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魔王の娘  作者: 星空りん
32/39

31 煙の先で、崩れる日常 1

 数日というのは、案外あっさり過ぎていく。


 王都の朝に慣れるために歩いた雑貨通り。

 ライラに教えてもらった店の前で、指先で飾りをなぞった日。

 ガルドの「肉のうまい店」談義に、つい笑ってしまった夜。


 事件が起きた広場も、もういつもの通り道みたいになっていた。


 それでも。


 りんの胸の奥には、森で見たものがずっと残っている。


 ゴブリンの巣。

 乱雑に積まれた骨。

 ぎらぎらした目。

 そして、手のひらからこぼれた金色の光。


 (“またいつか”って思ったのに……)


 その“いつか”は、向こうから歩いてくることもあるらしい。



 その日も、りんとネネは朝食を終えて、ギルドへ向かっていた。


 空は晴れていて、石畳は乾いている。

 人の声も明るい。


 なのに、歩きながら、りんは何度も鼻をひくつかせた。


 「……なんか、焦げた匂いしない?」


 ネネはすぐに表情を変えず、耳だけをぴくりと動かす。


 「城門の外から、風に乗っているようですね」


 「外……」


 りんは無意識に、東の方角を見た。


 森がある方向。


 「お嬢、結論を急がないでください。匂いだけで決めつけるのは早いです」


 「うん。でも……」


 胸の奥が、じわっと冷たくなる。


 (嫌な予感って、こういうのかな)


