22 スライムの次は、ゴブリンでした 1
朝の食堂は、昨日と同じように、パンとスープの匂いで満ちていた。
りんは湯気の立つスープを飲み干して、ふぅ、と小さく息をついた。
「ねぇネネ。昨日の薬草採り、楽しかったね〜」
向かいでパンをちぎっていたネネが、片方の耳だけぴくりと動かす。
「スライムに遭遇していなければ、もっと“のどか”だったと思いますが」
「……スライムは、ノーカンで」
あの、ぬるっとした感触を思い出して、りんは肩をすくめた。
(前の世界の本で読んだスライム像と、だいぶ違ったんだよね……)
「でもさ、薬草見つけるの、ちょっと上手くなってきた気がするんだよね」
りんは、ぱっと顔を上げる。
「もう一回くらい、薬草の依頼やってみたいな〜。まだ“ちゃんとした戦闘の依頼”は、ちょっと怖いし」
ネネはパンを飲み込み、少し考えるように目を細めた。
「……危険の少ない依頼を重ねて慣れていくのは、悪くありませんね」
「ほんと!?」
りんの目がぱぁっと輝く。
「ギルドの人も、昨日みたいなのなら勧めてくれると思いますし」
「じゃあ決まり! 今日も薬草つみに行こ!」
椅子から立ち上がろうとするりんを見て、ネネはため息をひとつ。
「……分かりました。ただし、“安全第一”は昨日と変わらず、です」
「はーい、“安全第一”ね」
りんはにっこり笑って、スープ皿を重ねた。
◇
宿を出ると、王都の朝はもう活気づいていた。
石畳の通りを、荷車を引く商人や、パンを抱えた少年たちが行き交う。遠くで鐘の音が鳴り、空はからりと晴れている。
「王都の朝って、やっぱり賑やかだね〜」
りんはきょろきょろと周囲を見回しながら歩く。
「人が多い分、問題も多いのです。よそ見をして、荷馬車にぶつからないようにお願いしますね」
「うっ……気をつける」
そんなやりとりを交わしながら、りんとネネは冒険者ギルドへ向かった。
◇
重い扉を押してギルドに入ると、昨日と同じようなざわめきが耳に飛び込んでくる。
依頼票がびっしりと貼られた掲示板。長いカウンター。奥には酒場スペース。鎧や武器がこすれる音が、あちこちから聞こえた。
入り口近くのテーブルで、数人の冒険者がちらりとこちらを見る。
「おい、また来てるぞ」
「ほら、あの猫耳の護衛。前に絡んだ連中をまとめて沈めたって噂の」
「ってことは、隣の金髪のお嬢様が“本体”か……?」
ひそひそ声が飛び交うが、りんにははっきり聞こえない。なんとなく視線を感じて、もぞもぞと落ち着かない。
ネネは、聞こえなかったふりで表情ひとつ変えず、りんの半歩前を歩いた。
「今日も、ちょっと見られてる気がする……」
「気のせいではありませんが、気のせいと思っておいた方が精神衛生にはよいでしょう」
「えぇ……?」
カウンターに近づくと、昨日も対応してくれた受付嬢が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。あ──またお会いしましたね」
彼女はぱっと微笑む。
「本日はご見学でしょうか?」
「えっと、今日も薬草の依頼があれば、行きたいなって」
りんが少し照れくさそうに言うと、受付嬢は嬉しそうに目を細めた。
「昨日の薬草、とても状態が良くて。依頼主の方からもお礼が来ていたんですよ」
「えへへ……よかった」
「でしたら、今日も似たような依頼をご案内できます。王都から少し離れますが、危険度は昨日と同じくらいです」
受付嬢は手元の書類から、一枚の依頼票を取り出してみせた。
「こちら、『東側の丘陵地での薬草採取』です。昨日と種類は違いますが、日帰りで戻れますし、魔物も少ない地域です」
ネネが依頼票に目を走らせる。
「ふむ……王都の東側。昨日より少しだけ距離はありますが、問題なさそうですね」
「じゃあ、それにする!」
りんが即答すると、受付嬢はこくりと頷いた。
「では、この依頼書をお持ちください。日が暮れる前には必ず戻るよう、お願いいたしますね」
「はーい!」
依頼書を受け取って、りんは胸の前で抱きしめる。
ネネが横で、ひとつだけ念を押すように言った。
「お嬢。昨日と同じく、“危険そうなものに自分から近づかない”ことを、もう一度お約束いただけますか?」
