変態執事
「お待ちしておりました・・・我が主様」
完璧な姿勢で頭を深く下げる男。
ユメカとユメコは、若干戸惑いながらも思考をフル回転させていた。
『誰この男??』
当然の反応だ。
過去の記憶や自分達の妄想など、ありとあらゆる思考を混ぜても目の前の男に全く心当たりが無い。
更に男は自分達を『主』だと言っている。
「な、何言ってんのあんた?あたし達あんたの事なんか知らないわよ!?」
ユメコの言葉はストレートに出た。
「おや・・・左様でございましたか。ですが変ですね?私の事は、お2人方以上に知る者はこの世界には居ないはずですが・・・もちろんその逆もですが」
ニコリと、満面の笑みを見せて言った男だったが、2人は一瞬背筋がゾッとする
感覚を肌に感じた。
さて・・・。
男はゆっくりと背筋を伸ばし、空中で無様な格好で静止している姉妹の元へと歩き出した。
コツンコツンと、綺麗な靴の響き音が広がる。
ゆっくりと近づいてくる男に、姉妹は不気味さを強く感じる。早く逃げ出したいと言う気持ちしかなかったが、空中で静止している為体が動かない。
そして、姉妹の直前で男が歩みを止めた。
「――でわ」
ゆっくりと両手の掌を姉妹に向ける。
終わったかもしれない。
一瞬、自分達の終わりの覚悟をした姉妹だったが・・・。
ドシン!!!!
姉妹の体は、大きな音を立てて床に落ちた。
一瞬何が起きたのか分からない表情の2人だったが、即座に気が付く。
空中に浮かんでいた自分達の体が床に落ち、動かせなかった体は元に戻っていた。
指を動かしたり、体中を触りながら何かを確認してほっとする2人を見ながら、男はまた満面の笑みを浮かべながら言った。
「いかがでしたか?」
男の言葉に、姉妹が即座に視線を向ける。
「お2人方が地面に衝突する直前にお止めしたのは、もちろん私です。主に仕える者として主の危険をま・・・・・」
鈍い音がした。
何かがめり込む様な感触だった。
男が全てを語る前より早く、姉妹の体は動いていた。
男の顔面には拳と蹴りがめり込んでいる。
拳はユメコの。
蹴りはユメカの。
一発KOの見事なヒットだった。
「この変態!止めるんだったらもっと普通の止め方しなさいよ!」
「同意。ユメコは別として、アレはちょっと不快だったわ!」
道端に落ちているゴミを見るような、冷たい目で睨み付ける2人。
(一瞬チラっとユメカを睨んだのはユメコだが)
「そ、それは申し訳ございませんでした。お2人方の美なる身体の部位を強調し、それにもっとも相応しいであろうポーズでお止めしたのですが・・・・・・」
拳と蹴りを顔にめり込ませたまま男はぎこちない口調で謝罪した。
フーっと、何やらすっきりした様子で、姉妹は背筋を伸ばして体をほぐした。
男は、顔をハンカチの様なもので懸命に拭きながら、姉妹とは反対側を向いている。
改めて、周りを見回しながら姉妹は思った。
間違いなくここは現実の世界じゃない。
だが、夢だとしても説明がつかない。
ユメカが、床にむかってコンコンと靴の爪先で鳴らす。それは間違いなく、音も感触も現実のものと一致する。
困った。そして分からない。
姉妹は互いの顔を見合わせて、2人が同じ考えだと即座に理解する。
「ねぇ、変態執事!ちょと聞きたいんだけど」
それはごく当たり前の行動と発言だった。
2人がこの状況を理解できていないのは明白。無駄な思考を回転させるよりも、単純かつ簡単な方法は、目の前の男に聞くことだ。
「はい・・・なんでございましょうか?」
ハンカチをしまいながら男は姿勢を正し、礼儀正しく頭を下げた。
「ここは何処なの?」
「後、何であたし達がここに居るのかもね?」
姉妹の質問に、男の表情が今までにないほど真剣なものへと変わった。そして、鋭い眼で姉妹に視線を向けて話した。
「まず、ここは何処か?との質問につきましては、ここはまだ入り口とだけ申しておきましょうか。おそらくそれ以上の回答は、お2人方の思考を更に混乱させる場合がございますゆえに。そして、お2人方が何故ここに居るのか?についてですが、これはもう既にお2人方で答えが出ていると思われます。自覚と言う言葉が相応しいでしょうか?私が先ほどの質問に答えられるのは以上でございます」
再び頭を深く下げる男。
本来なら、男の答えは姉妹にとって全然納得出来ないものだろう。
だが、2人は目の前で頭を下げている男にそれ以上の質問をしようという考えは無かった。
それは、男が姉妹の頭の中にうっすらと予想していた事を一気に引っ張り出す返答をしたからだ。
『まさかね』
と言う予想を男は見事に見抜き、姉妹にそれを再度送り返したのだ。
