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3.母のことば

 カレンデュアが七歳になり春から学校に通うことになると、母親は以前にもまして仕事にはげみ、寝る間も惜しんで働くようになりました。そんな日々が続くとカレンデュアはますますひとりぼっちの時間が増えましたが、彼女の心は希望に満ちていました。春になれば学校に行って、いろんな子に会える。そしたらきっといっぱいお友達ができるんだわ。そう考えただけで胸がワクワクしてくるのでした。


 わたしが産まれた日から数えて、八番目に植えた“カレンデュア”が咲いたら……


 生活空間になっている二階の窓辺から見える景色は昨晩まで降り続いていた雪におおわれていました。砂糖細工さながらの白い町並みがやわらかな朝日を反射して、光がまたたく宝石の海になっています。それを映すカレンデュアの瞳にも無数の光がまたたいていました。





 そしていつしか風があたたかいものに換わり、春が訪れようとしているときでした。カレンデュアはいつものように二階で一人、留守番をしていました。食卓の椅子にかけて好きな本を読みながらミルクを入れた木杯に手を伸ばすと、あやまってそれを倒してしまいました。

「あ、いけない!」

 慌てて木杯を起こして布巾でこぼしたミルクを拭いていると、なにやら下でざわついているのが聴こえてきました。何かしら? 気になって階段を何段か下りてみると一階の洋品店で働いているタラという女性がしゃがみ込んでいるのが見えました。その周りにも何かを囲むように人が集まっています。お客さんらしき羽根飾りつきの帽子を被った婦人が心配そうに声をかけています。

「タラさん、どうしたの?」

 タラが振り向き、階段を下りてきたカレンデュアを仰ぎました。タラは眉間が狭まった険しい表情をしていました。その顔を見てカレンデュアはすぐに、良くないことが起きたのだと察しました。歩み寄ると何かを取り囲んでいる大人たちの隙間から頭が見えました。

「お母さん……?」

 それは床に倒れたカレンデュアの母親の頭でした。たまらずカレンデュアが駆け寄ると母親は目が半開きで、ぐったりとしていました。

「お母さん、大丈夫!?」

 心配して涙ぐむ幼い娘のカレンデュアを抱き寄せてタラがなぐさめます。

「大丈夫よ、カレン。今、救急馬車を呼んだから」

「お母さんは、なんで倒れたの?」

「たぶん貧血じゃないかしら」

 疲れてるのね。働きすぎなんじゃない。などと言うのが聞こえてきます。カレンデュアは救急馬車が来るまでの間、ずっと母親の手を握っていました。

 やがて店の前に救急馬車が到着するとカレンデュアの母親が乗せられ、タラとカレンデュアも同乗して病院へ向かいました。





 母親は大事にはいたらず、なんとか意識を取り戻しました。彼女が倒れた原因は過労によるものでした。それはつまり働きすぎだということを医師から聞かされたカレンデュアは、病床の母親にお願いしました。

「お母さん、もう無理しなくていいから。わたし、学校なんか行かなくていい!」

 すると母親はほほえみながら首を振りました。病室の寝台に横たわりながら、そこから娘のカレンデュアを見詰めてこう言います。

「そんなこと考えなくていいのよ、カレン。おまえは学校へ行っていいの。学校へ行って、ちゃんとお勉強しなさい。そのためにお母さんはいままでがんばってきたんだから。ちょっとがんばりすぎちゃったけどね」

 言って母親はクスッと笑いました。

「おまえの成長する姿を見るのがわたしの生き甲斐なんだから」

「お母さん……」

「お母さんもがんばって体を治すから、もうちょっと待っててね」

「うん……」

 カレンデュアは鼻をすすり、涙声でうなずきました。

「お母さんは入院するから今日は帰れないけど、カレンはもうお姉さんだから一人でも大丈夫ね?」

「え? それならわたしも病院に泊まる!」

 泣きつく娘に母親はまた首を振りました。

「だめよ、ここには患者さんしか泊まれないの」

「……」

 カレンデュアは目を潤ませて、悲しい顔で母親を見詰めました。母親は悲しくほほえんで「ごめんね」と言って幼い娘の頭をなでました。

「お母さんがいない間、何か困ったことがあったらタラに言いなさい。でも、お仕事の邪魔をしたらだめよ」

「うん」

 力無くカレンデュアはうなずき、暗い顔で病室を出ました。廊下には先に出て待っていたタラがいました。彼女は「さあ、行きましょう」とカレンデュアをうながし、カレンデュアは彼女に手を引かれて病院を後にしました。





 それから何日経ってもカレンデュアの母親は退院しませんでした。お見舞いに来た娘に母親はか細くなってしまった声でこう言いました。

「ごめんね、カレン。お母さんがんばったんだけど、もうだめみたい……」

 カレンデュアは、この時はじめて母親が弱音を吐くところを見ました。え? カレンデュアが目を見張っていると母親は切り出しました。

「おまえに渡したいものがあるの」

「渡したいもの?……」

「あの引き出しに紙が入ってるから持ってきてちょうだい」

 カレンデュアは母親が寝ている寝台脇にある花瓶が置かれた棚の前に行きました。その引き出しを開けると中に折り畳んだ紙が入っていました。これ? と尋ねると母親は静かにうなずき、カレンデュアをベッドの前に招き寄せました。

「そこに座って」

 置いた木の椅子にカレンデュアが座り、顔をこちらに向けた母親と向き合いました。

「それを広げて」

 言われてカレンデュアが紙を広げると、地図が書いてありました。所在地を示す位置に印が付けられ文字も書いてありましたが、まだ学校へ行っていないカレンデュアには読めませんでした。

「これは何の地図?」

「それはお母さんの知り合いがいる“修道院”の地図よ」

「修道……院?」

 背中から顔にかけてはげしい悪寒が駆け抜けました。カレンデュアは衝撃のあまりぽかんとしてしまいました。夢で言われたことと同じ。わたし、修道院へ行くことになっちゃったみたい!

「そこへ行ってお世話になりなさい。わたしはもう……」

 そしてカレンデュアがすでに家を出た日の晩――



 八番目に植えた“カレンデュア”を見ることなく、カレンデュアの母親は永い眠りに着きました。




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