表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/17

西棟の下に、家じゃない部屋


西棟は、昼でも少し薄暗かった。


窓はある。磨かれてもいる。なのに、明るく見えない。

光が入っているのに、家の方がそれを受け取る気がないみたいだった。


リリエルは廊下の角で足を止めた。


朝、広場を横切ったとき、すれ違った女がリリエルの顔を見て、すぐ目を伏せた。

昨日の灯りのことだろう。


怖がっているのか、怒っているのか、それだけでは分からない。

分からないまま目を伏せられた。


声ならまだ返せる。

でも、伏せられた目には何も返せない。


ここは家の中だ。

外じゃない。灰牙もいない。燐羽も飛ばない。


それなのに、丘へ向かうときより息が浅かった。


家の中に安全な場所がないと、知ってしまったからだ。


昨日、広場の下で見た立体図の赤い点は、西棟に灯っていた。

客間でもない。台所でもない。

古い書庫に近い位置だった。


今日はそこを見る。


廊下には、もう人が揃っていた。


ギデオンが西棟の扉を開けたまま立っている。使用人は全員遠ざけてきたらしく、顔色は悪いのに動きだけはきっちりしていた。帳簿に載らないことが起きても、段取りだけは崩さない人だ。

ドルフは工具箱を床へ置き、壁と床板の継ぎ目を順に見ていた。

ユノは札束を帯に差し、四枚だけを手に持っている。使う分だけを前へ出す手つきが、少しだけ迷わなくなっていた。

母は静かに私を見つめている。

父は廊下の奥――書庫の前で立ち止まり、床と壁を静かに見ていた。

ベルトラムだけが、最初からここへ来ると決まっていた人の姿勢で、扉の前に立っていた。


ガレスは廊下の入口に残り、槍を立てている。

外なら距離がある。広場なら空間がある。

でも廊下は狭い。槍を振るには天井が近い。守る場所が家の中へ入ると、守り方も変わる。ガレスの肩が少し窮屈そうに見えたのは、そのせいだった。


「西棟枝線は、閉じているが封じられていません」


ベルトラムが言った。


「使われていないのではなく、伏せられている状態です。中央局所節点から見れば、死んだ枝ではない」


死んでいない。

その言い方が嫌だった。


死んでいないものは起きる。

死んだふりをしているだけのものは、死んでいるものより始末が悪い。


父が短く聞く。


「場所はこの先か」


「はい。記録位置と、昨夜の図形照合が一致しています」


母のノートに一行増える。

顔は上げない。だが、ペン先だけが少し深く紙へ入っていた。自分の家のことを書いている。それは、よその井戸や祠を記録するのとは違うのだと、その指先だけで分かった。


ギデオンが低く言う。


「西棟の書庫は、ここ数年ほとんど使っていません。帳簿類は別室へ移しました。出入りは掃除の使用人だけです」


「都合がいいな」


ドルフが言った。


「使ってねえ部屋の下で何か起きても、気づきにくい」


気づきにくい。

その言葉に、リリエルは少しぞっとした。


家の中で起きているのに、家の中だから見落とす。

井戸の底は深いから怖い。

でも壁の裏は近いから怖い。近すぎて、境目がない。


ベルトラムが金属札を取り出す。

