイツを使えば……不可能は可能になる」
ディアンの右手が、“それ”を指差す。
「ノアがこの世に生み出した、全ての機工を過去にする最高傑作。
史上最強の演算能力を持ち、テオトコスを制御させる為に作られた、コイツがいればなあ!」
その指の先には、人型機工がいた。
人型というにはあまりにも巨体。
体を覆うものもなく、部品をむき出しにした滑稽な姿。
肩の歯車にノアの紋章をつけた人型機工……キズナがいた。
キズナが、お父さんの……最高傑作?
あんなにも鈍間で、料理下手で、感情表現もロクにできないキズナが?
頭を抱える私に、ディアンは告げる。
「お前はコイツのことを程度の低い機工だと思っていた様だな。
だが無理も無いさ、コイツの動力のほぼ全てが、普段からテオトコスの制御に使われていたんだからな」
嘘だ、キズナに、そんな機能が備えられていたなんて……。
ディアンの傍に静かに佇むキズナに目を向ける。
キズナは、微動だにしていない。
体はこちらに向いているが、私の方を見ていない。
どこでもない、何も無い空間を見つめていた。
「ノアがコピーしたリアクター――第三世代は、不完全だった。
そう、リアクターはここパラミアの中でこそ永劫の動力を持ち得るのさ」
キズナは、お父さんからの誕生日プレゼントだ。
友だち作りが下手だった私の、遊び相手として贈ってくれたんだ。
「第三世代がやがて動力を失うことを見越したノアは、
テオトコスから遠隔でエネルギーを補充させることを思いついた。
その為に作られた誘導装置がコイツだ。そして――」
戸惑い頭を抱える私に、ディアンはキズナの性能を説明し続けている。
だが私には、もう彼の言葉が頭に入ってこなかった。
キズナは、リアクター制御の為に作られた。
なら、どうしてお父さんはそれを私に与えてくれたんだ。
考えずとも分かる。
きっと、カムフラージュの為だろう。
リアクターを制御できる機工なんて、前代未聞だ。
情報が広まれば、どんな悪用をされるかわからない。
それに、零番街の事も同時に知れ渡ってしまうだろう。
だからお父さんは、隠したんだ。
幼い娘へのプレゼントとして作ったという体にして……。
父親からの愛情だと、馬鹿正直に信じていた私を、隠れ蓑に使っただけなんだ。
私では絶対に、その秘密にたどり着く事が出来無いと、思われていたんだ。
私の中で、信じていたものが次々と崩れていく。
――でもダメだ、挫けちゃダメだ!
力を失いそうになるヒザを鷲づかみにする。
お父さんを疑うな。
あんなにも優しかったお父さんを、信じろ。
今だけで良い。
今だけでも、その疑念を払わなくちゃ、前に進めない!
立て、立ったまま目の前のディアンから目を離すな!
ディアンの言葉を聞き逃すな!
アグナスが、震える私の両肩に手をかけてくれる。
「エリル……」
「大丈夫、大丈夫だから……」
溢れそうになる涙を、目を瞑って抑える。
一滴でも漏らしたら、そこから全てが崩壊してしまいそうだった。
グッと歯を食いしばり、頭に纏わりつく影を振り払う。
顔を上げ、ディアンを睨む。
「ごめんアグナス。ディアンの言葉、聞いてた?」
「ん? ああ……」
「あいつは、どうやってリアクターを?」
自分自身の心の闇を抑えるのに精一杯で、聞き逃してしまったディアンの言葉をアグナスに尋ねた。
「お前のロボットを使ってリアクターに侵入して、動力を逆転させる……とか言ってたな」
なるほど、リアクターへの動力逆転か。
あれだけの巨大なリアクターだ。
動力の最大量は計り知れない。
その大量のエネルギーを、自身を貫く矛に変えようという訳なのだろう。
直接侵入できないから、能力限界を解除したキズナを経由させる。
そしてリアクターは暴走し自らの強大な力に崩れ、地上の街もろとも陥落する。
良く考えられている、悔しいほどに。
ディアンは、私に向けて指を差してきた。
「私と勝負をしろ、エリル・ビアンカ」
「何で、私があんたなんかと……!!」
意味がわからない。
なぜ私がこんなやつと勝負なんてしなくちゃいけないんだ。
それに、一体何の勝負だ!?
「私はなあ、エリル・ビアンカ……ノアが憎いのだ。
そうさ、憎くて憎くてたまらない。
ヤツのことを考えるだけで、血が沸騰しそうな程に苛立つんだ。
だから私は、ヤツの作ったこのロボットを使って、街を滅ぼす」
こいつはそんな事で……憎いからといって、街を破壊しようとしているのか。
そんな事で、無関係な人間を死に至らしめるつもりだというのか。
「そんな自分勝手、私が許さない!!」
アグナスが止めていなければ、飛び掛っていたであろう。
だけどディアンは、怒りをあらわにする私を笑っている。
「許さなくて構わんさ。
だからこそお前は、私と勝負をしなくてはならない。
ああ、他に道など無いのさ。残された道は、そう、ただ一つだ」
「どういう意味よ!?」
怒鳴りつける私を尚も笑いながら、ディアンはパチンと指を鳴らした。
すると次の瞬間、突然部屋が明るくなった。
光源は、右手の壁。
目を移すと、壁にあった大量のモニターに電源が入っていた。
そこに映し出されたのは、機工都市パラマ・シンの町並み。
人々が行きかう姿、買い物をする姿、必死に働く姿、学校で勉学に励む姿、家でくつろぐ姿。
何だ、この映像は……。
一体何が始まると言うんだ。
「私の仕掛けた、爆弾さ」
「てめえ、本当に頭がおかしいみたいだな……」
アグナスがディアンを睨みつける。
私は、モニターから目が離せなかった。
これが本当に、爆弾の仕掛けられている場所だとしたら。
もし、爆発してしまったとしたら一体どれだけの人が――
ああ、そうか。
これが、“勝負”……か。
ディアンが私を待っていた理由が、ようやくわかった。
「この爆弾を、私に解除しろって言うのね」
全てを察した私の言葉に、ディアンはさぞ嬉しかったのだろう。
まるで子供の様にはしゃぎ、飛び跳ねている。
「ハハハ! そう、そうだよ、エリル・ビアンカ!!
私はコイツを使ってリアクターをクラッキングする。
その間お前はこの爆弾を全て解除する。
先に終えた方が、真の勝者となるんだ……!!」
キズナを手のひらでバンバンと叩きながら、喜びを表現するディアン。
虫唾がはしる。
その汚い手で、キズナに触るな!
