表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王の娘  作者: 星空りん
28/38

27 ゴブリンの巣へ、はじめの一歩 3

 「行こう」


 短くそう言って、蓮は森の奥へと視線を向けた。


 「ここから先が、本番だ。巣の位置と規模を確認する。戦いは必要最小限。目的はあくまで“偵察”だ」


 「分かってる」


 ライラが頷き、ガルドも大盾を構え直す。


 フィオは、さっきの光をまだ少し気にしながらも、杖を軽く握り直した。


 りんは、深呼吸をひとつしてから、ネネのすぐ後ろの位置に戻る。


 「……大丈夫?」


 ネネが、小さな声で尋ねてきた。


 「こわいけど、歩けるよ」


 りんは、少しだけ笑ってみせる。


 「それがいちばん大事です」


 ネネも小さく笑い返した。


◇ ◇ ◇


 そこから先は、言葉がほとんどなくなった。


 木々の間を抜ける。

 根の張り出した地面を避けて進む。

 時々、古い罠の跡や、骨のようなものが落ちているのが見える。


 りんは、ネネの背中と、その向こうに見える蓮の背中を見失わないように歩いた。


 (怖いけど、誰かの背中が見えてると、少しだけ安心する)


 そんなことを考えながら。


◇ ◇ ◇


 やがて、森の密度が、ふっと変わった。


 木々の隙間から、少しだけ開けた空間が見える。


 「……ここだな」


 蓮が足を止めた。


 全員が、周囲の木の陰に身を隠す。

 りんとネネも、低い茂みの影にしゃがみ込んだ。


 「お嬢、顔だけそっと出してみてください。声は出さないように」


 「うん……」


 りんは、できるだけ音を立てないように、そっと前を覗いた。



 そこは、小さな広場になっていた。


 木々が少しだけ途切れたその場所の中央に、粗末な木と石で組まれた囲いがある。

 骨や壊れた荷車の残骸、布切れのようなものが、乱雑に積み上がっていた。


 「……これが」


 声にならない声が、喉の奥で震える。


 (ゴブリンの巣……)


 囲いの周りには、小さな影がいくつも動いていた。

 さっき見たのと同じ、緑色の肌のゴブリン。


 数を数えようとして、りんは途中で諦める。


 (多い……)


 「最低でも十数体。おそらく、見えていないところにもう少し」


 ライラが、視線だけで数を追いながら小さく呟く。


 フィオが、杖の先を地面に軽く当てた。


 「囲いの中にもいそうですね。声が聞こえます」


 ガルドは小さく息を吐いた。


 「これでも、三つある巣の中で一番小さいってんだから、笑えねぇ話だ」


 「笑えませんね」


 ネネが淡々と返す。


 蓮は、しばらくじっと巣を観察していた。


 出入りするゴブリンたちの動き。

 囲いの外側に積まれた木材や石。

 周囲の木々に刻まれた、爪痕や印。


 「蓮、どう?」


 ライラが小声で尋ねる。


 「……入口は実質ふたつだな」


 蓮が、巣の周囲を指でなぞるように示した。


 「ここが“正面”。こっちが、少し奥の“側面”。どちらも、木の陰を抜ける形になる。正面には見張りが二体。側面には、一応の罠がいくつか?」


 フィオが頷く。


 「罠はこちらからでも感知できます。そこまで巧妙な作りではありません」


 「数、位置、巣の形、罠の傾向。……偵察任務としては、最低限の情報は取れたな」


 蓮が、静かに結論を口にした。


 ライラも、小さく肯いた。


 「全員無事でここまで来ただけでも、十分よ」


 「……ここで、戦わないの?」


 りんが、小さな声で尋ねる。


 蓮が振り返る。


 「今の戦力で正面から突っ込めば、相応の被害が出る。目的は“巣を落とすこと”じゃない。“次にどうするか決めるための情報”を持ち帰ることだ」


 「でも──」


 「りん」


 ネネの声が、やわらかく遮る。


 「今、ここで“全部をどうにかしたい”と思うのは、きっと自然なことです。でも、現実には、一歩ずつしか進めないこともあります」


 「……一歩ずつ」


 「はい。今日の一歩は、“巣の場所と形を知った”ところまで」


 ネネは、りんの目を見て、静かに言った。


 「次の一歩は、また別の日に。今日むりやり踏み出して、それで誰かが倒れたら──お嬢がいちばん嫌がる結果になるでしょう?」


 胸の奥が、ちくりとした。


 (それは……いやだ)


 りんは、ぎゅっと拳を握りしめた。


 「……うん。分かった」


 蓮が、小さく息を吐いた。


 「俺たちも同じ考えだ。次にどう動くかは、ギルドと、王都と、いろいろな場所で決める必要がある」


 「そのために、今の光景を覚えておくのが、今回の仕事です」


 フィオが静かに付け加えた。


 「それは、後ろで支える者も同じですよ、りん」


 りんは、もう一度巣を見た。


 そこで動いている小さな影たち。

 乱雑に積まれた骨や、壊れた荷物。


 (今日、“全部どうにかする”ことはできない)


