17 二人で起こした、ひとつの奇跡 2
教会の中は、昨日と同じ静けさで二人を迎えた。
大聖堂を横目に廊下を進み、ラウルに案内されたのは、奥の方にある小さな部屋だった。
扉の前で、ラウルが一度振り返る。
「こちらです。……ミリアも、中でお待ちしています」
扉が静かに開かれた。
部屋の中には、小さなベッドがひとつ。
そこに、まだ幼さの残る少年が横たわっていた。
顔色は悪く、額には冷やした布。
胸が上下するたびに、苦しそうな息の音が漏れる。
「……りん様」
ベッドのそばの椅子から、ミリアが立ち上がった。
昨日と同じ修道服。
だけど、その顔には、昨日より濃い疲労と、それでも消えない決意が浮かんでいた。
「来てくださって、本当にありがとうございます」
「ううん。来たかったから来たんだよ」
りんは少年のそばまで近づき、そっと覗き込んだ。
「この子が……」
「はい。アレンといいます」
ミリアがそっとベッドの端を握りしめる。
「近くの村から運ばれてきた子で……。数日前から高い熱が続いていて、治癒をかけても、一時的にしか下がらないんです」
エルマーも部屋の隅に控えていた。
彼はりんとネネに軽くうなずき、少年の方へと視線を移した。
「ミリアは、毎日のように祈りを捧げてきた。だからこそ、今日は二人の力を合わせてみてはどうかと考えたのです」
りんはミリアの横に立ち、ベッドの上の少年を見つめた。
額は熱を帯び、頬は痩せこけている。
それでも、握りしめた手の中に、小さな命の気配がちゃんと残っているのが分かった。
(……まだ、間に合う)
胸の奥で、自然とそう確信する。
「まずは、いつも通りミリアに祈りを捧げてもらいましょう」
エルマーが静かに言った。
「りん様には、そのあとで……もしお考えがあれば、お任せいたします」
「分かった」
りんは頷き、ミリアに目で「お願い」という合図を送る。
ミリアは深く息を吸い、少年の枕元に膝をついた。
「……アレン。少し、目を閉じていてね」
少年はうっすらと目を開けて、かすかに頷いた。
ミリアは胸の前で両手を組み、目を閉じる。
祈りの言葉が、静かに部屋に満ちていく。
その指先から、淡い光がじんわりとにじみ出た。
昨日、中庭で見たのと同じ、あたたかい灯り。
少年の額に触れると、その光は柔らかく広がり、熱をなだめるように降りていった。
しばらくして、ミリアは息を吐き、そっと手を離した。
「……どう?」
問いかける声は、祈りの後のわずかな疲労を含んでいた。
アレンの呼吸は、さっきより少しだけ穏やかになっている。
「さっきより……楽」
かすれた声が、かろうじてそう答えた。
「ですが、これだけでは」
エルマーが静かに首を振る。
「熱は、また戻ってしまうでしょう」
「分かっています」
ミリアは小さく答えた。
その手は、祈りを終えたあとも、まだ微かに震えている。
りんは、その手をそっと見つめた。
「ねぇ、ミリア」
りんが、少しだけ身体をかがめる。
「今度は、二人でやってみない?」
ミリアが顔を上げた。
「……二人で?」
「うん」
りんはにこっと笑う。
「ミリアは、さっきみたいに祈ってて。りんは、その後ろから、ちょっとだけ元気を足すから」
「元気……」
ミリアは、つい笑ってしまいそうになるのを、ぎゅっと飲み込んだ。
「つまり……りん様の力を、わたしの祈りに重ねる、ということですか?」
「うん。ミリアの光に、りんの魔力を“通す”感じ」
言葉にしながら、りんは自分の両手を見つめる。
「ミリアの魔法が中心で、りんはちょっと押すだけ。ミリアが嫌じゃなければ、だけど」
ミリアは、自分の胸の上で握った手に力を込めた。
(さっきの祈りだけでは、この子を救えない。
でも、りん様が手を取ってくれるなら──)
ミリアは、自分の胸の上で握った手に力を込めた。
自分とは桁違いの力。
それを、りんは「ちょっとべんり」くらいにしか思っていない。
「……お願いします」
ミリアは顔を上げ、まっすぐりんを見つめた。
「この子を救える可能性があるなら、わたし、自分の体がどうなっても構いません」
「体は大事にしてよね」
りんは苦笑しながら、その手をそっと取った。
「無理はさせないようにするから。一緒に、やろ」
ミリアの指先が、微かに震えながらも、りんの手を握り返す。
その様子を見て、ネネは小さく息を吐いた。
(……やはり、止めるという選択肢はありませんね)
彼女はアレンの反対側に回り込み、いつでも動けるように構えた。
◇ ◇ ◇
ミリアはもう一度、アレンの枕元に膝をついた。
今度は、りんがそのすぐ後ろに立つ。
ミリアは手を組み、りんはその上から、自分の手を重ねた。
「目、閉じててね」
りんが小さく囁くと、ミリアは素直に目を閉じた。
祈りの言葉が、再び流れ出す。
ミリアの中にある、慣れ親しんだ光の根源。
弱くとも、自分のものとして育ててきた灯り。
それが、いつものように指先へと集まっていく──はずだった。
そのとき。
(──え?)
