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魔王の娘  作者: 星空りん
26/43

25 ゴブリンの巣へ、はじめの一歩 1

 テーブルの上には、同じ依頼書が二枚、並んでいた。


 ひとつは、《暁の空》のもの。

 もうひとつは、りんとネネのもの。


 「では、詳細の確認を」


 ギルドの職員が、テーブルの端に地図を広げた。


 「目的地は、王都から半日ほど東へ進んだ森の外れになります。ここです」


 指さされた場所には、小さな×印がついている。


 「この周辺に、ゴブリンの巣が三つ。うち二つは、規模が大きく、今はまだ手を出せません」


 「じゃあ、行くのは……」


 りんが身を乗り出すと、蓮が地図の上に指を置いた。


 「偵察対象は、この一番西にある巣だ」


 蓮の指先が示した×印は、他より少し小さい。


 「数は他より少ないが、その分、街道に近い位置にある。ここから、周辺の村や旅人を狙っている可能性が高い」


 ギルド職員が頷く。


 「今回の目的は、あくまで“偵察”と“被害の抑制”です。巣の規模や、ゴブリンの動き方を詳しく確認していただきたい」


 ネネが静かに口を開いた。


 「巣そのものを落とすのは、あくまで別の大規模討伐隊の仕事、ということですね」


 「その通りです。あなた方には、今後の作戦のための情報を持ち帰っていただく事が第一となります」


 「……つまり、『単独で英雄的行動はするな』ってことね」


 ライラが肩をすくめる。


 ガルドががっはっはと笑った。


 「耳が痛ぇこったな!」


 りんは、少しだけ身を縮こまらせた。


 (単独で突っ走っちゃだめ、ってことだよね。うん、ちゃんと守らないと)



 「出発は、明日の朝でどうでしょうか」


 蓮の問いに、ギルド職員が即答する。


 「はい。準備の時間も考えると、それが妥当でしょう。日が高いうちに森の手前に到達していただきたいので」


 「分かった。明日、日の出と同時にギルド前集合でいいか?」


 蓮がりんを見る。


 突然話を振られて、りんは少し目を丸くした。


 「えっと、はい! がんばって起きます!」


 「“がんばって”という言葉に、不安しか感じないのですが」


 ネネが即座に挟む。


 「大丈夫だよ〜。今日はちゃんと早く寝るから!」


 「お嬢、昨日と一昨日も、わりと夜更かし気味でしたけど」


 「うっ……」


 ライラがくすりと笑う。


 「まあまあ。寝坊したら、そのときはうちのガルドが肩に担いででも連れてきてくれるわよ」


 「おうよ! 一人くらいなら余裕だ!」


 「そういう問題ではないと思うのですが……」


 ネネの冷静な突っ込みが、テーブルの上をすべっていった。


◇ ◇ ◇


 宿へ戻る道すがら、りんはなんども空を見上げた。


 夕焼けの赤が、少しずつ群青へと変わりはじめている。


 「……ゴブリンの巣、かぁ」


 ぽつりと漏らすと、隣を歩くネネの尻尾が小さく揺れた。


 「怖くなりましたか?」


 「うーん、怖くなかったって言ったら、嘘になるけど」


 りんは、歩きながら自分の手のひらを見つめる。


 「でも、なんか……行かないまま夜を迎えた方が、もっと怖い気がする」


 「……お嬢らしい、ですね」


 ネネは、小さく笑った。


 「明日は、今日よりもっと早起きです。支度にも時間がかかりますから」


 「支度……?」


 「はい。ゴブリンの巣まで行くには、軽装とはいえ、ある程度の装備が必要です」


 ネネは指を折りながら数えた。


 「予備の水、簡易食料、怪我をしたとき用の包帯、火を起こす道具……」


 「お弁当は?」


 「お嬢、真剣に聞いてください」


 「えぇ〜? 大事だよ、お弁当」


 「……否定はしませんが、優先順位は少し下がります」


 そんな他愛もないやり取りをしながら、二人は宿へと戻っていった。


◇ ◇ ◇


 翌朝。


 まだ空が白みはじめたばかりの頃、りんは、いつもより少し早く目を覚ました。


 「……起きた」


 自分で自分に驚きながら、ふわふわの布団から這い出る。


 窓の外には、薄い朝の光。鳥の声が、遠くでかすかに聞こえた。


 「ネネ、起きてる?」


 「すでに起きていますよ、お嬢」


 声のした方を見ると、ネネはすでに服を整え、小さな荷物をまとめ終わっていた。


 「早っ……」


 「猫魔族は、朝に強いのです」


 「え、そうなの?」


 「今そういうことにしました」


 ネネは淡々と言って、りんの方へ歩み寄る。


 「ほら、お嬢も早く支度を。今日は薬草採取とは違います。動きやすさを優先しますよ」


 「うん!」


 りんは顔を洗い、髪を整えるために鏡の前へ座った。


 腰まで伸びる金色の髪を、ネネが器用に梳かしていく。


 「今日も、耳より下の、低い位置でローツインテールで?」


 「うん、それが落ち着く」


 「分かりました」


 ネネの指先が、さらさらと髪をすくい、大きな白いシュシュで結わえていく。


 柔らかな光を受けて、サイドの髪がふわりと揺れた。


 「よし。魔王城にいたときとも、遜色ない仕上がりです」


 「ありがと、ネネ」


 りんは鏡の中の自分に、そっと笑いかけた。


 (大丈夫。怖くても、行ける)


