18 二人で起こした、ひとつの奇跡 3
アレンが穏やかな眠りについたあと、りんとネネは一度部屋を下がり、ミリアと一緒に中庭へ出た。
さっきまで重かった空が、嘘みたいに晴れている。
噴水の水が、きらきらと陽の光を跳ね返していた。
「……りん様」
ミリアが噴水の縁に腰を下ろし、隣に座るりんを見つめた。
「さっきのこと、ちゃんとお礼を言わせてください」
「うん?」
りんは足をぶらぶらさせながら、首をかしげる。
「わたし……あの子を救いたくて、ずっと祈ってきました。でも、届かなかった」
ミリアは、自分の手を見下ろした。
「今日、りん様が手を重ねてくださって……。わたしの中を通っていった光は、今でも忘れられません」
その瞳に、少し潤みが浮かぶ。
「こんな魔力、人間にあるはずがないって、一瞬怖くなるくらいでした。でも──」
ミリアはぎゅっと胸に手を当てた。
「怖さより先に、“あったかい”って感じたんです。包まれているみたいで。だから、祈り続けられました」
りんは、照れたように頬をかいた。
「ごめんね。驚かせちゃったなら」
「驚きました。でも、嫌じゃなかったです」
ミリアはかぶりを振る。
「むしろ……あの光が通り抜けたあと、わたしの中に少しだけ残っている気がして」
ミリアは指先をそっと見つめた。
「さっき、試しに小さな癒しをかけてみたんです。アレンの部屋を出る前に、看病していた人の手に」
「うん」
「前よりも、光が集まりやすくなっていました。わたしの魔力が“広がった”というか……」
「やっぱり、そうなっちゃったか」
りんは、少し気まずそうに笑った。
「ご、ごめん。りんの魔力、ミリアの中を通したから、ちょっと“慣れ”ができちゃったのかも」
「慣れ……」
「強くなった、っていうより、“ここまでなら流れても大丈夫”って体が覚えた、みたいな?」
りんは、言葉を探しながら手を動かしてみせる。
「だから、無理してない範囲で、ミリアの魔法も少し伸びたのかも」
ミリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……よかった」
「え?」
「もし、今日の奇跡が全部りん様だけの力だったら、わたし、きっと自分を許せなかったと思います」
ミリアは素直な声で続ける。
「でも、りん様がわたしの中を通ってくれたから──。わたしも一緒に、あの子を救えたって思える」
その言葉に、りんの胸が温かくなる。
「それに、今日のわたしは“りん様に魔力を分けてもらったわたし”なんです」
ミリアは両手をぎゅっと握った。
「今ここに“聖女候補ミリア”として立てているのは、間違いなくりん様のおかげ。
わたしの魔法は、小さな灯りだったけど……。りん様が少し分けてくださった光が、その灯りを広げてくれた」
「ミリア……」
「だから、わたし、りん様のこと……」
ミリアは一瞬言い淀み、でもすぐに、はっきりと続けた。
「とても、だいすきです」
「えっ」
思った以上にまっすぐな言葉に、りんは目を丸くする。
「だいすきって、そんな……」
「恩人として。憧れの人として」
ミリアは真剣な瞳で見つめてくる。
「わたし、りん様みたいになりたいです。
自分の力を“ちょっとべんり”くらいにしか思っていなくて、
でも本当は、誰かの人生を変えちゃうくらいの魔法を持っている人に」
「そんなふうに言われたの、はじめてなんだけど」
りんは耳まで赤くなって、視線を泳がせた。
ネネは少し離れた場所で、それを見て小さくため息をついた。
(……りんお嬢様信者が、ひとり増えましたね)
けれど、そのため息には、呆れと同じくらいの安堵が混ざっていた。
(この子が“聖女”として立てるなら、お嬢がここに縛り付けられる可能性も、少しは減る)
ミリアは、こぼれるような笑みでりんに言った。
「これからも、どうか時々で構いません。教会に顔を出していただけませんか」
