無知は幸せか、不幸か
ちょびちょびヒロインも出てきます。
──何にも知らなかった頃、お互いが生きる世界も、立場も気にすることも無く無邪気な約束を交わした。
あんなに優しくて、いつも一緒にいてくれたあの人はもういない。見下す瞳の冷ややかさに涙が出た。
それでも一縷の望みは捨てられなかった。大事に、大事にとっておいた宝物が一筋の光だった。
***
一緒にお弁当を食べた日から、たまに泉さんとご飯を食べるようになった。「何で一緒に食べなくちゃいけないのよ!」と最初は文句も言われたが、言葉の割りには素直に付いてきてくれる。
時々ヒメコ達とも一緒に食べるが、今日は偶々二人きりでご飯を囲む。
「…」
「うわ、暗いねどうしたの泉さん」
「どうせ明るくないわ!」
いつも饒舌に喋る人では無いが、暗い訳でもない泉さんがキレた。本日の弁当とは思えないが、昼食らしいポテトチップスと野菜ジュースを広げて「もう!」と頭を抱える。
「…アタシの運命の人は、優しい人だから沢山の人の目にとまるのね」
「何?誰かと話してた感じ?」
「そうよ。…アタシの「探索」が示すに、一年生。甲高い声で迫って、誘惑していたの!ああもう!今も傍にいるわ!」
怒りが収まらない様子だが、そんな事を言っている間にアプローチすればいいのでは?と内心ツッコミを入れる。中々奥手みたいで、積極的に関わるのは難しいみたいだけど、自分から向かっていかないと道は険しい筈だ。
いくらヒメコがフラグ回収王であっても、ヒロインは六人も存在する為に泉さんルートになるとは限らないのだから。
「いやあ、大変だね」
「棒読み過ぎるわ!嘘でも気持ちを込めて!」
「すみません」
「…あなたが謝る必要は無いわ。解ってはいるの。ただ見ているだけでは、現状は変わらないって」
さあっ。──風に彼女の黒髪が揺れる。話している間にさっさと食べ終わったようで、漆黒のストッキングが視界に入る。
「邪魔してくるわ!」
「…は、はい。いってらっしゃい」
どういった心境の変化か、彼女は前向きに屋上を飛び出して行った。 食べるの早いな。ポテトチップスが昼食とかヤバくないかとか、色々言いたい事はあるが…。思ったら直ぐに行動するポジティブさは素晴らしいと思った。
ふと、「一年生」、「誘惑」、「甲高い声」のキーワードから導き出される人物が浮かぶ。後輩ヒロインの藍堂昴と特徴が一致する。
「…泉さんの方が些か分が悪いかな」
よく口が回る利発なぶりっ子だと記憶している。泉さんは割りと自分のペースを奪われたら、爆発して喋れなくなってしまうであろう。
「…」
おにぎりをお茶で一気に押し込み、お弁当を包む。落ち着かないお腹の調子には気付かない振りをして、さっさと立ち上がってヒメコの教室に向かった。
***
「きゃはー先輩ったら素敵ー!」
「へ?あ、ありがとう?」
…泉さんは突入出来なかったようだ。教室の入り口の所でギリギリ歯を噛み締めて、ヒメコと藍堂さんを見ている。既に出来上がった空気を壊しに行くには勇気がいりますからね。うん。
「分析」を働かせて泉さんのパラメーターを見てみると、勇気の値が現在進行形で減っている。
彼女に声をかけようと足を踏み出した時──。
「鼻血女」
ぽん、と肩に骨張った細長い手がかかる。冷たくて、でも艶のある甘い声に声優ファンの誰かが熱をあげていた記憶が蘇った。
「──いや、王司志信。捜したぞ」
視線の先にいる泉さんに、ヒロインの村石香織さんが神妙な顔で話し掛けている。こんなに近くにいるのに、彼女らの光景が遠くに感じる。
それは、私の肩を掴んでいる作草部御幸先輩の空気に圧倒されているからだろうか。ぎこちなく振り向くと「着いてこい」と、有無を言わせない命令をされた。
強く握られた手首に爪が刺さってしまい、痛い。痛みに気をとられ、引かれるがままに私は生徒会長に連行されていった。
そんな私達を村石さんが悲痛の表情で見つめていたなんて、気付きもしなかった──。
知らないあの頃は幸せだった。
現実を知った今は、夢のような時間が恋しくて、遠くて。
次は会長のターン。