「……スライムをぷにぷにしようとしたことは、もう忘れてよ」
「忘れません」
「うぅ……」
◇ ◇ ◇
東側の丘陵地は、昨日とは少し雰囲気が違っていた。
草原の合間に、低い木々がぽつぽつと立ち、ところどころに岩場が顔を出している。遠くの空には、鳥の群れが飛んでいた。
「わぁ……こっちも、気持ちいいね」
りんは、風に揺れる草を見ながら深呼吸した。
「昨日より少し起伏が多いですね。足元には気をつけてください」
ネネが周囲を見回しながら言う。
「まずは、薬草の見本を確認しましょう」
昨日と同じように、ネネが小袋から乾いた薬草の束を取り出す。
「ギザギザの葉っぱで、少しすっぱそうな匂い……」
りんは真剣な顔で葉を触り、匂いを確かめた。
「昨日より、覚えが早いですね」
「ふふん、“薬草Fランクのプロ”だからね」
「Fランクのプロという言葉の新しさには、コメントを差し控えます」
ネネの半眼を受け流しながら、りんは斜面の方へ歩き出した。
◇
日陰を探して歩きながら、りんは次々と薬草を見つけていった。
「この子もそうだよね。あ、こっちにも」
摘んだ薬草を籠に入れながら、指先にそっと金色の光を宿す。
「元気に育ってね〜」
ふんわりした光が葉を包み、少しだけ瑞々しさを増した。
「……お嬢。昨日に続き、納品前に品質を底上げしている方は初めて見ました」
「だって、元気な方が嬉しいじゃん」
「依頼主は間違いなく感謝すると思いますが……まあ、害はありませんので、そのままでどうぞ」
そんな会話を繰り返しながら、籠の中は少しずつ薬草で埋まっていく。
◇
少し離れた斜面には、別のパーティの姿も見えた。
四人組の冒険者が、ぎこちない手つきで薬草を摘んだり、地図を見たりしている。
「あっちの人たちも、薬草かな?」
「依頼票の色が同じでしたから、おそらくそうでしょうね」
りんは、しばらくその様子を眺めてから、そっと視線を戻した。
「なんか、ちょっと仲間っぽいね。……まだ話しかける勇気はないけど」
「無理に話しかける必要はありません。まずは自分の依頼をきちんとこなすところから、です」
「うん。そうだね」
◇
丘の端の方まで来ると、昨日見たものに似たものが、地面に転がっていた。
「……これ」
半透明のゼリーのようなものが、乾いてしぼんでいる。表面はひび割れ、ところどころに黒ずんだ跡が残っていた。
ネネがしゃがみ込み、観察する。
「昨晩、このあたりにもスライムが出ていたようですね。誰かに倒されたのでしょう」
「うぅ……見た目、思い出しちゃった……」
りんは体を縮こまらせた。
「見た目がどうであれ、放置しておくと被害が出ますから。こうして駆除されているのは、むしろ良いことです」
「頭ではわかるんだけど、心がちょっと“ぬるっ”てする……」
「お嬢の語彙は、時々独特ですね」
◇
さらに進んだ先で、またかすかな鳴き声が耳に届いた。
「……今の、聞こえた?」
「ええ。あちらからですね」
ネネが指さした茂みへ、りんは足早に向かう。
草をかき分けると、小さなウサギのような動物がうずくまっていた。後ろ足が細い枝に絡まり、動こうとするたびに痛そうに鳴き声を上げる。
「……痛そう」
りんは迷わず膝をついた。
「不用意に触ると、驚いて暴れますよ」
ネネの忠告に、りんはこくりと頷く。
「大丈夫。すぐ楽にしてあげるからね」
そっと手をかざし、ふんわりと金色の光を灯す。
「痛いの、飛んでけ」
光が絡まった足を包み込み、枝が自然にほどけるように外れていく。傷口も、ゆっくりと塞がっていった。
ウサギは最初こそ怯えた目をしていたが、痛みが消えると、おそるおそるりんの手を鼻先でつついた。
「もう大丈夫だよ」
りんがそう囁くと、ウサギは一度だけぴょんと跳ね、りんの指先をぺろりと舐めてから、草むらの奥へと走り去っていった。
りんは、その背中が見えなくなるまで見送った。
「……よかった」
小さく息をつく。
ネネは、その横顔をしばらく見ていた。
「依頼とは無関係ですが、お嬢らしいと言えば、お嬢らしいですね」
「見ちゃったら、放っておけないもん」
「ええ。そういうところだけは、どうか変わらないでいてください」
◇ ◇ ◇




