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 ――――――――――――――――――――


 世界はいつも、私を拒絶する。


 だから私も、世界を拒絶する。


 私は、この広い世界をたったひとりで生きていく。


 寂しいなんて思ったことはない。


 悲しいなんて思ったことはない。


 強がりなんかじゃない。


 私は、幸せだ。


 私には、キズナがある。


 だから私は、キズナのために生きていく。


 ――――――――――――――――――――



 廊下のど真ん中で呆然と立ち尽くす私を、皆が避けて歩いている。

 高みの見物を決め込んで、こちらを見ながらヒソヒソと小声で嘲る連中もいれば、

 同情や憐れみの眼差しで見つめる偽善者もいる。

 どうせ関わる気などないくせに。

 まあ、当然といえば当然か。

 誰だって、こんな面倒事に巻き込まれたくはないだろう。

 仮に私が彼らの立場だったとしても、おそらくそうする。

 もうこんな光景にも慣れた。

 私の唯一の誤算は、“まさかこんな幼稚な行為を仕掛けてくる事はない”と、

 彼を買い被っていたという点ぐらいだろうか。


 水滴が体を伝い足元の水溜りにポタポタと落ちていくのに合わせて、体温が下がっていくのを感じた。

 水を吸ったシャツとスカートが体に纏わりついて、動きづらい。

 濡れた靴下と靴のままでいるのが、こんなにも不快だとは思わなかった。

 結った髪をギュッと握ると、雑巾を絞ったかのように水がボタボタと垂れた。

「はぁ……」

 大きなため息が出た。

 すると、この騒ぎを聞きつけた彼――目障りなしたり顔のクロン・レクシールが、

 サル山のボスよろしく子分を引き連れて私の目の前に現れた。

 バケツを抱えた“実行犯”は、サッと彼の後ろに隠れた。

 彼は校内一の富豪レクシール家の長男。

 お金持ちらしく、身なりは一目見ただけで立派なものだとわかる。

 つい先日発表されたばかりの高級ブランドの腕時計が、左手首に輝いている。

 髪の毛は、ワックスで固められてツンツンしている。

 まるで、彼の尖った性格を現しているかのようだ。

「おう優等生、そんなにびしょ濡れで一体どうしたんだ!?」

 しらじらしく驚いた様なしぐさをする彼を見ても、もはや笑いすら出てこない。

 私はその声を無視して、服を絞り水を抜く作業を続けた。

「耳が遠いみてえだな」

 無視された事に腹を立てたのか、クロンの声色が変わった。

 ひきつった表情を浮かべているであろう事が、彼の方を見ずとも分かる。

 まだ何か騒いでいるが、私は無視を決め込んだ。

 こういう輩は、反応した方がつけあがる。

 居ないものとして扱えばいい。

 そうすれば、私の世界は誰にも侵されないのだから。

 私の夢は、誰にも邪魔させない。

 そう、誰にも。


 私は、服の水を絞るのを諦めて教室へと向かった。

 さながら海を割るモーゼのごとく、見物していた生徒たちがこぞって道をあける。

 教室には、次の授業の為に早めに訪れていた教師がいたが、ずぶ濡れの私を見ても驚いた顔はしない。

 それどころか、“またか”と言わんばかりの怪訝な表情を浮かべている。

「体調が優れないので、今日は早退します」

 私の言葉を受けて、教師の顔が安堵に包まれ、直後了承の言葉が発せられた。

 レクシール家は学校に多額の寄付をしているし、教育委員会にも顔が利く。

 つまり、大人たちも強い態度に出られない。

 教師連中が厄介者だと思っているのは、こんな幼稚な行為をするクロンではなく、

 その標的とされている私の方だという事だ。

 私はカバンに詰め込まれたボロ雑巾を抜き取って床に叩きつけると、早々に教室を後にした。



 翌朝――その部屋には、朝方だというのに、荒々しい吐息が響いていた。

「あ、ヤダ、動いちゃダメ……。私が動くから、ジッとしてて?」

 動かれるとやりづらいのだと何度も懇願したのに、どうしても彼は動きたいらしい。

 私は彼の上に乗ったまま、その分厚い胸板を両手で押さえつけた。

 手の平から、彼の体温と鼓動が伝わってくる。

 心が落ち着く。

 ずっとこうしていたい。

 彼とこうしている間は、嫌な事も全て忘れられた。

 私はその幸せをより深く味わうため、彼の胸に耳をあてがった。

 温もりが、私の耳から肌を伝って顔全体を包み込む。

 暖かくて、心地よい。

 このまま全てを捨ててしまいたくなる。

 そう、何もかも全て――。

 私は、たっぷりとその温もりを堪能した後、彼にお願いして体勢を変えてもらった。

「んっ、もう少し……奥まで」

 あと一歩届かないもどかしさに顔をしかめながら、彼にしがみ付いた。

 小さな私の体では、彼を包み込んではあげられない。

 抱きついて精一杯手を伸ばしても、彼の背中で私の両手が出会う事はない。

 もう少し大きければ良かったのに、と自分の体躯を恨んだ事もある。

 だけど、小さいなら小さいなりに、それを生かせると最近学んだ。

「ここをこうしたら、どう?」

 彼の最も繊細な神経回路に、私の小さな手で刺激を与える。

 答えがなくとも、その反応を見れば感度が良好なのは一目瞭然だった。

「ふふ、良い感じみたいだね」

 思わず笑みがこぼれる。

 この時間をもっと堪能していたいけれど、そろそろ学校に行く時間だ。

 やや名残惜しさを感じながらも、私は最後に彼の頬に軽く口付けをした。

「……今日は、おしまい。また夜にね」

 汗ばんだ額をタオルで拭いながら、私はそう告げた。

 寝ていた彼は私に無機質な声で感謝の言葉を述べ、体を起こす。

 立ち上がった彼の体で、窓から差し込む光が遮られた。

 とても大きな影が私を呑みこむように包み、少し涼しくなった気がした。

 私は、笑顔で彼を見つめていた。

 一日の中で、私が一番好きな時間が終わったのだ。

 私は床に置いてあった工具箱に、持っていたレンチとドライバーを入れると、いつもの棚にしまった。

「行くよ、キズナ」

 私の後ろをガシャガシャと音を立てながらついてくる彼――

 歯車や間接、それどころか動力炉さえも外部から丸見えな、ポンコツロボットのキズナを連れて、メンテナンス室を後にした。



 私の名前はエリル・ビアンカ。

 歳は、来月で16になる。

 背は同級生と比べると、少しだけ小さい。

 少しだけだ。

 背は小さいけれど、スタイルはそれなりだと思っている。

 胸だってあるし、お腹も出てないし、お尻も大きくない。

 ただ、少し背が小さいだけ。

 それだけだ。

 髪の毛は生まれついてのブロンドで、ツインテールがお気に入り。

 勿論、今日も既にそう整えてある。

 手入れは大変だけど、髪が長いと色々試せて楽しい。


「右指間接の神経は反応95で、左は102。どちらも良好、と」

 先ほどのメンテナンスの結果を記録する。

 テーブルに映し出されたキーボードをトントンと叩いていくと、

 目の前に浮かぶエアリアルモニターに、内容が打ち込まれていく。

「メモリボードの奥にまたゴミがたまってたから、気をつけないとね……。お掃除用に長い棒でも作ろうかな」

 そんな風に頭を悩ませていると、私の脳が栄養をよこせとせがんできた。

 ぐうと鳴るお腹をサッと押さえて、研究机から立ち上がる。

 聞かれて恥ずかしい相手がいる訳ではないのだけれど。


「朝ごはん、おいしいのお願いします」

 私は食卓の椅子に腰をおろし、キッチンに佇むキズナに向けて両手を合わせた。

 キズナは、「かしこまりました」という音声を発して、台所へ向かった。

 いつ聴いても、この発声能力の陳腐さには笑ってしまう。

 人型機工用の優良発声デバイスは、雑貨屋にいけば子どもがお菓子を買う値段で手に入る。

 だけど、私はそれを買おうとは思ってない。



 彼が私の家にやってきたのは、つい最近の事のように思える。

 あれは、私の7歳の誕生日の出来事だった。

 お父さんが、自分の経営する人型機工製造工場から廃部品の塊を持って帰ってきた。

 ……と、思ったのだけれど、それは廃部品の塊なんかじゃなかった。

 あんなの、子供の私でなくても見間違えただろう。

 だって、それには外装なんてなくて、歯車や動力炉が丸見えの古臭いロボットだったんだから。

 肩と腰にある大きな歯車、間接の接合ネジ、体中についているピストン部品。

 数百年前のSF映画に出てくるような、陳腐なロボットだった。

 お父さんが、あり合わせの部品を使って作り上げたらしい。

 よく見れば、お父さんが自分の作品に入れる紋章が、彼の右肩に入れられていた。

 あの紋章は、お父さん以外の手が入った作品にはつかない。

 体の一部の代わりとなる義肢や、自走掃除機みたいな小さなものにもつかない。

 お父さんが一から全て作り上げた、人型機工にだけ入れる証だ。

 彼の大きさは、家の天井に届きそうな程だった。

 2メートルちょっとくらいだろうか。

 上半身が妙に大きくてごつくて、肩と腕もとてつもなく頑丈そうだ。

 その反面下半身は小さく、バランスが悪い。

 私は彼が動いた時、怖くて大声で泣きじゃくった。

 泣き喚く私に、彼は手を伸ばしてきた。

 恐怖で尻餅をついてしまい、床を這いずって逃げようとする私を、お父さんは笑いながら見てた。

 酷い話だ。

 あの時の私は、本当に身の危険を感じていた。

 その大きな手で、握りつぶされてしまうのだろう、と。

 壁まで追いつめられて逃げ場をなくした私に、尚も彼は近づいてくる。

