20 はじめての依頼は、薬草つみから 1
朝の食堂には、焼きたてのパンとスープの、やさしい匂いが満ちていた。
りんは、白い皿に残ったパンくずを指先で集めながら、ふわっと息を吐いた。
「ねぇネネ。そろそろ“冒険者”してみたいな〜」
向かい側でスープを飲んでいたネネの手が、ぴたりと止まる。
「……はぁ。やっぱり、そうなりますか」
「え? なにその“運命きた”みたいなため息」
「昨日も同じことを言っていましたからね。“そのうち”ではなく“そろそろ”になったあたりで、本気になったと判断しました」
「うーん……でもさ、最初はこう、のんびりした依頼がいいなぁ」
(冒険者って言えば、最初は薬草採取って決まってるよね)
りんは、心の中でだけ、こっそり前の世界の物語を思い出す。
「危なくないやつがいい。例えば、薬草を集めるとかさ」
「そのくらいでしたら、こちらとしても大歓迎です。危険が少ない方が助かりますので」
ネネがあっさり賛成したので、りんの目がぱっと輝いた。
「ほんと!? じゃあ、ちゃんと登録しに行こ!」
椅子から勢いよく立ち上がるりんを見て、ネネはこめかみを軽く押さえながらも、静かに席を立つ。
「……分かりました。お嬢がそこまでおっしゃるなら、お付き合いします。ただし、“安全第一”が絶対条件ですからね」
「はーい、“安全第一”ね!」
「ようやく、まともなことをおっしゃいました」
◇
宿の外に出ると、王都の朝はもう賑やかだった。
石畳の通りを、パン屋の少年や、荷車を引く商人たちが行き交っている。遠くで鐘の音が鳴り、空は気持ちのいい青に晴れていた。
「ね、ネネ。王都って、朝からすごいね〜」
りんは、きょろきょろと周りを見回しながら歩く。
「人が多い分、情報も物も集まりますからね。浮かれているうちにぶつからないよう、お気をつけください」
「は〜い」
そんな他愛もないやりとりをしながら、二人は冒険者ギルドの建物へと向かった。
◇
重い木の扉を押してギルドに入ると、昨日と同じようなざわめきが耳に飛び込んでくる。
長いカウンター、依頼票の貼られた掲示板、奥には酒場スペース。あちこちで鎧や武器のきしむ音がして、冒険者らしき人たちがテーブルを囲んでいた。
その視線のいくつかが、入り口のりんとネネに向く。
「おい、また来てるぞ」
「……ほら、あの猫耳の護衛。前に、絡んでった連中まとめて床に沈めたって噂の」
ひそひそとした声が、耳の端をかすめた。
ネネは、聞こえなかったふりをして、表情ひとつ変えない。かわりに、すっと背筋を伸ばし、りんの半歩前を歩く。
「ネネ、なんか見られてない?」
「お気になさらず。視線の多い場所には、もう慣れておいた方がいいですよ」
「そ、そういうもの?」
カウンターに近づくと、前にも対応してくれた受付嬢が顔を上げた。
りんとネネの姿を見て、彼女は小さく目を丸くする。
「いらっしゃいませ。……あ、またお会いしましたね。本日はご見学でしょうか?」
「えっと……」
りんは少しだけ緊張して、胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「冒険者登録、お願いしたいです」
「え? 冒険者に……なられるんですか?」
受付嬢の声が、ほんの少しだけ裏返る。
「う、うん。できれば、その……」
言葉を探すりんの横で、ネネが一歩前に出た。
「お嬢様が“やってみたい”とおっしゃいまして。危険の少ない依頼からで構いませんので、どうかよろしくお願いいたします」
受付嬢は一瞬だけ瞬きをしてから、ふわっと笑った。
「……そうでいらっしゃったんですね。でしたら、ぜひお任せください。まずはFランクの登録からご案内いたしますね」
◇
ギルドの一角、登録用のカウンターは少し静かだった。
受付嬢が木の板に書かれた規約を示しながら、ひとつひとつ説明していく。
「冒険者は、原則Fランクからの登録となります。危険度の低い依頼から、徐々に実績を積んでいただく形です」
「ふむふむ」
「そしてこちらが、ギルド内の基本的な禁止事項です。“ギルド内での抜剣禁止”“仲間や依頼主への故意の暴力行為の禁止”など……」
「……お嬢。このあたりは問題ありませんね?」
横でネネが、じっとりんを見る。
「う、うん。そんな物騒なことしないよ?」
りんがぶんぶんと首を振ると、受付嬢がくすりと微笑んだ。
「では、お名前と簡単な情報を……。まずはお嬢様から」
「えっと、りん。……りんでお願いします」
「りん様ですね。職能は?」
「魔法、かな。回復も攻撃も、そこそこできます」
「そこそこ、でいいんですか?」
ネネがぼそりと呟いたが、りんは気づかないふりをした。
「では、魔法使いとして登録させていただきます」
受付嬢は手際よく板に文字を書き込み、魔力を通すための水晶板のようなものを差し出す。
「こちらに手を置いて、魔力をほんの少しだけ通してください」
「は、はい」
りんが恐る恐る手を置くと、水晶板の中で微かな光が揺れた。その瞬間、周囲の空気が、ほんの少しだけぴりっと緊張する。
受付嬢は一瞬だけ息を呑んだが、すぐに表情を整える。
「……ありがとうございます。では次に、護衛の方もよろしければ登録を」
「ネネ。猫魔族です。前衛……でいいですね?」
「はい。前衛護衛として登録させていただきます。同じくFランクからのスタートになりますが、お二人でひとつのパーティとして扱われます」
やがて、小さな金属板──ギルドカードが二枚、カウンターの上に並んだ。
「こちらが、お二人のギルドカードになります。紛失されないよう、お気をつけくださいね」
「わぁ……!」
りんは、自分のカードを両手で大事そうに受け取った。
表面には、名前とランクが刻まれている。まだ一番下のFランク。それでも、心が少しだけ高鳴った。
「お嬢、嬉しそうですね」
「うん。なんか、ちゃんと“ここにいる”って感じがする」
◇
登録を終えると、次は依頼掲示板の前だ。
壁一面に貼られた紙の束に、りんは目を丸くする。
「うわぁ……本当にいっぱい貼ってある……!」
「お嬢、金額だけ見て飛びつかないでくださいね。危険度が高いものほど、報酬も高くなります」
「わかってるもん!」
そう言いつつも、りんの視線は思わず数字の大きい札に吸い寄せられそうになる。すかさずネネが、肩を軽く引いた。
「最初は、安全なものからです」
「はーい……」
見かねた受付嬢が、そっと近づいてくる。
「よろしければ、最初の依頼はこちらなど、いかがでしょう?」
彼女が示したのは、「王都近郊の丘での薬草採取」だった。
「日帰りで戻れますし、魔物もほとんど出ません。危険が少なく、初めての方におすすめです」
「それがいい! のんびりできそうだし、“最初の依頼”って感じがする!」
りんが即答すると、ネネもこくりと頷いた。
「危険が少ないのなら、こちらとしても助かります」
「では、この依頼書を持って現地へ向かってください。日が暮れる前には、戻ってきてくださいね」
依頼書を受け取って、りんは胸の前で抱きしめた。
「ネネ、行こ!」
「はいはい。転ばないよう、お気をつけくださいね」
◇ ◇ ◇