睨む私と、笑みを浮かべるディアン。
「ああ、お前には大人しくしててもらおう。
真剣勝負に水をさされてはたまらんからな……」
アグナスの事を指しているのだろう。
ディアンが指笛をぴゅうと吹くと、建物の外から1体の警備ロボットが現れた。
あの夜、廃工場の前にいたのと同じ型だ。
「なあに、妙な真似さえしなければ危害は加えんさ」
警備ロボットはアグナスの脇に回り、その腕を掴んだ。
「何しやがる! くそっ!」
「アグナス、従って!」
暴れようとするアグナスを制止した。
「くそっ……」
警備ロボットのアームが、あの時見た銃の様なパーツを取り出していたのだ。
アグナスを、クロンとジョンの様な目に遭わせる訳にはいかない。
「ひとつ約束して、ディアン」
「何だ、言ってみろ」
「私が全ての爆弾を処理したら、必ずリアクターへのクラッキングを止めると誓って」
この約束が取り付けられないのであれば、勝負をする意味などない。
私は毅然とした態度で、それを主張した。
「なんだ、そんなことか……。
言っただろう、私は約束は必ず護ると。
安心しろ、貴様が全ての爆弾の処理を終えれば、私の操作する端末はシャットダウンされる。
キーのひとつとて反応はしないさ。
まあ、お前が先に、解除を終えられればの話だがなあ」
意外にも、その点はフェアに行うつもりのようだ。
勝負が決まれば、悪あがきはしないという事か。
公平を期してこそ、ノアに……私に勝利したといえるからだろうか。
それとも、自分が負けるなどとは思ってもいないだけか。
……どちらにせよ、これで安心できる。
「さぁ、もう問答はいいだろう。勝負の始まりだァ!」
ディアンが、両手を広げて叫んだ。
「ノアの娘であるお前に勝利し、ノアの作ったこの街を破壊できてこそ、私の夢は叶うのさ!!
ああ、そうだろうノア!! 私の存在意義は、貴様の全てを破壊する為にあるんだからなあ!!」
「望むところよ! あなたに勝って、この街を救ってみせる……!!」
絶対に、こいつの好きになんてさせない!
お父さんが守ろうとしたものを、壊させなんてしない!
ディアンはその雄たけびを皮切りに、キズナに1枚のディスクを挿入した。
アンリミテッドプログラムだろう。
それで、最高の演算能力の限界を更に超えた性能を発揮させる気だ。
ディアンはそのまま、キズナをマザー・リアクター“テオトコス”の元へと連れて行った。
無理矢理に動かさせられるキズナが心配だったが、あちらを気にしてばかりはいられない。
私のやるべき事は、こっちだ!
私は、目の前の100を超えるモニターを見据えた。
思い思いに日常を過ごす人々が映る。
みんなの笑顔を、私が守るんだ!
私はモニター群の下にあった端末の電源を入れた。
デスクの上に、キーボードが映し出される。
うん、地上で使っているものと大差ない。
これなら、操作できそうだ。
モニターには、1つ目の爆弾が映し出されていた。
爆弾からの映像は、人ごみを見下ろすような高い位置にある。
町並みを見るに、2番街の商業地区だ。
見覚えがあった。
そうだ、あのパン屋さんを見つけた通りだ!
「第一モニター起動!」
私はエアリアルモニターを1つ起動すると、そこに地図を表示させた。
「サーチ! 二番街、ベーカリー・タチバナ!」
私の声に反応し、2番街の地図上に1つの点が表示された。
2番街4番地区5楼の1号通り。
浮かび上がる住所をつまんでメインモニターに投げ込むと、住所が画面に打ち込まれた。
すぐさま、爆弾が表示する場所とほぼ同じ映像が、浮かび上がった。
ここで間違いない。
私はエアリアルモニターに両手をかざし、ベーカリー・タチバナを示す点を中心に、引き伸ばすように手を開いた。
すると地図は拡大され、より詳細な映像を映し出す。
メインモニターに浮かぶ爆弾からの映像と、地図を慎重に見比べながら、その位置を探る。
どこ、一体どこにあるの?
中々同じ場所が見当たらない。
だけど、焦ってはだめだ。
慎重に、慎重に、見落とさないように――
「……あった!!」
ようやく、目的のものを見つけた。
ベーカリー・タチバナの向かいの店の屋根。
その屋根の上に張られた看板に、小さな部品が取り付けられている。
あれがディアンの仕掛けた爆弾だ。
まだ“生きている”事を示すように、その爆弾は僅かな光を放っている。
私はその爆弾に向けて、一番近い地上の電波塔からクラッキングをしかけた。
距離にして18メートル程度。
問題ない。
相手はセキュリティのかかっていない小さな爆破機工だ、侵入は造作もないだろう。
私は電波塔と爆破機工の位置座標から、電波を飛ばす“道”を作り出す。
「ルート、確保!」
ここまでは簡単だ。
気をつけなければならないのは、ここから先。
小さくシンプルな爆破機工は、極微量の電波情報によって起動し爆発する。
私がもし誤った情報を少しでも送れば、アウトなのだ。
エアリアルモニターに映る地図を更に拡大して、その爆破機工をより詳細に見ようとした。
正八面体型だというのはわかるのだが、細かい部分を見なければその爆破機工の仕組みがわからない。
外装がもう少し鮮明に見られれば、そこから情報を辿って解除コードを導きだせるのに!
デスクに拳を打ち付ける。
これ以上拡大できない、これじゃ、手詰まりだ……!!
「CT202だ!!」
「えっ?」
突然背後から謎の言葉を投げかけられた。
アグナスの声だ。
振り向くと、彼は警備ロボットに身動きを封じられながらも、
爆弾のありかを映しだしているエアリアルモニターを見つめていた。
一瞬戸惑うが、彼の放った言葉の意味をすぐに理解した。
これは、爆破機工の解除コードだ!
機工製作工場で働く彼には、見覚えがあったのだろう。
CT202の解除コードを持つ型番は、7年前に製造された二型削岩用小型爆破機工だ。
そうだと分かってから画面を見れば、確かに不鮮明な画像からもそれに間違いないと確信できる。
私はデスクに映るキーボードで、彼の言ったコードを打ち込んだ。
ごくり、とツバを飲み込む。
コードを送信する為の合図……エンターキーに添える右手の人差し指が震える。
大丈夫、絶対に大丈夫。
自分自身にそう言い聞かせ、左手で右腕を掴んだ。
無理矢理に震えを止め、そして私はキーを押した。
しばしの沈黙。
その後、エアリアルモニターに映る爆破機工は、光を失った。
続いて、メインモニターに「解除完了」の文字が浮かぶ。
頭上のモニター群からも、映像が1つ途切れて消えた。
やった、成功だ!