 ガシャガシャとうるさい音を立てて歩いてくるその姿は、当時の私には恐怖以外の何物でもなかった。

 だけどその手がそっと頬に触れた時、私は泣きやんだ。

 恐怖で気付かなかったが、中身がむき出しの彼も、その手だけは柔らかい布で覆われていたのだ。

 彼は私の涙を手で拭い、無機質な音声で「泣かないで」と発した。

 何故だかその声がとてもおかしくて、私は大笑いした。

 泣いたり笑ったりと相当に忙しかったなあと思う。

 そして私は彼に、その日学校で習ったばかりの素敵な言葉を使って、名前を付けた。


 あれからもう9年経つ。

 キズナと過ごす日々は、とても楽しかった。

 友達を作るのが苦手だった私は、いつもキズナと遊んでいた。


 キズナの肩に登って、そのまま歩いてもらうのが大好きだった。

 お父さんは、危ないから止めろって何度も言ってたっけ。

 でも、私程度がしがみついたくらいでは、キズナの重心は少しもブレなかった。

 その頑丈さが、なんだか頼もしかった。


 ボールを転がしても、動きがのろのろで全然取れないキズナを見ているのが面白かった。

 ボールを見てから、屈むまでが2秒。

 ボールを受け取るために地面に手を伸ばすのに3秒。それじゃ間に合う訳がない。

 キズナの足の間を、ボールは無常にも転がり去っていった。


 私が2番街で迷子になった時、キズナが泣きじゃくる私の声を感知して見つけてくれた。

 キズナを見て安心した私は、更に大泣きをして彼を困らせた。

 一見して、巨大なロボットが小さな女の子を泣かせている様に見えたせいか、

 パトロールをしていた警備ロボットまでもが駆けつける大騒ぎになったっけ。


 転んで怪我をした時、大丈夫だったのに、わざわざ担いで家まで運んでくれた。

 周りの人の視線が気になって恥ずかしかったけれど、ちょっとだけ嬉しかった。


 キズナが来てから翌年の、私の誕生日。

 それはつまり、キズナの1回目の誕生日でもある。

 私は、2番街の雑貨屋さんで何時間もかけてプレゼントを選んだ。

 その時に贈ったのが、今もキズナの右肩の歯車に結ばれている、真っ赤なリボンだ。

 お父さんの紋章と並ぶ、私の“証”。

 リボンを選んだのには理由がある。

 もらった時の記憶は定かではないけれど、私が1歳の誕生日に両親からもらったのもリボンだったからだ。

 そして赤い色。

 その色にも、きちんとした理由がある。

 キズナの視覚補整デバイスは安物だったから、まともに認識できるのがその色しかなかったのだ。

 この色なら、キズナにもきちんと認識できる。

 キズナと私は、その日からおそろいの赤いリボンをつける事になった。

 そのリボンは、今も私のカバンに結ばれている。

 キズナに贈ったものも、私のものも、もうかつての燃える様な赤さは失われてしまっている。

 だけど私は、買い換えるつもりはない。

 私とキズナの、絆を結ぶリボンだから。



 料理を作るキズナの背中を見ていると、震動でリボンの結び目がほころび、はらりと地面に落ちた。

 私は椅子からひょいと飛び降りて、そのリボンを拾って結びなおしてあげた。

「はい、ちゃんとつけといてね」

 結び終わり、トントンとキズナを叩きながら言った。

 実はこの結び目、ちょっとだけゆるくしてある。

 私はこの、結びなおしてあげる行為が好きなのだ。

 そんな幼稚な事をしてしまう自分にちょっとだけ呆れつつも、そうしてあげたい願望が勝る。

 今回も、少しゆるめに結びなおした。

 食卓へ戻ろうとすると、キズナが振り向いてそれを止めた。

「何? どうしたの?」

 何かと思って尋ねると、今ので手が汚れたから洗え、と言われた。

 大丈夫だと反論しようと思ったけど、キズナはこのあたり頑固なのだ。

 何年か前、似たような件で喧嘩した経験もある。

 確かあれは、公園に散歩に行った時だった。

 お弁当を食べようとした私に、今みたいに手洗いを強要してきた。

 今時町中に水道なんてないから、結局家まで戻る羽目になったというお粗末な散歩となった。

 キズナは私に関する事は、譲らない。

 私は反論するのを諦めて、台所脇の水道で軽く手を洗った。

 再び食卓へつくと、すでにキズナの作った朝ごはんがおかれていた。

 白いごはんと、ちょっと焦げた焼き魚、薄味すぎる野菜の和えものに、味噌を溶かしたしょっぱいスープ。

 はっきり言って、おいしくない。

 魚は時代遅れの骨だらけのものを使うから食べにくいし、あろうことか骨まで食べろなんていう。

 でもキズナいわく、味はともかく栄養バランスは完璧……らしい。

 ちなみに、我が家にもちゃんとそれなりの即席料理製造機は置いてある。

 ハンバーグやステーキ、ラーメンにカレー、炒め物、煮物、高級宮廷料理まで、なんでもござれの万能機器。

 選んだ料理によって、材料から転送されるため、こちらで準備する事は何も無い。

 月額で使用料を払えば、なんとこれが使い放題なのだ。

 だけどキズナは、栄養バランスが悪くなると言って頑なにそれの使用を拒んでくる。

 優秀な家政用人型機工なら、それがなくても味とバランスを整えた物を用意してくれるのだろうけれど……。

 キズナにその両立を願うのはオーバースペックだと、頭が理解するのに3カ月、舌が理解するのに2年かかった。

「まずいー。もっとおいしくしてよ」

 嫌味っぽく言ってみると、「努力します」との言葉だけが帰ってきた。

 努力を初めてもらってはや数年。

 私も、本気で言っている訳ではない。

 このやり取りも、日常の一部みたいなものだ。


 キズナの作ったオイシイオイシイ朝ごはんを食べていると、来客がある事を知らせるブザーが鳴った。

 食卓の上のボタンを押すと、そこに男の人の立体映像が映し出される。

 立体映像から「郵便のお届けにあがりました!」という元気な声が聞こえた。

 いつもの郵便屋さんだ。

「すぐ行きまーす」

 私は食器を置いて、玄関へと赴いた。


 扉を開けると、そこには爽やかな笑顔であいさつする郵便屋さんがいた。

 着方の見本かというように、ビシッとシワの無いスーツを着こなしている。

 端正な顔立ちで、性格も相まって女の人にモテそうだ。

「おはよう、ビアンカちゃん」

「おはようございます。いつも御苦労さまです」

 郵便屋さんは、肩から下げた袋から数枚の手紙を差し出してきた。

「今日は、紙の手紙が2通と、あとレターメモリーが1通だね」

 レターメモリーとは、使い捨ての立体映像記録・再生媒体の事。

 10分間程度の立体映像と音声を記録できるので、メッセンジャーツールとして重宝されている。

 私は郵便屋さんの差し出した3通の手紙を受け取ると、さっそく裏返して差出人を見た。

 紙の2通は広告だった。

 レターメモリーの方は、叔父からだ。

「ありがとうございました」

 私は、郵便屋さんに軽く頭を下げた。

 郵便屋さんは、私を見てにこやかに一言返してくる。

「ビアンカちゃん、今日もかわいいね」

「お世辞を言っても何もでませんからね」

 苦笑いしながら、私もそれに応えた。

 彼が勤めるのは、“時代遅れの郵便屋”をコンセプトにした、歩いて町を回って手紙を届ける郵便会社。

 今の時代、レターメモリー程度は電送装置を使って相手の家に直接転送する事ができる。

 でも、時代の逆行をあえて行うサービスは、この町の人間に意外とウケているらしい。

 私は特にそういった思い入れは無いが、お父さんが昔から使っていたのでそのまま契約を続けている。

「そうだ、これの配達、お願いします」

 郵便屋さんに、ポケットに入れていたレターメモリーを差し出した。

 手紙を受け取った郵便屋さんは、それを眺めた後、私に問いかけてくる。

「これ、ID配達だね。別途手数料がかかるけど、大丈夫かな」

「はい、よろしくお願いします」

「了解! 確かに承りました」

 この街の住人には、個人に対して専用のIDが割り振られている。

 公共機関での様々な手続きを円滑に進める為や、

 個人情報を取りまとめて管理する為などに使われている。

 そして、そのIDに対して手紙を送る事もできる。

 主に、決まった住所を持たない旅人や、今どこにいるか定かでは無い相手に対して使われる。

 郵便局はそのIDの人物の所在地確認申請を出し、政府がそれに答える。

 配達員は指定された場所へ赴かなければいけないため、安くはない手数料がかかる。

 それでも私は、その相手に手紙を送るため、何度も利用している。

「それじゃ僕はこれで。よい一日を!」

 郵便屋さんは軽く笑ってから、そう言って去っていった。

 颯爽と走り去るその背中を、私はしばらく見つめていた。

 そして私はその視線を、台所で佇むキズナに移す。

 ……同じ人型機工でも、これだけ差があるという現実。

 でも、それに対して私が抱くのは、劣等感や悲壮感じゃない。

 キズナをあれ位――いや、あれ以上の人型機工にして見せる。

 私の心はそういった、どちらかと言えば、希望と自信で満たされていた。

 今はまだそんな技術は私には無いけれど、いずれ必ずできるという確信があった。

 その為に日々勉強をして、世界一の機工技師を目指しているのだ。


 私は玄関の扉を閉め、戸に寄りかかりながらレターメモリーを起動した。

 どうせ中身はわかっている。

 起動が完了すると、レターメモリーの上に叔父の映像が映し出された。

 白髪混じりの髪に、無精ひげ。

 みすぼらしい服を着ていて、立体映像で見ているだけでも嫌悪感を受ける。

