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魔王の娘  作者: 星空りん
33/38

32 煙の先で、崩れる日常 2

 街道の石は、乾いているはずだった。


 なのに、靴裏にまとわりつく感覚がある。

 土でも泥でもない。――灰だ。


 風がもう一度、頬を撫でた。


 焦げているのは、ただの木じゃない。

 誰かの暮らしだ。


 走るほどではない。

 でも、足は自然と早くなる。


 りんは息を切らさないようにしながら、ネネの背中を追う。


 「お嬢、歩幅。乱れています」


 「……分かってる」


 分かってるのに、胸の奥が先に急ぐ。


 煙が近づくにつれて、匂いが変わる。

 木の焦げだけじゃない。油と布と、――食べ物が焼けた匂い。


 それが、いちばん嫌だった。


◇ ◇ ◇


 村の外れが見えた。


 畑の向こうに、低い屋根が並ぶはずの場所。

 そこに、黒い柱が一本立っている。


 煙。


 小さな家のひとつが、まだ燻っていた。


 「止まるな。まず外周を確認する」


 蓮が短く言う。


 ライラが先に回り込み、弓を構えたまま、視線で“屋根の上”と“路地”をなぞる。

 ガルドは盾を前に出し、村へ入る道の真ん中に立つ。

 フィオは杖を握り、空気の濁りを探るように目を細めた。


 「……まだ、いるわね」


 その声が、妙に落ち着いていた。


 落ち着いているのは、慣れているからだ。

 慣れているのが、いちばん怖い。


 りんは唇を噛む。


 (来るの、遅かった……?)


 そんな考えが頭を掠めた瞬間。


 「――こっち! こっちに人が!」


 割れた声が、村の中から飛んできた。


 蓮が即座に判断する。


 「ネネ、りん。救助に回れ。俺とガルドは入口を抑える。ライラ、周囲。フィオ、逃げ道潰し」


 「了解」


 「任せろ!」


 「分かった」


 短い返事が重なる。


 ネネはりんの手首を軽く引いた。


 「お嬢。見るものが増えます。呼吸」


 「……うん」


 りんは胸に手を当て、息を吸って、吐く。


 その間にも、村の中から泣き声がする。

 怒鳴り声も、咳も、名前を呼ぶ声も。


 「行きましょう」


 ネネの声は冷静だった。

 冷静でいられることが、今は頼もしい。


◇ ◇ ◇


 村の中央へ入った瞬間、りんの視界が一気に崩れた。


 倒れた桶。

 散らばった麦。

 焼けた柵。

 そして、地面に座り込んでいる人。


 「お母さん……!」


 子どもの声。


 りんは反射的に駆け寄りそうになって、ネネに袖を掴まれた。


 「足元を見て」


 言われて初めて気づく。

 地面に、割れた陶器と釘が散っている。

 踏めば、怪我をする。


 りんは一歩ずつ、確実に進んだ。


 座り込んでいる女性は、腕を押さえていた。

 指の隙間から、血がにじむ。


 「大丈夫、ですか……!」


 声が震えそうになるのを、りんは飲み込む。


 女性は顔を上げ、涙と煤でぐしゃぐしゃになったまま頷いた。


 「だ、だいじょ……ぶじゃ、ない……」


 それでも、子どもを抱き寄せようとしている。


 ネネがすぐ膝をつき、布を取り出す。


 「圧迫します。痛みますが、我慢してください」


 (どうしよう、血……)