拳を握り、思わずガッツポーズをした。
でも、喜んではいられない。
まだ1個目だ。
仕掛けられた100の爆弾のうち、たった1つの解除を終えただけなのだ。
ディアンの方に目を移す。
マザー・リアクターテオトコスと、彼の操作する端末が、キズナを経由して連結している。
ディアンの後ろ姿は、とてもコンピューターを操作しているとは思えないほどに踊り狂っている。
6つものキーボードを一度に立ち上げ、右へ左へと移動しながら腕ごと殴りつけるかのようにキーを叩いている。
はたから見れば、無造作にただただ機械を叩いているだけにしか見えない。
だけど、それが正確無比な操作である事は、すぐ上を見ればうかがい知れた。
全身を淡い緑色で包んでいたテオトコスの下部が、赤色に染まりつつあったのだ。
恐らくあの赤い部分が、“ディアンが侵入に成功した割合”なのだろう。
目算するに、およそ12%。
まずい、思ったよりも進んでいる……。
私が1個爆弾を解除する間に、12%だ。
解除コードを突き止めたとは言え、1つ1つ座標特定が必要なため、短縮できても半分だ。
20個も解除するまでもなく、あちらの作業が終わってしまう。
どうしたらいい、どうしたら……。
背後からの私の視線に気付いたのか、ディアンが手を止めてくるりを振り向いた。
「ほらほら、どうしたエリル・ビアンカァ!! 早くしないと、街がドカンだぞ?
いや、この速度では勝ちは決まったも同然か。
ああそうさ、お前では私に勝つことなど“不可能”なのだと、アップデートしておくんだなあ!」
大げさに手と体を動かしながら、私を煽るディアン。
恐らくは、この状況すらもディアンの掌で踊っているだけなのだろう。
あんな男が、フェアプレイの心を持っている訳がなかった。
不公平だと叫んだところで、気にも留めないだろう。
腹が立つ。
初めから不可能なように仕組まれた、こんな勝負に乗ってしまった自分自身にだ。
そう、不可能な……。
……不可能?
ああ、そうだ。不可能なんだ。
何故、そう決め付ける。
決め付けている? 違う、現実を見てみろ。
ここから巻き返すのは“不可能”だろう。
試してみたの?
本当に“不可能”なのかどうか。
試さずとも分かる。抵抗など、無意味だ。
もう休もう、私は十分頑張ったじゃないか。
頑張った?
何が、頑張った、だ……。
挑戦せずに諦める事の、どこが“頑張った”と言えるんだ!
これ以上は、私の心がもたない。
自分が壊れてもいいの?
……構わないと言えば、嘘になる。
すごく怖い。
今も、体の震えが止まらない。
心に纏わりつく茨が、恐ろしくてたまらない。
じゃあ、もう諦めて――
でも!
私は自分が壊れるよりも、
みんなが……大切なみんなが壊れてしまう方がよっぽど怖い!!
いくら心を偽って鼓舞しても、事実が覆る訳じゃない。
わかってる。
だけど私は、機工技師だ。
“不可能を可能にする”、機工技師なんだ!!
「第二、第三モニター、起動!!」
私の叫びに応じて、コンピューターが2つのエアリアルモニターを映し出した。
これで、合計3つのエアリアルモニターが起動した。
迷ってる暇なんてない、もうやるしかないんだ!
「メモリ確保1240TB、セッション予約99!」
私の命令に呼応して、コンピューターが稼動を始める。
「エリル、お前、何を……」
「話しかけないで、アグナス」
ディアンがリアクターを乗っ取りきるまでの時間で、全ての爆破機工を解除する。
ただ単に1つずつ処理していては時間が足りない。
だから、“それを可能にするプログラム”を作り上げるのだ。
綿密な計画がある訳じゃない。
設計の草案もない。
そんなものを作っている時間は、私にはない。
だから、今思いついた事をリアルタイムで形作っていくしか、手がないのだ。
こんな行き当たりばったりの方法で、本当に解決するのだろうか。
心に再び疑念が生まれる。
頭を振り回して疑念を払い、自分自身に言い聞かせる。
やってみなくちゃわからない!
やらずに諦める方が、百万倍愚かだ!!
「モニター3、サーチ! 国立第一機工学園!」
3つ目のエアリアルモニターに、街のシンボルともいえる大きな塔が映し出された。
この街で、最も高い建物だ。
「ハイト調整、プラス360! フォーカス!
モニター2、サーチ! 4番街外壁!」
モニター3番に映る塔がスクロールし、その天辺をズームで映し出した。
ここからなら、街の全てを見渡せる。
モニター2番には、私の住んでいた4番街の一番外側の外壁を映し出す。
まずは、この2点の距離を測定する。
モニター2番と3番に浮かぶ、2つの場所の位置座標を手で掴むと、モニター1番に向かって放り投げた。
「差分計算、メインモニターに転写!」
こうしている間にも、部屋の中は次第に緑から赤に染まっていく。
テオトコスのほうを見ずとも分かる。
もう、20%はディアンの手に落ちた。
残り80%。
間に合うかどうかなんて分からない!
そんな事を考えている暇があれば、手を、頭を、動かすだけだ!
私が今までに学んできた全てを、ここで出し切る。
手を動かせ、思考を止めるな。
この腕に、全てがかかっているんだ。
まるで自分のものとは思えないほどに、指と腕が動く。
そこでふと思い出した。
幼い頃、いつも見ていたお父さんの背中。
真剣な顔で悩み、キーを叩くその姿は、私には何をしているか良く分からなかった。
あの時お父さんは、一体どんな思いでデスクに向かっていたのだろうかか。
今ならそれが、少し分かる気がする。
きっと、この世界に生きるみんなの事を想っていたんだ。
機工技師は、人々の生活に密接に関わるものをたくさん開発している。
それは一歩間違えば、罪のない人を傷つける事にも繋がる。
より便利で、より安全な生活を、世界のみんなが送れるように。
己の人生をかけて、追求する。
それこそが、お父さんの目指した――そして、私の目指す機工技師の姿なんだ。
“きっとお前は、私よりも賢い子になる”。
そう言って私の頭をなでてくれた、お父さんの優しい笑顔が思い出された。
そうだ、お父さんは……私の事を信じてくれていたんだ。
私は理解した。
お父さんが、何故キズナにリアクター制御の力を持たせたのか。
なぜそれを秘密にして、私に与えたのか。
きっとお父さんは、私に託してくれたんだ。
私の頭脳ではそこにたどり着く事がなく、永遠に隠し通せると思っていたのではない。
私がいずれ、キズナの秘密に気づき、そしてそれを世の中の為に役立ててくれる事を見越した。
キズナからリアクター制御の機能を解読して、切り離し、独立した制御機工を組み上げる事を。
告げずとも、いずれ私が自力でたどり着くと、信じてくれていたんだ。
……都合の良い解釈だ。
お父さんがいない今、その真相を知る事はできない。
だけど私は、“お父さんが残してくれた言葉”を、信じる。
ディアンなんかに、その言葉は汚させない!
あの男に勝って、それを証明するんだ!
脳をフルスロットルで回転させ、私は作業を進めた。
それだけが、私がお父さんの信頼に応える、唯一の方法だから。
部屋の色は、真っ赤に染まってきている。
マザー・リアクターテオトコスは、その体のおよそ8割をディアンに乗っ取られていた。
「さあ、残るはあと僅かだ!!」
ディアンがこちらを向く。
次のあの男の反応は、想像に難くない。
「ん……? なんだエリル・ビアンカァ!! 貴様、勝負を諦めたのか」
そう思うのも無理はない。
なぜなら、私はまだ1つしか爆弾の解除を終えていないのだから。
ディアンの言葉を無視して、私は作業を進める。
もう少し、もう少しで完成する……!