 なんだか腹が立って、私はレターを逆さに構えて叔父の姿を宙吊り状態にした。

 やがて、その映像から音声が再生され始めた。

『エリル、元気でやってるかい。生活には困ってないかい』

 しらじらしいセリフが並べたてられる。

 これだけ聞くと優しい叔父にも見れるが、本心は別だ。

 これらの言葉は、醜い本心を濁す為の前置きでしかない。

 生活に困っているのは、どっちだ。

 私のそんな苛立ちをよそに、叔父の音声は続く。

『お前のお父さんの件だけど、そろそろケリをつけた方がいいと思うんだよ……。

 遺産に関しては、私たちに任せて貰えれば上手くしてやれるから……だから今度の――』

 音声が最後まで再生される前に、私はレターメモリーを握りつぶした。

「……お父さんは、絶対に戻ってくるもん」

 握りつぶしたそれは、まだ拳の中で喋っていたが、私は構わず玄関脇のダストボックスの中に叩きつけた。

 ダストボックスは、私の苛立ちを体言するかのように、瞬時にそのレターメモリーを粉々に分解した。

 ムスっとした態度のままリビングに戻り、再び食卓につこうとするとキズナが大きな手で遮った。

「わ、わかってるってば」

 私はそう言って、キズナに言われる前にもう一度手を洗ってから食卓についた。


 さらにしばらくして、朝ごはんを丁度食べ終えようとしていた頃、再び来客を知らせるブザーが鳴った。

 今度は誰だろう。

 立体映像が描いたのは、一人の少女の姿だった。

 私はそれを見て目を丸くして、すぐに壁にかけてある電子時計を見た。

 いつもならもうとっくに朝食を終えて、支度を完了させている時間だ。

「ごめん、すぐ行くからちょっと待ってて!」

 立体映像にそう声をかけると、「わかった」と返答が返ってきた。

 私は残りの朝食をほおばって水で一気に流しこむと、自分の部屋へ駆け込んだ。

 忘れ物がないかを確認してからカバンを持ち、鏡の前で全身をさっとチェック。

 なんとなくズレているように見えたリボンの髪飾りをキュッと締め直し、急ぎ足で玄関へ向かった。

「キズナ、いってきます」

 靴をはきながら手を振ると、キズナも「いってらっしゃいませ」と手を振って送り出してくれた。

 相変わらず、手を振るたびの金属がこすれる音がひどい。

 帰ってきたら肩にオイルを差してあげようと心に決めて、私は家を出た。



「おはよ、リリー。お待たせ」

 家の前に、三つ編みを両肩に垂らした黒髪の女の子――私の友達のリリーが待っていた。

 背は比較的低く、私と同じくらいだ。

 私のほうが少し高い。

 体の前で、カバンを両手で持つその姿は、その臆病な性格を現している様だ。

 メガネをかけていて、今日もいつもと同じく暗めの服に身を包んでいる。

 視力矯正技術が発達した今の時代、メガネを使う人も珍しい。

 以前聞いた時、リリーは言っていた。

 自分の事で両親にお金の負担をかけたくないから、メガネにしているのだと。

 その容姿が現す通り、彼女はそれほど明るい子ではない。

 学校での成績は、どちらかというと低い方だ。

 でも彼女は、私が心を許せる唯一の人。

 彼女の方も、私といる時は心なしか感情が豊かな様に思える。

「おはよう、エリルちゃん」

 リリーはややか細い声で私の挨拶に答えると、口角を少しだけ上げて笑った。

 友達になったのはふた月ほど前。

 彼女の方から声をかけてきたのがきっかけだった。

 最初は彼女のささやかな表情の変化を見分けられなくて、コミュニケーションに戸惑った。

 だけど今はもう、どんな小さな表情だって見逃さない自信がある。

 私とリリーは、ふたり並んで歩きながら学校を目指した。


「エリルちゃん、それ新しいのだね」

 リリーが、私のツインテールの根元に結び付けたリボンを見て言った。

 気付いてくれたのが嬉しくて、私は上機嫌で説明を始める。

「うん。2番街の外れにあるスエルテ・ブエナってお店知ってる?」

「……確か、2週間くらい前にオープンした所だっけ」

「そうそう、そこで見つけたんだけどさ。ここ、ちょっとこの部分回してみて」

 私は、リボンについた小さなダイヤルのようなものを指差しながら、リリーに頭を向けた。

 リリーがダイヤルを回すと、リボンの色がその度に七色に変化していく。

 回し方を調節すれば、微妙な色合いで止める事もできる。

「わぁ、すごい……」

 顔を上げなくてもリリーの驚く顔が想像できて、思わずにやけてしまう。

 このリボンはただの布ではない。

 糸の様に細い電子回路を丁寧に織り込んでいる為、ダイヤルに合わせて色を変化させられるのだ。

 気分によって、着る服によって、色を変えられる。

 単純なリボンの形だから、アレンジもしやすいし、つける場所も自由自在。

 リリーにそう説明してあげると、彼女は目を輝かせていた。

 自分で作ったものでもないのに、彼女がこのリボンに興味津々なのがすごく嬉しかった。

「今度のお休みの日さ、一緒に買いに行こうよ。リリーに似合うの選んであげる」

「ホント? じゃあ、約束……」

「うん、約束!」

 私は、リリーが差し出した小指に自分の小指を絡ませて笑った。


 しばらく他愛ない話をしながら歩き、私がふと宿題の話を出した時だった。

「あ!」

 リリーが素っ頓狂な声を上げて立ち止まった。

 まただ。

 この声を上げるのがどんな意味をもたらすのか、私にはわかる。

 出会ってから3日足らずで気づいた事実だ。

「待ってるから、とってきていいよ」

「う、うん、ごめんね。すぐ戻るから……」

 申し訳なさそうな表情で私に何度も頭を下げながら、リリーは来た道を戻って行った。

 2本の三つ編みが、彼女の大慌てさを体言するかのように暴れていた。

 彼女は、忘れ物の常習犯なのだ。

 毎日最低1回は、何かしら忘れ物をする。

 宿題忘れはもはや日常茶飯事。

 忘れずに持ってくると、雪が降らないかと先生に心配されるほどだ。

 だからこうやって彼女を待つ事も、同じく日常茶飯事。

 私は、道の脇の段差に腰かけた。

 下には人工の川が流れていて、せせらぎが耳を癒してくれる。

 この水は、上流階級の人間が住む1番街の泉から流れているものだ。

 泉から2本に分れた流れは、それぞれ商店の建ち並ぶ2番街、居住区であるここ4番街へと続く。

 そして両方の流れは、機工工場で溢れる3番街へと収束する。

 昔、お父さんに教えてもらった。

 私は青く眩しい空を見上げながら、お父さん……と呟いていた。


 お父さんは6年前に失踪した。

 私が10歳、キズナが3歳の誕生日を迎えた次の日の事だった。

 朝起きたら、いつもいるはずのお父さんの姿が無かった。

 お母さんは私を生んですぐ死んでしまったから、家に残されたのは私とキズナだけになった。

 数日後、保護者不在のために私は叔父の家に引き取られる事になる。

 だけど、当時からお金の事ばかり考えている叔父を良く思っていなかった私は、反発した。

 優しくしてくれるのも、いち早く私の引き取りを申し出たのも、全部お金のため。

 世界でも有数の機工技師として名を馳せた、お父さんの――ノア・ビアンカの莫大な遺産が目当てなのだ。

 ほどなくして私は叔父の家を飛び出し、お父さんと暮らしていたあの家に戻ってきた。

 キズナと一緒に、2人で生きていく事を誓った。

 皮肉な事に、保護者不在のままの生活が許され、

 更に学校にも通えるようになったのは、ほかならぬお父さんの遺産の力。

 学園長は、この機工都市パラマ・シンの市長でもあり、政財界にも顔が利く。

 私は町への“秘密の寄付”を約束して、学園長に手を回してもらったのだ。

 そして、家政用人型機工のキズナを保護者として認めさせた。

 だけど、断じて入学試験の不正はしなかった。

 歴代トップの成績で試験をパスした私には、元々そんな物は必要ないからだ。

 私は学校で常にトップの成績を保っていた。

 一度たりとも、誰にも負けた事はない。

 私には、お父さんのような名機工技師になる夢があるから、努力は怠らない。

 全ての機工技師が目指すべきもの、それは「不可能を可能にせよ」という言葉だ。

 はるか昔、技師の開祖と云われる伝説の機工技師が残した言葉らしい。

 その言葉を目指して、できる事はなんでもやった。

 学べる事はなんでも取り入れた。

 時間が許す限り研究して、挑戦し続けた。

 世界一の技術を身につけて、ポンコツロボットのキズナを最新の人型機工に作り替える為に。

 そして有名になって、世界のどこかにいるお父さんに私の事を見てもらう為に。


 あの優しい笑顔をもう一度見たい。

 あの柔らかい声でもう一度私の名前を呼んでもらいたい。

 あの逞しい腕でもう一度包み込んで欲しい。


「……エリルちゃん、どこか痛いの?」

 真横から声を掛けられてハッとして振り向くと、心配そうに私を見つめるリリーがいた。

 何事かと思ったら、頬に違和感を感じた。

 気づかないうちに、涙を流していたようだ。

 私は頬を袖で拭うと、すぐ元気な笑顔で返答した。

「なんでもないよ。ちょっとあくびしちゃって!」

 リリーの手に下げられているカバンを見つめた。

 念の為、先ほど彼女が持っていたものが全部あるかを見回す。

 一応、大丈夫みたいだ。

 忘れ物を取りに戻って、別の物を置いてきて忘れる……。

 嘘みたいだけど、本当にあった怖い話。

「よし、遅刻しちゃうから急ご」

「うん」

 私たちは、再び学校へ向かって歩き出した。



「じゃあここで」

「うん、また教室で……ね」

