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魔王の娘  作者: 星空りん
18/19

17 二人で起こした、ひとつの奇跡 2

 教会の中は、昨日と同じ静けさで二人を迎えた。


 大聖堂を横目に廊下を進み、ラウルに案内されたのは、奥の方にある小さな部屋だった。


 扉の前で、ラウルが一度振り返る。


 「こちらです。……ミリアも、中でお待ちしています」


 扉が静かに開かれた。


 部屋の中には、小さなベッドがひとつ。


 そこに、まだ幼さの残る少年が横たわっていた。


 顔色は悪く、額には冷やした布。


 胸が上下するたびに、苦しそうな息の音が漏れる。


 「……りん様」


 ベッドのそばの椅子から、ミリアが立ち上がった。


 昨日と同じ修道服。


 だけど、その顔には、昨日より濃い疲労と、それでも消えない決意が浮かんでいた。


 「来てくださって、本当にありがとうございます」


 「ううん。来たかったから来たんだよ」


 りんは少年のそばまで近づき、そっと覗き込んだ。


 「この子が……」


 「はい。アレンといいます」


 ミリアがそっとベッドの端を握りしめる。


 「近くの村から運ばれてきた子で……。数日前から高い熱が続いていて、治癒をかけても、一時的にしか下がらないんです」


 エルマーも部屋の隅に控えていた。


 彼はりんとネネに軽くうなずき、少年の方へと視線を移した。


 「ミリアは、毎日のように祈りを捧げてきた。だからこそ、今日は二人の力を合わせてみてはどうかと考えたのです」


 りんはミリアの横に立ち、ベッドの上の少年を見つめた。


 額は熱を帯び、頬は痩せこけている。


 それでも、握りしめた手の中に、小さな命の気配がちゃんと残っているのが分かった。


 (……まだ、間に合う)


 胸の奥で、自然とそう確信する。


 「まずは、いつも通りミリアに祈りを捧げてもらいましょう」


 エルマーが静かに言った。


 「りん様には、そのあとで……もしお考えがあれば、お任せいたします」


 「分かった」


 りんは頷き、ミリアに目で「お願い」という合図を送る。


 ミリアは深く息を吸い、少年の枕元に膝をついた。


 「……アレン。少し、目を閉じていてね」


 少年はうっすらと目を開けて、かすかに頷いた。


 ミリアは胸の前で両手を組み、目を閉じる。


 祈りの言葉が、静かに部屋に満ちていく。


 その指先から、淡い光がじんわりとにじみ出た。


 昨日、中庭で見たのと同じ、あたたかい灯り。


 少年の額に触れると、その光は柔らかく広がり、熱をなだめるように降りていった。


 しばらくして、ミリアは息を吐き、そっと手を離した。


 「……どう?」


 問いかける声は、祈りの後のわずかな疲労を含んでいた。


 アレンの呼吸は、さっきより少しだけ穏やかになっている。


 「さっきより……楽」


 かすれた声が、かろうじてそう答えた。


 「ですが、これだけでは」


 エルマーが静かに首を振る。


 「熱は、また戻ってしまうでしょう」


 「分かっています」


 ミリアは小さく答えた。


 その手は、祈りを終えたあとも、まだ微かに震えている。


 りんは、その手をそっと見つめた。


 「ねぇ、ミリア」


 りんが、少しだけ身体をかがめる。


 「今度は、二人でやってみない?」


 ミリアが顔を上げた。


 「……二人で?」


 「うん」


 りんはにこっと笑う。


 「ミリアは、さっきみたいに祈ってて。りんは、その後ろから、ちょっとだけ元気を足すから」


 「元気……」


 ミリアは、つい笑ってしまいそうになるのを、ぎゅっと飲み込んだ。


 「つまり……りん様の力を、わたしの祈りに重ねる、ということですか?」


 「うん。ミリアの光に、りんの魔力を“通す”感じ」


 言葉にしながら、りんは自分の両手を見つめる。


 「ミリアの魔法が中心で、りんはちょっと押すだけ。ミリアが嫌じゃなければ、だけど」


 ミリアは、自分の胸の上で握った手に力を込めた。


 (さっきの祈りだけでは、この子を救えない。

  でも、りん様が手を取ってくれるなら──)


ミリアは、自分の胸の上で握った手に力を込めた。


 自分とは桁違いの力。


 それを、りんは「ちょっとべんり」くらいにしか思っていない。


 「……お願いします」


 ミリアは顔を上げ、まっすぐりんを見つめた。


 「この子を救える可能性があるなら、わたし、自分の体がどうなっても構いません」


 「体は大事にしてよね」


 りんは苦笑しながら、その手をそっと取った。


 「無理はさせないようにするから。一緒に、やろ」


 ミリアの指先が、微かに震えながらも、りんの手を握り返す。


 その様子を見て、ネネは小さく息を吐いた。


 (……やはり、止めるという選択肢はありませんね)


 彼女はアレンの反対側に回り込み、いつでも動けるように構えた。


◇ ◇ ◇


 ミリアはもう一度、アレンの枕元に膝をついた。


 今度は、りんがそのすぐ後ろに立つ。


 ミリアは手を組み、りんはその上から、自分の手を重ねた。


 「目、閉じててね」


 りんが小さく囁くと、ミリアは素直に目を閉じた。


 祈りの言葉が、再び流れ出す。


 ミリアの中にある、慣れ親しんだ光の根源。


 弱くとも、自分のものとして育ててきた灯り。


 それが、いつものように指先へと集まっていく──はずだった。


 そのとき。


 (──え?)