薄い札の縁に刻みが走り、昼の光を細く返した。


「記された所在よ、閉じた枝の名だけをここに出せ。

伏せられた道よ、封じと閉鎖を偽るな――」


そこから先も続いていた。だが途中から声は低くなり、書庫の壁へ吸い込まれていく。最後に聞き取れたのは、「示せ」の一語だけだった。


金属札の表面に、白い線が走る。


同時に、父が書庫の敷居へ手を置いた。


「荒れた線よ、家の骨へ走るな。

眠りたがる壁よ、急いて割れるな――」


その先は床板の振動に沈んだ。

家の中で聞く父の詠唱は近いのに、近いぶんだけ壁が吸う。最後だけが耳に残った。


「――鎮まれ」


足元で床板が低く鳴った。

見えない膜が、廊下から書庫の中へ薄く張ったのだと分かる。


ユノも札を立てる。


「天の火よ、散らず、揺らがず、

人の住まう間に薄き輪を引け――」


後半は唇の動きだけになった。

四枚の札が書庫の四隅へ飛び、淡い光が細い輪になって部屋をなぞる。


父の術。

ユノの祈り。

ベルトラムの手順。


三つが重なると、書庫の静けさだけが不自然に深くなった。


「開けます」


ギデオンが鍵を回した。


書庫の中は古い紙と木の匂いがした。

長く人がこもっていない部屋の匂いだ。棚には帳簿や地誌が残り、机の上は空いている。使われなくなった部屋は、物があるほど静かに見える。


リリエルは一歩入って、すぐ分かった。


ここだ。


足の裏で分かった。

床板の下の振動が、ほんの少し違う。共同倉のときと同じだ。見える前に、足が知っていた。


白い文字が視界の奥へ落ちる。


> `WEST RESIDENCE LINE`

> `CLOSED / NOT SEALED`

> `LOCAL ACCESS WITHIN WALL`


壁の中。


「……こっち」


リリエルは書庫のいちばん奥を指した。


大きな本棚がひとつ、壁にぴたりとついている。古い木で、重そうで、最初からそこにあった顔をしていた。

だが近づくと、床とのあいだにごく薄い隙間がある。


他の棚と同じ顔をして、他の棚ではないものを隠している。

家具が嘘をつけるということを、リリエルは今日知った。


ドルフがすぐ動く。


「本棚だな」


鉤のついた薄い棒を差し込み、ぐっと引く。

重い音。

だが、見た目ほどの抵抗ではなかった。


本棚が半歩ぶんだけ前へ出る。


その奥に、黒い板が埋まっていた。


祠の板とも、井戸の蓋とも違う。

これは壁だった。人の暮らしのすぐ裏に、仕組みの面がそのまま隠れている。


本棚をどかせば壁がある。壁の裏に黒い板がある。

つまり、毎日この棚の前を通るたび、その向こうにこれがあった。知らなかっただけで、ずっとそこに。


母のペンが止まった。

ほんの一瞬だけで、すぐ動く。

でも、その一瞬だけで十分だった。母もこれは、よその場所の話ではないと分かっている。


ギデオンが、珍しくはっきり顔をしかめた。


「壁の裏か……」


帳簿に「壁の裏」という欄はない。

ないものは記録しにくい。

それがこの人には、たぶんいちばん不安なのだろう。


ベルトラムが黒い板へ近づく。

金属札をかざす。

今度はすぐには唱えなかった。板の端、溝、中央の浅い円を順に見ている。