 校門が近づくと、私は足を止めてリリーを見送った。

 バイバイと手を振り、彼女は校舎へと入っていった。

 ここからは、またひとりぼっちの時間が始まる。

 リリーの為には、止むを得ない事なのだ。

 私はその場で、時計を見ながら数分の暇をつぶした。

「……よし、そろそろいいかな」

 リリーから5分ほど遅れて、私は校舎の中へ入った。



 授業開始までに時間がある為、エントランスロビーでは数人の生徒が雑談していた。

 生徒の集まりの中に、ある人物を見つけて私は思わず眉をしかめた。

 また、あいつらがいる。

 出来れば関わり合いになりたくない。

 だけど、教室へ続くポータルゲートに乗る為には、彼らの前を通らなくてはならない。

 私は顔を俯きながら、足早にポータルゲートへ向けて歩いた。

 気付かないで、と何度も念じながら。

「おい見ろよ、優等生のご登校だぜ」

 願いもむなしく、そのグループの一人が私を見つけて声をあげた。

 近寄ってくる男の子たち。

 集団の中から一人が前に出て、私の行く手を阻んだ。

 サル山のボス、クロンだ。

 彼は背がそれなりに高いから、私の通常の目線では目を合わせなくて済むのがせめてもの救いだ。

「何しに来たんだよ、お前はもうここでやることなんて無いだろ?」

 いつもの嫌味が始まった。

 私は無視して進もうとしたが、グループの他の男の子に行く手を阻まれてしまった。

 皆、私を蔑むような目で見てくる。

 体がびしょ濡れだった昨日の様にはいかないようだ。

 無視を決め込んだ私に苛立った彼が、子分たちに渇を入れたのだろうか。

 どちらにせよ、邪魔な壁には変わりない。

「どいて」

 取り巻きを睨みつけて見たが、少したじろいだ者がいるぐらいで大した効果は無かった。

 グループには流されて所属している気弱な連中もいるが、周囲に仲間がいる事で気が大きく保てる様だ。

「優等生は授業なんかいらねえだろ? なあみんな」

 クロンは、わざとらしく取り巻きに呼びかける。

 呼びかけに応じて、それを肯定する声がちらほらと上がる。

 腕を組んで得意げな表情を浮かべているクロン。

 こんなのでグループを牛耳っているつもりなのが、笑えてくる。

 私は沈黙を貫いた。

 言い合いは時間の無駄。

 馬鹿には何を言おうが関係ない。

「お前がいると、クラスの士気が落ちるんだよ」

 俯く私を覗き込むクロン。

 私はそれに合わせて顔を背ける。

 確かに、彼の言う事に間違いはない。

 私は機工いじりの才能には自信がある。

 授業だって、私には初歩的すぎて聞いていて飽き飽きする。

 でも、出席日数が足りなければ、技師としての資格はもらえない。

 退屈な授業中、私は遥かに進んだ箇所を自習している。

 そんな私が常に成績トップで大きな顔をしていれば、反発が起きるのも無理はない。

 ……だから私は、彼の言葉に何も反論しなかった。

 まぁ、大きな顔をしているつもりは、私には無いのだけれど。

 他人を蔑んでも何も始まらない。

 そんな暇があれば自分を磨けばいい。

 誰かを蹴落とす為に使うその足は、自分を蹴り上げる為に使うべきだ。

 そう言いかけた事が何度もあったが、喉元で抑え込んだ。

 言っても無駄だ。

 他人の足を引っ張る事でしか自分の矜持を保てない凡人に、この高説はあまりにも哀れだろう。

 ここは早くやり過ごして、教室に向かいたい。

 クロン達は、教室では――いや、教師の前では、“優等生”を演じているからだ。

 無論、教師たちがこの事実を知らない訳ではない。

 だが表立った場所で彼らがそう振舞う以上、手が出せないので黙認しているという訳だ。

「……もうやめなよ」

 すると、グループの中から一人の男の子が出てきて、クロンを制止した。

 クロンと瓜二つの顔立ちをした彼は、クロンの弟のジョン。

 服装は兄とは対照的で地味目な印象。

 ただし、みすぼらしい訳ではなく、地味ながらも高級感というか清潔感がある。

 髪の毛も大分落ち着いたセットがされている。

 背は、兄のクロンよりも若干低い。

 例えるならば、クロンのトゲトゲしさを丸くした容姿、と言ったところか。

 性格もまさにその容姿の通りだ。

 もし初対面でふたりを見比べたとしたら、ほぼ正反対な彼らを兄弟とは誰も思うまい。

 頭も良く、手先も器用で、座学・実技ともに学年でも上位の成績を誇る。

 1位を取り続けた私が、去年唯一僅差まで迫られた相手でもある。

 ジョンもグループの一員ではあるけれど、稀に私に助け船を出してくれる。

「お前は黙ってろよジョン。それともなんだ、優等生の肩でも持とうってのか?」

 クロンがジョンを睨みつけて言った。

 私を擁護すれば、次の標的にされる。

 だから普段は、誰も私の味方はしない。

 俯きながらも私はジョンの事を心配していた。

「見てよ兄さん、もう時間だよ」

 そう言ってジョンはクロンに腕時計を見せた。

 兄とおそろいの、高級ブランドの腕時計。

 数字の描かれた盤面に、2本の針で時間を指し示すという昔ながらの技術を再現したものらしい。

 私にもそれが見えたが、そのタイプの時計の読み方は知らなかったので、ホールの電子時計を見た。

 そこには、授業開始5分前の時刻が表示されていた。

「……フン、行くぞみんな」

 不服そうに鼻を鳴らして、クロンは教室へ繋がるポータルゲートへ乗り込んだ。

 ジョンは兄のクロンの行動原理をよく理解している。

 体面上は優等生として振舞わねばならない彼にとっては、遅刻は厳禁なのだ。

 “私を庇った”のではなく、“兄へ助言をした”という体裁で、助けてくれた。

 さすが、学年で成績上位を取り続けるだけあって頭がきれる。

 子分連中も次々にポータルへ乗り込み、教室へ転送されていった。

 私は安堵のため息を漏らした。

 次からは、授業開始ギリギリに来るべきだろうか。

 そんな事を考える私に、ジョンが丸めた紙くずの様なものを投げつけてきた。

 それは私の胸に当たり、地面へ落ちる。

 ジョンは私に目で何か合図を送ると、ゲートに乗って消えた。

 何だろうと思ってそれを拾ってみると、それはホログラムシートを丸めたものだった。

 広げると、空中に今日の授業の予定が映し出される。

 どうやら以前貰っていた授業予定から、一部が変更になったようだ。

 普通こういうものは3日前には配られる。

 それが私の手元になかった理由はひとつ。

 クラスの連絡係が、私にだけ“配り忘れた”のだろう。

 だけど、ジョンのお陰で助かった。

「……ありがとう」

 私は聞こえない事がわかっていながらも、感謝の意を言葉にして小声で呟いた。



 その日の授業は、いつもの様に退屈だった。

 教材に載ったままの当たり前の理論を、当たり前の様に教える教師。

 こんな事しかやらないから、いつまでたってもお父さんみたいな技師が現れないんだ。

 不満を胸に抱きながら、私は授業そっちのけで、自分で集めた資料や学術書を読んでいた。

 こういう態度も、私が周りに拒絶される原因の一つなのかもしれないとふと思った。

 だけど、無駄な事をしているより、夢に近づく為にはこちらの方が有意義なはずだと私は信じている。

 気付けば、その日の授業は全て終わっていた。


 カバンに教材を詰め込むと、私は急いで教室を出た。

 私の敵しかいないこの教室から、一刻も早く立ち去りたかった。

 ……リリーも同じクラスなのだけれど、彼女とは学校内では無関係を装っている。

 理由は、先ほどのエントランスロビーでの出来事を見ればわかるはずだ。

 私を擁護しようとした人間は、次の標的にされる。

 リリーにはそうなってほしくなかった。

 一緒に登校するのは、リリーから言い出した事だ。

 私は勿論反対した。

 誰かに見られたら、噂を広められたら、リリーに迷惑がかかる。

 だけどリリーは冷静だった。

 今時徒歩で通学する生徒なんてほとんどいない。

 だから、学校の敷地前まで一緒に行くのなら問題無いはずだ、と。

 最初は不安もあった。

 だけど1週間ほど一緒に登校を続けるうち、リリーの言葉が正しいと信じられた。

 このひと月…20日ほどの登校日があった中で、徒歩通学の生徒を見かけたのは合計2回だけ。

 考えて見れば当たり前だ。

 安価で性能のいい家庭用ポータルゲートが発売されてから、徒歩通学をする生徒は激減した。

 安価とは言っても、一般人からすれば相当なお値打ちものではあるのだが。

 嫌がらせの主犯格であるクロンたちのグループはほとんどが上流階級で、1番街に住んでいる。

 1番街に住める人間が、ポータルゲートを買えない訳がない。

 いや――ポータルゲートすら用意できない家だと思われたくない見栄から、購入しない家は無い。

 普段私は、周囲を気にしながら通学をした事がなかった。

 だから、リリーに言われて始めて気が付いたのだ。

 登校する合間に出会うたくさんの通行人の中に、この学園の生徒がほとんどいないという事実に。

 お陰で今は、彼女と一緒に登校するのも、楽しみな時間のひとつになった。


 私はエントランスホールまで降りてくると、いの一番にある場所を目指した。

 授業が終わるとすぐに、私はいつもその場所へ向かう。

 この学園で私が安らげる数少ない場所、「研究棟」だ。

 この機工学園に隣接する大きな塔状の建物。

 その仲には、生徒に与えられる機工実技を学ぶ為の教室がたくさん詰め込まれている。

 教室には、様々な工具や機材、設備、書物が揃っている。

