表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王の娘  作者: 星空りん
35/38

34 影に潜む者 1

 夕暮れは、村の屋根を赤く染めるはずだった。


 でも今、赤いのは空だけじゃない。

 煤と灰が、陽の色を奪っている。


 泣き声が、まだ残っていた。

 咳が、まだ残っていた。

 水桶が回る音が、ようやく“生活”の音に近づき始めたころ――


 騎士団の小隊が、村へ入ってきた。


 馬の蹄。

 鎧の擦れる音。

 短い号令。


 村の空気が、少しだけ形を取り戻す。


◇ ◇ ◇


 「――ここは我々が守る。負傷者の搬送も手配する」


 隊長格の騎士が、状況を確認しながら言った。


 蓮は簡潔に報告する。

 火の出た場所。

 襲撃の規模。

 揃いすぎた動き。

 そして――ゴブリンが残していった“線”。


 「討伐は大隊で」


 騎士が言う。


 「だが、今夜のうちに別の村が狙われる可能性がある。警戒線を広く取る」


 フィオが、地面の灰を指先で軽くなぞった。


 「警戒だけじゃ足りないかもしれません。動きが同じなら、次も同じ“順番”で壊します」


 隊長が眉を寄せる。


 「順番?」


 「倉庫、水場、避難の中心」


 フィオは淡々と答えた。


 「暮らしを壊す順番を知っている。……つまり“教えた”か“指示した”者がいる」


 その言葉が、村の空気をまた少し冷やした。



 蓮が一度、りんを見る。


 りんは、納屋の入り口で水を飲んでいた。

 口の中が砂みたいに乾いていたのに、水が甘く感じる。


 「りん」


 呼ばれて顔を上げると、蓮が言った。


 「もう少し、動けるか」


 りんは一瞬だけ迷った。


 目の前には、まだ震えている村人がいる。

 まだ呼吸が浅い子がいる。

 まだ、手を握ってほしい顔がある。


 でも――


 (同じことが、また起きるなら)


 りんは小さく頷いた。


 「うん。行く」


 ネネが当然のように前へ出る。


 「お嬢は私が同行します。無理はさせません」


 「無理は……しない」


 りんは言いながら、自分の言葉が少し頼りなく聞こえた。


 フィオが視線だけで、蓮に合図する。


 ――逆走。


 蓮が短く頷いた。


◇ ◇ ◇


 村の外れ。


 焼けた柵のそばに残る足跡が、線のように続いている。


 散っていない。

 迷っていない。

 戻るべき場所が、最初から決まっているみたいに。


 「行くぞ」


 蓮が言う。


 ガルドが盾を背負い直した。


 「よし。森は俺が前を塞ぐ。嬢ちゃん、後ろに回るなよ」


 「うん」


 りんは頷いた。


 ライラが弓の弦を確かめる。


 「足跡、消えてない。助かるわ」


 フィオは杖を握ったまま、何も言わない。


 ただ、森の入口を見ている。


 (……ここから先が“線の起点”)


 そういう顔をしていた。


◇ ◇ ◇


 森に入ると、空気がすぐ変わった。


 湿った土。

 落ち葉。

 遠くで鳴く鳥。


 そして、焦げの匂いが薄くなる代わりに、別の匂いが混ざる。


 油。


 「……これ」


 ライラが立ち止まり、木の根元を指さした。


 布切れが落ちている。

 黒ずんでいて、触ると指先が少しべたつく。


 「油布」


 フィオが言った。


 「放火用。……村の火元と同じ匂い」


 ネネが布をつまみ、耳をぴくりと動かす。


 「魔族の匂いがします。ですが、ゴブリンのものではない」


 りんの胸が、きゅっとなる。


 (ゴブリンじゃない“誰か”)


 でも、今はそれを言葉にしない。



 足跡は続いていた。


 ただの獣道じゃない。

 木の枝が折られ、印みたいに道が作られている。


 フィオが、途中でしゃがみ込んだ。


 「……結び目がある」


 地面に残る、細い縄の跡。


 「罠?」


 ガルドが聞く。


 「罠じゃない。誘導の印。ここを通れっていう」


 フィオは淡々と言った。


 「低位の群れに、道を覚えさせるやり方」


 蓮が唇を引き結ぶ。


 「つまり――使ってる」


 言葉が短いほど、重い。



 りんは、その背中を見ながら歩いた。


 怖い。

 でも、足は止まらない。


 ふいに、足元で小さな影が跳ねた。


 ――小動物。


 灰色の毛玉みたいな生き物が、落ち葉の下から飛び出して、震えている。


 りんは反射でしゃがみ込んだ。


 「だいじょうぶだよ」


 触れようとして、ネネがすぐ止める。


 「お嬢、今は」


 「……うん」


 りんは手を引っ込めた。


 でも、震えは止まる。


 毛玉は一度だけりんを見て、それから森の奥へ走っていった。


 フィオが、ちらりとりんを見る。


 (……今、何をした?)


