13 教会の門をくぐるとき 1
朝の星灯りの宿には、いつもより少しだけ張りつめた空気が漂っていた。
りんはベッドの上に、持ってきた服をずらりと並べて、その真ん中でうーんと唸っていた。
「教会ってさ……やっぱり黒いドレスはやめた方がいいかなぁ」
ベッドの端には、魔界で着ていた少し豪華な黒ベースのゴシックドレス。レースとリボンがふんだんにあしらわれた“魔王の娘仕様”だ。
「間違っても“魔王の娘です”って主張するような格好は、今日だけは避けてください」
部屋の隅で腕を組んでいたネネが、ため息混じりに言う。
「ここは人間界の教会です。魔界の晩餐会ではありません」
「だよね〜……」
りんは黒ドレスを名残惜しそうに見つめてから、他の候補に目を移した。
薄いグレーのワンピース。柔らかな生成り色のスカート。胸元に小さなリボンがついた、落ち着いた色合いのもの。
「これとかどう?」
りんは、淡いグレーのワンピースを胸に当ててくるりと回ってみせる。
「色は悪くありません。清楚に見えます」
ネネは真剣な表情でうなずいた。
「ただ、もう少し“りんお嬢様らしさ”を残してもよいかと。たとえば、その白いリボンを髪に合わせるとか」
「お、さすがネネ。センスある」
「お嬢の服は、わたしの仕事の一部ですから」
ネネはさらりと言って、ベッドの上のアクセサリーの中から、細いリボンと控えめなレースを選び取る。
しばらくして──
鏡の前には、普段より少しだけ落ち着いた、けれどいつものりんらしい雰囲気を残した姿が映っていた。
淡いグレーのワンピースに、首元には細いチョーカー。腰まで届く金色のローツインテールは、白い大きなシュシュでまとめられ、サイドの髪が光を受けてふわりと流れている。
「どう?」
りんが鏡の中の自分に小さく手を振る。
「……うん。ちゃんと“教会”って感じ」
「“ちゃんと教会”という基準がよく分かりませんが、悪くないと思います」
ネネは満足げに頷いた。
「清楚で、あまり魔界っぽくなくて、それでいてお嬢様らしい。今日の目的にはちょうどよいかと」
「よーし」
りんは軽く両頬をぺちぺち叩いた。
「じゃあ、教会見学、いってきますか!」
「見学ではなく“事情説明”ですが……お嬢がそのくらいの気分でいた方が、かえってうまくいくのかもしれませんね」
ネネは苦笑しながら、フード付きのマントを羽織り、扉へと向かった。
◇
一階に降りると、星灯りの宿の主人が入口のところで待っていた。
「りんお嬢様、ネネ殿。お支度はお済みですかな」
「うん。おはよう」
りんが笑顔で手を振ると、主人は少し緊張した面持ちで頭を下げる。
「教会へ向かわれる前に、一言だけ……。教会の方々は真面目で、時に厳しいところもありますが、お嬢様のような方を嫌う人ばかりではありません」
「うん」
「なにかございましたら、いつでもこの“星灯りの宿”を頼ってください。ここは、お嬢様の滞在先であり……帰って来られる場所ですから」
りんは、胸のあたりがほんのりあたたかくなるのを感じた。
「ありがとう。なんか、心強い」
ネネが一歩前に出て、きちんとした口調で言う。
「このお嬢様は、少々無鉄砲なところがありますが、悪意は一切ございません。ご心配なく」
「ちょっと、ネネ」
「事実です」
主人は小さく笑い、二人に向けて深く会釈した。
「どうかお気をつけて。よい出会いがありますように」
「行ってきます」
りんは元気よく手を振り、ネネと共に、朝の王都へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
教会への道は、昨日歩いた大通りを少し進み、そこから真っ直ぐ北へ向かう。
朝の陽射しが石畳を照らし、店々が開き始める音があちこちから聞こえていた。
「ねぇネネ」
「なんですか、お嬢」
「昨日、ネネが言ってた“人間から見た魔王の話”ってさ」
りんは、通りの先にうっすら見え始めた白い塔を見上げながら言った。
「パパって、そんなに物語で悪役扱いされてるの……?」
「はい」
ネネははっきりと頷いた。