手を止めてくれるなら、好都合だ。
「フンッ、まあいいさ、それならそれで。ノアの娘はその程度だったと――」
「できた!!」
ディアンの言葉を遮るように、私の叫びが部屋に響き渡った。
私は作り終えた“それ”を起動させる為、エンターキーを思い切り叩いた。
入力を受け付けた“それ”は、直ちに稼動を始める。
ディアンは、不審そうにこちらを睨みつけている。
「貴様、一体何を……」
あの男がそう呟いた瞬間だった。
私の頭上のモニターに映る、爆弾から送られる映像が凄まじい勢いで消えていったのだ。
よし、成功だ!
モニターに映る映像は、次々と消えていく。
ただ映像を途切れさせたのではない。
キチンと、一つ一つ解除に成功しているのだ。
その証拠に、私の扱う端末のメインモニターには「解除完了」の表示が無数に連なっている。
「なっ、何だと……!? 貴様、何をした!!」
慌てふためくディアン。
答えてなんかやるもんか。
そこで混乱して見ていれば良い。
私が作り上げた、“広範囲爆破機工解除プログラム”の力を!
私はまず、この町で一番高い場所に狙いをつけた。
それが国立第一機工学園の天辺だ。
そこから、街を覆う外壁までの距離を測定し、高さと遠さの差分を導き出す。
そうして“町全体”の容積を割り出し、その全てを探査するのに必要な電波の量を算出した。
次に、二型の爆破機工にのみ反射する特殊な電波を作り出し、
クラッキングした機工学園天辺の電波アンテナから街中にそれを飛ばした。
電波の反射角から、所在地を突き止めたら、
その座標めがけて一直線に“解除コードCT202”を載せた電波を飛ばす。
これらを、全て自動で行うプログラムを開発した。
町全体に探査電波を飛ばすなんて大仰な事、並のコンピューターには不可能だ。
すぐに処理のオーバーフローを引き起こし、ショートしてしまうのが関の山だったろう。
この零番街――古代都市パラミアのコンピューターのスペックに、助けられた。
モニターの電源は尚も消えていき、部屋を照らす光源を減らしていった。
やがて全ての処理が終わった事を知らせるアラートが、私の目の前のコンピューターから発せられる。
94個の解除完了表示と、処理エラーが5つ出ていた。
頭上のモニターを見上げると、4つの映像が映っている。
もう一つはどこに行ったのかと見渡すと、それはちょうどヒビが入ったモニターで、正常に映っていなかったようだ。
私はすぐさまエラーを起こした5件の手動探査に移る。
エラーが起きる事は、分かっていた。
作る時間があまりにも短く、テストを行えなかったのだから、当然だ。
以前の様に、間違いなどあるはずがないとたかをくくるほど、私は愚かじゃない。
むしろ、たった5つに済んだのは幸運だった。
「……クッ、何をしたかは知らんが、こちらも後僅かだ。
遅れは取らんぞ、エリル・ビアンカ!
そうさ、勝負とはこうでなくては困る!! ああ、そうだろうノア!!」
呆然と眺めていたディアンだったが、私がすぐに作業を再開したのを見て我に返ったようだ。
もう少し、こちらに気を取られていてくれれば助かったのに……。
贅沢は言っていられない。
ディアンのクラッキング進行度はおよそ82%。
一方私の爆弾解除は、残り5つ。
届くはずの無い不可能だった勝利が、可能と言える位置まで近づいた。
後は私のこの手で、全力で解除を進めるだけだ!!
「エリル、いいぞ、いけ!!」
アグナスの応援が、心に響く。
私に任せて。
必ず、全てを終わらせる!
エラーの出た5つの爆弾は、屋内に設置されているものだと分かった。
ただの壁であれば探査電波や解除電波を遮断はできない。
だけどそれらは全て、何らかの“電波を遮断する壁”に阻まれていた。
そういう設置をされたものが、5つだけだったのは幸運だろう。
もしディアンが、これすらも見越して、全ての爆弾を電波遮断される位置に配置していたと思うとゾッとする。
いや、その時はその時で、また別の方法で不可能を可能にしていただけだ。
1つ目は、リリーの家の地下工房。
誘拐する為に忍び込んだ際に、設置したのだろう。
地下工房に繋がる電話線に侵入し、そこから解除電波を送った。
――解除、完了! 残りは4つ!
2つ目は、国立機工学園の学長室。
ディアンは、こんな場所に一体どうやって入ったんだ……。
学長室には専用のコンピューターが置いてある。
セキュリティは強固だが、私からすれば造作も無い。
――解除、完了! 残りは3つ!
3つ目と4つ目は、ほぼ同じ場所にある。
私の家の、メンテナンス室だ。
恐らく、キズナを連れ出す時に置いていったのか。
今の今まで気付かなかった自分が、不甲斐ない。
自分の家への侵入は、難航した。
そう簡単に忍び込める状態になどしていないからだ。
少し時間はかかった。
だけどここも、無事に解除完了! 残りは1つ!
部屋は更に赤色を増している。
テオトコスの体を染めるディアンの赤は、もう9割近い。
だけど、あと1つなら余裕で間に合う!
さぁ、最後のひとつはどこだ――
「え……?」
最後の爆弾の位置をメインモニターに映した瞬間、私は思わず声をあげてしまった。
そこには、私の背中があった。
次の瞬間、頭上のモニター全てが、その“最後の爆弾”からの映像を映し出す。
私を背後を振り向いた。
アグナスと、それを捕縛する警備ロボットがいる。
あれだ、あの警備ロボットに仕掛けられているんだ。
戸惑う私を見て、ディアンが立ち上がりこちらを向いた。
視界の端で動くあの男の姿を見て、私は頭を抱えた。
また……また、こいつの思い通りなのか!
「よくぞ最後の1つまでたどり着いたと、褒めてやろうエリル・ビアンカ!
そいつに仕掛けたモノは、他の99個とは違う。
私が作り上げた、この世にたった1つしかないオリジナルの爆破機工さ!」
そんな!
それじゃあ、解除コードCT202が意味を成さない。
オリジナルの爆破機工?
そんなもの、どうやって解除しろっていうんだ!
――いや、慌てるな。
慌てればあいつの思う壺だ。
落ち着け、落ち着くんだ。
私は、胸に手を当てて深呼吸をした。
ディアンはそんな私を見て、腹を抱えて笑っている。
「ここまで私を追い詰めた貴様に、ヒントをやろう。
そいつの解除コードは、10桁の数字だ。そう、私が適当に決めた数字の羅列だ!
ああ、私はなんて慈悲深いんだ……ハハハ!!」
何がヒントだ。
10桁の数字の組み合わせは、およそ100億通りもある。
虱潰しに試すにしても、時間がかかりすぎる。
「おっと気をつけろよ。ちなみにそいつは、一度でもコードを間違えばドカンだ」
「くそっ!!」
涙が溢れてくる。
ここまできて、こんな仕打ちがあるだろうか。
諦めかけた自分を鼓舞して、あんなに必死に頑張ったのに。
何度挫けても、あんなに必死に立ち上がったのに。
どこまで私は、あの男の掌で踊らされればいいんだ!