 胸の中で、小さくそう呟く。



 ロビーに降りると、朝食の準備がちょうど終わったところだった。


 「今日は急ぎですから、軽めにしておきましょう」


 「え〜、がっつり食べたらだめ?」


 「動けなくなっても知りませんよ」


 「……ほどほどにします」


 パンとスープ、少しの果物。りんは、できるだけ手早く朝食を済ませた。


 食器を片づけながら、心臓がどきどきと速くなる。


 (ほんとに、行くんだなぁ……)


 怖い。

 でも、それ以上に──


 (見たい。確かめたい)


 ゴブリンのことも、襲われている村のことも。

 そして、自分の“できること”も。


◇ ◇ ◇


 ギルド前に着いたとき、空はすっかり朝の色をまとっていた。


 石畳の上に、長い影が伸びる。空気はひんやりとしていて、吐いた息が少しだけ白い。


 「……もう来てる」


 ネネの言葉どおり、ギルドの前には、すでに四人の姿があった。


 黒髪の剣士・蓮。

 弓使いのライラ。

 大盾を背負ったガルド。

 そして、杖を抱えた魔術師・フィオ。


 《暁の空》の四人は、すでに準備を整え、出発できる状態だった。


 「おはようございます!」


 りんが駆け寄って頭を下げる。


 蓮が、少しだけ口角を上げた。


 「ちゃんと起きられたようだな」


 「がんばりました!」


 「その言い方は、少し不安になりますが……まあ、間に合ったので良しとしましょう」


 ライラが肩をすくめる。


 ガルドは、りんの荷物を見て、ふむと頷いた。


 「その荷物なら、走って逃げるくらいはできそうだな」


 「逃げる前提なんですね……」


 ネネが小さく呟く。


 フィオは、りんを一瞥してから、視線を少しだけ逸らした。


 (昨日と同じ……やっぱり、魔力の気配が濃い)


 けれど、今のところ、それを口には出さない。


 「では、行こうか」


 蓮が、一歩前に出た。


 「森の手前までは、そう遠くない。道中は、基本的に俺たちが先行する。りんとネネは、中央あたりを歩いてくれ」


 「はーい」


 「了解しました」


 りんとネネが頷く。


 ライラとガルドが左右に広がり、フィオが少し後方を歩く形で隊列が組まれた。


 《暁の空》と、新人冒険者ふたり。

 六人の影が、王都の門の方へと伸びていく。


◇ ◇ ◇


 城門を抜けると、世界は一気に広くなる。


 遠くまで続く街道。

 左右には畑と、時々ぽつりと立つ家々。


 「ここから先は、“王都の外”です」


 ネネが小さく告げた。


 「昨日までの薬草採取もそうでしたが、今日はさらに少しだけ、深く踏み込みます」


 「うん」


 りんは、胸の前でぎゅっと手を握りしめる。


 「怖くなったら、ちゃんと言え」


 蓮が、前を向いたまま言った。


 「無理をしてカッコつけるより、怖いときは怖いと言ってくれた方が、俺たちも動きやすい」


 「……うん。ありがと」


 りんは素直に頷いた。


 ライラが、ひらりと振り返る。


 「それと、森に入ったら、あんまり遠くを見ようとしないこと。足元と、すぐ前だけ見てればいいわ」


 「どうして?」


 「全部見ようとすると、怖くなるからよ」


 ライラの声音は、どこか優しかった。


 ガルドが、盾を軽く叩く。


 「何かあっても、嬢ちゃんたちの前に立つのは俺らだ。とりあえず、“自分が全部どうにかしなきゃ”なんて考えんな」


 「“どうにかできる”人たちが横にいることも、ちゃんと覚えておいてください」


 ネネも付け加える。


 「……うん。頼りにしてます」


 りんが笑うと、《暁の空》の三人も、それぞれわずかに表情を緩めた。


◇ ◇ ◇


 やがて、街道の先に、濃い緑のかたまりが見えてきた。


 森。


 木々が重なり合い、奥はもう見えない。入口付近には、かすかにひんやりした空気が漂っていた。


 蓮が立ち止まり、振り返る。


 「ここで一度、呼吸を整えよう」


 りんは、胸の前で深く息を吸った。


 (大丈夫。怖いのは、みんな同じ)


 そう自分に言い聞かせる。


 ネネが、そっとりんの手首に触れた。


 「大丈夫ですよ、お嬢。お嬢は“何かあったときに、誰かを楽にしてあげる役目です”」


 「……うん」


 「戦うのは、基本的に《暁の空》の皆様と私に任せてください」


 りんは、強く頷いた。


 蓮が、森の入口へ向き直る。


 「行くぞ」


 その一言を合図に、六人はゆっくりと、森の中へと足を踏み入れた。


 木々が陽を遮り、空気がひんやりと変わる。


 まだ、ゴブリンの姿は見えない。

 けれど──どこかで、小さく枝の折れる音がした。


 りんは、指先に、ほんの少しだけ金色の光を宿す。


 (大丈夫。見て、感じて、できることをする)


 その決意を胸に、もう一歩、森の奥へと進んだ。


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