14 教会の門をくぐるとき 2
応接室のようなその部屋には、数人の神官がすでに座っていた。
中年の男がひとり。その隣に、少し年上の女性の神官。
手前にはミリアが控えめに席につき、りんとネネは向かい側の椅子に座らされた。
「遠くからよくお越しくださいました」
中年の神官が、穏やかな声で口を開いた。
「わたしはこの教会の副長を務めております、エルマーと申します」
「りんだよ」
りんは、あくまでいつもの調子で微笑んだ。
「りんお嬢様でございます」
ネネが、横から丁寧に言い添える。
「付き添いのネネと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
エルマーは軽く頷いた。
「では、さっそくですが……先日、王都の大通りで起きた出来事について、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
りんは少しだけ背筋を伸ばした。
「大通り……ああ、荷車の下敷きになりかけてた人のこと?」
「はい」
女性の神官が、手元の紙に目を落としながら言う。
「足を潰されかけた男が、一瞬で歩けるようになったと、こちらに報告が上がっています。その際、見たことのない金色の光に包まれた、と」
「見たことのない……」
りんは、自分の手のひらを見つめた。
あの日、そこからあふれた光。
魔界で当たり前のように使っていた回復の魔法が、人間たちには“見たことがない”ものだったのだ。
「困ってる人がいたから」
りんはゆっくりと言葉を選んだ。
「荷車が倒れそうになってて、このままだと危ないって思って。だから魔法で、荷車をちょっと止めて、それから、足を“治れ〜”って」
「“治れ〜”」
エルマーがその言葉を繰り返した。
「何か特別な祈りの言葉や、神の名を呼ばれましたか?」
「えっと……」
りんは完全に黙った。
祈り。
確かに、何かに願うような気持ちはあった。
けれど、自分は特定の神を思い浮かべて祈ったわけではない。
「ちゃんとした祈りの言葉は、知らなくて」
りんは正直に言った。
「頭の中で“よくなれ”“痛くなくなれ”って思ってただけ。ちゃんとしたやつじゃなくて、ごめんなさい」
部屋の空気が、少しだけ静かになる。
ネネが、横から静かに口を開いた。
「わたしたちの国では、神の御名を用いる祈りよりも、“目の前の命を守る”という思いを重んじる文化がございます」
全員の視線がネネに向く。
ネネは落ち着いた声で続けた。
「りんお嬢様が使われた言葉は粗野に聞こえるかもしれませんが、その実、“どうか助かってほしい”“痛みがやわらいでほしい”という、真っすぐな願いが込められていたのです」
「……なるほど」
エルマーは顎に手を添え、わずかに目を細めた。
「形式としての祈りではなく、願いそのものを力に変える、ということですか」
「はい」
ネネは簡潔に頷いた。
「こちらの教えとは少し形が異なるかもしれませんが、“人を癒やしたい”という根っこは同じだとわたしは考えます」
部屋に漂っていたわずかな緊張が、少しだけほどける。
女性の神官が、静かに手を組んだ。
「わたしたちは、あの出来事を“神の御業”のひとつだと考えています」
りんはびくっとした。
「御業……」
「あなたがどこから来られたとしても、人を救ったという事実は変わりません」
エルマーが穏やかに言う。
「そして、その力を与えた存在を、わたしたちは神と呼んでいます」
りんは、なんと返していいか分からなくなって、視線を泳がせた。
(与えたの、たぶんあの“転生担当の神様”なんだけどなぁ)
心の中でだけ、こっそりツッコむ。
エルマーは、一度目を閉じ、そして改めてりんを見つめた。
「率直に申し上げましょう」
空気が、少しだけ重みを持つ。
「あなたのような方に、わたしたちの教会で“聖女”としてお仕えいただけたら、それはどれほど心強いことか」
りんは、椅子の上で固まった。
「せ、聖女……」
「もちろん、いきなり多くを求めはいたしません。ここで暮らし、祈り、癒やしを行い、人々を導いていっていただければと」
エルマーの声には、本物の期待と敬意が込められていた。
冗談ではない。
心から、そう願っているのが分かる。
「え、えっと……」
りんは、どうしていいか分からなくなって、ネネの方を見た。
ネネは、ほんの一瞬だけ「来たか」という表情を浮かべ、それからすぐに穏やかな顔に戻った。
「恐れながら」
ネネが静かに口を開いた。
「りんお嬢様は、遠い国の高位貴族のお生まれでございます」
「高位……貴族」
神官たちは、わずかに目を見開いた。
「はい。この王都には、あくまで短い滞在として参っておられます。国同士の約定や立場もあり、こちらの教会に正式にお仕えすることは、どうしても難しいのです」
「なるほど」
エルマーは小さくため息をついた。
「確かに、他国の高位貴族を無理に引き留めるわけにはいきませんな」
女性の神官も頷く。
「残念ですが、納得いたしました」
りんは、少しだけホッとした息をついた。
ネネが、続けて言う。
「ただ、お嬢様ご本人は、人を助けることそのものには進んで力をお貸しになるお方です」
「う、うん」
急に自分の番が回ってきて、りんは慌てて頷いた。
「“ここでずっと暮らす”のは難しいけど、王都にいる間とか、また遊びに来た時とか、困ってる人がいたら、そのときは手を貸したいな、って」
エルマーの目が、ゆっくりと細められる。
「……それは」
彼はしばし言葉を選んだ。
「なんとも、ありがたいお言葉です」
女性の神官も、微笑みを浮かべた。
「それでは、正式な“教会の聖女”としてではなく、“遠い国からの来訪者”として、ときおり力をお貸しいただく、という形はいかがでしょうか」
「うん。その方が、りんには合ってる気がする」
りんは嬉しそうに笑った。
「どこかひとつに決めちゃうと、他の場所にも行きにくくなっちゃうし」
「自由な聖女様、ですか……」
エルマーはおかしそうに笑みを漏らした。
「ですが、そういう在り方もまた、神が許されるものなのかもしれません」
横でミリアが、じっとりんを見つめていた。
その瞳には、羨望とも、尊敬ともつかない、複雑な色が混じっている。
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