 通常は数人の生徒で班を作って、1つの部屋を割り当てられる。

 だけど私は、無理を言ってひとりで高層の一部屋を使わせてもらっている。

 主席の私の頼みという事もあり、しぶしぶだが学園長も了承してくれたのだ。

 クロンたちとのいざこざを知っている学園町が、さすがに研究棟で何かやらかされては被害が大きいと危惧した結果だろうか。

 それもまた、私が周囲から反発を受ける理由のひとつ。

 ――いや、もうこれについて考えても切りが無い、やめよう。


 私は与えられた研究室の戸を開け、中へと入った。

 窓から西日が差しこみ、部屋はうっすらとオレンジ色に照らされていた。

 この夕日の色が、私はとても好きだ。

 部屋でひとり、十分に夕日を堪能した私は、電子ロッカーの前へ向かった。

 電子ロッカーとは、物体を電子情報に分解して保管できる小さなロッカーで、

 その性質上、どんなに大きいものでもしまう事ができる優れ物だ。

 パスコードをかければ、セキュリティも抜群。

 世界中のハッカーを集めても突破できない強固なガードを誇っているのだ。

 それ故に、パスコードを忘れた時の手続きが面倒なのが玉にきずなのだけれど。

 そういえば、一軒家をまるごと電子ロッカーにしまったっていう馬鹿な話も聞いた事がある。

 取り出す際に、出現した家につぶされてその人は死んでしまったらしい。

 収納できる容量は決まっているし、そんなのは作り話な訳なのだけれど。

 まあ、大げさな教訓話といったところだろうか。

 そんな事を考えながら、私は電子ロッカーに10桁のパスコードを入力した。

 すると、扉が開いて中から拳ほどの大きさの機工部品が出現し、私の手の平に落ちた。

 私はそれを見て、思わず笑みをこぼす。

 これが、キズナを立派な人型機工にする為の第一歩。


 全ての人型機工には、“動力炉リアクター”と呼ばれる器官が備え付けられている。

 機工が動作をおこなう為の全ての動力を生み出す要であり、人間でいうと丁度心臓にあたる。

 永久に動力を生み出す特殊な機工の為、安価なものは存在しない。

 その全ては高価であり、希少。

 政府がリアクター強奪に重い罪を制定する前は、酷い有様だった事は言うまでも無い。

 勿論、お父さんの残したお金があれば、最新型リアクターのひとつやふたつは軽々と購入できる。

 だけど私は、キズナを新しくしてやる事に関しては、お金で解決しないと誓っている。

 材料費、研究費、維持費は例外だ。。

 でも、技術でどうにかできる箇所は、なるべく技術で補いたい。

 それが私の――天才機工技師ノアの娘、エリル・ビアンカとしての誇りだった。

 私は、作業机に置いたその部品を見つめた。

 これの名前は“出力増幅器ブースター”。

 リアクターに接続する事で、その出力を飛躍的に上昇させられる装置。

 ……に、なる予定だ。

 この世界にそんなものは存在しない。

 私の組み上げた理論から作った、全くの新しい機工部品。

 うまくいくかわからない――なんて考えはこれっぽっちもなかった。

 自分の理論に絶対の自信があった。

 これが完成すれば、必ずリアクターの性能は向上する。

 キズナの鈍重な動きも、これで改善してやれる。

 楽しみで仕方がなかった。

 とはいえ、まだ未完成なのも事実。

 私は、拡大スコープをかぶり、部品の細部を見つめながら配線の調整を行っていった。



「世界でひとつの宝物〜♪ それは愛しき君のこと〜♪」

 歌いながら、上機嫌で配線を溶接していく。

 だけどその時、突然背後で何かが動く気配を感じた。

 ここは私専用の個室。

 用がある人間なんて、いるはずが……。

「……来ちゃった」

 聞き覚えのある声に振り向くとそこには、黒髪おさげの少女が立っていた。

「リリー!?」

 思わぬ来訪者に、私は面喰らった。

 工具を握りしめて驚愕の表情を浮かべながら、しばらく彼女を見つめていた。


 リリーが研究棟の私の部屋に来るのは、今日が初めてだ。

 でもよく考えれば、ここは私の個室。

 ここならば、他の生徒に見られずに密会する事もできる。

 どうして早く気付かなかったんだろう……。

 悔やむ私をよそに、リリーが話しかけてくる。

「エリルちゃん、さっきの歌、なに?」

「えっ!?」

 聞かれていた事が分り、私は動揺した。

 顔面が熱くなるのを感じる。

 ただ聞かれていたのが恥ずかしいだけじゃない。

 この歌は、特別な歌なのだ。

 世界でたった2人しか知らない、特別な歌。

 ……昔、お父さんが、私に贈ってくれた歌。

 恥ずかしいけれど、リリーになら教えてもいいかな。

「えっとね、これ、私が小さい頃に、お父さんが……作ってくれた歌なの」

 言おうと決心しても、歯切れは悪く、手も足ももじもじしていた。

 脳も溶け出しそうな程熱くなった自分の顔を、必死に手の平で冷やす。

「そうなんだ、素敵だね」

 正直を言うと、少し怖かった。

 もしかしたら馬鹿にされるんじゃないか、って思っていた。

 少しでもそんな疑いを持ってしまった自分を、心の中で叱った。

 私は、熱にあてられたかの様な上機嫌ぶりで、歌の事をリリーに話してた。

 歌を贈られた、誕生日のあの日の事。

 歌詞に入っている数字を並べていくと、私の生まれた月、日、時間を現す10桁の数列になる事。

 父が実は音痴だった事。

 ……音痴の話は、さすがのリリーも大笑いした。

 ごめんなさいお父さん、ネタにしちゃいました。


 それから私とリリーは色んな話をした。

 とても楽しかった。

 彼女が興味を示したので、ブースターについても説明してあげた。

 つい夢中になって細かい仕組みまで話してしまったけれど、リリーには少し難しかったみたいだ。

 それでも彼女は、私の心意気を理解してくれた。

 自分の手でキズナを立派にしてあげるという、その気持ち。

 そう考える事こそが立派なのだと、褒めてくれた。

 私は、誰かに自分を認められる事の嬉しさを思い出し、気づけば涙を流していた。

「え! だ、大丈夫エリルちゃん!?」

 心配して慌てるリリー。

 大丈夫だよ。

 そんな一言さえ伝えられない程、私は感極まっていた。

 お父さんが失踪してから、私を認めてくれる人はいなかった。

 私に向けられたのは、常に妬みの視線。

 それに慣れていた。

 慣れていたから、大丈夫だと思っていた。

 でもやっぱり……認めてもらえるのは、嬉しい。

 しばらくして涙が収まり、ゆっくりと事情を話すと、リリーは私の頭を優しくなでてくれた。

 それが嬉しくて、私の目からはまた大粒の涙が零れ落ちた。


 リリーと話していると、突然研究室につけられたスピーカーから音楽が流れ始めた。

 間もなく閉校の時間だと告げる音楽。

 窓の外の景色を見ると、もう陽が落ちる寸前だった。

 こんなにも時間の経過を早く感じた事はない。

 もう、楽しい時間も終わり。

 でも私は、寂しさと同時に明日への期待で胸がいっぱいだった。

 この部屋で、またリリーとお話しよう。

 キズナのいる私の家と、この私の個人研究室。

 安らげる場所が2つに増えた。


「帰る支度するから、ちょっと待っててね」

「うん、わかった」

 私はリリーを待たせると、使った工具や材料を工具箱にしまっていく。

 リリーは私の片づけをそっと見守っていた。

 ここは私の研究室。

 工具のしまう場所、材料の配置、全て私がやりやすいようにいつも片付けている。

 それをわかっているリリーは、でしゃばって手伝おうとする事はなかった。

 椅子に座ったまま、じっと私の片付けが終わるのを、ささやかな微笑みと共に見守ってくれている。

 お互いに分り合えている気がして、またちょっと嬉しくなった。

 私は作りかけのブースターをそっと持ち上げて、電子ロッカーへ向かう。

 今日完成させる予定だったけれど、あまり作業は進まなかった。

 それでも、明日の放課後にまた作業をすれば、完成できるはずだ。

 もう中身の配線・溶接は完了している。

 あとは外装の調節と、リアクターとの接合金具を取り付けておしまいだ。

「キズナ、明日まで待っててね」

 私は電子ロッカーを開いてブースターをしまい、パスコードを入力してロックをかけた。

 よし、片付け終わり。

 カバンを手に取り、私はリリーと研究室を出た。


「あ、そうだリリー。そういえば、スエルテのことなんだけどさ」

「朝言ってたリボン屋さん?」

 実はリリーに、あのお店の他にもう一つ教えたい場所があった。

 朝は時間が無くて話せなかったけれど、今なら大丈夫だ。

「その近くに、おいしそうなパン屋さんがあったの。

 スエルテに行く前に、そこでお昼ご飯たべていかない?」

 キズナと2番街を歩いている時に見たパン屋さん“ベーカリー・タチバナ”。

 ショーウィンドウの外から見かけただけだけど、狐色でふわふわしたおいしそうなパンが並んでいた。

 お店から香ばしい匂いが微かにただよってきていて、思わずよだれを垂らしてしまった。

 思い出すだけで、今も口の中が潤ってくる。

「しかもそのパン屋さん、生地から全部手作りなんだって」

「て、手作りなの!?」

 リリーが驚きの声を上げる。

 無理もない、私も“手作り”の売り文句が書かれた張り紙を見て同じ反応をした。

 即席料理製造機があれば、ボタンを押して2秒で作れるパン。

 手作りだと、材料を混ぜ合わせて生地をつくり、しっかりこねてのばして、形を作って……

 オーブンとかいう熱効率の悪い加熱器具で熱してふっくらさせる。