「うん」
りんは素直に頷く。
「ミリアががんばってるところ、また見たいし。困ってる人がいたら、りんも“ちょっとだけ”手伝いたいし」
「約束、ですよ」
「うん。約束」
二人が笑い合う光景を見て、ネネは空を仰いだ。
まだ高い位置にある太陽が、塔の先端と、中庭にいる二人の肩を、同じ光で照らしている。
◇ ◇ ◇
その日の夕刻。
教会の一室では、静かな会議が行われていた。
「今日の出来事をもって、ミリアを“聖女”として推すことに、異論はありませんか」
エルマーの問いに、集まった神官たちは次々と頷いた。
「わたしは見ました。あの子の祈りが、光を呼び、少年を救う瞬間を」
「ですが、“金の髪の来訪者”の存在も無視はできません」
ひとりの神官が言った。
「今日の奇跡は、明らかにあの方が来られてから起きています」
「それは、認めざるを得ませんな」
エルマーは腕を組んだ。
「りん様は、遠い国の高位貴族。ここに縛り付けることはできません。ましてや“聖女”として迎え入れるわけにもいかない」
「ならば、こうしてはどうでしょう」
年配の神官が口を開いた。
「ミリアを、この教会の“聖女”として立てる。そのうえで、“金の髪の来訪者”には、今後も王都に滞在される折に、力添えを願う」
「つまり、内の聖女と、外の協力者」
「はい。ミリアは、この地に根を張る光。りん様は、ときどき訪れて、火を強めてくださる風のような存在として」
しばらくの沈黙のあと、エルマーはゆっくりと頷いた。
「……悪くない比喩ですな」
彼は窓の外に目を向ける。
中庭で笑い合っていた二人の姿は、もう見えない。
だが、そこに確かに、二つの光が並んでいた気配だけが、まだ残っているように思えた。
「では──“聖女ミリア”の準備を進めましょう」
そして心の中で、もうひとつの名をそっと呼ぶ。
(そして、りん様。
いつかまた、この街に来てくださるその日まで)
(わたしたちは、あなたに胸を張って会える教会でありたい)
◇ ◇ ◇
星灯りの宿に戻ったりんは、ベッドの上に大の字になっていた。
「つかれた〜〜〜」
「お嬢」
ネネが椅子に腰を下ろしながら、くすっと笑う。
「“ちょっとだけ手伝う”と言っておきながら、毎回全力なのはどういう仕様なんでしょうね」
「全力じゃないもん。ちゃんと加減したもん」
りんは枕に顔を埋めたまま文句を言う。
しばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「でも、よかった」
「何がですか」
「ミリアが、“今の自分”を少し好きになれたみたいで」
枕から顔だけ出して、りんは天井を見上げる。
「りんに魔力を分けてもらって、今の自分がいるって、なんか言ってたでしょ。あれ、ちょっと照れたけど……嬉しかった」
ネネは目を細めた。
「お嬢が誰かの“救い”になるのは、珍しいことではありませんよ」
「え? そう?」
「自覚がないところも含めて、です」
ネネは立ち上がり、窓の外に目を向けた。
教会の塔が、夕暮れの空にうっすらと浮かんでいる。
「ただし。あまりにも多くの人が、お嬢を“特別な光”として見始めると──」
「と?」
「わたしの仕事量が増えます」
「そこ!?」
りんが思わず笑い出す。
「でも、ネネがいてくれるなら、大丈夫だよ」
「それは、少しだけ嬉しい言葉ですね」
ネネは小さく息を吐いた。
(ミリアも、きっとこれから、お嬢のことを“特別”として見続けるでしょう)
(わたしも、そのひとりですけれど)
窓の外の空に、ひとつ、星が灯る。
教会の塔の上に、宿の屋根の上に。
魔王の娘と、教会の聖女。
本来なら交わらないはずのふたつの光は、まだ小さな輪の中で、ひっそりと並んで揺れていた。
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