 ミリアの体を、何かが通り抜けた。


 熱でも、痛みでもない。


 ただ、圧倒的な“量”と、“質”を持った光。


 きれいで、濃くて、まるで空から流れ込んできたみたいな魔力が、一瞬にして自分の中を駆け抜けていく。


 (なに……これ……!?)


 心臓がきゅっと強く打った。


 体の芯が、じん、と痺れて、指先まで熱くなる。


 (こんな魔力、人間に……ありえるの……?)


 驚愕と、わずかな恐怖。


 けれど、それ以上に、溢れ出してくるのは、不思議な心地よさだった。


 (あったかい……)


 冷たくはない。


 鋭くもない。


 ただひたすらに、優しくて、抱きしめられているような魔力。


 それが、ミリアの祈りに重なっていく。


 りんは、ミリアの手の上から、そっと魔力の流れを感じていた。


 (ミリアの光、やっぱり“じんわり”って感じだ)


 慈しむような灯り。


 それに合わせて、自分の魔力を細く、細く。


 決して溢れさせないように、一本の糸のように流し込む。


 (ここでどーんってやると、多分ミリアが吹っ飛ぶから……このくらい、かな)


 外から見ている神官たちは、ただひとつの光を見ていた。


 ミリアの指先から立ち上る、今までとは比べものにならないほど濃い光。


 その中心に、りんの金色の髪が、柔らかく揺れているのが見えるだけだ。


 「……っ」


 アレンの胸が大きく上下した。


 つかえていた何かが、ふっと解けるように。


 苦しそうだった呼吸が、少しずつ静かになっていく。


 ミリアは祈りを続けながら、その変化を全身で感じていた。


 (届いてる……)


 今まで、あと少し届かなかった場所。


 掠りもしなかった壁の向こう側。


 そこに、光がすとんと落ちていく感覚。


 (わたしだけじゃ届かなかったところに──

  りん様の光が、手を伸ばしてくれてる)


 どれくらい時間が経ったのか、分からない。


 やがて、りんがそっと手を離した。


 ミリアも遅れて、祈りの言葉を閉じる。


 静寂が、戻ってきた。


 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


 最初に変化を見せたのは、アレンだった。


 彼はゆっくりと目を開ける。


 さっきまで曇っていた瞳に、ちゃんと焦点が宿る。


 「……あれ?」


 かすれた声が漏れた。


 アレンは自分の手を持ち上げ、握ったり開いたりしてみる。


 「からだ……軽い」


 その言葉に、ミリアの肩から力が一気に抜けた。


 「アレン……!」


 思わず名前を呼び、涙が滲みそうになるのをこらえる。


 少年の頬には、さっきまでなかった赤みが戻っていた。


 額に触れてみると、熱もかなり引いている。


 「すごい……」


 部屋の隅で見ていた神官が、小さく呟いた。


 「これが……聖女の……」


 エルマーは胸の前で手を組み、深く目を閉じた。


 「神よ……」


 彼の声は震えていた。


 「わたしたちのもとに、このような奇跡をお与えくださるとは」


 りんは、アレンの顔が元気そうになっていくのを見て、ぱっと笑顔になった。


 「よかった……!」


 肩の力が抜けて、その場にぺたんと座り込んでしまう。


 「りん様、大丈夫ですか」


 すぐそばでネネが支えてくれた。


 「平気。ちょっと頑張っただけ」


 りんは笑いながら答える。


 ネネは、りんの様子を慎重に見てから、小さく頷いた。


 「お嬢の魔力は、まだ十分に残っていますね。……ひとまず安心しました」


 その一方で、ミリアは自分の両手をじっと見つめていた。


 手のひらの奥が、まだじんわりと熱い。


 光は消えているはずなのに、体の奥から、なにかが静かに灯り続けている。


 (わたしの魔力じゃない。

  でも、完全に消えてしまったわけでもない)


 あの圧倒的な光。


 それが、自分の中を通り抜けていった痕跡が、確かに残っている。


 「ミリア」


 エルマーの声が、静かに響いた。


 「あなたは……今日、まぎれもなく“奇跡”を起こした」


 ミリアは驚いて顔を上げた。


 「わたしは」


 「りん様のお力があったことは、もちろん否定しません」


 エルマーはりんにも、深く頭を下げる。


 「遠い国から来られたあなたに、このような大きな恩を受けるとは……。教会を代表して、心から感謝いたします」


 「え、そんな、大げさだよ」


 りんは慌てて立ち上がり、手をぶんぶん振った。


 「困ってる子がいたから、ちょっと手伝っただけで」


 「その“ちょっと”が、どれほどのものか、ご自身では分かっておられないのでしょう」


 ネネが小さくぼそっと呟く。


 「ですが、今日アレンを救った光は、あくまで“ミリアの祈り”を中心にしていました」


 エルマーは、ミリアの方を見た。


 「わたしは、それを見ていました」


 ミリアの胸に、少しずつ実感が広がっていく。


 (わたしの祈りに、りん様の光が重なって……二人で、ひとつの奇跡を起こした)


 自分ひとりの力じゃない。


 でも、自分の祈りが要らなかったわけでもない。


 その事実が、じんわりと胸の奥をあたためていく。


◇ ◇ ◇

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