 ここまでの工程を必要とするとても面倒な料理だ。

 懐古主義のサービスや商品が増える昨今、私はそれらに特に興味は無かったが、そのパン屋にだけは惹かれた。

 やはり人間というものは、胃袋への刺激には弱いものだと思い知らされた。

 その時は晩御飯の準備がしてあるから……とキズナに止められて食べられなかった。

 だからどうせなら、リリーと一緒にそのお店で食事をしたいと、そう思った。

「どう? 行ってみない?」

「……うん、行く行く」

 リリーはほんのりと微笑みながら、頭をこくこくと縦に振った。

 やった。

 素敵な週末が過ごせそうだ。

「じゃあさ……」

「あ!」

 私が更に話を続けようとした時、突然リリーが立ち止まった。

 この素っ頓狂な声をあげる理由はただ一つ。

「はい、これあの部屋のカギね。私は下で待ってるから」

「ご、ごめんエリルちゃん……」

 彼女が要件を言う前に、私は研究室の鍵を手渡した。

 あの部屋に忘れ物をしたのだ。

 言わなくても分かる。

 部屋を出る前に、彼女の私物が残っていないか、もっと見ておけば良かった。

 私の落ち度、かな。

「……すぐ、行ってくるね」

 リリーはバツの悪そうな顔をした後、私の研究室のあったフロアまで走っていった。

 また、三つ編みが暴れていた。



 私は一人、エントランスロビーの長椅子に腰かけてリリーを待っていた。

 退屈なこの一時も、私にとっては大事な時間。

 ポケットから一枚のコインを取り出して、握った拳の上に乗せる。

 そして、そのコインを指の動きだけで左右へと転がした。

 手先の器用さを高める訓練のひとつで、機工技師ならおよそ誰でもできる。

 昔、お父さんに教わった。

 このコイン転がしそのものの速さや正確さを競うコンテストもあるらしい。

 世界チャンピオンは、手の平を介して一周させるだけではなく、それを3枚同時に行えるんだとか。

 そうして時間を潰していると、閉校まであと10分のアナウンスが流れた。

 時間を過ぎるまでに下校しないと、警備の人に怒られる。

 とはいえ、リリーを置いていく訳にもいかない。

 呼びにいくべきか、待つべきか……。

 私が迷っていると、ふと視界の隅に人影が映った。

 その方向に目を移すと、研究棟に入っていくジョンの姿が見えた。

「こんな時間に、どうしたんだろう」

 一瞬不審に思ってしまったけど、よく考えれば何も不思議な事はない。

 ジョンは勉強熱心な方だし、時間ぎりぎりに研究棟を使う事だってあるだろう。

 人気も無い事だし朝のお礼をしたかったけれど、彼は少し離れた場所にいた私には気付かなかった。

 また今度にしよう。

 私は研究棟にジョンが消えたのを確認した後、再びコインを転がすのを再開した。


 5分ほど経って、リリーがようやくやってきた。

「はぁ、はぁ、ごめんね……。部屋がどこか、わからなく、なっちゃって……」

 私の前まで走ってきたリリーは、ひざに手をついて肩で息をしながら途切れ途切れに言った。

「……カギのナビ使わなかったの?」

 リリーからカギを受け取って、持ち手の部分についたボタンを見せながら私は苦笑いした。

 ボタンを押すと、目の前に自分の今の位置と部屋の位置を示したエアリアルモニターが出てくる。

 ナビを使えば、開ける扉なんて一目瞭然。

 こんなに時間がかかる事もなかっただろうに。

 忘れてた……と泣きそうな表情になるリリー。

 忘れ物がもはやそんな所にまで及び始めたのか。

 おっちょこちょいな彼女を笑い飛ばして、私は椅子から立ち上がった。

「あ、そういえば、ジョンとすれ違わなかった?」

「……?」

 突然の問いにリリーは首をかしげ、横に振った。

「会ってないなら別にいいんだけど。さ、帰ろ」

「うん」

 別にジョンが閉校間近に研究棟で何をしていようが、私には関係ない。

 この時間帯は、エントランスホールにも人はほとんど居ない。

 私は、堂々とリリーの手を引きながら下校の途についた。



「ただいまーキズナ」

 家についた頃には、すっかり夜になっていた。

「あー疲れた……」

 玄関でゴロンと寝ころび、大の字になって伸びをする。

 今日はいつもより良い日だった。

 私は思わず天井を見ながらニヤけていた。

 リリーとお休みの日に出かける約束をした。

 一緒にパン屋さんにも行くんだ。

 彼女といっぱい話が出来る場所の存在にも気付いた。

 それに、ブースターの完成も近い。

 思い出し笑いをしていると、私の頭上――家の奥からズシンズシンという音が聞こえてきた。

 ポンコツロボットさんのおでましだ。

 キズナは「おかえりなさいませ」と言うと、私の放りだしたカバンを拾った。

 そして私に、晩御飯の用意ができている事を教えてくれた。

 それを聞いてようやく、台所の方から流れてくるおいしそうな匂いに気がついた。

 同時に私のお腹もぐうと鳴る。

 晩御飯は期待できるかな?

 “今日の良い出来事”の中に、「キズナがおいしいご飯を作れるようになった」という項目も入れられるかも。

 私は、ワクワクしながら食卓へ向かった。


 夕食をペロリと平らげて、食器を片づけた。

 ……期待していた分、ショックは大きかった。

 空腹と言う名の調味料が無ければ、絶望に打ちひしがれて世界を呪っていたかもしれない。

 それでも私は笑顔だった。

 我ながら小さな事でよく喜ぶものだと自嘲したいところだけれど、嬉しいものは嬉しい。

 その気持ちに、嘘はつかない。

 明日が楽しみだ。

「キズナ、明日を楽しみに待っててね」

 この言葉の意味がよくわかっていないキズナを見て、私はまた笑った。

 彼の頭上に浮かぶハテナマークが見えるようだ。

 ブースターをつけてあげたら、喜んでくれるかな。

 今日は明日の為に早く寝よう。

 そう決めた私は、いつもより早くお風呂に入って、いつもより早くベッドで横になった。


 翌日、朝早くにリリーから連絡が入った。

 具合が悪いから、一旦病院で検査をしてから学校に行く事にしたそうだ。

 登校中、リリーと過ごせなくなってしまったのは残念だ。

 でも具合が悪いのなら仕方ない。

 それに私には、今日はブースターを完成させるというやるべき事がある。

 朝食をサッと済ませて、私は足早に学校を目指した。

 学校に向かうのがこんなにウキウキしたのは、初めてかもしれない。



 その日の授業は、いつにも増して耳に入らなかった。

 席についてからずっと、ブースターの最終仕上げの光景ばかり考えていた。

 妄想は膨らみ、ブースターが世界的に認められ、賞を取り、表彰状を贈られる私の姿がそこにあった、

 リリーがいつ登校したのかも覚えていない。

 お昼休み、クロンたちのグループにポンコツがどうだのと何か言われたような気がする。

 でも今はそんな嫌がらせ、私にとってはとてつもなく些細な事だった。

 授業が全て終わった時、私は誰よりも早く教室を飛び出した。


 今までの作業を凌駕するスピードと精度で、私はブースターを完成させた。

 ――といっても、今日の作業は外装調節と接続金具の溶接だけだから簡単だったのだけれど。

 完成したブースターを保護フィルムで包み、カバンの中にしまった。

 ワクワクが止まらない。

 胸の高鳴りを抑えつけながら、私はすぐに帰路についた。



 いつもより早く帰宅した私に、驚いているキズナ。

 私はそんなキズナを、さっそくメンテナンス室へと誘導した。

 こんな時間にメンテナンスをするのも初めてだ。


「じゃあ、じっとしててね。動いたらダメだよ」

 キズナを仰向けに寝かせて動かないように命令した後、私はリアクターのカバーを外した。

 そこには、不思議な光を放ちながら動力を生み出し続ける部品がはめ込まれていた。

 ドクン、ドクンと、それは人間の心臓の様に、キズナの全身へとエネルギーを供給している。

 全ての人型機工の心臓部。

 これの出力が上がれば、より細やかで機敏、そして力強い動きができるようになる。

 勿論、体への負荷は増える。

 だけど、お父さんの作ったキズナの体は元々かなり頑丈だった。

 それに加えて私が、今日この日の為に間接部品などを強化・調整してきている。

 全く問題はない。

 むしろキズナは、リアクター出力に対して体が頑丈すぎたのだ。

 だからあれほど鈍重な動きしかできなかった。

 ……でもこれからは違う。

 このブースターがあれば。

 私はキズナの上に乗ったまま、右手に収まる程のその小さな希望を見つめていた。

 そして、寝かせたキズナの体に目を移す。

「これが、第一歩だよ」

 キズナに放った言葉。

 でもそれは、半分は自分自身に言い聞かせる言葉だったのかもしれない。

 私は、リアクターにブースターを接続して、スイッチを入れた。

 しばらくして、ブースターが徐々にリアクターの出力を上げていった。

 内部のコイルが回転する音が大きくなってくる。


 ……でも、私はその音のおかしさに気がついた。

 私の組んだブースターでは、ここまで回転数が上がるハズはない。

 妙な違和感を覚えたその時、私の体はキズナの上から吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。

「きゃあ!!」

 肘を打ち付けたみたいだ。

 すりむいて血が出ている。

 なぜ吹き飛ばされたんだろう……。

 私はゆっくりと起き上がり、キズナの方を見た。

 そして言葉を失った。


 キズナのリアクターから、火が出ていた。

 なんで?

