序 竹林の決闘
深夜、満月の放つ月光を遮る竹林の暗闇の中で、二人の男が対峙していた。
一人は色の抜け落ちた白髪の老人だ、いや、彼は世間一般で言う『老人』のイメージからはかけ離れている。服の上からでもはっきりわかるほど鍛え上げられた、まるで鋼の糸を束ねたような筋肉で全身を覆い。背筋は一切ぶれる事無く天に伸び。両手には裂けては塞がりを繰り返し、岩のように硬くなった皮膚。顔には積み重ねた時間を物語る年輪のような深い皺を刻み。全身に修羅もかくやと覇気を纏っている。
彼を一言で表すなら、武人以外にありはしない。
そんな老人に正面から相対するは十代半ばほどの少年。しかし、この少年もとても一般人には見えない。
そもそもまず体格が違う。世界規模でみてもまずいないだろう二メートルを超える高身長。肩幅は子供が座れそうなほど広く。丸太のような腕、巨木の根を思わせる足、そして厳しい修練を物語る傷だらけの拳。顔は年齢相応のあどけなさがあるが、今その顔にある表情はまさに真剣。
老人も少年もここが世界で屈指の治安を誇る日本とは思えない、まるで戦場のような雰囲気を放っている。
竹林に住む虫たちは怯え一鳴きもせず、風も二人を刺激しないように密かにそよぐ程度だ。
この深夜の竹林に降りた異常な緊張と静寂は永遠に続かと思われた。
しかし突如両者の間に吹いた突風が静寂を突き破り、竹林の葉を鳴らした。
それは二人の放つ鬼気に、竹林全体が悲鳴を上げた様にも見えただろう。
両者は突風に押されるように駆け出す。
少年の上段からの一撃を老人は軽やかに、しかし全力で受け流す。
少年は攻撃を受け流されたにも関わらず、直ぐに体制を建て直し老人の高速の突きを撃ち払う。
技量では老人が少年を圧倒しているが、身体能力では少年は常人離れしていた。
単純な反射神経、巨大な肉体を支える強靭な骨と筋力、そして老人の倍はあるであろう体重。純粋な『力』で少年は老人に食らいつく。
だが老人も負けてはいない。半世紀以上かけて肉体に刻み込んだ動きは一撃一撃を流れるように繋げ、高速の連撃へと昇華させる。幾千幾万の戦闘経験が少年の動き一つ一つから次の行動を教えてくれる。少年の動きを予測し、必殺の一撃をもって老人は少年を迎え撃つ。
突き。
払い。
打ち。
薙ぎ。
振り上げ。
叩き落とす。
打ち合うこと数十合。木刀とはいえど一撃もらえば良くて戦闘不能、下手に食らえば即死も十分にあり得る中で、両者の肉体と精神は急激に擦り減っていく。
ゆえに、それは必然とも言えた。
地面に大量に落ち、溜まっていた笹の葉、その一枚が老人の足の動きに合わせて、滑る。
老人はたまらず片膝をついて転倒を免れたが、そこにはあまりにも大きく、致命的な隙があった。
少年は一切の迷いなく、老人の顔面に木刀を振り下ろす。
だが、武神は老人に味方した。
片膝をついた老人の体制は完全ではないにしろ居合の体制をとっていた。そして老人の肉体は脳が判断するより先に動き、わずかに傾いていた体幹を修正、打ち合いの末傷だらけになっていた木刀を鞘に納めるように構える。
そこからはまさに永遠のように思える一瞬だった。
神速の一撃が老人から放たれ、吸い込まれるように少年の脇腹へと向かう。
少年にも見えていた。そしてゆっくりと流れる時間の中で、彼は自らの敗北と死を悟った。自分の一撃よりも先に、老人の一撃は自分の脇腹を食い破るだろう。内臓は破裂し、骨は粉々に砕かれ、自分の一撃は相手に届く前に力を失う。重傷を負わせることはできても殺すには至らない。引き分けでもない完全な敗北である。
そして、少年が自らの敗北を知ったように、老人も自らの勝利を理解した。
いや、理解してしまった。