「マジですか・・・」
ユメカの口からそれはポロリと漏れた。
ユメコは何とか抑えていたが、心情じゃユメカと全く同じだった。
今、2人の中にあるのは『絶望』と言ったものではない。
むしろ、喜びに近いが、まだ目の前の現実を受け入れられないと言った感じだ。
例えば、宝くじなどで1等当選したとしよう。
想像するだけならば、それは間違いなく人の夢であり現実になれば歓喜以上の反応をするに違いない。
だが実際は、いざ本当に当選すると歓喜と言う感情は真っ先に奥へと引っ込む。本当なのか?と言う疑いから始まり、そしてゆっくりと目の前の結果と現実を結びつけて行く。
今まさに、姉妹の思考がそこなのである。
「ねぇユメコ・・・どう思うよ・・・コレ」
「それはこっちの台詞よ・・・でも、ユメカも思ってるんでしょ?」
「ん~・・・半々かな」
「もー!ほんと適当ね!でも、今回は仕方ないか・・・・・・」
2人の体はいつの間にか床に座っていた。
両手を床に伸ばし、上を呆然とただ眺めている姿勢だ。
近くに居る、銀髪の男は未だに何も言わないまま頭を深く下げている。
2人からまた再び声を掛けられるのを待っているかの様に・・・。
「どうする?このまま居てもしょうがなくない?」
「そうね・・・分かったわ」
ユメコがゆっくりと腰を上げて、頭を下げる男の元へと歩き出した。
「そこの変態執事!とりあえず、あたし達を案内しなさい!安全かつ迅速によ?」
両腕を組、まるでどこかの意地悪女王様の如く男に命令するユメコ。
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、男は真っ直ぐな姿勢で言った。
「承知しました」
―何もない廊下だろうか。本当に何もないのだ。壁も床も一面真っ白な空間を3人は歩いていた。
植物も土も窓も柱も何も存在しない。それに、光がなくても妙に明るい。真っ白な床に3人の影が映る明るさは十分にあった。
「……ほんと変な場所」
「……だね」
姉妹はもうあまり考えるのを止めていた。
この何も無い白いだけの一面を歩いているせいだろうか?
妙な脱力感が2人を襲っていた。
「ねぇ~いつまで歩くのよ?」
「あたしに聞かないでよ。あの変態執事に聞けばいいでしょ?」
「え~めんどくさいよ」
とてもだるそうにするユメカ。
ユメカは基本ダルがりで自分から動こうとしない。なので、いつも何かを先にやらされるのはユメコの役にいつしかなっていた。
「はいはい・・・わかったわよ」
ユメコの溜息と共に、ユメカの目はぱっちりと開いた。
さすがあたしの自慢の妹!と言わなくても聞こえてきそうな表情だ。
「もしもし変態執事さん?あたし達は後どのくらい歩けばいいのかしら?」
皮肉たっぷりのワガママ王女の様に、ユメコは3歩前ほどを歩く男に問いかける。
男は少し後ろに首を向けて、コクリと頭を下げて答えた。
「恐れながら申し上げますが、当の前から目的の場所へは着いております。後はお2人方の・・・その、待っているだけなのですが・・・・・・」
若干戸惑いの様子を見せながら、男は答えた。
『はぁ!?』
当然の反応だ。
案内を頼んだからには、それ相応の場所に当然連れて行かれると思っていたからだ。
それこそ、この世界が何なのかを突き止めることが出来る様な場所を。
だが、男は何も無い空間をただただ歩き、挙句の果てには何も無いこの場所が目的地だと言い、後は自分達の何かを待っていると・・・。
ふざけている。
ユメコは、今にも殴りだしそうな拳を強く握り締めている。
ユメカは、完全に全身の力が抜けたようにその場へ腰を落とした。
その瞬間――
「・・・・・・ん!?」
違和感に気付いたのはユメカだ。
自分が腰を床に落としたと同時に、何かの感触を得た。ユメカの体から、白紙の紙に描かれるように豊かな自然の風景が何もなかった真っ白な一面の風景を変えていく。
そして、さっきまで何も無かった空間の場所は、あっという間に幻想的な自然の場所へと変わった。
「ちょ、変態執事!一体どう言うことな・・・!?」
ユメコの言葉を、銀髪の男は無言で手を前に出して止めた。
一礼をし、ゆっくりと姉妹の方に目を向けながら言った。
「恐れながら申し上げますが『変態執事』と言う呼び名は、主であるお2人方には相応しくない言葉だとお受けいたします。恐縮ですが、私の本来の名でお呼び頂けるならこれに勝る幸せはございません・・・」
頭を深く下げながら話す男に、2人はじゃあ名前は?と言わんばかりの態度で返した。
「――スチュワードと申します」