100億通りのパスコードを割り出すプログラムを作るか?
いや、無理だ。
一度でも間違えば終わり。
総当りはできない。
コンピューターにできる限度を、超えている。
それに、そんなものを作っている時間なんてもう残されていない……。
あの男に関する情報を調べ上げ、数字を割り出すか?
一体いくつあると思う。
そこから10桁の数字を作り上げたとして、それが当たっている確率は?
ゼロだ。
もう、時間が足りない。
テオトコスの侵食は、もう9割5分を越している。
部屋は、血で染め上げたかの様に真っ赤だ。
ダメだ。
何も思いつかない。
私には、何もできない……。
今度こそ、本当に、不可能だ。
「諦めるな、エリル!」
アグナスの励ましも、もう私の心を立ち上がらせる力にはならなかった。
だってもう、おしまいなんだ。
完全に折れてしまった茎にいくら水を差しても、もう花弁に栄養を送る事はできない。
体から力が抜けて、机に顔を突っ伏した。
私の名を叫ぶ声が聞こえる。
きっとアグナスだ。
だけどその声は、もう私には届かない。
全てを諦めた私には、もう届く事はない。
彼には、本当によく助けてもらった。
たった数日だったけれど、本当にありがたかった。
あなたがいたから、私は変わろうと思えた。
あなたがいたから、私は前に進む事ができた。
あなたがいたから、私は道を違えずに済んだ。
だけど……この世界はやっぱり、私の事を拒絶する。
どれだけ私が受け入れようと頑張っても、どれだけ私がその歯車に加わろうと立ち上がっても、
“お前など不要だ”と言わんばかりに、私を突き返す。
視界の隅に、笑いながらキーを叩き続けるディアンの背中が見えた。
私は無性に、腹が立った。
あの男のせいで、全てが狂ったのだ。
……そうだ、同じ終わりだとしても、最期にディアンに一矢報いてやろう。
ここで最後の爆弾を爆発させれば、少なからずディアンにダメージを与えられる。
それは私の負けを意味するが、もうこの状況では、どうでもよかった。
私の一番好きな数字で、あの男に最期の反撃を……。
そう決意すると、私は机に突っ伏した姿勢のまま、無気力にキーを1つずつ叩いた。
さよなら、アグナス。
さよなら、クロン。
さよなら、ジョン。
さよなら、リリー。
さよなら、キズナ。
お父さん、もうすぐ、そっちに行くから――
そして私は、エンターキーを押した。
小さな爆音と、機械のショートする音が響いた。
「ハッハッハッハッハ!!!」
ディアンの笑い声が、部屋に響く。
そのしゃがれた大声は、反響して必要以上に私の耳を刺激する。
不快な、声だ。
ああ、私のあの男への最期の反撃すらも、想像の範疇だったのか。
こんな小さな爆発では、一矢報いる事などできない。
後はもう、ここであの男がテオトコスの制御を乗っ取るのを見守っている事しかできない。
早く、終わらせて欲しかった。
テオトコスの放つ淡く優しい緑色の光すら、私の慰めにはならない。
……緑色の光?
視界を覆う色に違和感を覚えて、体を起こした。
「エリル!!」
突然、後ろからアグナスが私を抱き寄せてきた。
「え? な、なに……?」
アグナスは、どうして無事なの?
どうして……テオトコスが緑色に輝いているの?
ディアンの居る方を見た。
あの男は、端末の前に立ったまま肩を震わせていた。
「ハハハハハ……!!」
小刻みに震えながら笑うその声は、次の瞬間、絶叫に変わった。
「うぉぁああああああああああああ!!!!」
膝から崩れ落ち、地面へと倒れこむディアン。
白衣がヒラリと翻り、倒れるその体を覆った。
一体、何が起こったんだ。
「エリル、お前の勝ちだ!! やったんだよ、すげえよお前!!」
私が、勝った……?
誰に?
私は、何をした?
戸惑いながら、視界の右端にチカチカと光るものを感じた。
振り向くと、頭上の無数のモニターに、4文字の言葉が表示されていた。
それは私の勝利を告げる、希望の言葉。
“解除完了”と。
「そんな……嘘……」
ありえない。
100億分の1だ。
そんなの、当てずっぽうで当たるハズなんてない。
夢だ、これは夢だ。
私を喜ばせた後、悲壮な現実に引き戻し絶望を与える為の罠だ。
「エリル、良く頑張った……!」
アグナスが、私を強く抱きしめながら言った。
それは幼い頃、いつもお父さんが私にかけてくれた言葉。
学業で良い成績を収めた時、お父さんから出された課題を達成できた時、
転んでも泣かなかった時、嫌いな食べ物を我慢して食べられた時。
お父さんは、私の事をたくさん褒めてくれた。
アグナスのこの言葉は、夢なんかじゃない……。
確かに私の耳から、心の奥にそれは響いた。
嘘じゃ、無いんだ……。
現実を受け止めた私の心は、溢れ出す感情を留めるたがを外した。
塞き止め続けた心の叫びが氾濫して押し寄せ、瞳から外へと飛び出す。
「あ、ああ……わたし、わた、し……」
喜びとも、安堵ともいえるそれは、まるで壊れた蛇口の様にとめどなく溢れ続ける。
言葉が、出てこない。
喉が震えて、うまく息ができない。
守れたんだ、私。
この街を。
皆を。
お父さんの想いを。
抱き寄せてくれるアグナスの手に、自分の手を重ねる。
大きくごつごつとした手。
機工技師に向いた、長い指。
まるで、お父さんの手みたいだ。
ゆっくりと深呼吸すると、やがて私の心は平静を取り戻していった。
改めて、メインモニターを見つめる。
そこには確かに「解除完了」の文字が浮かんでいる。
本当に、私は勝ったんだ……。
でも、一体どうして?
何故“あの数字”が、解除コードになっていたのだろうか。
あの男が、知っている訳が無い。
偶然、なんだろうか……。
倒れるディアンの方を見つめる。
彼の操作していた端末からは煙が上がり、バチバチとした漏電を示す音が鳴っていた。
先ほどの爆発音は、あれだったんだ。
その先には、緑色に輝くマザー・リアクターテオトコスがあった。
それは今も、永遠の命の鼓動を刻み続けている。
先ほどまでの赤色が、まるで幻だったかの様だ。
私は椅子から立ち上がり、ディアンの傍で微動だにせず佇むキズナの元へ向かった。
「エリル……」
「大丈夫」
心配そうにするアグナスに、振り向かないまま返答した。
ゆっくりと、一歩一歩キズナへの距離を詰めていく。
近づけば近づくほど、恐怖が私を包み込む。
私の事を、きちんと分かってくれるだろうか?