◇ ◇ ◇


 ギルドの扉を押した瞬間、空気が違った。


 いつものざわめきではない。

 笑い声より先に、低い声がぶつかっている。


 受付カウンターの前に人だかり。

 掲示板の前では、依頼票を見上げた冒険者が肩を落としている。


 そして、入口の近くに立つ衛兵が、周囲を押さえるように声を張っていた。


 「落ち着け! 今、確認中だ!」


 りんは、思わずネネの袖を掴む。


 「……なにかあったの?」


 「まずは情報です」


 ネネはりんの半歩前に出て、受付へ近づく。


 受付嬢も、いつもの柔らかな笑顔ではなく、紙束を抱えたまま必死に視線を巡らせていた。


 ネネが名乗るより早く、彼女が気づく。


 「あ……りんさん、ネネさん」


 声が少し掠れている。


 「いらっしゃいませ、という状況ではなくて……」


 「なにかあったんですか?」


 ネネが静かに言うと、受付嬢は小さく頷いた。


 「はい。先ほど、東の街道沿いの村――リュミエ村から、使いが来ました」


 りんの指先が冷える。


 「村……」


 受付嬢は紙を一枚取り出し、震えないように押さえながら読み上げた。


 「“夜明け前、ゴブリンの群れが村の外れを襲撃。家畜を奪われ、倉庫が荒らされ、負傷者が多数。火も出た”――」


 りんの耳の奥で、言葉が鈍く響いた。


 火。

 匂い。

 さっきの焦げの気配が、急に現実の輪郭を持つ。


 「怪我人……」


 りんは口の中で呟いて、すぐに言い直した。


 「今、助けに行く人は?」


 受付嬢は唇を噛む。


 「騎士団にも連絡が行っていますが、動ける部隊の到着には時間が……」


 「討伐隊の編成も、まだ」


 ネネが補足する。


 「ええ。なので、ギルドとしては“応急の対応”が必要です」


 受付嬢の視線が、りんへ一瞬だけ向く。


 迷いと、期待と、そして恐れが混ざった目。


 「……りんさん」


 「うん」


 りんは自分でも驚くくらい、声がまっすぐ出た。


 「行く。今すぐ……できることする」


 ネネが、わずかに目を細める。


 「お嬢」


 止めるのかと思った。

 けれど、ネネは止めなかった。


 「では、条件を整えます。単独行動はしないでください」


 「……うん。約束する」



 そのとき、ギルドの扉がもう一度、重く開いた。


 入ってきたのは《暁の空》だった。


 鎧が擦れる音。

 剣の鞘が静かに揺れる音。

 場が、ほんの少しだけ引き締まる。


 蓮は周囲のざわめきを一瞥し、受付へ一直線に歩いた。


 「来たか。第一報の内容は?」


 受付嬢が説明を繰り返す前に、別の職員が紙束を差し出す。


 蓮はそれを受け取り、短く目を走らせた。


 ライラが、りんの顔を見て目を瞬かせる。


 「……その顔。もう聞いたのね」


 りんは頷く。


 「村が襲われたって」


 ガルドが歯を鳴らすように息を吐いた。


 「ちっ……増えすぎたって話の“次”が来やがったな」


 フィオは無言で周囲を見渡し、最後にりんの方を見る。


 視線が合うと、りんは小さく背筋を伸ばしてしまう。


 フィオは表情を変えないまま、ただ一言だけ言った。


 「……今日は、森じゃなくて“人の場所”ね」


 その言葉が、妙に刺さった。


 森での偵察は、情報のための一歩だった。

 でも今日は――生活がある場所が、壊されている。



 蓮が受付嬢に言う。


 「ギルドの判断は?」


 受付嬢は、喉を鳴らしてから答えた。


 「《暁の空》に、まずは現地確認と救助の優先をお願いしたいです。討伐ではなく、“被害の拡大を止める”こと」


 蓮は頷く。


 「了解。こちらで動く」


 その流れの中で、受付嬢が一度だけ、りんを見る。


 言いにくそうに、でも言わなければならない顔で。


 「……りんさん」


 「うん」


 「もし、同行を希望されるなら……」


 場が静かになる。


 《暁の空》の四人が、りんとネネを見る。

 ネネの耳がわずかに揺れる。


 蓮が先に口を開いた。


 「俺は反対しない。ただし、“やること”を決める」


 りんは息を吸った。


 「……治す。運ぶ。守る。戦うのは、必要なときだけ」


 自分で言いながら、胸が少し落ち着くのが分かった。


 “全部どうにかする”じゃない。

 “今できること”に絞る。


 ネネがすぐに言葉を重ねる。


 「戦闘は最小限です。ゴブリンは魔族ですが、知能が低く、獣に近い個体が多い」


 「……殺していい、とはならない」


 りんは小さく呟いた。


 自分でも、そこは譲れない気がした。


 (ゴブリンのこと、まだ何も知らない)


 (でも……助けられるなら、助けたい)


 蓮は短く頷く。


 「分かってる。だから“止める”」


 「村から引き剝がす。追い払う。これ以上、燃やさせない」


 ライラが弓の紐を指で弾きながら言う。


 「村を襲うのって、だいたい“食い物”か“火”か“示威”よ。どれにしても、調子に乗らせたらダメ」


 ガルドが大盾を背負い直す。


 「守るのは得意だ。村人を固めて、逃げ道を作る」


 フィオは最後に、ネネを見る。


 「……りんの“役割”は?」


 ネネは即答した。


 「負傷者の処置と、混乱の鎮め。あと――」


 ネネの視線が一瞬だけ、りんの手元に落ちる。


 「お嬢が“やってしまう”前に、私が間に入る」


 りんは一瞬むっとしたが、すぐに頷いた。


 「……うん。勝手に突っ込まない」


 「お願いします」


 ネネの声が、少しだけ柔らかくなる。


◇ ◇ ◇


 準備は速かった。


 ギルドの職員が、応急の包帯と消毒薬、簡易の担架をいくつか用意する。

 りんはそれを抱え、ネネが荷の重さを調整する。


 「お嬢、手は空けておいてください。現地では、触れるだけで助かる場面が多い」


 「うん」


 りんは自分の指先を見た。


 (よく分からないけど、出来ちゃう)


 それは便利で、怖い。


 だから今日は、なおさら“雑に使わない”と決める。


 蓮がギルド職員に最後の確認を取る。


 「リュミエ村の位置、被害の出た方角、ゴブリンの数の目測、火が出た場所」


 紙に走り書きされた情報が、次々と積み上がっていく。


 最後に、受付嬢が言った。


 「……使いの話では、ゴブリンの動きが“揃いすぎていた”そうです」


 蓮の眉がわずかに動く。


 「揃いすぎ?」


 「はい。普通なら、もっと散らばって奪って逃げるのに、“同じ方向へ誘導されているみたいだった”と」


 フィオが小さく息を吐く。


 「……誰かが、後ろにいる可能性」


 ライラが舌打ちを噛み殺す。


 「今は出てこない上がいる、ってやつね」


 りんはその会話を聞きながら、胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 (ゴブリンだけじゃないのかもしれない)


 でも、今は考えすぎない。


 今は――村。


 火。

 怪我人。


 「行こう」


 蓮が短く言った。


 《暁の空》が動き出す。

 りんとネネも続く。


 ギルドの扉を出た瞬間、風が頬を撫でた。

 焦げた匂いが、少し濃くなる。


◇ ◇ ◇


 城門を抜けて、街道へ。


 焦げているのは、ただの木じゃない。

 誰かの暮らしだ。


 走るほどではない。

 でも、足は自然と早くなる。


 りんは息を切らさないようにしながら、ネネの背中を追う。


 「お嬢、呼吸。浅いです」


 「……ごめん」


 「謝るなら、整えてください」


 「うん……吸って、吐いて」


 りんは胸に手を当て、深呼吸をひとつ。


 すると、少しだけ周りの音が戻ってきた。


 盾の金具が鳴る音。

 弓の羽根が擦れる音。

 杖の先が小さく揺れる音。


 そして、遠くから聞こえる――


 泣き声。


 まだ村は見えない。

 でも、声だけが先に来る。


 蓮が歩幅を落とし、全員に合図する。


 「ここから先、周囲の警戒を上げる」


 ライラが頷く。


 「煙、見えてきた」


 りんも目を上げる。


 空の一部に、薄い灰色が混ざっていた。


 (ほんとに……燃えてる)


 怖い。


 でも、足は止まらない。


 ネネが、りんの手首にそっと触れた。


 「お嬢。今日の目標は、勝つことではありません」


 「うん」


 「生きて、助けて、戻ることです」


 りんは小さく頷いた。


 「……分かった。約束する」


 その約束が、胸の中で灯りになる。


 今は、まだ。

 必要になったら、きっと出来る。


 (怖くても、きっと、できる)


 りんはそう思いながら、煙の方へ、もう一歩だけ踏み出した。


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