15 教会の門をくぐるとき 3
応接室を出て、少し休憩を兼ねて中庭に出た。
教会の中庭は、石畳と小さな花壇、そして中央にある噴水でできている。
噴水の水音が、静かな庭に涼やかな音を加えていた。
「さっきは、すみません。上の方たち、少し熱心で」
ミリアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ううん。ちゃんと話してくれてたし、りんも勧誘されてちょっとびっくりしたけど、悪い感じじゃなかったよ」
りんは噴水の縁に腰を下ろし、足をぶらぶらさせた。
「ミリアもあの部屋にいたってことは、偉い人?」
「い、偉くなんてないです」
ミリアは慌てて首を振る。
「わたしはただのシスターです。……ただ、一部の方からは“聖女候補”なんて呼ばれてしまっていて」
「聖女候補?」
りんの目が丸くなる。
「じゃあ、ミリアも“聖女さま”なんだ?」
「いえ、違います」
ミリアは苦笑した。
「“候補”なんて名前ばかりで、中身は全然。大きな奇跡を起こせたこともないんです」
その声には、自分に対する厳しさがにじんでいた。
「わたしは、教えられた通りに祈って、教えられた通りに魔法を使っているだけで……。あの噂にあるような、“一瞬で全てを癒やす光”なんて、とても──」
言葉が途中で途切れた。
中庭の入口の方から、小さな足音が聞こえてきたからだ。
「ミリアさーん!」
白い扉の向こうから、ひとりの女性が姿を現した。
その後ろには、小さな女の子が隠れるようについてきている。
女の子は顔色が悪く、体を少し丸めている。
「この子が、また熱を出してしまって……。ミリアさんがいる時にって、急いで来たんです」
「分かりました」
ミリアはすぐに表情を引き締めた。
「ここに座ってもらえますか?」
女の子が噴水の縁に座る。
ミリアはその前に膝をつき、そっと額に手を当てた。
「少し、おでこが熱いですね」
「うん……」
女の子が弱々しく頷く。
ミリアは小さく息を吸い込んだ。
胸の前で両手を組み、目を閉じる。
静かな声で、祈りの言葉を紡ぎ始めた。
りんは、少し離れた場所から、その様子をじっと見つめた。
ミリアの指先から、淡い光がじんわりと滲み出てくる。
それは、りんの魔法のような、眩しい閃光ではない。
ほんのりと温かい、柔らかな灯り。
それでも、女の子の表情は少しずつ緩んでいった。
強張っていた肩が、力を抜いて落ちていく。
「どう?」
祈りを終えたミリアが、少女に尋ねる。
「さっきより……楽」
女の子はか細い声で言った。
「胸の苦しいのが、少し軽くなった」
女の子の母親が目頭を押さえた。
「ありがとうございます、ミリアさん……。忙しいのに、いつも」
「いえ」
ミリアは小さく微笑んだ。
「無理はさせないでくださいね。あとで温かいスープを飲んで、よく休ませてあげてください」
「はい、本当に……」
母子が去っていき、中庭に再び静寂が戻る。
ミリアは噴水の縁に座り、空を見上げた。
「……本当は、もっと楽にしてあげたいんです」
誰にともなく呟いた。
「一瞬で熱を下げて、すぐに走り回れるようにしてあげられたら……って、いつも思います。でも、わたしの魔法は、ああやって、ちょっと楽にしてあげることしかできなくて」
りんは、ミリアの横にちょこんと座った。
「さっきの、見てたよ」
ミリアが驚いたように振り向く。
「ミリアの光、あったかかった」
りんは、さっきの光景を思い出すように、両手を胸の前で重ねた。
「りんの魔法って、“ばっ”て一気に変えちゃう感じなんだけど……。今のは、“じんわり”って感じで、ちょっと羨ましかった」
「羨ましい……?」
ミリアは自分の手を見下ろした。
「わたし、自分の力が足りないって、ずっと思ってたのに」
「足りないかどうかは、その子が決めることだと思う」
りんは、まっすぐに言った。
「さっきの子、顔がちょっと楽になってたよ。きっと、“ミリアの魔法、気持ちよかったな”って思ってる」
「……そうだと、いいんですけど」
ミリアの瞳に、ほんの少しだけ光が宿る。
ネネは、少し離れた木陰から、その二人を静かに見守っていた。
