表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王の娘  作者: 星空りん
27/39

26 ゴブリンの巣へ、はじめの一歩 2

 森の空気は、王都の外とはまるで違っていた。


 木々が重なって陽を遮り、足元には湿った土と落ち葉の感触。鳥の声も、遠くで少しだけ聞こえるだけで、あとは自分たちの吐く息と、枝を踏む小さな音が耳に残る。


 「ここから先が、本格的な“ゴブリンの縄張り”です」


 先頭を歩く蓮が、低い声で告げた。


 「足音を小さく。話すときは、できるだけ短く、静かに」


 「了解」


 ライラが短く答え、弓の弦にそっと指を触れる。


 ガルドは、大盾を少しだけ前にずらし、フィオは杖をすこし身体の近くへ引き寄せた。


 りんは、ネネのすぐ後ろで、ぎゅっと両手を握りしめる。


 (ドキドキしてる……)


 心臓の音が、自分にだけ聞こえているんじゃないかと思うくらい速い。


 それでも、足を止める気にはなれなかった。



 蓮を先頭に、ガルドが左、ライラが右を少し広く取って歩く。

 中央にりんとネネ、そのさらに少し後ろにフィオが続いていた。


 「視界は悪いが……道自体は、まだ歩きやすい方だな」


 ガルドが小声で言う。


 「誰かが通った跡でしょうね。獣道にしては、少し整いすぎている」


 ネネが足元を見下ろしながら答えた。


 「ゴブリン?」


 りんが、できるだけ小さな声で尋ねる。


 「可能性は高いです。あとは、時々ここを通る木こりか、小さな村の人々か」


 フィオが、地面の跡をちらりと見て言った。


 「でも、その人たちが最近は通っていないからこそ、今回の依頼があるわけですが」


 りんは、唇を噛む。


 (誰かが通っていた道が、“通れなくなった”から、暁の人たちが呼ばれたんだ)


 そう考えると、今踏みしめている土が、急に重く感じた。


◇ ◇ ◇


 しばらく進んだところで、蓮が片手を上げた。


 りんの足が、反射的に止まる。


 「……どうしました?」


 ネネが前方をうかがいながら小声で問う。


 「罠の跡だ」


 蓮が、足元の少し先を指さした。


 りんもそっと覗き込むと、そこには、落ち葉の隙間から覗く浅い穴と、かすかに切られた枝の痕があった。


 「もう使われてはいませんが……」


 フィオがしゃがみ込んで、指で土をつまむ。


 「最近まで、何度も張られていた形跡がありますね」


 「ゴブリンって、罠なんて張れるの?」


 りんが思わず口にすると、ライラが小さく頷いた。


 「単純な作りなら、ね。落とし穴とか、踏んだら鳴る枝とか。誰かが教えれば、すぐ真似する種類よ」


 「誰かが……」


 りんの胸のあたりが、ぞわりとする。


 (誰かが、教えた。ゴブリンに?)


 「今それを考え始めると、先へ進めませんよ」


 ネネが、小さく釘を刺した。


 「今は、目の前のことに集中を」


 「……うん」



 蓮は、罠のあった場所を大きく迂回するように進路を変えた。


 「こういうものが増えてくるってことは、巣が近いってことでもある」


 「そろそろ、“斥候”も出てくる頃ね」


 ライラが、そっと弓を握り直す。


 りんは、ネネの背の少し後ろで、足音をできるだけ小さくしながら歩き続けた。


 空気が、さっきよりさらに重く感じられる。


 どこかで、小さく枝が折れる音がした。


 「……今度は、風じゃありませんね」


 ネネの耳がぴくりと動く。


 蓮が、すっと手を上げた。


 「全員、止まれ」


 声は低く、しかしはっきりしていた。


◇ ◇ ◇


 重なり合う木々の向こう、かすかな動きが見えた。


 背を丸めた、小さな人型。くすんだ緑色の肌。むき出しの牙。


 (ゴブリン……)


