16 二人で起こした、ひとつの奇跡 1
朝の星灯りの宿は、まだ少し眠たそうな空気に包まれていた。
りんは、窓際の席でパンをかじりながら、湯気の立つスープをふうふうと冷ましていた。
「ん〜……このスープ、野菜たくさんで好き」
「ここ数日、ずっと歩き回っていましたからね。今のうちに栄養を入れておいてください」
ネネは向かいの席で、きちんと背筋を伸ばし、ゆっくりと朝食を口に運んでいる。
りんはふとネネの皿を覗き込んだ。
「……ネネってさ、いつも朝ごはん静かに食べるよね」
「騒ぎながら食べる方が珍しいと思いますが」
「えぇ〜? だって朝って元気になる時間でしょ?」
「その元気は、お嬢が一人で担当してくだされば十分です」
「ひどいっ!?」
りんが頬をふくらませると、ネネがほんの少しだけ口元をゆるめた。
「昨日の市場で走り回った疲れが、まだ残っているだけです。わたしの足を勝手に“観光専用”扱いしたお嬢のせいですよ」
「だって、あそこ全部見たかったんだもん……! あ、でもネネ、あのお肉のお店は美味しかったでしょ? ほら、串のやつ!」
「……美味でした。悔しいですが」
「でしょでしょ!」
りんが嬉しそうに身を乗り出す。
「今日もまた行こうよ。昨日見つけたお菓子のお店に行って、そのあと──」
「お嬢、朝から甘い物の話は控えてください。わたしの胃が不安を訴えています」
「ネネの胃って、意外と繊細なんだね……」
「お嬢と行動するようになってからです」
「それ、りんのせい!?」
「ええ。間違いなく」
りんがわたわたしていると、ネネはひとつ咳払いして言い添えた。
「……ですが。昨日の観光は、悪くありませんでしたよ」
りんの顔がぱっと明るくなる。
「ほんとに!?」
「はい。お嬢が笑っていると、周りも明るくなりますからね」
「えっ……それ、褒められてる?」
「ええ。珍しく、褒めています」
「珍しくって何!?」
そんなやり取りに、まだ外は昼には遠い、やわらかな光。
「それでさ、今日どうする? また市場に行って、まずは昨日見つけた雑貨屋さんに……」
「お嬢」
ネネがふと顔を上げた。
「どうやら、その前に“今日の予定”が決まりそうです」
「え?」
◇
食堂の入口から、足音が慌ただしく近づいてくる。
星灯りの宿の主人が、小走りでやってきた。その後ろには、見覚えのある服装の若い神官が立っている。
「りんお嬢様、ネネ殿。朝食中に申し訳ありません」
主人が軽く息を整えながら言った。
「教会から使いの方がいらしていて……」
「教会?」
りんは椅子から半分立ち上がりかける。
若い神官は、胸に手を当て、深く頭を下げた。
「突然お伺いして、失礼いたします。教会のラウルと申します」
彼はりんに向かって、真剣な目を向けた。
「“聖女様”──いえ、りん様に、どうしてもお願いがありまして」
「りんでいいよ」
りんは、まだスープの器を持ったまま首をかしげた。
「お願いって、何?」
ラウルは一瞬言葉を探すように唇を噛み、それから決意したように言った。
「重い病で床に伏している少年がおります。通常の治癒では持ち直しても、すぐに悪化してしまうのです」
りんの指先から、自然と器の熱が消えていく。
「ミリアが、何度も何度も祈りを捧げております。それでも……決定的な回復には、まだ届かず」
その名が出た瞬間、りんの胸に、昨日の中庭の光景がよみがえった。
額に手を当てて、真剣な顔で祈るミリア。
じんわりとあたたかい光と、「もっと助けたい」と呟いた小さな声。
「そこで、教会としては……。もし、もしよろしければ、りん様にも、一度その少年を見ていただけないかと」
ラウルは頭を下げたまま、固く拳を握っている。
「ミリアも、あなたに来てほしいと」
「行く」
りんは、ほとんど反射的に答えていた。
ネネが横目でこちらを見る。
「助けられるかもしれないなら、行ってみたい」
りんはスープをテーブルに置き、椅子から立ち上がった。
「ごめんね、ネネ。朝ごはん途中だけど」
「知っていましたよ、お嬢がそう言うことは」
ネネは静かに息を吐いて立ち上がる。
「どうせ止まりませんから、“最初から付き合う”という選択肢しかありません」
主人が心配そうに口を挟んだ。
「教会での話なら、少し時間もかかるかもしれません。お昼の分も用意しておきましょうか」
「うん、帰ってきたら食べる!」
りんは笑顔で答え、ラウルの方へ向き直った。
「案内、お願いしてもいい?」
「はい……! こちらへ」
◇ ◇ ◇
教会へ向かう道は、昨日と同じ石畳だが、見える景色はすこし違って感じられた。
りんは、ラウルの少し後ろを歩きながら、隣のネネに小声で話しかける。
「ねぇネネ」
「なんですか」
「昨日さ、りん言ってたでしょ。ミリアの魔法を“ちょっとだけ手伝いたい”って」
ネネは横目でりんを見る。
「覚えています。わたしの胃が少し痛くなった話ですね」
「そんな話したっけ?」
「しました」
ネネはきっぱり言った。
「それで、今日はどうするおつもりですか」
りんは指先をくるくる回しながら、少し考えるような仕草をした。
「ミリアがいつも通り祈って、魔法を使って」
「はい」
「りんは、そのうしろから、ちょっとだけ“元気”を足す」
「元気」
「えっと、その……魔力?」
言い直しながら、りんは苦笑した。
「ミリアの光の流れに、りんの魔力を少しだけ混ぜて、ぐいっと押してあげる感じ。
ミリアが中心で、りんは“後押し”だけ」
「それはつまり、“ミリアの中にお嬢の魔力を通す”ということですね」
ネネの目が、わずかに鋭くなる。
「お嬢の魔力がどれほど規格外か、覚えていらっしゃいますか」
「え〜……そんなに?」
りんは自分の両手を見下ろす。
「便利な魔法がいっぱい使えるな〜、くらいなんだけど」
(与えたの、たぶんあの“転生担当の神様”なんだけどなぁ)
心のどこかで、ぼんやりと思う。
「やり過ぎなければ大丈夫だよ。ほら、りん、加減はちゃんとできるし」
「……“ちゃんと”という言葉は、慎重に使った方がよろしいかと」
ネネは小さくため息をついた。
「ですが、その方法が少年を救う最善であるなら、止める理由もありません」
「ネネ……」
「ただし」
ネネはぴしっと指を立てた。
「わたしはお嬢のすぐ横に立って、状況を見ています。なにか異常があれば、即座に止めます」
「うん。ネネが止めたらちゃんとやめる」
りんは素直に頷いた。
「失敗して誰かが困るのは、いちばんやだし」
ネネは少しだけ表情を緩める。
「そう言えるところが、お嬢のいちばんの取り柄ですよ」
「魔法じゃなくて、そこ?」
「はい。間違いなく、そこです」
そんなやりとりをしている間に、教会の白い塔が視界に入ってきた。
今日の空は、昨日より少し雲が多い。
けれど、塔の先端だけは、ちゃんと陽の光を掴んでいるように見えた。
◇ ◇ ◇




