折れた芽よ、新たに息吹け
難産でした
伏せっていた私にかけられた淡雪のように儚くて、切ない夢のような音。
「──泣いているの?」
その声はまるで透き通るような淡さと、人の熱のような暖かさを兼ね備えていた。
「(烏丸花梨…?)」
大人しい少女役がよく似合う声優の名前が、つい口に出る。何を隠そう「君の在処」の声優陣では彼女が一番有名なのである。アイドル声優で、演技の幅は狭いが歌唱力が評価されて人気が出たらしい。「君の在処」では隠しヒロインをやってて…。
…。
…!
「(隠し登場かい!)」
鏡には映らないのに、視界の端にうつる前代の制服。不思議な存在感はまさに隠しの──江波鋼音だった。
彼女は私に話し掛けているものの、返事は求めていないようだ。最初から返事など期待していない声掛けだった。
「なんて、聞こえる訳ないよね…」
何処か悲しそうに微笑んでいる彼女は見ていられなくて。そもそも全バッドエンドを見なければ彼女のルートは開かれないし、会えないのにどうして「私」の前にあらわれるんだ!
何をやっているんだフラグ回収王は!不可解な事態に思考を巡らせている内に、鋼音さんは「もう予鈴が鳴っちゃう」と呟く。
「うそっ!」
流石にもう遅刻は出来ない。彼女の言葉を信じて、時計を見る振りをして視聴覚室を後にする。
なりふり構わず去っていった私は気付かなかったのだ。
「…あ、間違えた。私の時は朝の小テストが無かったから、予鈴も早かったんだよね。あれ?」
──江波鋼音さんが、意図せずに間違えてしまった事に。そして、彼女の発言に騙された私の行動を見て「もしかして?」と、目を瞬いていたなんて知る由もない。
***
予鈴と同時に教室に辿り着いてホッと一息つく。次の時限の準備を終え、椅子にもたれて考えるのは隠しヒロインの事だ。
江波鋼音、推定年齢十七歳。四年前に変わった筈の前代制服を着ていて、誰の目に留まる事無くこの学校で過ごしていた彼女は、ヒメコとの出会いによって──本来在るべき場所へと戻るのである。 ユーザーの大半が涙して惜しんだ彼女の運命。やっとヒーローのいないヒロインに巡り合えたのに、悲しい別れが待ち受けていたなんて思わなかったであろう。
担当声優は烏丸花梨で、「君の在処」のテーマソング全てを歌っている。可愛らしく懸命な恋心を表現しているオープニングテーマの「出会えた奇跡は私にとっての宝物」って歌詞と、ピタリと同じ言葉を彼女が告げたシーンは感動した。
ありきたりな言葉だけど、BGMやらスチルも入り演出の力も強くて──涙が暫く止まらなかった。
「(あなたと出会えた奇跡は私にとっての宝物。恋を教えてくれてありがとう──か)」
別れた後、再会は出来ない。エンディングで彼女の笑顔が表示されて、彼女のルートはおわる。
悪夢のファンディスクでは彼女は登場せず、弟が登場して「男かよ!」とユーザーのブーイングが嵐のように吹き荒れたなあ。兄も「流石斜め上…」と、遠い目で感心していた。
弟を妹に変えるだけで良かったのに。騙されてやるのになあ、と感想サイトにも書かれていた。
「…」
ヒロイン達は素敵だし、どの子も応援したくなるけれど「江波鋼音」さんだけは──ヒメコに会わせてあげたかった。
彼女はヒメコと会うことで、長い夢を終わらせる事が出来る。ヒメコと会わなければ、──彼女の終わりはどうなるのか。
そんなの、想像もつかなかった。
「ノブー!なんか上の空だけど大丈夫か?」
「!ひ、ヒメコ…?」
考え過ぎた挙げ句、最後の時限やホームルームもろくに聞けなかったようだ。人は既に疎らになり、帰路へと動き出していた。
その中で微動だにしない私を心配して、ヒメコが寄ってきたらしい。
「よし、生きてるな。良かった」
「…見れば解るじゃん」
「でも元気は無いな」
不安そうに伺うヒメコの心には曇りはなく、心の底から心配してくれていると解る。裏表の無い気持ちは身に染みた。
「ねえ、ヒメコ。入学式の日、屋上に行った?」
多分、予想は当たっているであろう。けれど聞かずにはいられなかった。
軽く首を傾げたヒメコは「行ってないよ」と、笑顔で告げた。
ヒメコは全ヒロインのフラグを奇跡的な確率で拾ってきたけど、江波鋼音さんのフラグは流石に拾いきれなかったようだ。
思わず天を仰ぐ。目に映るのは機械的な教室の天井模様だけだ。この光景しか江波さんは見れない。恋の幸せを「今」の江波さんは知ることない。
エンディング後の笑顔を、──どうしても。
「本当にどうしたノブ?おかしいぞ」
江波さんのフラグは入学式後。不思議な声に気付いて屋上へ来たヒメコと在るはずの無い出逢いを果たすのだ、が。
私というイレギュラーが狂わせてしまった。鼻血事件によって作草部先輩にキレたヒメコは、私と一緒に帰ってしまったのだ。
「…ヒメコ」
「何だよノブ」
私は傍観者ではなかった。この現実におけるキャストの一人でしかない。先の事なんて、行動次第でいくらでも広がって行くのだ。
見えない未来の可能性は幾つも存在するのに、そんな事も気付かずにいた。知っている未来を実現しようとした。
──私の現実は、此処に在る。
「ごめん、ヒメコ。私はあんたの可能性を一つ奪った」
「…へ?」
「でも、責任は必ずとるから。絶対に」
江波鋼音さんを、ヒメコに会わせてあげたいと強く思う。幸せを感じて貰いたい。
私の電波発言をちっとも理解していないようだが、それでもヒメコはニッコリ笑った。
「よく解らないけど、よろしく頼んだ!」
「任されました!」
握り拳を合わせ合った私達は、一緒に帰路を歩いた。こっそり見たヒメコの好感度バーは隠しヒロインの欄だけ灰色になっていて、酷く苦しかった。
灰色は攻略フラグが折れた色。沢山のユーザーが、ヒロインを捕られた悪夢の色だ。
そんな灰色は江波さんのイメージカラーでもある。存在感もグレーゾーンにあり、学校にいる姿も灰色の彼女に、色を戻してあげたい。今の彼女がそう望むかは解らないし、自分勝手な考えになってしまうやもしれないが。
「さて、頑張ってみましょうかね」
さあ、舞台に乗り込みましょうか。オリジナルの、私達が作る未来の為に。
隠しヒロインによって、主人公が自分の方向性をなんとなく決めました。
今までゲームと混同して現実感の無かった彼女が、早々簡単に受け入れられる訳はありませんが…ちょっと前向きになったようです。
次は人物設定予定です。
多分、同時に出来る…?