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# 第二話:旅の始まり
灰が、まだ空を舞っていた。
燃え落ちた屋敷の残骸。黒く焦げた柱。崩れた石壁の隙間から、微かに煙が立ち上っている。
カイは、その中心に立っていた。
一晩が過ぎていた。
世界は何事もなかったかのように朝を迎え、鳥の鳴き声だけが、残酷なほど穏やかに響いている。
カイは黙って、穴を掘っていた。
一つ、また一つ。
両親のため。
親戚のため。
そして――妹のため。
小さな墓標の前に、カイは膝をついた。
「……ごめん」
それ以上の言葉が、喉から出てこなかった。
謝罪も、誓いも、あまりに軽すぎる気がしたからだ。
左眼の奥が、じくじくと痛む。
魔眼は閉じているはずなのに、世界が歪んで見える気がした。
――ここにいてはいけない。
理屈ではなく、本能がそう告げていた。
カイは立ち上がり、焼け跡に背を向ける。
振り返らなかった。
振り返れば、きっと足が止まってしまう。
彼は剣だけを背負い、食料も金もほとんど持たないまま、村を出た。
◇
三日後。
山道を抜けた先の街道で、争う声が聞こえた。
「だから言っただろ! この荷は重すぎる!」
「うるさい! 今さら戻れるか!」
二人組の旅人が、壊れた荷車の前で言い争っていた。
その背後――
森の影から、低く唸る声が響く。
魔獣だ。
狼に似た姿。だが体躯は馬ほどもあり、牙には魔力が滲んでいる。
旅人たちは、完全に気づいていなかった。
カイは、一瞬だけ迷った。
――関わるな。
――目立つな。
頭では分かっていた。
それでも、体は動いていた。
「下がれ!」
声を張り上げ、カイは剣を抜く。
魔獣が跳躍した。
速い。
だが――
カイの視界が、一瞬だけ研ぎ澄まされる。
距離。
踏み込み。
致命点。
魔眼は開いていない。
それでも、身体が覚えていた。
一閃。
剣は正確に、魔獣の喉を断ち切った。
血が噴き出し、巨体が地面に崩れ落ちる。
静寂。
旅人たちは、呆然とカイを見つめていた。
「……た、助けてくれたのか?」
カイは剣を納め、短く答える。
「ああ」
それ以上、名乗るつもりはなかった。
だが、もう一人の旅人――軽装の青年が、興味深そうに目を細めた。
「すごい剣だな。冒険者か?」
「違う」
即答だった。
冒険者と名乗る資格が、自分にあるとは思えなかったからだ。
青年は肩をすくめ、笑った。
「なら、これからなるんだろ?」
その言葉に、カイは一瞬だけ、言葉を失った。
冒険者。
仲間。
旅。
どれも、昨夜までの自分には縁のない言葉だった。
「……俺たちは、護衛を探してたんだ」
青年はそう言って、手を差し出した。
「俺はレオン。こっちは魔法使いのミラ」
少女――いや、若い女性が、小さく会釈する。
「一人で行くより、三人の方が生き残れる」
その言葉は、現実的で、残酷で、そして正しかった。
カイは、しばらく黙り込んだあと――
ゆっくりと、その手を握った。
「……カイだ」
こうして。
少年の逃亡は、
小さな“仲間”という形を取り、
新たな旅へと変わり始めた。
だがその選択が、
やがて裏切りと血に染まることを、
この時の彼は、まだ知らない。