ディアンに改造されて、もう何もかもわからないただの鉄の塊にされてしまってはいないだろうか?
もう二度と、私のキズナに戻ってはくれないんじゃないだろうか?
疑念が心を包み込む。
だけど、その疑念を無碍に払ったりはすまい。
これだって、私の心の正直な声なんだ。
怖い。
でも私は、それを受け入れる。
拒絶したって始まらない。
“臆病さ”だって、私の心の一部なんだから。
キズナの目前まで、たどり着いた。
アクセスランプは、僅かに光を放っている。
だけど、ここまで近づいた私を認識してくれた様な動作は起こさない。
「……キズ……キズナ。私、だよ、エリル」
反応は無い。
キズナは、リアクターの小さな駆動音を響かせながらただそこに佇んでいるだけ。
「キズナ! 返事して、キズナ!!」
もう一度、お腹から声を振り絞って叫びかけた。
一瞬だけ、アクセスランプが強く光った気がした。
だけど、その光はすぐにもとの弱々しさを取り戻してしまう。
やっぱり、ダメなのか。
受け入れがたい現実を突きつけられ、私は思わず視線を落とした。
もう、キズナは――
そう諦めかけた時、キズナがわずかに動いた。
メンテナンスをしていないからか、酷く鈍重な動きで、私の方に目線を向けてくれている。
どうしたんだろう、一体何に反応したんだ。
少し考えて、ハッと気付いた。
コレだ。
私の後頭部で髪を束ねている、赤いリボン。
キズナのポンコツ視覚デバイスが、唯一認識できる色。
うつむいた時に、これがキズナの視界に入ったんだ。
だけど、その反応はまだまだ弱々しい。
私は、ふと思い出してポケットに手を突っ込んだ。
そして取り出した。
アグナスから渡された、キズナのリボンを。
キズナの目の前でそれを広げると、アクセスランプの光が強くなりはじめた。
「キズナ! 覚えてるのね!? これ、あなたのリボンだよ……!!」
キズナはその大きな手を、こちらにそっと差し出した。
その手は、私の頬をなぞった。
キズナはその陳腐な発声デバイスで、「泣かないで」と私に言った。
なんで、この期に及んで私の心配なんか……。
私の方が、ずっとずっと心配してたんだから……!!
我慢できずに、キズナに抱きついた。
機械油の臭いと、リアクター特有の温もりが私を包む。
「馬鹿……馬鹿ぁ……!!」
間接ひとつ動かすのにも、ギシギシと金属の擦れる音がしている。
数日間メンテナンスをしていなかっただけでこの有様だ。
帰ったら、数日分まとめて、キッチリと手入れしてあげよう。
涙の跡をつけたまま、私はキズナに笑顔を返した。
そしてキズナの右腕の方に回ると、彼の肩にリボンを結びなおしてあげた。
外れてしまわないように、ギュッと強く結んだ。
お父さんが肩に入れた、ノアの紋章と並ぶ、私の証。
「ずっと、ずっと、ずーーーっと、大事にしてね」
私の“お願い”に、彼は「わかりました」と素っ気無く答えた。
それがたまらなく嬉しくて、私は自分でも判るほど、より一層の笑顔を浮かべていた。
アグナスが、いつの間にかすぐそばまでやってきていた。
彼は、床に突っ伏したままのディアンを見つめている。
私もディアンに近づいた。
その背中を見つめ、考えた。
お父さんを――ノアを憎いと言い放ち、その功績を破壊する為に手段を選ばなかった残忍な男。
一体、何がその様な凶行の原因になったのだろうか。
この男は言っていた。
お父さんとは、かつて盟友であったと。
仮にその言葉を信じるとすれば、盟友と呼ぶような仲の相手と決別する何かがあったという事なのだろうか。
そう考えて、私はふと自分自身の事を思い返した。
私と、リリーの事。
私は彼女の事を、心の許せる唯一の友達だと信じていた。
事実、私はそう振舞っていた。
だけど、リリーにとって私は、憎しみの対象でしか無かった。
もしかしたら、お父さんとディアンの間にも、何か決定的な確執があったのかもしれない。
こんな所まで似るなんて、本当に親子なんだなぁと、そんな暢気な事を考えていた。
すると、ディアンの体が動いた。
私とアグナスは、揃って少し距離を置いた。
ディアンは、こちらの事が目に入っていない様子で、悪態をつきながら立ち上がる。
「馬鹿な、私が、この私が……ノアに、敗れるなど……。
ああ、そうさ、そんなこと、ある訳がない……」
ディアンは、フラつきながらショートした端末に向かう。
そして動くはずの無いそれを、叩き始める。
その姿は、とても哀れに見えた。
だけど、否定する気にはなれなかった。
現実を受け入れられず、嘆き、苦しみ、逃避したのは、少し前の私だって同じなのだ。
その背中は、まるで自分を見ている様だった。
「ああノア、どうしてお前は……この街から私を連れ出した」
ぼそぼそと、誰にとも無く呟くディアン。
――いや、これは、お父さんに向けている言葉か。
「あと少し、あと少しで、この世界の機工の歴史を変える発明ができたというのに……。
そうさ、お前が、お前さえ邪魔をしなければ……!!!」
語気が、やや荒さを帯び始めた。
放っておけば、発狂して手が着けられなくなってしまうかもしれない。
私はアグナスに目配せすると、ディアンを取り押さえる為に距離を詰めようとした。
もうこれ以上、そのままにしておいても意味はない……。
だが、その瞬間ディアンが、くるりとこちらを振り向いた。
「わっ……」
私は突然の事に驚き、思わず後ろに倒れてしまった。
ディアンはそんな私を見て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
その薄気味悪さは、ついさっきまでヘラヘラとしていたあの時の表情そのものだった。
そしてその不気味な笑顔のまま、恐ろしい事を口走った。
「お前の“理性”を、解除する。
全てを壊せ、殺せ、駆逐しろぉおおおおお!! ハッハッハッハ!!」
何を、言っている。
この男は、私に向かって、何を意味のわからない事を……。
その時、私の背後で金属の擦れる音がした。
振り向くとそこには、アクセスランプを赤く光らせて、その大きな両腕を振り上げたキズナがいた。
「え……?」
突然の事で、私の脳はその状況を理解できなかった。
キズナが、何をしようとしているのか。
呆然と見つめる私。
高笑いを続けるディアン。
「危ない、エリル!!」
アグナスの叫び声と同時に、私の視界が傾き、体に衝撃がはしった。
体を起こすと、彼が私を突き飛ばしたのだと理解した。
私のすぐそばに、アグナスがうつぶせで倒れている。
その頭部の下に、水溜りの様なものができていた。
「アグナス……?」
手を伸ばした私の指に、ヌルッとした感触が伝わる。
生暖かい。
これは、血だ……。
「アグナス! アグナス!! 起きて!!」
いくら揺さぶっても、彼は反応しない。
それどころか、血だまりは徐々に広がっていく。
一体何が……?