「西棟枝線は、居住系の付属操作室です」


「居住系?」


母が聞き返した。


「はい。集落化したあと、人が上で暮らす前提で増設された枝線です。井戸下や祠下のような純保守室ではありません」


その言葉で、リリエルは背筋が冷えた。


人が上で暮らす前提。


ただの隠し部屋じゃない。

暮らしのすぐ裏にある場所だった。

祠の地下とも、井戸の下とも違う。

ここは家だ。


ベルトラムが板に向かって、低く唱え始めた。


「記された枝よ、眠った顔のまま沈黙を装うな。

住まう側へ渡された手順の残りを、ここに返せ――」


途中から声は板の表面に沈み、最後に「返せ」だけが残った。


白い線が板の中央へ集まる。

だが、開かない。


板の奥で、鈍い音だけがした。


> `INSUFFICIENT AUTHORITY`


「通りません」


ベルトラムが言った。


「主応答が必要です」


またそこへ戻る。


皆が準備をする。

術を張る。

祈りを重ねる。

危険を見積もる。


でも最後に手を触れるのは、いつもリリエルだった。


もう分かっている。

分かっていて、慣れないだけだ。

慣れないまま手を出し続けるのが応答者だということも、もう分かっていた。


リリエルは黒い板の前へ出た。


近くで見ると、表面には細い傷がいくつかあった。

新しい傷ではない。長いあいだ、誰かがここを使っていた痕みたいだった。


爪の跡かもしれない。道具の跡かもしれない。

どちらにしても、ここに手を触れた人がいた。リリエルの前に。


視界の奥に文字が出る。


> `RESIDENCE AUXILIARY CONTROL`

> `MANUAL ACCESS POSSIBLE`

> `GUARDIAN CHANNEL PRESENT`


ガーディアン。


意味はまだ落ちきらない。

けれど嫌な予感だけが先に来た。

この文字は、知ったあとで必ず重くなる。


「どうした」


父が低く聞く。


「……まだ、家の方につながってる」


リリエルは板を見たまま答えた。


「閉じてるけど、終わってない」


父はそれ以上聞かなかった。

もう聞かなくても分かっている、という顔だった。


リリエルは板へ手を置いた。


冷たい。

けれど井戸の蓋より近い。祠の板より近い。

家の壁の裏にあるぶんだけ、暮らしの温度に近い冷たさだった。


だから余計に気持ち悪い。


「西棟枝線。応答。開示」


何も起きない。


違う。


指先が溝を知る。

板の中央ではない。左下。

ごく浅い段差へ親指を押し込み、横へ滑らせる。


かちり、と小さな音がした。


指先の痺れが、昨日の残りの上に新しく重なった。

右手の親指から手首までが、もう自分のものではないみたいだった。

他人の手で、自分の家の壁を開けている。そんな感覚だった。


黒い板の縁に白い線が走る。

中央が、上下ではなく左右へ割れた。


壁の中から、冷たい空気が漏れる。


だが、井戸のときみたいな深い地下の匂いじゃない。

もっと近い。乾いた紙と古い木の匂いが混じっている。書庫の匂いとよく似ていた。壁の向こうにも、こちらと同じ空気が溜まっていたのだと思うと、境目がなくなって、かえって嫌だった。