 どうして?

 私の理論は完璧だったはず。

 違う、私が間違っていたのか。

 部品の組み方が違った?

 配線の溶接が甘かった?

 考えても分らない。

 どうしたらいいのかわからない!


「お怪我はありませんか」と、キズナの発したその声で、私は我に返った。

 私が吹き飛んだのは、炎上を察知したキズナが、私を護るために腕で弾き飛ばしたのだと理解した。

 私はすぐ部屋の隅から消火器を持ってきた。

 だけど、慌てる私の手はもつれ、消火器のロックをうまく解除できない。

 焦れば焦るほど手は震えてしまう。

 お願いだから、早く……!!

 しばらくしてようやくロックを外した私は、チューブをキズナに向けてレバーを引いた。

 白い煙がキズナに噴射され、赤く燃え上がる炎を塗りつぶすように覆い尽くした。

 これで火は収まった。

 だけど、リアクターが発する熱は未だ変わらない。

 ポンコツとはいえ、リアクターもキズナも生半可な作りじゃない。

 私のお父さん、天才機工技師のノア・ビアンカが作った人型機工だ。

 こんなボヤ程度ではビクともしない。

 でもこのままリアクター出力が上がり続ければ、爆発してしまうかもしれない。

 ……ブースターを外さないと。

 私はもう一度キズナを寝かせると、リアクターに接続されたブースターに触れた。

「熱っ!!」

 その熱さに、思わず手を引っ込める。

 でも、キズナはもっと熱いはず。

 キズナは私の身を案じて、止めるように言っている。

 そんな要求、聞いてられない!

「あああああっ!! くっ……」

 私は火傷を我慢してブースターを鷲掴みにして、引きちぎって投げ捨てた。

 リアクターの異常回転は、徐々に収まっていった。

 キズナはどうやら無事のようだ。

 何も無くて本当によかった。

 安心した途端、火傷をした手の痛みが急に増してきた。

 キズナが心配して近寄ってくる。

 だがその体は、まだ熱を帯びている。

 キズナ自身もそれに気づいたのか、それ以上私に近づく事はなかった。

 騒動の名残を表すように、メンテナンス室の電気がチカチカと点滅していた。



 火傷の応急処置をした私は、再びメンテナンス室に訪れた。

 一体、何がいけなかったのか。

 ブースターを確認して原因を究明しなくてはならない。

 そもそも、もっと実験をしていればこんな事にはならなかった。

 自走掃除機とか、小さな機工で試していればよかったのだ。

 自分を過信しすぎた結果がこれだ。

 私は、メンテナンス室の隅に落ちているブースターを見つけた。

 まだ煙が立ちのぼっている。

 消火器の残りでそれを冷やした後、ゆっくりとカバーを開いた。

「……え?」

 飛び込んできた光景に、眼を疑った。

 なんで配線がこんなに滅茶苦茶になっているのか。

 熱で溶けたとか、そういうレベルじゃない。

 明らかに私が作った配線じゃない。

 ――いや、正確に言えば、私が作った配線を“滅茶苦茶に細工されている”。

 誰の仕業か考えて、私は2つの出来事を思い出す。


 昨日、閉校間近にジョンが研究棟を訪れていた事。

 そして、詳しい内容は覚えていないけれど……クロンがお昼休みにポンコツがどうだのと言っていた事。


 許せない。

 思わず、拳を堅く握りしめて震えていた。

 血がにじむほど強く唇を噛んでいた。

 悔しくて、怒りの表情のまま涙を流していた。


 私は壊れたブースターをポケットに突っ込んで、家を出た。

 外は夕方になったばかり。

 クロンたちはまだ学校にいるはずだ。



 私が学校に着くと、丁度クロン、ジョン、その他の取り巻き連中が帰宅しようとしていた所だった。

 家へ続くポータルゲートを開こうとするクロンに私は詰め寄る。

「クロン!!!」

 今まで見せた事のない私の怒声にたじろぐクロン。

「な、なんだよてめえ……」

「なんで!? なんであんなことしたの!?」

 私はクロンの肩を掴んで揺さぶった。

 周りに生徒がたくさんいたが、そんな事どうでもよかった。

 問いたださなければ気が済まない。

 いや、問いただしたとして、気が済む訳が無い。

「何の話だよ、離せよ!!」

 クロンに振りほどかれたあと、私はポケットからブースターを取り出してつきつけた。

「あんたが配線を滅茶苦茶にいじったせいで、キズナが壊れちゃいそうだったんだからね!!」

 壊れたブースターを見て、クロンはしかめっ面をする。

 何の話だかわかっていない風を装いたいらしい。

 とぼける気?

 そんな芝居にはだまされない。

 そう考えていると、クロンの後ろでジョンが俯いているのが見えた。

「ジョン、あなた何か知ってるんじゃないの」

「……」

 ジョンは黙って俯いたまま答えない。

 この反応は、絶対に何かを知っている。

 私に助け船を出してくれるジョンが自分の意思でそんな事をするはずがない。

「クロン、あなたがジョンに命じてやらせたんじゃないの!?」

 私は再びクロンに掴みかかる。

 クロンはいい加減面倒そうに、知らないと言い捨てて私を再び振りほどいた。


「……違うよ、僕でも兄さんでもない」

 涙声で、ジョンが呟いた。

 自分でも兄でもない。

 つまり、ジョンは誰が犯人か知っているという事だ。

 こうなったら、彼を問い詰めて吐かせるしかない。

 どんな手段を使っても。

 そう心に決めた時、ふとクロンが口を挟んできた。

「大体よぉ、てめえのその訳わかんねえガラクタのことなんか俺らが知るかよ」

 当たり前だ。

 私のブースターの理論が、こんな連中に理解できてたまるものか。

「つーか例え俺らだとしても、管理が甘すぎんだよ。お前の責任じゃねえの?」

 管理が甘い?

 そんなはずはない、ありえない。

 ブースターは厳重に電子ロッカーで管理していた。

 パスコードなしでは開けられるはずがない。

 10桁のパスコードは私しか知らないし、誰にも教えていない。

 メモにだって残していない。

 完全に私の頭の中だけにしか無い数字だ!

 そして研究室そのものにかけたカギ。

 陳腐なものだけど、あれもカギが無ければ開けられない。

 物理的な破壊には弱いけれど、そこまでやればさすがに学校側も黙ってはいない。


 一瞬、冷静になった。

 そう、クロンやジョンにそれが出来たはずが無い。


 ……じゃあ、一体誰が?


 その時、私の脳裏にある人物が浮かんだ。

 ブースターの理論を知っていて、私が居ない間に研究室のカギを開けられて、パスコードに関わる10桁の数字を知る唯一の人物。

 でも、そんなはずが――


 浮かんだ人物がちょうど、私たちの騒ぎの横を通り抜けて帰ろうとしているのが見えた。

「待って!」

「……?」

「リリー、あなたなの……?」

 私は泣きながら、リリーに壊れたブースターをつきつけた。

 私の手は震えていた。

 リリーは、私が突きつけた部品をじろじろと見まわして首をかしげた。

「……これ、どうしたの?」

 何食わぬ顔で彼女はそう言った。

 だが、彼女が犯人なら全ての辻褄があう。

 私が電子ロッカーにブースターをしまった時、彼女は同じ部屋にいた。

 上機嫌で注意も特にしていなかった私の背後から、パスコードを読み取れるチャンスはあった。

 それに、例えその時全てを読み取れなくとも、10桁の数字を彼女が予想する事は出来ただろう。

 直接的には教えていなくとも、“あの歌の10桁”である事は想像に難くない。

 私がしたブースターについての解説を聞いていた彼女なら、どこをいじれば壊れるかも分ったはずだ。

 成績が別段良くはない彼女だって、技術を学んでいる技師の卵には違いない。

 内部配線を作り終えたと言った私が、翌日の仕上げで中身を改めて確認しないという事も想像できただろう。

 そして、忘れ物をしたと言ってひとりで研究室に戻った事。

 戻ってくるのが妙に遅かったという事。


 私は状況証拠を一つ一つ頭の中で整理していた。

 全ては彼女が犯人だと示している。

 だけど、それは想像でしかない。

 彼女が本当にやったという証拠は一つも無い。

 そうだ、きっと何かの間違いかもしれない。

 リリーに謝らなきゃ。

 疑ってごめんね、って言わないと。

 私のたったひとりの、心を許せる友達なのに――


「リリーが、やったんだ……。僕、昨日見たんだ」

 錯乱する私をよそに、ジョンがリリーを指差して言った。

 ジョンに視線を移そうとした直前、彼を睨みつけるリリーの表情が目に入った。

 それは、いつもの彼女からは想像できないほどの苛立った表情だった。

 彼はその鋭い視線から逃れるように目をそらす。

 だが、怯まずに言葉を続けた。

「エリルの研究室の中で、その部品をいじってるリリーを、見たんだ……!」

「嘘だよ。嘘、だよね……! ジョン!! 嘘って言って!!」


「本当よ」


 ジョンが私の質問に答える前に、リリーの口からその言葉が発せられた。

 その時の彼女の表情が、一体どんな感情を現しているのか……私には全くわからなかった。

「あなたがバラさなければ、シラを切れたのに」

 そう言い放つリリーの声色は、もはや私の良く知る彼女のものではなかった。

「どうして、リリー……?」

 私の問いかけは無視された。

 彼女はジョンを睨みつけながら、懐から一枚のホログラムシートを取り出した。

 一体なんだろう。

 そう思っていると、私の隣から息を呑む音が聞こえてきた。

 振り向くと、ジョンがリリーを見て絶望の表情を浮かべていた。

 何が始まるというのだろうか。

 するとリリーは、ホログラムシートの内容を大声で読み上げ始めた。

「いつも兄さんがごめんね」

 その一文とジョンの反応で、彼が私宛てに書いた手紙であろう事がすぐに理解できた。

 ジョンが、私に手紙……?