「人間の物語の中では、“魔王様”はたいてい世界を滅ぼそうとする存在か、人間を脅かす恐怖の象徴として描かれます」
「うわぁ……」
りんは思わず眉をひそめた。
「パパ、そんなことしたくないっていつも言ってるのに」
「実際には、最近はまったく戦争も起きていませんし、“魔王様”ご本人もそこまでやる気はないご様子ですが」
ネネは肩をすくめる。
「ですが、人間側の物語や教えは、そう簡単には変わりません。教会もまた、“魔王様”を“闇”や“悪”の象徴として語ってきました」
「……じゃあ」
りんは、自分の胸に手を当てた。
「その“悪い魔王”の娘が、“聖女様”って呼ばれてるって、やっぱりだいぶ変だよね」
「はい。だいぶおかしいです」
ネネは即答した。
「ですので、その事実は、わたしたちだけの秘密にしておきましょう」
りんは小さく息を吐いてから、ふっと笑った。
「分かってるよ。バレたら大騒ぎだもんね」
「ええ。本当に大騒ぎになります」
そんな会話をしているうちに、視界がひらけた。
王都の中心近く。
白い石でできた、背の高い大聖堂が、朝の光を受けて静かに立っていた。
高く伸びる塔。いくつもの尖塔。大きな丸いステンドグラス。
そのすべてが空へ向かって祈りを捧げているようで、りんは思わず息を呑んだ。
「……すごい」
胸の奥から出てきた言葉が、それだけだった。
「きれいだね」
「きれいなのは同意しますが」
ネネが、りんの隣で静かに言う。
「ここが“魔王様”と正反対の場所であることも、お忘れなく」
りんは、少しだけ背筋を伸ばした。
「うん。ちゃんと、お行儀よくする」
「それが一番難しい注文ですね」
ネネはぼそっとこぼしたが、声には少しだけ笑みが混じっていた。
二人は、白い階段をゆっくりと上がり、重厚な扉の前に立った。
扉の前には、すでにひとりのシスターが待っていた。
薄い栗色の髪を三つ編みにし、胸の前で両手を組んだ、まだ若い娘だ。
りんたちを見ると、その瞳がふっと見開かれた。
「あの……遠い国からいらした、りん様と、ネネ様でいらっしゃいますか?」
彼女は少し緊張した声で尋ねる。
ネネが一歩前に出て、控えめに会釈した。
「はい。こちらが、りんお嬢様。遠方の国から、この王都に滞在しておられます」
「りんだよ。よろしくね」
りんは、あどけない笑みで手を振った。
「案内してくれるの?」
「は、はい」
シスターは慌てて姿勢を正した。
「わたしはミリアと申します。教会からの文を受けて、お迎えにあがりました」
りんは、少し緊張した面持ちのそのシスターを見上げた。
自分とそう年の変わらなさそうな、真面目そうな女の子だ。
扉が静かに開き、冷たい石の匂いと、ほのかな香が二人を包み込んだ。
◇
大聖堂の中は、外の喧騒が嘘のように静かだった。
高い天井。石の柱が天を支え、ステンドグラスから差し込む光が、床に色とりどりの模様を描いている。
何人かの人々が膝をついて祈っていた。その背中は小さく見えるのに、不思議と揺るぎない感じがした。
「わぁ……」
りんは思わず声を漏らす。
「きれい……」
光だけじゃない。
ここに積もっている時間そのものが、美しいような気がした。
「こちらが、大聖堂です」
ミリアが小さな声で説明する。
「この王都で一番大きな教会で、神さまへの祈りと、人々の願いが、ここに集まってきます」
「なんか、空気が“静か”っていうより、“ぎゅっ”て感じ」
りんが胸の前で両手をぎゅっと握りしめながら言う。
「たくさんの想いが重なってるからかな」
ミリアは少し驚いたようにりんを見て、それから微笑んだ。
「……そうかもしれません。わたし、そういう表現は思いつかなかったです」
ネネは周囲をさりげなく観察していた。
壁に刻まれた紋章。
柱の根元に描かれた、魔法陣とも聖印ともつかない模様。
(防御術式、結界、祝福……。直接的な攻撃の気配はないですが、やはり“魔”を拒む構造ですね)
口には出さず、心の中だけで評価する。
「こちらへどうぞ。上の方々が、お話をお待ちです」
ミリアに案内され、りんたちは大聖堂の奥、廊下を抜けた先の小さな部屋へ通された。
◇ ◇ ◇