戸惑っていると、突然体を引っ張られて背後から羽交い絞めにされた。
「な、何!?」
「大人しくしていろ、ノア……」
ディアンだ。
振りほどこうと暴れてみるが、ビクともしない。
大人の男の人と私では、力の差がありすぎる。
「暴れるな、ノア。そう手間をかけさせないでくれ……」
錯乱したディアンは、私の事をお父さんと勘違いしている様だった。
必死に体をねじるが、ディアンの腕はガッシリと私を掴んで離さない。
「お前の最高傑作が全てを壊す様を、一緒に見届けよう……」
「え……?」
私は、その言葉を聞いて、目線を前に移した。
そこには、キズナがいた。
アクセスランプを血走る目の様に赤く点灯させ、握った拳に黒い染みをつけた、キズナがいた。
「そのゴミを捨てておけ」
まさか、アグナスを……。
ディアンの命令に従い、キズナは倒れるアグナスの右足を掴んだ。
やめて、何をする気……!?
キズナはそのまま腕をふり、アグナスを後方へと放り投げた。
彼の体は地面に赤い染みを作りながら転がっていった。
手足は投げ出され、まるで壊れた人形の様だった。
「いやあああ!! アグナス!!!」
そんな、アグナスが……アグナスが……!!
胸が締め付けられるように痛い。
すぐに手当てをしないと、手遅れになる!!
「離して……!! お願い、アグナスを……!!」
「お前の闇を引き受けてきたこの私を、今更になって見捨てるのか?」
何を言ってるんだ、この男は……。
いや、理解しようとしても無駄だ。
錯乱して、ここがどこなのか、私が誰なのかすら分かっていないんだ。
「許さん。許さんぞ、そんなことは……。
お前の全てを否定して、私がこの世に生きた証を残してやろう……。
ああノア、そうさ、全てはお前が招いたことだ!!」
「私は、お父さんじゃない……!! 離してーー!!」
いくら暴れても、いくら足で蹴飛ばしても、ディアンを振りほどく事ができない。
するとその時、私の視界がふと暗くなった。
見上げると、そこにはキズナがいた。
血に染まる右手を、こちらに差し出してくる。
「お願い、止めてキズナ……!!」
叫びかける私の声も届かず、私を握りつぶそうとするその手は指を開いた。
思わず目を瞑った。
もう、ダメだ……。
「ハハハハハ!!! さあやれ、全て――」
突然、ディアンの声が途切れた。
私を羽交い絞めにする力も抜けた。
「ぐあっ、や、止めろ! 離せ、離せええええ!!」
振り向くと、ディアンはキズナに頭をつかまれて持ち上げられていた。
私がその状況を理解するよりも前に、ディアンの体は宙を舞っていた。
そのまま壁に叩きつけられ、血しぶきを散らしながらその体は地面へと落ちた。
頭を掴まれて投げられたせいか、首がおかしな方向に曲がっていた。
もしかして、キズナに自我が残っていて私を助けてくれたのだろうか。
振り向いた私は、それがどれだけ甘い考えだったのかを知る事になる。
ディアンを排除したキズナは、再び腕を振り上げていた。
軋む体を無理矢理に動かし、目の前の私の命を奪うために。
ああ、もう、ダメだ。
この状況を受け入れられず、足がうまく動かない。
腕にも、力が入らない。
ただただ、キズナの鈍重な動作を見ているだけしかできない。
キズナの瞳には、汚れた機械油のカスがついている。
それはまるで、彼が泣いている様に見えた。
結局私は、一番大切なものを守れなかった。
ディアンに勝って、この街を救う事はできても、
奪われたキズナの心を、取り戻して自由にしてあげる事ができなかった。
これは、私への報いなんだ。
キズナ、助けてあげられなくて、ごめんね……。
そうやって、私を責めてくれる方が、よっぽど気が楽なんだ。
何もかも受け入れてくれるあなたを見ているのが、辛かった。
だから、せめて最期はその手で――
私は目を瞑って、覚悟を決めた。
そして、風を切る様な音とともに、キズナの腕は振り下ろされた。
鈍い金属音が響いた。
来るはずの衝撃に身構えていた私は、戸惑った。
もうその腕は振り下ろされ、私に命中しているはずだったのに。
なのに私の意識はハッキリとしていた。
もしかして、もう私は死んでいるのだろうか。
恐る恐る、目を開けてみた。
そこには、男の人の背中があった。
破れてはだけた服が、翻っている。
私は、目を離せなかった。
その男の背中に刻まれた、ノアの紋章から。
「……悪い。俺、嘘ついてた」
アグナスの、声だ。
いや、そんなハズはない、私の聞き間違いだ。
だってアグナスは、キズナに……。
「お前を泊めたあの日に見た、星空を覚えてるか?
俺の前の彼女の趣味だ、って言ったやつさ」
目の前にいるその男は、私に背を向けたまま喋っている。
両腕を頭の上でクロスさせ、振り下ろされたキズナの腕を受け止めながら。
「あれ、実は俺の趣味なんだ。
昔付き合ってた女が居たなんてのは、ただ見栄を張っちまっただけ」
ああ、間違いなんかじゃない。
何度も聞いたこの声。
私を包み込んでくれるような、優しい声。
私の目の前にいるこの人は、アグナスだ……。
「エリル、立て!! 立ってコイツを止める方法を探せ!!」
アグナスの怒声にハッと我に返る。
彼の正体に驚いている暇なんてない。
私が今やるべきなのは、キズナを……最愛の家族を止める事だ!!
このままキズナを放置したら、地上に上がって破壊と殺戮の限りを尽くすだろう。
暴走させた張本人のディアンはもう居ない。
私が、なんとかしなくちゃいけないんだ!
アグナスはキズナの腕を受け流し、体勢を崩した胴へ蹴りを入れた。
金属同士がぶつかる鈍い音が響く。
よろめいて壁に激突するキズナ。
「こっちは俺に任せとけ! 安心しろ、壊さねえようにする!」
心配そうに見つめる私の視線に気付いたのか、アグナスはそう言った。
そして再び、キズナに飛び掛る。
違うよ。
私が今心配しているのは――
いや、余計な事は考えるな。
そうだ、私がキズナを止める方法を早く見つけないと、アグナスを危険に晒し続ける事になる。
今はこちらに集中するんだ。
私はディアンがいじっていた端末の傍に向かった。
先ほどショートしてしまった様で、電源が入らない。
だけど、デスクの上にタブレット型のコンピューターを見つけた。
恐らく、ディアンのものだ。
私はそれを起動させた。
端末の中に、ディアンが作ったと思われるウイルスプログラムを見つけた。
恐らく、これを使ってキズナに命令を聞かせていたに違いない。
これを解析して、突破口を探す……!!