 私に、兄のいじめを詫びる為にわざわざ書いたのだろうか。

 リリーは続ける。

「僕はエリルのことが、前から好きでした。良かったら、今度お話でもしませんか。ジョン・レクシールより」

 ジョンは俯きながら、ひざの力が抜けたかのように座り込んでしまった。

 周囲には他の生徒がたくさんいる。

 こんな中で、ラブレターを読み上げられた辱めは相当なものだろう。

 ましてや、相手がこの私となれば。


 私は、不思議と冷静になっていた。

 ジョンが自分に好意を寄せていた事に何も感じなかった訳ではない。

 だけど、それよりも私は、リリーの残酷な行為に驚いていたのだ。

 でも彼女がこんな事をした理由……それは容易に想像できた。

 恐らくジョンは、昨日私の研究室にその手紙を残そうとしたのだろう。

 そしてその時、部屋の鍵が空いている事に気付いた。

 中に入り、私のブースターに細工をするリリーを目撃してしまったのだ。

 ラブレターの存在を知ったリリーは彼を脅し、口止めをした。

 だけどジョンは約束を破って、真実を私に伝えてくれた。

 だからリリーは、報復としてジョンの手紙をここで読み上げたのだろう。


「約束を護ってくれたら、こんなことしなかったのに」

 手紙を読み終えたリリーは、それを床に落として満足げな笑みを浮かべている。

 ジョンは俯いていた顔を上げ、リリーを睨みつけて言う。

「あんなに苦しんでるエリルを見たら、黙ってなんて、いられるもんか……!」

 彼は私の為に、こんな辱めを受けたのだ。

 怒り狂う私に、真実を伝える為に。

 私はジョンに声をかけられなかった。

 今の私から彼にかけられる言葉は何も無い。


 それよりも私は、彼女に聞かずにはいられなかった。

「リリー、答えて。どうして、どうしてこんなこと……」

 涙声のまま、私はリリーを問い詰めた。

 その答えは余りに絶望的だった。

「あなたが憎かったからよ、エリル」

 胸がズキンと痛んだ。

 鋭いトゲを持つ言葉とは、こうも本当に痛みをもたらすものなのか。

 私は胸元をギュッと握りしめ、唇を噛んでその痛みに耐えた。

 リリーは心を許せる唯一の友達だった。

 でも、彼女はそうは思っていなかった。

 苦しい……吐き気が込み上げてくる。

 今までの楽しい日々が全て否定されて、息が詰まる。

 そんな私を気にもとめず、リリーは続ける。

「あなたの大事な物を壊したかったの」

「私、あなたに……何かした……? そんな酷いこと、される覚えなんてないよ!!」

 震える喉を抑え、力を振り絞ってそう叫んだ。

 リリーとは仲良くやっていたはずだ。

 彼女を案じて、私とつるんでいる事がばれないように、色々工夫も考えた。

 全部リリーのため。

 いがみ合った事、喧嘩した事だって一度もない。

 いつどうして、私がリリーに憎まれるような事をしたというのか。

 聞かずにはいられなかった。

 だけど私のそんな問いに、リリーは冷たい視線を向けて応える。

「……存在が憎いのよ」

 何か言い返そうと口を開くが、何も言葉が出てこない。

 声を発する力が入らない。

 彼女はそんな私の姿を見て笑みを浮かべている。

 私が苦しめば苦しむほど、彼女は生き生きとしていく様に見えた。

 まるで、人から奪い取った命を糧とする悪魔の様に。

「授業はうわの空、でも成績はいつもトップ。

 それに比べて私はいくら真面目に勉強してもダメ。

 あなたにとって私なんて、さぞかし底辺の人間に見えるんだろうね……」

 違う、私はそんな風に思った事なんて一度もない。

 伝えたかった、私の想いを。

 だけど、いくら力を振り絞っても、声が出ない。

「友達ゴッコ、楽しかったよ。

 浮かれてるあなたの気持ちの悪い顔を見ながら、ずーっと想像してた。

 あなたの表情が絶望に染まる、この時を……」

 やめて。

 もう聞きたくない……。

「心が通じ合ってるとでも思ってた? お気の毒」

 目を瞑り、耳をふさいでも、リリーの声は遮れない。

 遮れずに、私の心に次々と刃が突き刺さっていく。

 開けっぱなしにした蛇口の様に、私の瞳からは涙が流れ続けている。

 いくらまぶたを強く閉じても、その流れをせき止める事は叶わない。

「……あのポンコツ、壊れなかったんだってね。さっき聞こえたよ。残念」

 その言葉を聞いて、私の中の哀しみと怒りが一気に逆転した。

「キズナをポンコツって言っていいのは、私だけよ!!」

 彼女の肩を両手で鷲掴みにした。

 怒りにまかせた私の行為に、周囲にいた生徒が割り込んできて止めようとする。

 みんな、邪魔だよ!

 どいて……!

 許さない……絶対に許さない!!

「落ち着け、優等生……!」

 クロンに羽交い絞めにされて諭される。

「離して!! 離してよ!!」

 振りほどこうと体を揺するが、男の子の力には敵わない。

 そんな状態の私を見て笑うリリー。

「良いザマ……」

「おいリリー、やりすぎじゃねえのか」

 余りの事に、クロンもリリーに対して怒っているようだった。

 だが彼女はそんなクロンの言葉を笑い飛ばす。

「なに? いじめの張本人が今度は正義の味方きどり……? 笑わせないでよ」

 クロンは言い返せなくなり、黙ってしまう。

「それとも、あなたももしかしてエリルのことが好きとか?

 アハハ!! 好きな子はいじめたくなっちゃうって!?」

「リリー、あなた最低よ!!」

「ふふふ……」

 怒声を浴びせかけても、リリーは動じずに暗い笑みを浮かべている。

「来月誕生日のあなたに、私からの最ッ高のプレゼントだよ」

 私の中で、何かが切れる音がした。

 羽交い絞めにしているクロンのつま先をかかとで踏みつける。

 怯んだクロンの顔に肘を打ち込んで振りほどき、目の前に居るリリーに思い切り平手打ちをかました。

 リリーはその場に倒れ、彼女のメガネは地面に叩きつけられて割れた。

「あはは……あはははははははははは!!!!」

 彼女の三つ編みが、その高笑いに合わせて小刻みに震えていた。




「ただいま……」

 誰にも聞こえないような小さな声で、私は帰宅を告げる言葉を発した。

 喉が渇いてカラカラだ。

 泣いて、叫んで、怒鳴って、暴れて――

 もう、体はヘトヘトだった。

 心も、ズタズタに引き裂かれた。

 私はやっぱり、一人で生きて行かなくちゃいけないんだ。

 友達なんて、作っちゃいけなかったんだ。

 とぼとぼとリビングへ向かい、いつもの癖で食卓についていた。

 いつもなら、ここにキズナの作ったご飯が置いてある。

「そうだ、キズナ!」

 思い出して席を立とうとしたその時、メンテナンス室の扉が開き、キズナが姿を現した。

「大丈夫なの!? キズナ……」

 キズナは、リアクター周囲にススがついたままの姿で、何も無かったかの様に食事の支度を始めた。

 異常が無さそうなのは幸いだった。

 それはとてもうれしい。

 けれど、その後ろ姿を見ているのは辛かった。

 私のミスで、キズナと永遠に会えなくなってしまう所だったのだ。

 今は、一人になりたかった。

 私は食卓に覆いかぶさるように顔を俯かせた。

「ごはん、いらない……」

 食欲なんて、無かった。

 だけど、支度を止めてもらうようお願いする私の言葉を、キズナはダメだと突き返してきた。

 今日はいつもより多く作るつもりだと聞かされた。

 私の疲れを読み取って、それを補えるだけの分を見積もっているのだろう。

 ……相変わらず、そういうセンサーだけは優れている。

 キズナを酷い目にあわせたのに、キズナは私を責める事もなく日課をこなす。

 どうせなら、罵声の一つでも浴びせてくれた方が楽だった。

 わかっている。

 最新型の知能を持たないロボットにそんな要求を願うのが、馬鹿らしい事だっていうのは。

 それでも私は、この状況に耐えられなかった。

「キズナ、お願い……ひとりになりたいの」

 私は涙声で訴えた。

 食事の支度をする音を聞くのも辛くて、両手で耳を塞いで遮った。

 しばらくして私の目の前に、いつものような食事が並べられた。

 私はそれを見て思わず立ち上がり、机をバンと両手で叩いた。

「ひとりにしてって、言ってるでしょ!!!」

 怒りに任せて、キズナの用意してくれた食事を腕で払いのけ、床に散乱させた。

 食器の割れる音で、一瞬我に返る。

「あ……」

 でも私の感情は、そんな事では抑えられなかった。

 すぐにまた、怒りと悲しみがぶり返してくる。

「……ひとりにして、あっちいって! 出てって!!」

 組んだ腕に顔を突っ伏して、怒鳴りつけた。

 そして、声を我慢せずに泣いた。

 我慢できなかった。

 私はそのままの体勢で、泣いて泣いて、泣き続けた。



 - つづく -


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