 りんは気づかないふりをした。


 気づいていないだけだ。


◇ ◇ ◇


 森の奥で、ふっと視界が開けた。


 小さな空き地。


 古い炭焼き小屋の跡みたいな、黒い石と崩れた木材。


 そこに、いくつかの物が残っている。


 桶。

 布。

 折れた矢。

 粗末な干し肉の端。


 そして――小さな笛が、二本。


 「……中継点」


 フィオの声が低くなる。


 「ここで集めて、分けて、出した」


 ライラが周囲を見回す。


 「誰かがここで待ってたってこと?」


 ネネが土を軽く触り、耳を動かす。


 「数は多くありません。ですが――新しい匂いです。ほんの少し前まで、ここにいました」


 ガルドが歯を鳴らす。


 「逃げたか」


 蓮は黙って、地面に落ちた布切れを拾った。


 布には、雑な記号みたいなものが描かれている。

 線が三本、丸がひとつ。


 いきがってるみたいに、無駄に目立つ。


 「……これ」


 りんが呟く。


 「文字じゃない」


 フィオが答える。


 「合図。印。……覚えさせるための“目印”」


 ネネの尻尾が小さく揺れた。


 「下っ端の趣味です。ですが、動きは下っ端だけのものではない」


 りんは喉が乾くのを感じた。


 (いる)


 (見えてないだけで)



 そのとき。


 空き地の端で、落ち葉がわずかに動いた。


 蓮の手が上がる。


 「止まれ」


 全員が息を殺す。


 次の瞬間、背を丸めた影が飛び出した。


 ゴブリン。


 一体。

 いや、もう一体。


 小さな槍を握り、目がぎらぎらしている。


 「ちっ、見張りか!」


 ガルドが盾を前に出す。


 ライラの矢が空気を裂き、足元に突き刺さった。


 「動くな」


 蓮の声。


 ゴブリンが怯んだ瞬間、フィオの術が走る。


 地面から淡い縛りが伸び、足を止める。


 「……拘束」


 短い声。


 ゴブリンは呻き、歯を剥いた。


 もう一体が逃げようとしたが、ネネが瞬きの速さで距離を詰め、首根っこを掴んだ。


 「逃げないでくださいね」


 声音は丁寧なのに、目が笑っていない。


 ゴブリンが暴れる。

 でも、逃げられない。



 りんは一歩だけ前へ出そうとして、止まった。


 助けたい、が出かける。


 でも、今は違う。


 ネネが先に言う。


 「お嬢。まずは情報です」


 「……うん」


 りんは頷いた。


 フィオが、拘束した個体の前にしゃがみ込む。


 「指示したのは誰?」


 ゴブリンは唸るだけだ。


 言葉はない。


 でも、目が揺れている。


 怖がっている。


 それは、怒られている子どもみたいな目だった。


 「……命令」


 フィオが呟く。


 「命令だけは守る。怖くても」


 蓮が息を吐く。


 「上がいる」


 それだけで十分だった。


◇ ◇ ◇


 蓮は地図を広げ、中継点の位置に印を付けた。


 村から伸びる線は、ここで“起点”を持った。


 そして、さらに奥へ――薄い線が続いている気がする。


 フィオが言う。


 「ここは“下の手”」


 ネネが静かに続けた。


 「その上がいます」


 りんは、地図を見つめた。


 怖い。


 でも――


 助けたい。


 その気持ちだけは、揺らがない。


 りんは小さく息を吸う。


 「……ここを使えなくしたら、次は少し遅れる?」


 蓮がりんを見る。


 「遅れる。……止まるかは分からないが」


 「なら」


 りんは指先を握る。


 「まず、遅らせたい」


 自覚はない。

 でも、今の言葉は、誰かを守るための言葉だった。


 蓮が頷く。


 「決まりだ。ここを潰す。痕跡は持ち帰る」


 ライラが苦笑する。


 「潰すって言っても、燃やすのはなしね。森まで燃えたら本末転倒」


 ガルドが肩をすくめた。


 「じゃあ、壊して埋めて、回収して終わりだな」


 フィオは笛を拾い、掌で転がした。


 小さな音が鳴った。


 その音が、妙に不気味に聞こえる。


 りんは笛を見つめながら思った。


 (影って、こういうふうに残るんだ)


 姿は見えないのに、手だけがある。


 指示だけがある。


 だから――


 見えない相手と、これから先、向き合うことになる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