背後から、絶え間なくぶつかり合う金属音が聞こえる。
キーを叩き、ウイルスの構造式を紐解いていく。
知識には自信があったが、目の前に広がる構成式に思わず後ずさってしまった。
こんな複雑なもの、今までに見た事が無い……。
それほどまでに、お父さんの作ったキズナを支配する事は、困難だったのだろう。
私の頭は、そこで一つの事実を導き出した。
技術が、圧倒的に足りない。
たかだが十数年生きてきただけの私の頭では、逆転の1手が浮かばない。
爆弾の解除プログラムを作った時の様に、“諦めるのはまだ早い”と、言っていられる時間も無い。
キズナは、今もアグナスを破壊せんと暴走しているのだ。
そして、最期の爆弾の解除コードの様に、当てずっぽうで適当なものを作る手段も無い。
そう、今の私にこのウイルスのアンチプログラムを作るのは、不可能なのだと悟った。
何が、不可能を可能にするだ。
笑わせる。
この状況ひとつ覆せない私は、なんて無力なんだ。
何の力も無い。
何の知恵も無い。
ただの、無力なひとりの人間だ。
わかってる……。
だから、私には必要なんだ。
もっと、もっともっと、たくさんの事を学ぶ時間が、必要なんだ。
そして、世界のたくさんの人たちを助ける事のできる、お父さんの様な機工技師にならなくちゃいけない。
それが、私に託された想いだから。
それが、私が望む、私の未来の姿だから。
今の私が、やるべき事。
今の私に、できる事。
――私にしか、できない事。
私は、ポケットの中から“それ”を取り出した。
“それ”を私の瞳が捉えた時、心を茨が取り巻いて、その鋭い棘で私を傷つけていく。
痛い。
苦しい。
こんなの、嫌だ。
私の弱い心が、拒絶を示す。
……だけど、どれだけ嘆いても、世界が変わる訳じゃない。
世界を変えたいのなら、自分の手で道を切り開いて、進まなきゃいけないんだ!
私は身を翻し、アグナスと組み合っているキズナの元へ走った。
溢れる涙が視界を塞ぐ。
だけど、立ち止まりはしない。
一直線に、キズナを目指す。
「うわあああああああああああああ!!!」
体が示す拒絶反応を無視する為に、私は大声で叫んだ。
心が嘆いている。
やめろ、はやまるなと、弱い私が止めに入る。
その制止を振り切って、私は“それ”を振り上げた。
アグナスと組まれたキズナの腕をくぐりぬけ、
私は“それ”を――ブースターを、キズナのリアクターに叩き付けた。
ガチン!という連結音を立てて、ブースターはがっちりとリアクターに接続された。
ブースターはすぐさま作動を開始し、リアクターの回転数を異常なほどに上昇させていく。
キズナは、腕を振り回した。
あの時と同じ光景。
ただ一つ違うのは、あの時私を守るために突き飛ばしたキズナの手は、
今は私を握りつぶそうとして伸ばされているという事だけだ。
恨んで良い。
あなたを助ける方法を探し出せず、こうするしか思いつかなかった無力な私を……。
私のした事に気付いたアグナスは、キズナを振りほどいた。
「この馬鹿……!!」
彼は慌てて私を抱えると、その場から駆け出して建物の外へと走った。
私には、抵抗せずに、されるがままにするしかなかった。
直後、周囲の空気が振動し、小さな爆音が轟いた。
出力をオーバーフローさせたリアクターが、爆発炎上した音だ。
アグナスは、振り向きもせずに私を抱えたまま走っている。
「エリル、なんで……なんであんなことしたんだ!」
彼は、今までに見た事も無いような辛い表情を浮かべていた。
私は返答の代わりに、彼の首に手を回してぎゅっと抱きしめた。
そのまま、顔を俯かせる。
思い返したくない。
思い返して、その選択が間違いだったのではないかと考えてしまうのが、たまらなく嫌だった。
後悔なんて無い、他の方法なんて無かったんだと、信じたかったから。
だっていくら後悔しても、もう取り返しはつかない。
背後から、ガシャガシャという足音がした。
アグナスの背中越しに後方を覗くと、炎の塊がこちらに猛スピードで迫ってきていた。
「キズナ……!!」
ブースターによって無理矢理に上げられた出力は、皮肉にもキズナの動作速度の向上に役立っていた。
先ほどの爆発でそうなったのだろうか、キズナの右腕はもげて無くなっていた。
左腕だけでバランスの悪いその体は、度々よろめいて石造りの民家の壁を掠めている。
だけどキズナのスピードとパワーは減少するどころか、壁をえぐり取るように砕きながら、むしろ増加している。
アンリミテッドプログラムの力も作用しているのだろう。
上限値を解除され、私のブースターがその上限を悠々と超えた出力を無理矢理に吐き出させている。
私とお父さんの欠陥が作り出した、モンスターだ……。
思わず目を逸らし、まぶたを硬く閉じた。
その姿は、痛々しくて見ていられなかった。
このまま出力が上昇し続ければ、リアクターは爆発する。
その時が、キズナの最期だ。
血が出るほど、唇を噛んでいた。
あふれ出る涙は、この痛みのせいなのだと、ごまかすために。
私は抱えられた姿勢のまま、アグナスの胸倉をギュッと掴む。
「お願い、走って……キズナより、速く……お願い……!!」
私が懇願するのとほぼ同時に、風を切る音が耳に響いた。
聞こえていたキズナの足音も徐々に小さくなっていく。
しばらくして目を開けると、目前に緑色の四角い枠があった。
私たちが零番街に降りてきた、あの長い長い螺旋階段の入り口だ。
ここから街の方を見下ろすと、はるか遠くに赤く燃え盛る塊が見えた。
「一気に行くぞ、掴まってろ!!」
私は無言で頷いた。
直後、アグナスは螺旋階段を凄まじい速度で上っていった。
髪が、風になびく。
ふと、階段の壁を覆う緑色のラインに目を移した。
血管の様に張り巡らされたそれは、テオトコスから送られるエネルギーで私たちを照らしている。
だけどその光は、階段を上がれば上がるほど、徐々に薄くなっていく。
私にはそれが、キズナの命の灯火を表して居るように見えて、思わず目を逸らしてしまった。
「う、ううっ……キズナァ……」
腹の底から溢れ出る感情は、嗚咽によって私の呼吸を乱した。
その名を呼んでも、もうあの声で返事をしてくれる事は二度と無い。
家で私の帰りを待って、歓迎してくれたあの声は、もう二度と聞けない。
栄養たっぷりのまずいご飯も、もう二度と食べられない。
毎朝のメンテナンス……一日で私が最も好きな時間は、もう二度と来ない。
わざとほどけやすい様に結んだあの赤いリボンを、結んであげる事は二度とできない。
「やだよ……やだよぉ……うっ、うう……」
咽び泣く私を、アグナスが無言でギュッと抱きしめてくれる。
幾度と無く私の心に平静をもたらしてくれたその温もりも、この感情を抑える事はできなかった。
「ギズ、ナ、いなくなっちゃ、やだよぉ……!!」
やがて、螺旋階段の終わりに近づいて、壁の光が完全に消えた頃。
キズナの命の終わりを告げる爆音と振動が、私たちの元までわずかに届いた。
- つづく -