 考えるより先に、りんの手が動いた。


 「だいじょうぶ。……だいじょうぶだよ」


 腕に触れた瞬間、身体の奥で“決まる”感覚がある。

 ――治したい。いま。


 次の瞬間、傷口の熱がふっと引いた。

 滲んでいた赤が、嘘みたいに止まる。

 裂けていた皮膚が、縫い合わされるみたいに寄っていって――


 「……え」


 女性が、息を呑んだ。


 痛みが抜けたせいか、涙だけが遅れて落ちる。


 「う、うそ……」


 子どもが母親の腕を見て、目を丸くする。


 ネネは一瞬だけ固まり、すぐに周囲を見渡した。

 驚いている暇はない。


 「次の負傷者はどこですか!」


 声を張る。

 人の視線が一斉に集まる前に、流れを作る。


 「こっち! こっちにも……!」


 「あの家! 足をやられて動けない人が……!」


 叫びが次々に飛ぶ。


 りんは泣きそうになるのを、やめた。

 泣くのは後でいい。今は、手を動かす。



 家のひとつから、乾いた咳が聞こえた。


 「中にいる」


 ネネが言う。


 扉は半分焼け、歪んで開かない。


 りんが手を伸ばす。

 ネネが止めるより早く、りんの指先が板に触れた。


 ――開いて。


 願いが言葉になる前に、木が“ほどけた”。


 釘が抜けたわけでも、割れたわけでもない。

 歪みだけが、すっと消える。

 扉が、まるで最初からそうだったみたいに開いた。


 「……っ」


 ネネが息を呑む。


 中は暗い。

 煙が残っている。


 りんは袖で口元を押さえ、視界の奥を探す。


 寝台の横。

 年寄りが倒れていた。


 「息、弱い」


 ネネが脈を取る。


 りんはそっと膝をつき、迷いなく背中へ触れた。


 「戻ってきて」


 たったそれだけ。


 次の瞬間、胸が大きく上下した。

 咳が出る。

 目が開く。


 「……っ、げほ……」


 年寄りの喉が鳴るのを見て、りんは初めて息を吐いた。


 ネネはすぐに腕を回し、身体を支える。


 「運びます。お嬢、次に備えて」


 “制限”じゃない。

 “次が来る”から、流れを止めない。


 ふたりで抱え、外へ。


 外の空気が、甘くて痛い。


◇ ◇ ◇


 村の外れで、金属音がした。


 剣と、何か硬いものがぶつかる音。


 ――まだ終わっていない。


 りんが振り向く前に、ネネが肩を押さえた。


 「お嬢は救助」


 「でも……」


 「役割です」


 その言葉が、胸を縛る。


 役割。

 助ける。

 守る。

 戦うのは、必要なときだけ。


 りんは唇を噛み、視線を救助へ戻した。



 しばらくして、蓮の声が飛ぶ。


 「ガルド! 左!」


 「おうよッ!」


 盾が地面を叩く音。

 その直後、何かが跳ね返される。


 ライラの矢が、空気を裂く。

 悲鳴。


 フィオの声が重なる。


 「逃がさない。――そこ」


 足元の土が弾け、何かが転ぶ気配。


 りんは歯を食いしばった。


 (戦ってる……)


 (でも、こっちは……)


 叫び声の代わりに、りんの手は動く。


 焼けた木片で切った指を塞ぐ。

 足を捻った子を立たせる。

 咳き込む老人の背中をさすって、呼吸を戻す。


 治したいと思ったら、治ってしまう。

 助けたいと思ったら、身体が動いてしまう。


 ――加減なんて、知らない。


 知らないのに、できてしまうのが怖い。

 でも今は、その怖さに立ち止まっている暇がない。


 ネネが、りんの隣で声を切るように飛ばす。


 「動ける方は、あちらの納屋へ! 水桶は二列で回してください!」


 「子どもは集めて、名前を呼んで! はぐれないように!」


 りんの回復が大きいぶん、周囲の心も揺れる。

 ――助かった。

 ――でも、なぜ。

 ――この子は何者。


 その揺れを、ネネが現場の手順で押さえていく。


 ひとつ助けるたびに、次の手が伸びるように。



 ふと、視界の端で“揃った足跡”が見えた。


 村の中へ向かって、線みたいに続いている。

 散っていない。

 奪って逃げた痕じゃない。


 (……誘導)


 背筋が冷える。


 同じ方向。

 同じ順番。

 まるで、誰かが地図を持っていたみたいに。


◇ ◇ ◇


 蓮たちが戻ってきたのは、ほどなくしてだった。


 全員、無傷ではない。

 煤がついている。

 息も少し荒い。


 「追い払った。数は多くない。……でも、変だ」


 蓮が言う。


 ライラが顎で村の外れを示す。


 「あそこ。火をつけた場所が、嫌に“選ばれてる”」


 ガルドが舌打ちする。


 「食い物の倉庫だけじゃねぇ。水場の近くも荒らされてる」


 フィオが小さく頷く。


 「生活を壊す順番を知ってる。……誰かの真似か、指示ね」


 ネネが静かに言った。


 「つまり、“ゴブリン”だけの動きではない」


 りんは、喉がひゅっと鳴るのを感じた。


 でも、今は――答えを出す時じゃない。


 今ここにあるのは、焼けた匂いと、泣き声と、震える手。


 りんは蓮を見上げる。


 「……まだ、助ける人がいる」


 蓮は短く頷いた。


 「分かってる。ここを落ち着かせよう。騎士団が来るまで、村を守る」


 ガルドが盾を鳴らす。


 「避難場所、作るぞ!」


 ライラが走り出す。


 「高台の納屋が使える。火から遠い!」


 フィオは杖を握り直し、村の外周へ視線を投げた。


 「……次が来るなら、今度は止める」


 りんは、指先を握りしめる。


 (怖い)


 (でも、ここで止まったら――)


 ネネが、りんの肩にそっと手を置いた。


 「お嬢。お願いします。――“倒れている人”を優先」


 命の順番を、淡々と並べる声。

 りんの回復が大きすぎるぶん、現場の形を作るのはネネの役目だった。


 「……うん」


 ひとつずつ。

 ひとつずつ助けて、ひとつずつ戻す。


 崩れた日常を、元に戻すのは魔法だけじゃない。

 手を貸すこと。声をかけること。呼吸を整えること。


 りんは、もう一度だけ深呼吸をして、次の泣き声へ向かった。


 煙の向こうで、崩れる日常を――

 少しでも、つなぎ直すために。


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