33 煙の先で、崩れる日常 3
泣き声は、煙みたいに村に残った。
火が消えても。
剣が鞘に戻っても。
壊れた暮らしの音だけが、しぶとく離れない。
りんは、震える指先を握り直して、ひとつずつ呼吸を整えた。
「……次、どこ?」
声を出しただけで、喉が少し痛い。
ネネが、りんの肩に軽く手を置いた。
「まずは高台の納屋です。避難場所になります。怪我人を集めます」
「うん」
りんは頷いて、足を動かした。
灰が靴裏で鳴る。
乾いたはずの街道より、ここはずっと重い。
◇ ◇ ◇
高台の納屋は、村の中央から少し外れた場所にあった。
扉を押すと、干し草の匂いと、土の匂い。
その奥に、人の匂い――焦げと汗と涙が混ざっている。
「ここに座って! 順番に見ます!」
ライラが声を張って、村人を誘導していた。
いつもの軽さを消した声。
それでも、怖がらせないように、ぎりぎりの柔らかさが残っている。
ガルドは納屋の入口に大盾を立て、外を睨んでいた。
「入り口は一つでいい。ここに固める」
「村の外周は俺が見る」
蓮は短く言って、すぐに外へ出ていく。
フィオは杖を膝の前に立てたまま、納屋の梁や隅を、目だけでなぞっていた。
――逃げ道。
――侵入口。
――次が来るとしたら、どこから。
りんは、まず目の前の人へ向き直る。
腕を押さえている女性。
額から血が滲んだ少年。
咳き込み続ける老人。
泣き止まない小さな子。
「……大丈夫。だいじょうぶ」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、りんは手を伸ばした。
触れるだけでいい。
そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと鳴った。
(助けたい)
その気持ちが先に立つと、りんの魔法は、勝手に“形”を探しにいく。
包帯より早く。
薬より深く。
りんの手のひらから、あたたかな感覚が広がる。
傷の痛みがほどけていく。
息の苦しさが薄れていく。
恐怖で固まった肩が、少しずつ落ちていく。
「……痛く、ない……」
誰かが呟く。
「なんで……さっきまで……」
別の誰かが、泣きながら笑うみたいな声を出す。
りんは答えられない。
“できちゃう”から、できる。
理由はあとからついてくる。
ネネが、りんの横で手際よく包帯を巻き、脈を取り、薬を渡していく。
「お嬢、次。――こちら」
「うん」
りんは頷いて、また手を伸ばす。
治す。
運ぶ。
落ち着かせる。
それを、ひとつずつ。
けれど――
納屋の隅で、男がうずくまり、肩を震わせていた。
「……燃えた。燃えたんだ……」
誰に向けた声でもない。
りんが近づくと、その男は顔を上げた。
煤と涙でぐしゃぐしゃで、目だけが妙に乾いている。
「倉庫が……家畜が……あそこは……あそこだけは……」
りんは息をのむ。
“あそこだけは”って言葉が、耳に刺さる。
「……どこが?」
男は、震える指で納屋の外を指した。
村の端――水場の方向。
「水汲み場の近く……火をつけた……。順番が、変なんだ……」
その言い方が、嫌だった。
偶然じゃないみたいな言い方。
りんの胸の奥が、ひやりとする。
◇ ◇ ◇
救助が一段落した頃。
蓮が戻ってきた。
村の外周を見てきた顔。
疲れているのに、目だけは冷たい。
「周辺に残党は見えない。だが、跡がある」
フィオがすぐに顔を上げる。
「跡?」
「足跡。……揃ってる」
その一言で、空気が少し固くなる。
りんは納屋の外へ出るのを、反射的にためらいかけた。
でも、蓮はりんを見て言った。
「無理はさせない。見るのは、必要な分だけだ」
「……うん」
りんは頷いた。
ネネが半歩前に出て、りんを守る位置に入る。
六人で村の端へ向かう。
壊れた柵。
焼けた柱。
黒く焦げた土。
そこに、足跡が残っていた。
雨が降っていないのが、逆に残酷だった。
消えてくれない。
「……ほんとに、揃ってる」
ライラが小さく呟く。
足跡は散らばっていない。
奪って逃げたなら、あちこちに分かれるはずだ。
なのに、線みたいに続いている。
「村へ入って、ここへ寄って、また同じ道で戻ってる」
蓮が指でなぞるように言う。
「……無駄がない」
フィオが、地面の端にしゃがみ込む。
「無駄がない、というより――“型”ね」
「型?」
りんが思わず聞くと、フィオは顔を上げずに答えた。
「誰かの真似。あるいは、指示された動き。低い知能でも、命令ならこなせる」
ネネが静かに続ける。
「ゴブリンは魔族ですが、集団行動が得意な個体ばかりではありません。通常はもっと散ります」
「なのに、散ってない」
ガルドが歯を鳴らした。
「……嫌な匂いがするな」
ライラが水場を指す。
「火をつけた場所も。倉庫だけじゃなく、水場の近く、通り道、納屋の外れ……」
