19 挿話 聖女ミリア、お披露目の日(ミリア視点)
祭服の裾が、心臓の鼓動に合わせて揺れている気がした。
深呼吸をひとつ。
胸の前で組んだ指先に、うっすらと汗がにじむ。
(大丈夫。息、ちゃんとできてる)
何度もそう自分に言い聞かせながら、わたしは控室の窓から中庭を見下ろした。
今日は、王都の大教会で「新たな聖女」をお披露目する日だ。
それが、わたし──ミリア。
そう呼ばれるようになった自分の名前が、まだ体に馴染んでいない。
◇
「ミリア、準備はよろしいですか」
扉の向こうから、エルマー様の声がした。
「……はい」
なんとか返事をして、振り向く。
鏡には、見慣れない自分が映っていた。
いつもの修道服ではなく、金糸の刺繍が入った白いローブ。
胸元には、小さな宝石のついた紋章。
「聖女」にしか許されない意匠だと、昨日くり返し説明を受けた。
(似合ってるかどうかなんて、今は考えたくない……)
そんなことを思いながらも、どこかで「恥ずかしくない自分でいたい」と願ってしまう。
わたしの今の魔力は、あの日から変わったままだ。
りん様が、わたしの中を通っていった日から。
「ミリア?」
もう一度、エルマー様の声。
「すみません、今行きます」
ぎゅっとスカートを握り、わたしは控室の扉を開けた。
◇ ◇ ◇
大聖堂の扉は、内側から見ても威圧感がある。
向こう側には、すでにたくさんの人が集まっているはずだ。
信徒たち、王都の人々、近くの村から来た人──。
「緊張していますか」
隣に立ったエルマー様が、小声で尋ねてくる。
「はい。……とても」
隠す意味もないので、素直に答える。
エルマー様は少し笑って、わたしの肩に手を置いた。
「それでよいのです。緊張しているのに、逃げないことが大事なのですから」
「逃げたくない、とは……思っています」
「あの少年を救った時と、何も変わりませんよ」
アレン。
わたしとりん様が一緒に光を届けた、あの少年の名前だ。
(あの日のわたしは、“聖女”なんて呼ばれてなかったのに)
ただ、目の前で苦しんでいる命を、どうにかしたかっただけ。
それでも、今ここにいるわたしは──
(りん様に魔力を分けてもらって、やっと“届く”祈りができるようになったわたし)
だからこそ、逃げるわけにはいかない。
「行きましょう」
エルマー様が合図すると、扉を開ける合図の鐘が、小さく鳴った。
◇
扉が開く音が、やけに大きく響いた気がした。
強い光に目が慣れるまで、ほんの少し時間がかかる。
大聖堂の中には、人、人、人。
わたしが一歩踏み出すたび、ざわめきが波のように広がる。
「……あの子が」「あれが新しい聖女か」「思ったより若いな」
視線が肌に刺さるみたいで、思わず下を向きそうになる。
(大丈夫。わたしひとりじゃない)
胸の奥で、小さくあの光の感触を確かめる。
あの日、りん様がわたしの中を通っていった、あの金色の魔力。
ほとんど通り抜けていったけれど、ほんの少しだけ、かけらが残っている。
わたしの魔力と混ざって、ちょっと背伸びのできる力になった。
祭壇の前まで歩くと、エルマー様と、数人の高位神官が待っていた。
「ミリア」
エルマー様の声が、堂内に響く。
「あなたは、幾度も病人に寄り添い、祈りを捧げ、多くの者を癒やしてきました」
(多くの……)
口の中で言葉を転がしながら、わたしは目を閉じる。
アレンの笑顔。
おばあさんのしわだらけの手。
兵士の、震える肩。
それぞれの上に、わたしと──あの日からは、りん様から分けてもらった光も、確かに降りていた。
「わたしたちは今、この場で──あなたを“聖女”として迎えます」
ざわっ、と空気が揺れた。
言葉の重さが、肩に落ちる。
でも、その重さは不思議と、嫌なものではなかった。