「……部屋だな」


ドルフが言った。


本当に、部屋だった。


壁の裏に、人ひとりが入れるくらいの細長い空間がある。

階段ではない。降りもしない。

書庫の裏に沿って作られた、横長の小部屋だった。


奥には小さな机みたいな台。

その上に、黒い板が斜めに埋め込まれている。

中央局所節点の半球ほど大きくはないが、祠の保守板よりは広い。


そして壁際には、古びた椅子がひとつ残っていた。


誰かがここで座っていた。


その事実が、仕組みより先に怖かった。


ただの設備室なら、まだよかった。

でも椅子がある。机がある。

ここは、誰かが長く使った場所だ。

祠の地下にも、井戸の下にも、こういう形はなかった。


母の呼吸が、ほんの少しだけ変わった気がした。

ギデオンも何も言わない。


家の中に家じゃない場所があるだけでも嫌なのに、そこに人の居場所の形まで残っている。


ベルトラムが言う。


「西棟付属操作室。予想どおりです」


予想どおり。

その言葉が少し腹立たしかった。

だが、だからこそこの人はここまで来たのだとも分かる。同じものを見ていても、初めてかどうかで痛さが違う。


リリエルは細い部屋へ足を踏み入れた。


床は黒い板だ。

壁には細い白線が這っている。

けれど中央局所節点の部屋ほど機械じみていない。人が使う前提で、仕組みの方が少しだけ暮らしへ寄っている感じがした。


椅子の横を通るとき、座面に手をかけそうになって、やめた。

誰かの場所に、勝手に触ってはいけない気がした。


もうその人はいない。

いないのに、椅子だけがまだその人の形で待っている。


視界の奥に文字が落ちる。


> `SETTLEMENT SUPPORT BRANCH`

> `WEST RESIDENCE AUXILIARY`

> `MANUAL LOG AVAILABLE`


ログ。


またそれだ。


ドルフが低く言う。


「毎回出るな、それ」


「毎回あるからでしょう」


母がノートから目を上げずに返した。


その返しが少しだけいつも通りで、リリエルはほんの少しだけ息をついた。いつもの声が聞こえると、いつもの場所にいる気がする。

でも、ここはもういつもの場所じゃない。その差が、母の声で余計にはっきりした。


ベルトラムは机のような台へ金属札を置き、短く手順を唱えた。共同倉で聞いたものとよく似ていたが、ここでは少し短かった。


白い線が板へ流れる。


今度は弾かれなかった。

だが、最後のところで止まる。


> `LOCAL USER REQUIRED`


「お願いします」


また同じ言葉だった。


リリエルは板の前へ進んだ。


今日はそればかりだ。

開ける。

見る。

つなぐ。


そのたびに少しずつ、戻れない場所へ足を置いていく。

これが最後ならいいのに、と毎回思う。

でも最後だったことは、一度もない。


「記録。開示」


板の表面に、白い文字が流れた。


目の奥が熱くなった。

白い文字が一瞬だけ二重に滲み、焦点が合うまで少し時間がかかった。

戻るまでの間隔が、また前より長い。


最初は速すぎて読めない。

次に単語だけが残る。

最後に意味が胸へ落ちてくる。


> `SETTLEMENT MODE SUPPORT ROOM`

> `HOUSEHOLD OPERATION TRANSFER: PARTIAL`

> `PRIMARY CONTROL LOST`

> `LOCAL CARETAKER ACCESS CONTINUED`


母が、そこで初めてはっきり顔を上げた。


「世帯運用移管……?」


ベルトラムが低く読む。


「主制御喪失後、局所管理の一部を居住側へ移した、という意味です」


「居住側?」


父が聞く。


「家の側です。つまり――」


ベルトラムが部屋を見た。


「この家は、あとから上に建っただけではありません。管理を続けるために、住む場所として使われた」


リリエルの喉が冷えた。


村があとからできた。

それは中央局所節点の記録で、もう知った。


でも今のはもっと近い。


家も、ただ上に建っただけじゃない。

ここを使うために、家になった。


帰る場所だと思っていたものの形が、少し違う意味へ変わる。


リリエルは自分の部屋を思い出した。

窓があって、ベッドがあって、朝は光が入って、夜は暗くなる。当たり前の部屋だ。

でもこの家がここを使うためのものだったのだとしたら、その部屋も、父母の部屋も、全部が「ここの上」にあるためのものだった。


暮らしが目的ではなく、暮らしが手段だった。


その考えが、怖かった。


視界の奥に、新しい文字が出る。


> `HOUSEHOLD GUARDIAN AUTHORIZATION`

> `CHANNEL REMAINS`

> `NOT COMPLETED`


ガーディアン承認。


今度は意味が落ちた。


リリエルは思わず振り返った。


「母……」


全員の目が母へ向く。


母はすぐには動かなかった。

ただ、ノートを持つ手だけが少し強くなる。


