21 はじめての依頼は、薬草つみから 2
王都から少し離れた丘は、思っていたよりも明るく、のどかな場所だった。
柔らかい草が一面に生い茂り、ところどころに低い木々と、小さな岩場が点在している。遠くには、王都の城壁が小さく見えた。
「わぁ……気持ちいい……!」
りんは両手を広げて、くるりと回る。ローツインテールが、ふわりと遅れて揺れた。
「お嬢、足元。穴に落ちますよ」
「えっ、穴!?」
慌てて足元を見ると、小さな獣道のくぼみがあった。りんは、あわててぴょんと飛びのく。
「うぅ……」
「これでも、ここはまだ安全な方です。魔物も少ないですし、視界も開けていますから」
ネネは周囲をぐるりと見回し、耳と尻尾をぴくりと動かした。
「では、お嬢。まずは依頼に書かれていた薬草の見本を確認しましょう」
ネネが小袋から、乾いた薬草の束を取り出す。
「形と匂いを覚えてください。このあたりの日陰になった場所に、生えているはずです」
りんは、真剣な表情でそれをまじまじと見つめた。
「このギザギザの葉っぱで、ちょっと甘い匂い……」
「そうです。その草を、決められた束の数だけ集めます。間違えないようにお願いいたしますね」
「うん、任せて!」
◇
丘の斜面をゆっくりと歩きながら、りんは日陰を探してはしゃがみ込み、薬草を一枚一枚丁寧に摘んでいった。
「この子もそうだよね? ……あ、こっちにもいる」
「お嬢、その“子”という呼び方は、草には少々過分では?」
「え〜。かわいいから、いいじゃん」
りんは摘んだ薬草を、小さな籠に入れていく。そのたびに、指先からほんのり金色の光が漏れた。
「元気に育ってね〜」
薬草の葉が、ほんの少しだけ瑞々しく光る。
ネネが半眼になる。
「……お嬢」
「なに?」
「納品前に品質を底上げしている方は、初めて見ました」
「だって、元気な方が嬉しいじゃん」
「依頼主は間違いなく喜ぶと思いますが……まあ、害はないでしょう」
そんな会話を繰り返しながら、りんは夢中で薬草を摘み続けていった。
◇
しばらくすると、少し離れたところから、誰かの声が聞こえてきた。
「そっちは、あたしたちが先に見つけた場所でしょ!」
「いや、先に見つけたのはこっちだって!」
りんがそっと顔を向けると、若い冒険者たちが三人ほど、薬草の生えている一角を挟んで言い合いをしているのが見える。
「……あれもFランク、でしょうね」
ネネが小さく呟く。
りんは、少し困ったように笑った。
「ケンカしてるところに混ざるのも、なんか嫌だし……」
「別の場所を探しましょうか」
「うん。薬草、この丘のどこかにいっぱいあるみたいだしね」
二人はそっとその場から離れ、反対側の斜面へと向かった。
◇ ◇ ◇
少し森に近いあたりまで来たときだった。
「……今の、聞こえましたか?」
ネネの耳がぴくりと動き、りんの前にすっと出る。
「え? なにか──」
りんが言いかけたそのとき。
ぐじゅ、と地面がぬめるような、奇妙な音がした。
足元近くの草むらが、ぼこりと泡立つように盛り上がる。次の瞬間、半透明の塊がずるりと姿を現した。
丸い……といえば丸いが、形はどこか歪んでいる。色も、澄んだ青ではなく、濁った緑色。中には何か食べかけのようなものが溶けていて、表面がぷるぷると揺れていた。
「……うわ」
思わず、声が漏れる。
(え……本で見たのと全然違う……もっとこう、丸くてぷにっとしてて、可愛い感じじゃなかったっけ……?)
スライムは、ぬるぬると揺れながら、りんの方へじりじりと近づいてくる。
ネネが、一歩前に足を出した。
「お嬢、スライムは危険なので触らないでくださいね」
(えっ、これって最弱の魔物じゃないの!?)