ミリアの体を、何かが通り抜けた。
熱でも、痛みでもない。
ただ、圧倒的な“量”と、“質”を持った光。
きれいで、濃くて、まるで空から流れ込んできたみたいな魔力が、一瞬にして自分の中を駆け抜けていく。
(なに……これ……!?)
心臓がきゅっと強く打った。
体の芯が、じん、と痺れて、指先まで熱くなる。
(こんな魔力、人間に……ありえるの……?)
驚愕と、わずかな恐怖。
けれど、それ以上に、溢れ出してくるのは、不思議な心地よさだった。
(あったかい……)
冷たくはない。
鋭くもない。
ただひたすらに、優しくて、抱きしめられているような魔力。
それが、ミリアの祈りに重なっていく。
りんは、ミリアの手の上から、そっと魔力の流れを感じていた。
(ミリアの光、やっぱり“じんわり”って感じだ)
慈しむような灯り。
それに合わせて、自分の魔力を細く、細く。
決して溢れさせないように、一本の糸のように流し込む。
(ここでどーんってやると、多分ミリアが吹っ飛ぶから……このくらい、かな)
外から見ている神官たちは、ただひとつの光を見ていた。
ミリアの指先から立ち上る、今までとは比べものにならないほど濃い光。
その中心に、りんの金色の髪が、柔らかく揺れているのが見えるだけだ。
「……っ」
アレンの胸が大きく上下した。
つかえていた何かが、ふっと解けるように。
苦しそうだった呼吸が、少しずつ静かになっていく。
ミリアは祈りを続けながら、その変化を全身で感じていた。
(届いてる……)
今まで、あと少し届かなかった場所。
掠りもしなかった壁の向こう側。
そこに、光がすとんと落ちていく感覚。
(わたしだけじゃ届かなかったところに──
りん様の光が、手を伸ばしてくれてる)
どれくらい時間が経ったのか、分からない。
やがて、りんがそっと手を離した。
ミリアも遅れて、祈りの言葉を閉じる。
静寂が、戻ってきた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
最初に変化を見せたのは、アレンだった。
彼はゆっくりと目を開ける。
さっきまで曇っていた瞳に、ちゃんと焦点が宿る。
「……あれ?」
かすれた声が漏れた。
アレンは自分の手を持ち上げ、握ったり開いたりしてみる。
「からだ……軽い」
その言葉に、ミリアの肩から力が一気に抜けた。
「アレン……!」
思わず名前を呼び、涙が滲みそうになるのをこらえる。
少年の頬には、さっきまでなかった赤みが戻っていた。
額に触れてみると、熱もかなり引いている。
「すごい……」
部屋の隅で見ていた神官が、小さく呟いた。
「これが……聖女の……」
エルマーは胸の前で手を組み、深く目を閉じた。
「神よ……」
彼の声は震えていた。
「わたしたちのもとに、このような奇跡をお与えくださるとは」
りんは、アレンの顔が元気そうになっていくのを見て、ぱっと笑顔になった。
「よかった……!」
肩の力が抜けて、その場にぺたんと座り込んでしまう。
「りん様、大丈夫ですか」
すぐそばでネネが支えてくれた。
「平気。ちょっと頑張っただけ」
りんは笑いながら答える。
ネネは、りんの様子を慎重に見てから、小さく頷いた。
「お嬢の魔力は、まだ十分に残っていますね。……ひとまず安心しました」
その一方で、ミリアは自分の両手をじっと見つめていた。
手のひらの奥が、まだじんわりと熱い。
光は消えているはずなのに、体の奥から、なにかが静かに灯り続けている。
(わたしの魔力じゃない。
でも、完全に消えてしまったわけでもない)
あの圧倒的な光。
それが、自分の中を通り抜けていった痕跡が、確かに残っている。
「ミリア」
エルマーの声が、静かに響いた。
「あなたは……今日、まぎれもなく“奇跡”を起こした」
ミリアは驚いて顔を上げた。
「わたしは」
「りん様のお力があったことは、もちろん否定しません」
エルマーはりんにも、深く頭を下げる。
「遠い国から来られたあなたに、このような大きな恩を受けるとは……。教会を代表して、心から感謝いたします」
「え、そんな、大げさだよ」
りんは慌てて立ち上がり、手をぶんぶん振った。
「困ってる子がいたから、ちょっと手伝っただけで」
「その“ちょっと”が、どれほどのものか、ご自身では分かっておられないのでしょう」
ネネが小さくぼそっと呟く。
「ですが、今日アレンを救った光は、あくまで“ミリアの祈り”を中心にしていました」
エルマーは、ミリアの方を見た。
「わたしは、それを見ていました」
ミリアの胸に、少しずつ実感が広がっていく。
(わたしの祈りに、りん様の光が重なって……二人で、ひとつの奇跡を起こした)
自分ひとりの力じゃない。
でも、自分の祈りが要らなかったわけでもない。
その事実が、じんわりと胸の奥をあたためていく。
◇ ◇ ◇