(“聖女”になれたのは、わたしひとりの力じゃない)
(りん様が分けてくださった光と、それを受け取らせてくださった神様と──支えてくれた人たちのおかげ)
だから、その重さは、分け合って持てる。
◇ ◇ ◇
儀式の最後に、「聖女としての祈り」を人々の前で捧げる時間が設けられていた。
簡単な癒しでいい、と言われている。
「今日は、足を痛めた者がひとり、前に出ます」
神官のひとりの声で、年配の男性がゆっくりと進み出てきた。
杖をつきながら歩く姿に、少し胸が痛む。
(大丈夫。今のわたしなら、ちゃんと支えられる)
わたしは男性の前に膝をつき、そっと目線の高さを合わせた。
「少し、足に触れてもいいですか」
「……ああ、お願いします、聖女様」
聖女様。
まだ慣れない呼び方に、心臓がまた強く跳ねる。
でも、その言葉に見合うようになりたいと思ってしまう自分もいる。
わたしはそっと両手を男性の足首に添えた。
「神よ──」
祈りの言葉とともに、灯りを呼ぶ。
指先に集まる、自分の小さな光。
そこに、胸の奥に残っている、あの日の金色のかけらを少しだけ混ぜ込む。
(りん様。少しだけ、貸してください)
あの人の笑顔を思い浮かべると、不思議と恐怖は引いていく。
柔らかな光が、男性の足を包む。
さっきまで強張っていた筋肉が、少しずつ緩んでいくのが分かる。
男性が息を呑んだ。
「……あれ」
光がすっと収まった時、彼は杖を頼りに立ち上がり、それからおそるおそる足を踏み出した。
「痛みが……軽い。こんなに楽に歩けるなんて、何年ぶりだろう……」
その声と同時に、大聖堂の中から大きな拍手が湧き起こった。
喜びと、驚きと、期待の入り混じった音。
わたしは深く頭を下げる。
(今のも、わたしだけの光じゃない)
でも、確かにわたしの中から出ていった光でもある。
“分けてもらった力”を、自分のものとして使う責任。
ずっと、怖かった。
でも今は、少しだけ誇らしい。
◇
儀式が終わり、聖堂のざわめきが徐々に遠ざかっていく。
人々の列が外へ流れていくのを、祭壇の脇から眺めていると──
ふと、見慣れた色が視界の端をよぎった。
(……え?)
群衆の中に、金色。
陽の光を抱きこんだみたいな、やわらかな金色のローツインテール。
「……りん様?」
思わず声に出してしまった。
人の波の向こうで、確かに彼女は振り返った気がする。
遠くて、顔までははっきり見えない。
でも、ひらひらと振られた手と、その隣で耳と尻尾をぴくりと揺らしたネネさんの姿が、一瞬だけ見えた。
次の瞬間には、もう人の影に紛れて見えなくなってしまったけれど。
(来てくれてたんだ……)
胸の奥が、急に熱くなる。
「どなたか、知り合いでも見えましたか?」
いつの間にか隣に来ていたエルマー様が、穏やかな声で尋ねる。
「……はい。とても、大切な人です」
わたしは、まだ混んでいる出口の方を見つめたまま答えた。
「わたしがここに立てるように、魔力を分けてくださった人です」
「それは……神のことではなく?」
「神様は、もっとずっと遠くで見ていてくださる気がします」
わたしは小さく笑った。
「その人は、すぐそばで手を取ってくれましたから」
エルマー様は何も言わなかった。
ただ、わたしの横顔を見て、少しだけ目を細めていた。
(りん様)
心の中で名前を呼ぶ。
(わたし、ちゃんと“聖女ミリア”になれましたよ)
(でも、今のわたしは、りん様に魔力を分けていただいたミリアでもあります)
そのことを、誇りに思いながら生きていきたい。
そう思えたお披露目の日は、きっとわたしにとって、一生忘れられない日になるのだろう。
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