りんは心の中で悲鳴を上げる。
「見た目こそ頼りなく見えますが、油断していると、溶解液で装備や皮膚を傷めます。“弱いから安全”とは限りません」
言うが早いか、ネネは腰のあたりから短剣を抜いた。
スライムが、ぼとりと重たい音を立てて跳ねる。その動きに合わせて、ネネの腕がしなやかに閃いた。
「──っ」
風を断つ音とともに、短剣がスライムの核らしき部分を正確に貫く。濁った体は、ばしゃりと音を立てて崩れ、ただのぬるい液体になった。
りんは、思わず足を後ろに引いた。
「……もう、スライムを素手でぷにぷにしようとか思わない……」
「ぜひそうしてください」
ネネは手早く短剣を拭き、鞘に戻した。
「今のは小型でしたが、放置すると増えることもあります。見つけたら、可能な限りその場で処理しておいた方がいいのです」
「そ、そうなんだ……」
りんはまだ少し気持ち悪そうな顔をしながらも、頷いた。
(前の世界のスライム像、全部修正しないと……)
◇
スライムのいた場所を離れ、さらに丘の奥へ進んでいく。
その途中、りんの耳に、かすかな鳴き声が届いた。
「……今の、聞こえた?」
「ええ。あちらからですね」
ネネが指さした茂みの方へ、りんは早足で近づいた。
草をかき分けると、小さな動物がうずくまっていた。
まだ幼そうな、茶色の毛並みの獣。足を鋭い枝か何かで引っかいたのか、前足から血が滲んでいる。息は荒く、目には怯えが浮かんでいた。
「……痛そう……」
りんは、その場にしゃがみ込んだ。
「触ると怯えますよ」
ネネが止めようとする。
「大丈夫。……ね、ちょっとだけ、がんばろ?」
りんはできるだけゆっくりと手を伸ばして、小さく囁いた。
その手のひらに、ふんわりと金色の光が宿る。
「痛いの、飛んでけ──」
やさしい光が、小さな獣の足を包み込む。光に包まれた傷口が、ゆっくりと塞がっていくのが見えた。
最初は怯えていた獣も、やがて力が抜けるように体の緊張を緩める。
「ほら、もう大丈夫だよ」
光が消えると、傷はきれいに消えていた。うっすらと新しい毛が生えかけている。
獣はしばらくりんを見つめていたが、やがてきゅ、と小さな声を上げて、りんの手をぺろりと舐めた。
それから、ひょこひょことした足取りで、森の奥へと走り去っていく。
りんは、その背中が見えなくなるまで見送った。
「……よかった」
小さく息を吐く。
ネネは、その横顔を静かに見つめていた。
「依頼とは無関係ですが、お嬢らしいと言えば、お嬢らしいですね」
「見ちゃったら、放っておけないもん」
「ええ。そこだけは、どうか変わらないでいてください」
◇ ◇ ◇
日が傾き始める頃には、依頼で指定された分より少し多めに、籠は薬草でいっぱいになっていた。
「けっこう採れたね〜!」
りんは、籠を両手で持ち上げながら笑う。
「初めてにしては上出来です。そろそろ戻りましょう。日が暮れる前に丘を降りておかないと、足元が危険になりますから」
「うん!」
丘を下りる途中、遠くに別のパーティの姿が見えた。
数人の冒険者が、小型の狼のような魔物を囲んでいる。盾役が前で受け止め、後ろから魔法が飛ぶ。ぎこちないが、なんとか形になっている戦いだった。
「わ、戦ってる……」
りんは足を止めて、じっと見つめる。
ネネは一瞥して、「問題なさそうですね」とだけ言った。
「助けに行かなくていいの?」
「今の様子なら、彼らだけで十分対処できます。むやみに助けに入ると、かえって自尊心を傷つけることにもなりますから」
「そっか……」
りんは少しだけ名残惜しそうに目を細め、それからまた歩き出した。
(いつか、ああいう風に一緒に戦うことも、あるのかな)
心の中でそんなことを思いながら。
◇ ◇ ◇
夕方、ギルドに戻ると、昼間よりも少し人が増えていた。
依頼を終えた冒険者たちが、順番にカウンターに並んで報告をしている。酒場スペースからは、笑い声と食事の匂いが漂ってきた。
「ただいま戻りました。薬草の納品をお願いいたします」
ネネがそう告げて籠を差し出すと、受付嬢が中を覗き込んで、目を見張った。
「まぁ……! とても状態がいいですね。葉も傷んでいませんし、香りも強い……」
「元気に育ってもらえるように、ちょっとだけ、えいってしました」
りんが胸を張ると、ネネが横で小さくため息をつく。
「お嬢の“えい”のせいです」
受付嬢はくすりと笑いながら、手慣れた動きで数を数えていく。
「必要数もきちんと揃っていますね。これなら依頼主の方もお喜びになると思います」
しばらくして、小さな袋が一つ、カウンターの上に置かれた。
「こちらが、今回の報酬になります」
「わぁ……!」
りんは、両手でそっと袋を持ち上げた。中から、金属同士の控えめな触れ合う音がする。
「ちゃんと“お仕事”して、お金もらえた……」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「お嬢の魔力量を考えると、若干割に合わない気はしますが……楽しめたようで何よりです」
「いいの。今日は“初めて”だから、記念日だもん」
りんがそう言って笑うと、受付嬢も嬉しそうに微笑んだ。
「また、安全な依頼から少しずつ慣れていってくださいね。何か分からないことがあれば、いつでもご相談ください」
「うん、ありがとう!」
◇ ◇ ◇
ギルドの外に出ると、空はすでに夕焼けに染まっていた。
建物の影が長く伸び、石畳は橙色に輝いている。人々の足音と話し声が、少しだけ柔らかく聞こえた。
「ネネ、今日、ちょっと“冒険者”だったよね」
りんは、報酬袋を大事そうに握りしめながら言う。
「そうですね。薬草採取と、スライム一体と、小さな動物一匹」
「スライム、思ってたのと全然違った……」
りんは、肩をすくめた。
「もっとこう、丸くてぷにっとしてて、可愛い感じかと思ったのに……」
「世の中、可愛らしく描かれているものほど、実物は危険だったりするのです」
ネネは肩をすくめる。
「でも、怪我してた子が元気になってよかったな〜」
「……そうですね」
ネネは、りんの横顔をちらりと見た。
「そういうところだけは、どうか変わらないでいてください」
「え?」
「いえ。なんでもありません」
ネネは、いつものように少しだけそっけなく視線を前に戻した。
りんは小首をかしげてから、夕焼け空を見上げる。
今日、初めて“冒険者”として歩いた一日を、胸の中でそっと反芻しながら。
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