「暮らしを壊す順番を知ってる」
フィオが小さく息を吐く。
「これは“奪う”襲撃じゃない。“崩す”襲撃」
りんは、言葉が喉で引っかかるのを感じた。
(崩す)
それは、村人の顔が浮かぶ言葉だった。
泣いていた子。
震えていた手。
乾いた目で倉庫を見ていた男。
壊すのは簡単で、戻すのは難しい。
それを“知ってる”相手がいる。
その現実が、りんの中に落ちる。
◇
そのとき。
村の外れから、小さな叫び声が上がった。
「こっち! こっちに――まだいた!」
蓮の顔が変わる。
「全員、戻る!」
駆ける。
煙の匂いより、土の匂いが濃くなる。
村の裏手、焼けた柵の影。
そこに――緑の肌が転がっていた。
ゴブリン。
完全に逃げ遅れたのか、足を矢で射抜かれている。
呻き声は小さく、目だけがぎらぎらしている。
「……斥候か、残りか」
ライラが矢を構えたまま、距離を取る。
ガルドが盾で村人を下がらせる。
「寄るな!」
フィオが杖を軽く振ると、淡い術が走り、ゴブリンの動きが止まる。
「……動けないようにした。今は」
その言い方が、冷たい。
冷たいのに、正しい。
りんは一歩踏み出しかけて、止まった。
“助けたい”が出る。
それは村人に向けるべきだ。
それでも、目の前の呻き声が、耳を引っ張る。
ネネが、りんの前に立った。
「お嬢。今は優先順位を」
「……うん」
りんは頷く。
その瞬間、ゴブリンが、喉の奥からくしゃっとした声を出した。
言葉にならない。
でも、何かを必死に伝えようとしている。
フィオが目を細める。
「……喋る個体?」
ネネが耳を澄ませる。
「いえ。言語ではありません。……合図に近い」
蓮が短く言った。
「合図?」
ゴブリンの指が、泥の上を引っ掻いた。
ぐちゃ、と線が残る。
ただの傷。
ただの落書き。
でも――線の形が、妙に整いすぎている。
フィオの眉が、わずかに動いた。
「……記号」
「誰かが教えた?」
りんが呟くと、蓮は答えない。
答えないまま、剣の柄を握り直す。
「村人を優先する。こいつは縛って連れていく。ギルドで判断だ」
「了解」
ネネがロープを取り出し、手早く拘束する。
ゴブリンは呻き声を上げ、歯を剥いた。
でも、目の奥にあるのは、憎しみだけじゃない。
――焦り。
――怯え。
りんはそれを見て、胸の奥がざわついた。
(怖がってるのは……こっちだけじゃない?)
そんな考えが、頭の隅で生まれかける。
でも今は、答えを作らない。
今は、村。
壊された暮らし。
戻すための手。
◇ ◇ ◇
騎士団が来たのは、陽が少し傾いてからだった。
馬の蹄。
鎧の音。
怒鳴り声と指示が飛び交い、村はようやく“助けが来た形”になる。
蓮は騎士団の隊長らしい男に、短く状況を報告した。
被害。
残党の可能性。
揃った足跡。
拘束した個体。
隊長は顔をしかめ、喉を鳴らした。
「……厄介な話だ。村の警備を厚くする。だが、他の村も危ない」
その言葉に、りんの肩が微かに跳ねた。
他の村。
(……まだ終わってない)
納屋へ戻ると、村人の何人かが、ようやく水を飲める顔になっていた。
りんは、最後の最後まで、手を離さなかった。
痛みをほどく。
熱を落ち着かせる。
震えを鎮める。
“治したい”と思ったら、りんの魔法は、躊躇を知らない。
だからこそ、ネネが隣で、ずっと呼吸を数えてくれる。
「お嬢。休憩」
「……もうちょっと」
「もうちょっと、の前に。水」
「……うん」
言われて初めて、喉の渇きに気づく。
◇
夕暮れ。
空が赤くなり始めたころ。
村の入口から、別の馬が駆け込んできた。
息を切らした伝令が、騎士団の隊長に紙を差し出す。
紙を受け取った隊長の顔が、すぐに固くなる。
蓮が、その表情を見て一歩近づいた。
「……第二報か」
隊長は短く頷く。
「東の街道沿い――別の集落でも、火が出た。被害はまだ確認中だ」
りんの胸の奥が、すっと冷える。
焦げた匂いは、もう風のせいじゃない。
続いている。
フィオが、ぽつりと呟いた。
「……点が、線になる」
ライラが唇を噛む。
ガルドが盾を握り直す。
ネネは、りんの横で、小さく息を吐いた。
「お嬢。顔を上げてください」
りんは、ゆっくり顔を上げた。
夕暮れの空は綺麗なのに、煙が混じっている。
(助けたい)
それだけは、揺らがない。
怖い。
でも、手を止めない。
りんは指先を握りしめ、蓮を見た。
「……次も、行く」
蓮は短く頷いた。
「行く。ただし、順番を守る。ここを固めてからだ」
ひとつずつ。
ひとつずつ。
崩れた日常は、すぐには戻らない。
でも――戻すために動く人がいるなら。
りんは、その中にいると決めた。
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