 りんの喉が、きゅっと鳴る。


 見た目は、冒険者の本に描かれていた挿絵に似ている。

 ただ、絵よりずっと、生々しくて、汚れていて、目がぎらぎらしていた。


 「三匹。距離は近いが、まだこちらに気づいてはいません」


 ライラが、息を殺したまま囁く。


 「どうする?」


 ガルドが短く問う。


 「ここは、早めに数を減らしておく」


 蓮の判断は速かった。


 「偵察とはいえ、帰り道で後ろから追われるのは危険だ。それに──」


 蓮は、一瞬りんの方へ視線を送る。


 「“初めて”を見るなら、こういう少ない数で見ておいた方がいい」


 「……うん」


 りんは、ぎゅっと唇を結んだ。



 「作戦はシンプルだ。俺とガルドで前を抑える。ライラが足を止める。フィオは逃げそうなやつを優先して拘束」


 「了解」


 「任せろ」


 「分かった」


 三人の返事はいつも通り短く、迷いがない。


 「ネネ、りんを頼む」


 「もちろんです」


 ネネは、りんの肩に軽く手を置いた。


 「お嬢、ここから先は、ただ見ているだけでいいです。怖くなったら、目を閉じてもかまいません」


 「……ううん」


 りんは首を振った。


 「怖くなっても、ちゃんと見る。だって──」


 「だって?」


 「見ないまま、終わったって、きっと後で気になるから」


 ネネが、ほんの少しだけ目を細めた。


 「……お嬢らしいですね」


◇ ◇ ◇


 次の瞬間、空気が変わった。


 蓮が地面を蹴り、木陰から飛び出す。

 ガルドも盾を構えて続いた。


 ライラの弓から、矢が一本、風を切って飛ぶ。

 ゴブリンのひとりの足元に突き刺さり、ぎゃっと悲鳴が上がった。


 「ぎ、ぎゃあッ!」


 残りの二匹が振り向く。

 ぎょろりとした目に、人影が映った。


 「こっちだよ」


 蓮の声は低く、冷静だった。


 剣の刃が煌めき、ゴブリンの腕から武器を弾き飛ばす。

 ガルドの盾が体当たりするようにぶつかり、別の一匹が地面に倒れた。


 りんは、大木の陰から、その光景を見つめていた。


 (こわい……)


 でも、目は閉じなかった。


 ゴブリンが、短い刃物を振り回す。

 けれど、それは蓮にもガルドにも届かない。


 ライラの矢が、もう一本、迷いなく飛ぶ。

 フィオが、逃げかけた一匹の足元に、淡い光の鎖を走らせる。


 「動いちゃ、だめ」


 静かな声とともに、ゴブリンの足が地面に縫いつけられた。


 ほどなくして、三匹とも地面に倒れ、動かなくなる。


 「……ふぅ」


 ガルドが大盾を少し下ろした。


 「脅威、排除。致命傷は二体……一体は、どうする?」


 蓮が、倒れたゴブリンの様子を確認しながら問う。


 ライラが弓を下ろす。


 「ここで“見逃して”も、あとで他のパーティが苦労するだけよね」


 「そうだな。偵察任務とはいえ……危険因子は減らしておくべきだ」


 蓮が短く息を吐く。


 りんは、大木の陰で震える手を握りしめた。


 (これが、“現実”なんだ)


◇ ◇ ◇


 「……りん」


 背後から名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。


 ネネが、小さな声で尋ねた。


 「近くで、見ますか?」


 「……うん」


 りんは、足が少し震えるのを自覚しながらも、ゆっくりと前へ出た。


 倒れているゴブリンは、さっきまで威嚇していたときよりも、ただの“生き物”に見えた。


 牙も爪も、もう振り上げられない。


 (……さっきまで、襲ってくる側だったのに)


 胸の奥が、もやもやとする。


 「りん。無理はしなくていい」


 蓮が言う。


 「これは、“現場”の仕事だからな」


 「……ううん」


 りんは首を振った。


 「やっぱり、ちょっとでも……楽にしてあげたい」


 ネネが、わずかに目を細める。


 「お嬢、やはりそう言うと思いました」


 「“とどめ”の代わりに、なにかできるか?」


 蓮が問うと、りんは小さく頷いた。


 「痛みだけ、消してあげる。……それくらいなら、きっと」


 りんは、倒れたゴブリンのそばにしゃがみ込んだ。


 胸の前で、そっと手を合わせる。


 「もう、痛いのはおしまい。こわいのも、おしまい」


 いつもの回復魔法を、少しだけ違う形で。


 傷を塞ぐのではなく、“痛み”そのものを薄くしていくように、意識を向ける。


 指先に、あたたかな金色の光が灯った。


 光が、倒れたゴブリンたちを静かに包み込む。


 ぎゅっと硬直していた体から、すこしずつ力が抜けていくのが分かった。


 「……」


 ライラが、ほんの少しだけ目を見開く。


 フィオも、興味深そうにその光を見つめていた。


 ガルドは、腕を組んで、短く息を吐く。


 「苦しんでねぇ顔になったな」


 「そうですね」


 ネネが頷いた。


 「お嬢の魔法は、“敵”に対しても優しい」


 「……それが、いいことかどうかは、まだ分からないけどな」


 蓮がぽつりと呟く。


 「けど、“悪いことだ”とは、少なくとも俺には言えない」


 りんは光を解き、そっと立ち上がった。


 「……ありがとう」


 誰に向けて言ったのか、自分でもよく分からないまま、そう呟いた。


◇ ◇ ◇

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