(お嬢は本当に、“人を救うこと”を当たり前だと思っている)
魔王様の娘ということを考えれば、ありえないほど。
(だからこそ、この教会と深く関わりすぎないように、わたしが気をつけないといけないのだけれど)
胸の中で、ふたつの思いが綱引きをしているようだった。
◇ ◇ ◇
夕刻。
星灯りの宿の部屋に戻ったりんは、ベッドの上に仰向けになって、天井を見つめていた。
その横で、ネネが椅子に腰掛け、靴を脱いだりんの足先をタオルで軽く拭いている。
「今日はよく歩きましたね、お嬢」
「教会、広かったからね〜」
りんは、両手を頭の上で組んで、足をぱたぱた揺らした。
しばらく天井を見つめたまま黙っていたが、やがてぽつりと言う。
「ねぇ、ネネ」
「なんですか」
「ミリア、がんばってたね」
ネネの手が、ほんの少しだけ止まる。
「……そうですね」
「ちゃんと祈ってて、ちゃんと話を聞いてて、ちゃんと手を当ててた」
りんは、瞼を閉じて、中庭の様子を思い出す。
「りんの魔法と違って、どかーんって一気には治らないけど……あれはあれで、すごくいいなって思った」
「お嬢がそう言うのなら、きっとそうなのでしょう」
ネネは、淡々と答えながらも、どこか嬉しそうだった。
「だからね」
りんは、ころんと横向きになって、ネネの方を見た。
「ミリアが“もっと助けたい”って思ってるなら……りん、ちょっとだけ手伝ってあげたいなって」
「……出ましたね、“ちょっとだけ”」
ネネが額に手を当てる。
「お嬢の“ちょっとだけ”は、大抵、世界の常識から三歩くらい飛び出すんですよ」
「えぇ〜、そんなことないよ」
りんはぷくっと頬を膨らませた。
「ほら、りんが全部やっちゃうと、それはそれでミリアの立場がなくなっちゃうでしょ?」
「それは、そうですね」
「でも、ミリアが一生懸命やってるところに、りんの力をちょっとだけ混ぜてあげたらさ」
りんは両手を重ねて、指の隙間から覗き込むような仕草をした。
「まわりからは“ミリアがすごい聖女みたいな奇跡を起こした”って見えるし、本当に助かる人も増えるし、ミリアも自信つくし……みんな、ちょっと幸せじゃない?」
ネネは黙って、りんの顔を見つめた。
その瞳には、呆れと感心が半々に浮かんでいる。
「……本当に、お嬢は“聖女様向き”ではありませんね」
「え、ひどくない?」
「褒めているんですよ」
ネネは小さく笑った。
「教会は、“聖女”を自分たちの枠の中に当てはめようとするでしょう。ですが、お嬢はそういう枠に収まるタイプではありません」
「むしろ枠を壊しそうですね」
「壊さないよ! たぶん!」
「その“たぶん”が怖いのです」
二人のやりとりに、部屋の空気が少しだけ軽くなる。
ネネは、りんの足先を拭き終えると、タオルを畳みながら言った。
「……ただひとつ、言えることがあります」
「なに?」
「お嬢の“ちょっとだけ手伝いたい”は、たいてい誰かを本当に救います」
りんは目を瞬かせた。
ネネは少しだけ視線を逸らし、続ける。
「わたしも、そのおかげで何度も助けられてきましたから」
「ネネ……」
胸の奥がくすぐったくなるような言葉に、りんは頬をかいた。
「じゃあさ」
りんは、いたずらっぽく笑った。
「これからも、ネネのことも“ちょっとだけ”助けてあげるね」
「遠慮せず、たっぷり助けてください」
ネネが即答して、二人は同時に笑った。
窓の外には、白い塔のシルエットが、夕闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
その塔のどこかで、ミリアもきっと、今日のことを思い返しているのだろう。
──自分は、本当に“聖女候補”と呼ばれるにふさわしいのか。
──あの金の光の少女は、いったい何者なのか。
そして、りんの胸の中にも、新しい小さな決意が生まれつつあった。
(ミリアががんばるなら、りんも“ちょっとだけ”がんばろ)
それが、次の小さな奇跡の始まりになることを、まだ誰も知らない。
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