 けれど──


 (いつか、きっと。なにか違う形で、向き合いに来るんだろうな)


 まだ言葉にならない予感だけが、胸の中に残った。


◇ ◇ ◇


 「引くぞ」


 蓮の一言で、空気が少しだけ緩む。


 全員が、来たときと同じ隊列に戻る。

 足音をできるだけ殺しながら、森の奥から離れていった。


 背中に、ゴブリンたちの騒がしい声が、少しずつ遠ざかっていく。


 りんは、一度だけ振り返りたくなる衝動を堪えた。


 (また、来るから)


 心の中で、小さくそう呟く。


◇ ◇ ◇


 森を抜け、街道の気配が近づいてきたとき、空気がふっと軽くなった気がした。


 「おつかれさまでした、お嬢」


 ネネが、りんの肩をぽんと叩く。


 「……うん。なんか、どっと疲れた」


 りんは、苦笑しながら空を見上げた。


 木々の隙間から見える空は、森の奥よりずっと明るい。


 「初任務としては、十分以上だ」


 蓮が言った。


 「足を引っ張らないように動いてくれて助かったよ」


 「ほんと?」


 「ええ」


 ライラが微笑む。


 「ちゃんと怖がって、ちゃんと立ってた。それができない新人、結構多いのよ」


 ガルドが、がっはっはと笑った。


 「それに、あの“最後のひと押し”もな。苦しまずに終わらせてやるって発想は、俺たちにはまず出てこねぇ」


 フィオは、まだ少し考え込むような表情をしていたが、それでも穏やかに頷いた。


 「あなたの光は、やはり普通の“回復”とは違う。だからこそ──これから先、きっと必要になる」


 「……そうかな」


 りんは、自分の手のひらを見つめる。


 まだ、さっき使った光の感覚が、指先に残っている気がした。


 「きっと、そうです」


 ネネが、当然のように断言する。


 「お嬢の“できること”は、まだまだこんなものではありませんから」


 「え、こわいこと言わないで?」


 りんが慌てて言うと、ネネはくすりと笑った。


 「大丈夫です。こわいときは、私がちゃんと隣にいますから」


 その言葉に、りんの胸の中の緊張が、少しだけほぐれた。


◇ ◇ ◇


 王都の城壁が見えたとき、りんはようやく、大きく息を吐いた。


 「なんか、帰ってきた感ある……」


 「外に出ると、城壁の中が急に“安心できる場所”に見えるでしょう?」


 ライラが、少しおどけたように言う。


 「その感覚は、案外大事よ」


 「そうなの?」


 「守るべきものが“ある”っていう印だからね」


 りんは、王都の門を見上げた。


 (ここも、“守るべき”場所なんだ)


 そう思ったとき、森の中で見た巣と、そこで動いていた影が頭をよぎる。


 胸の奥が、ちくりと痛む。


 (でも──今日できたのは、“見に行った”ところまで)


 それでも、なにか小さな一歩を踏み出したような気がしていた。


◇ ◇ ◇


 ギルドに戻ると、中はいつもより少しざわざわしていた。


 別の冒険者パーティが、依頼の報告をしているらしい。

 受付嬢たちも忙しそうに動き回っている。


 「おかえりなさいませ!」


 りんたちの姿を見つけて、窓口のひとりがぱっと表情を明るくした。


 この前、最初に対応してくれた受付嬢だ。


 「無事のご帰還、なによりです。例のゴブリンの巣の偵察ですね?」


 「はい。ひとまず、予定どおり最初の巣まで行ってきた」


 蓮が短く答え、地図の上に手を置く。


 「位置、規模、罠の傾向、見張りの数。分かる範囲で報告する」


 「ありがとうございます。詳しくお伺いしますね」


 受付嬢は、慣れた手つきで紙とペンを用意した。


 りんは、その少し後ろで、ネネと並んで立つ。


 (ちゃんと“仕事した”感じがする……)


 足は疲れているし、心もまだ少しざわざわしている。

 それでも、なにか満たされている気持ちもあった。


 「お嬢」


 ふいに、ネネが小さな声で話しかけてきた。


 「今日の任務、どうでした?」


 りんは、少し考えてから答えた。


 「こわかった。でも、見に行ってよかった」


 「その答えなら、きっと魔王……いえ、パパも喜びますよ」


 「……パパには、あんまり詳しく言わないでおいて」


 「そこは、ほどほどに調整しておきます」


 ネネがくすっと笑う。


 受付の前では、蓮たちが真剣な顔で巣の状況を説明していた。


 今日の一歩は、小さいかもしれない。


 でも──


 (たぶん、この一歩から、“なにか”が始まる)


 りんは、胸の奥でそう感じていた。


 まだ、ゴブリンたちと分かり合える未来なんて、想像もできない。

 けれど、どこかで、いつか、その可能性を信じてみたいと思う自分がいる。


 (そのとき、ちゃんと“今見たもの”を覚えていたいな)


 ゴブリンの、ぎらぎらした目。

 巣に積まれていた骨。

 森の冷たい空気。


 そして──


 自分の手からこぼれた、金色の光。


 りんは、その全部を、静かに心の中にしまい込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