「どういうこと」


父の声が低くなる。


リリエルは白い文字を見たまま答えた。


「家の側の承認が、途中で止まってる。終わってない」


部屋が静かになった。


ガレスが廊下の入口で槍の位置を変えた音がした。外から誰かが来たのではない。ただ、ここまで届く緊張が、手を動かしたのだろう。


母が、小さく息を吐く。


「家の側、というのは、今の家ではなく……もともとここを使っていた“世帯”という意味でしょうね」


「そうです」


ベルトラムが答えた。


「ただ、枝線は今も残っている。つまり、終わっていない手順がある」


終わっていない手順。


椅子を見た。

机を見た。

誰かがここに座って、何かを進めていた。途中まで進めて、止まった。止めたのか、止まったのか。どちらにしても、手順はまだここで待っている。椅子と一緒に。


ドルフが顔をしかめた。


「嫌な言い方しやがる」


「嫌な状態だからです」


その返しは、やはり冷たい。

でも今の部屋には、それくらい冷たい言葉の方が合っていた。


板の端に、また文字が出た。


> `NEXT STEP AVAILABLE`

> `GUARDIAN CHANNEL OPEN TEST`

> `LOCAL DISTURBANCE POSSIBLE`


リリエルの背中が冷えた。


次の手順がある。

しかも、やれば何かが起きると最初から書いてある。


いつもは起きてから分かる。

でも今回は、起きる前に教えてくれている。親切なのか、警告なのか。どちらにしても、知ってしまった以上、知らなかったふりはできない。


父がそれを感じ取ったように言う。


「今日はそこまでだ」


強い声だった。

反対の余地を残さない声だ。


「見るところまでは見た。次は準備してからやる」


ドルフは珍しく何も言い返さなかった。

ユノも札を握ったまま頷く。

母もすぐには口を開かない。


ベルトラムだけが、板を見たまま言った。


「妥当です。ここで不用意に開けば、屋敷側全体が応答する可能性がある」


屋敷側全体。


その言葉が嫌だった。

家のどこか一部じゃない。家そのものが動くみたいに聞こえる。

自分が住んでいる家が、自分の知らない動き方をする。それは、家が自分のものではないということに近かった。


リリエルは机の前の椅子をもう一度見た。


誰かがここに座っていた。

家の中で暮らしながら、壁の裏でこれを使っていた。


その人は誰だったのだろう。

どうして途中で止めたのだろう。

止めたのか、止まったのか。


その人にも家族がいたのだろうか。

壁の向こうで夕飯の匂いがして、ここで手を止めて、また暮らしに戻ったのだろうか。

それとも、ある日ここに座ったまま、戻らなくなったのだろうか。


考えたくないのに、椅子がそれを考えさせる。


物は残る。

人は残らない。

でも物が残っているせいで、いなくなった人の形だけがいつまでも部屋にある。


視界の奥に、最後の一行が落ちてくる。


> `NEXT AUTH TARGET: HOUSEHOLD GUARDIAN`


次の認証対象。


家の守り手。


リリエルはその意味を、すぐには声にできなかった。


父もいる。

母もいる。

この家には「守る人」が二人いる。


なのに白い文字は、ひとつの形でしか出てこなかった。


HOUSEHOLD GUARDIAN。

家の守り手。


それが父のことなのか、母のことなのか。

あるいは、もっと前にここにいた誰かのことなのか。


どれだとしても、次にこの手順を進めるとき、その答えが出てしまう。


答えが怖いのではない。

答えが出ることで、父と母のどちらかが、あるいは両方が、今までとは違う場所に立たされることが怖かった。


部屋を出ると、書庫の空気が急に普通に感じられた。


本棚。机。窓。白い壁。

どれも昨日までと同じはずなのに、もう同じではない。


壁の裏に、家じゃない部屋がある。

家の下に、まだ終わっていない手順がある。


それを知った家は、前の家には戻らない。


廊下へ出たところで、母がようやくノートを閉じた。


「……次は西棟を空ける必要があるわね」


平らな声だった。

でも、平らなまま言うには重すぎる言葉だった。家を空けるということは、家の一部を家ではなくすということだ。


父が頷く。


「今夜のうちに人を移す」


ガレスが短く答える。


「見張りも増やします」


ベルトラムは黒い板のある壁を一度だけ振り返った。


「次は、家の承認です」


その一言で、リリエルの胸の奥が小さく沈んだ。


井戸の下へ降りるのとは違う。

祠を開くのとも違う。


次は、家そのものに触ることになる。


廊下を戻るとき、西棟の窓の光が、さっきより少しだけ暗く見えた。曇ったのか、それとも家の方が光を受け取らなくなったのか。


指の痺れが肘を越えて、肩の手前まで薄く残っている気がした。


それがいちばん嫌で、いちばん目を逸らせないことだと、もう分かっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